模糊の旅人
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2018年 01月 20日 |

今月末まで、海外取材旅に行ってきますので、ブログ更新も休ませていただきます。

行き先は、地中海西部シリーズの掉尾を飾るものとして、マルタ共和国となります。マルタは小さな島ですので、一つの宿に滞在して、ゆっくり取材するつもりです。
ひょっとして2月の温故斬新写真展用の作品も撮れるかもしれません。



その写真展が迫ってきておりますので、お知らせもしておきます。

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なお、この写真展案内ハガキをご希望の方は、必要枚数をご記入の上、メールまたは非公開コメントで送付先をお知らせください。マルタから帰国後、直ちに送付させていただきます。

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さて、最近、何人かの方から、ブログ掲載写真について、海外旅の使用カメラ機材を詳しく教えてくださいとのメールをいただいております。機材ネタもやらねばと思っていたのですが、旅写真優先で余裕がありませんでした。そこで、この機会に旅カメラを紹介させてもらいます。


このところ私の旅行用カメラ機材は変化しておりません。多分、どれかが壊れるまで、この体制が続くと思われます。


↓メイン機材 カメラ:オリンパス OM-D E-M1 MarkⅡ  レンズ: M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4 IS PRO

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旅では小型でよく写るこの機材セットが決定版で、もう当分の間はこのメインは変わらないでしょう。


OM-D E-M1 MarkⅡ は小型ミラーレス一眼としては秀逸で、使い慣れたオリンパスのカメラなので安心して操作できます(RAWで撮影しておけば最新のアートフィルターも事後適用できます)


M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4 は、高倍率なのに驚くほどよく写るレンズです。焦点距離が換算24mm~200mm相当ということで、旅ではこれ一本でじゅうぶんです。以前のように交換レンズを持って行く必要がなくなりました・・・これは移動しながら撮影する旅カメラとしては非常に助かります。


しかも、このカメラとレンズのセットを組み合わせた場合、カメラ側とレンズ側の手ぶれ補正が協調して効果を高めるシンクロ手振れ補正機能が超強力で、暗い場所でも手持ち撮影が可能になり、旅には最適です。


旅の景観風景やスナップは、もちろん問題なく撮れますが、あえて限界状況的な作品を挙げてみます。


↓メイン機材の使用例(その一) ISO6400 手持ち撮影

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↑スペインで撮影しました。夜明け前のマジックアワーがはじまった瞬間で、肉眼ではほぼ真っ暗に見える状況です。手持ちISO6400で、このくらい撮れれば文句ありません。


↓メイン機材の使用例(その二) デジタルテレコン使用

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↑ポルトガルの田舎町を散歩していたとき突然、可愛いクロジョウビタキが飛んできました。従来なら撮れないところですが、望遠域にズームしてfn1ボタンを押せばデジタルテレコンが効いて換算400mm! 旅先で出会った野鳥や昆虫も瞬時に対応して、簡単に撮れるようになりました。(私はfn1ボタンにデジタルテレコンを割り当てています)


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↓サブカメラ(1) カメラ:Panasonic LUMIX DMC-GM1  レンズ: G VARIO 14-42mm/F3.5-5.6

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旅ライターとしては、失敗が許されないので、カメラが壊れるという最悪の状況に対応できるようサブカメラが必須です。ただ大きなカメラではサブになりませんので小型軽量という条件があります。


パナソニックのGM1は、もう四年近く使っていますが、現在でもμフォーサーズとして最小のカメラで、ポケットに入るコンデジクラスの大きさでありながら、写りも良く便利な機材です。(欠点は操作ボタンが小さすぎる点ですが、これはサイズが極小なので当然のこと。サブカメラとしては私は気になりません)


μフォーサーズ規格のミラーレス一眼ですので、メイン機材のレンズが不調の場合はレンズ交換可能ということでレンズ側サブとしても有効です。
大きなカメラでは不似合いというシチュエーションにも対応できます。ストロボ内蔵というのも便利で、これまで旅のサブカメラとして大いに活躍してきました。小型標準ズームレンズ先端に自動開閉するレンズキャップLC-37Cを付けています。


ごくまれに、メインでカバーできない超広角・魚眼・マクロ・超望遠のどれかのレンズをつけて撮影領域を広げるべくトライすることがありますが、撮影場所の性格が明確であるケースに限られます。



↓サブカメラ(1)の使用例(その一) 内蔵ストロボ使用

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↑トルコ航空の機内食をストロボ一発オート撮影。飛行機内に座ったまま機内食が配られ身動き出来ない状況ですので大きなカメラを出すのは面倒。そんな時はポケットからGM1を出せば解決です。


↓サブカメラ(1)の使用例(その二) トルコのレストランで

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↑期待しないで入った小さなレストランで、美味しそうな皿料理が! これも大きなカメラを出すのは大げさな雰囲気でしたので、ポケットからGM1を出してパチリと瞬撮。一秒あれば良いのです。


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↓サブカメラ(2) オリンパス Tough TG-5

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上記の E-M1 MarkⅡ と GM1 の二台で、旅カメラとしては、ほぼ完璧です。
それ以上のシチュエーションとなると、超広角、超望遠、超マクロ撮影、そして砂漠や水中などヘビーデューティーなレアケースとなります。 


ところが、モロッコでは砂塵舞うサハラ砂漠の撮影予定があり、続く秋田では温泉と雪の撮影がありそうなので、ヘビーデューティーなカメラが欲しくなりました。
折よく、オリンパスからタフシリーズのコンパクトデジカメである新型 TG-5 が発売されましたので、モロッコ行の直前に導入しました。


このカメラは、あえて旧型より画素数を減らし高感度に強くした新センサーを用い、ハイスピードムービー(スローモーション)撮影も可能にした、水中15m撮影対応のタフカメラです。
従来から定評のあるF2.0レンズや顕微鏡マクロ、ライブコンポジット機能、さらにフラッシュディフューザーも使える魅力的なカメラです。


サブカメラの域をこえて、メインカメラの対応できないヘビーな状況でも活躍できそうです。実際、サハラ砂漠や露天風呂でも全く問題なく使用できました。今後も旅写真の可能性を広げてくれるのではと期待しています。


↓サブカメラ(2)の使用例(その一) サハラ砂漠にて

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↑砂塵舞う砂漠の朝。細かい砂が帽子の下の髪や下着にまで入り込んでくる状況です。こんな時でもTG-5は元気に活躍してくれました。その時の作品『赤い砂漠』


↓サブカメラ(2)の使用例(その二) 秋田の露天風呂にて

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↑吹雪の日。露天風呂の入浴客は私ひとり、これはラッキーとTG-5を片手に岩の浴槽へドボン。浴槽に浸かりながら雪を手で触ったりして楽しく撮影三昧です。こういうシチュエーションにはTG-5が最適ですね。(どこまで撮影するねん、カメラ馬鹿ですねえ・・・・)


一般的な飛行機利用で行く取材旅では、小型軽量が必須ですので、上記の E-M1 MarkⅡ をメインとして、状況に応じて GM1 か TG-5 のどちらかをサブとして持って行きます。


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↓その他の撮影中に必要なカメラ関係機材

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↑左側から小型刷毛、小型ブロア、メガネクリーナーです。


大抵のホコリは、刷毛かブロアで取れるのですが、撮影中に取れにくいゴミや雨雪がレンズ先端部(フィルターやレンズ前玉)に付着することがあります。動き回っている最中ですので、レンズクリーニングキットを落ち着いて使用することは出来ません。そこで、応急処置として使用するのが、メガネクリーナー。これを折って中心からクルクル回してフィルターを清掃します。


さらに、撮影中にメディアが満杯になったりバッテリ切れがおこるので、必要と予想される予備メディアと予備バッテリーは、決めた場所に収めて持ち歩きます。


これ以外には、持ち歩きませんが、各カメラ用バッテリー(5~6本)、バッテリーチャージャー、メディア本体(64GBと32GBのSDカード各10枚)を旅用リュックサックまたはスーツケースに入れてあります。


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タブレットパソコンやストレージ(クラウドも含めてのデータ保存機器)については、私は今は使っていません。これは、かつてストレージが故障して撮影データが飛んでしまった経験があるのと、海外旅行の旅先での貴重な時間を、ストレージに転送したりパソコンを操作する時間に費やしたくないからです。電源状態の不安定な外国で、下手に撮影データを触ったり転送したりして事故がおこる危険性もあります。


旅先では、撮影して満杯になったSDカードは空のものと間違えのないよう別にして大切に保管して、そのまま触りません(磁気に接触させないことが最重要)。これが一番単純かつ安全な一時的保存法です。帰国してから外付けHD2台に二重に転送保存し、特に重要なデータはさらにブルーレイディスクに複製保存します。それが終わってから、SDカードを開放して再利用します。
今は、信頼性の高いサンディスクなどのSDカードが安く買えるようになり、64GBが10個もあれば昔のストレージや小型パソコンに匹敵する容量を確保できます。無駄な操作をしないことにもつながり、安全性も確保できます。今のところ、この方法で、データの事故はありません。


以上が、現在の私の「旅」カメラ機材です。



もちろん、車で野鳥撮影や花・昆虫撮影に行く場合は、キヤノンの大きなカメラや超望遠レンズ・マクロレンズ等も使用します。交換レンズもいろいろ持っています。マウントを広げると収拾がつかなくなるので、μフォーサーズ機(オリンパスとパナソニック)とキヤノン機の2マウント制で行っています。
趣味的な味わいを得たい場合は、オールドレンズやフィルムカメラもよく使いますが、あくまでその撮影する被写体が明確である時になります。

撮影したい目的状況に応じた機材をそろえてている・・・つまり、私は機材を飾っておくコレクターではなく、使ってなんぼのカメラ馬鹿です。

参考にしていただければ幸いです。




次のブログ更新は、来月はじめになります。
それでは、皆さん、しばらくのあいだ、ごきげんよう!



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2017年 01月 19日 |
1月15日まで、大阪の国立国際美術館で「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」という展覧会が開かれていました。
私もなんとか滑り込みセーフで、見てきました。今日はその独断的感想を、記憶が新しいうちに書いておきます。

↓国立国際美術館外観
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美術館に、朝10時の開館と同時に飛び込んで、悔いのないよう納得するまで見て、出てきたのが13時15分でした(汗)
57作品で、3時間以上使ったわけですから、じゅうぶんにヴェネツィア絵画を堪能しました。

↓入ったところにある宣伝ポスター
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↓併設の展覧会「プレイ展」は写真撮影可でした。
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自由に撮影してSNSやインターネットで写真を拡散してほしいということです。こういう趣旨の展覧会もこれまで何度かありましたが、まだまだ日本では少ないです(曜日によって撮影可だったのが「デトロイト美術館展」、常時一部撮影可なのが東京国立博物館)。海外では当たり前なので、これからは増えてほしいものです。


今回は、本体の「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展は、写真撮影は不可ですので、その個々の絵画内容は、別の機会でということで、今日は私が自分で撮った周辺写真やパンフによる、全体的感想と印象的だった作品の解説です。


まず、入場口に音声ガイドのコーナーがあります。私はヴェネツィア派絵画にさほど詳しくないのと、俳優の石坂浩二さんのガイドということで、550円を支払って音声ガイドも聴いてみることにしました。

クリヴェッリを石坂浩二さんがどう解説するかも楽しみだったのですが、残念なことに音声ガイドされる20作品に、クリヴェッリ作品は選ばれていませんでした・・・

ただし、ミュージアムショップで販売されている絵葉書(ベスト25作品)には、クリヴェッリは選ばれていたので、それを自分への土産として購入しました。

↓クリヴェッリ作品の絵ハガキと、ジョヴァンニ・ベッリーニの栞など
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全体的には、たいへん見応えのある美術展でした。これだけのヴェネツィア派の作品を日本に居ながら見られるというのは、すごいことです。
欲を言えば、さらに天才ジョルジョーネの作品もあれば最高でしたが、ジョルジョーネは夭折し寡作ですし、『テンペスタ』 はアカデミア美術館の至宝ですから、やはり来日は無理でしょうね。

それでも、日伊修好条約150周年記念ということで、頑張ってくれた関係者の皆様に感謝です。


個人的感想ですが、ざっと全部見て、私がまず思ったのは、見どころは前半部分にあるということです。

↓パンフレット裏側上部はティツィアーノまでの作品です。
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もっと正確に言えば、全57作品のうち、前半最初部分にある以下9作品が、私にはベストだと感じました。

ジョヴァンニ・ベッリーニ『聖母子』(赤い智天使の聖母)
カルロ・クリヴェッリ『聖セバステイアヌス』
カルロ・クリヴェッリ『福者ヤコボ・デッラ・マルカ』
ラッザロ・バスティアーニ『聖ヒエロニムスの葬儀』
アントニオ・デ・サリバ『受胎告知の聖母』
ヴィットーレ・カルパッチョ『聖母マリアのエリザベト訪問』
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『受胎告知』
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『聖母子』(アルベルティーニの聖母)
ティツィアーノ工房『ヴィーナス』


以上は、あくまで私の独断的な好みによるベストです。どうもヴェネツィア派に関しては、ティツィアーノまでのルネサンス前期絵画が、私の好みのようです。


他に、ティツィアーノより後で、好き嫌いは別として印象に残った作品は以下のとおりです。

ヤコボ・バッサーノ『悔悛する聖ヒエロニムスと天井に顕れる聖母子』
ヤコボ・ティントレット『サンマルコ財務官ヤコボ・ソランツォの肖像』
ベルナルディーノ・リチーニオ『パルツォをかぶった女性の肖像』
レアンドロ・バッサーノ『ルクレティア』
パルマ・イル・ジョーヴァネ『聖母子と聖ドミニク、聖ヒュアキントゥス、聖フランチェスコ』
パルマ・イル・ジョーヴァネ『スザンナと長老たち』
フランチェスコ・モンテメッサーノ『ヴィーナスに薔薇の冠をかぶせる二人のアモル』
パドヴァニーノ『オルフェウスとエウリュディケ』

このうち上から三作品は、パンフレット裏側下部に載っていましたので紹介しておきます。

↓バッサーノ『悔悛する聖ヒエロニムスと天井に顕れる聖母子』
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↓ティントレット『サンマルコ財務官ヤコボ・ソランツォの肖像』とリチーニオ『パルツォをかぶった女性の肖像』。
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何度も会場を行ったり来たりし、特にクリヴェッリ作品は合計で30分くらい鑑賞したと思います。音声ガイドも2周しました(笑)
石坂浩二さん音声ガイド解説は声が聞き取りやすく、内容も分かりやすいものでした。


さて、一番最初に展示されていたジョヴァンニ・ベッリーニは、1作品とはいえ、とても好感が持てました。
落ち着いた雰囲気で優しさがあります。

↓外部ポスター(ジョヴァンニ・ベッリーニの聖母子像が一押しになっています)
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この聖母子像は、万人受けすると見えて、絵ハガキ売り上げトップでしたし、関連グッズも多く、いわば展覧会のマスコット的存在でした。
ジョヴァンニ・ベッリーニの明るい色彩と優しい人物描写は、もっと評価されても良いと思います。


そこから次に展示されていたのが、私にとって本命のクリヴェッリ2作品。クリヴェッリの魅力たる聖母マリアやマグダラのマリアではないので、過剰に期待していなかったのですが、実物は予想以上に良かったです。(詳しくはこの記事の最後部分で)

それから、バスティアーニ『聖ヒエロニムスの葬儀』。これは見たことのない構図で興味深いものでした。

↓次は、アントニオ・デ・サリバ『受胎告知の聖母』
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↑これは、アントネッロ・ダ・メッシーナの傑作『受胎告知の聖母』を、甥のデ・サリバが模写したものですが、一時はメッシーナの真筆とされていたもので、とても雰囲気はありました。私のような素人には、メッシーナ作品との区別がつきません(汗)


カルパッチョ『聖母マリアのエリザベト訪問』は、イタリア料理の「カルパッチョ」の名前の由来となった画家の色使いがよく出ており、なるほどと思いました。



そして、いよいよティツィアーノの2作。

ティツィアーノは想定の範囲内でしたが、とても良かったです。やはり絵のうまさは抜群で、巨匠であることは間違いありません。
この展覧会の看板作品である『受胎告知』の祭壇画は、縦4m以上もあって、よく運んで来れたものだと感心しました。

↓パンフレット表紙は、ティツィアーノの『受胎告知』
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この絵は、かのサン・サルヴァドール聖堂の目玉ですから、よく来日許可が下りたものです。

石坂浩二さんの音声ガイドには、スペシャルトラック「石坂浩二のヴェネツィア紀行 サン・サルヴァドール聖堂訪問」というのがあり、楽しめる仕掛けとなっています。この中で石坂浩二さんは「世界に数ある受胎告知の絵の中でも、この作品は最も素晴らしい」と述べていました。

確かに、天使が告知に現れた瞬間をとらえており、聖母マリアの戸惑いと驚きの姿が見事に描かれていますね。(個人的には、世界の受胎告知画の中で一番とは思いませんが・・・・ちょっと、うますぎるんだよなあ・・・)

↓チケットはティツィアーノの『聖母子』(アルベルティーニの聖母)
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これも素敵な作品ですね。

上記両作品ともティツィアーノの晩年に描かれたものですが、石坂浩二さんの音声ガイドによると、こういう晩年作品を通じて、ティツィアーノは後世の印象派に通じる絵画への道を開いたのだそうです。

晩年のティツィアーノはタッチがやや荒々しくなり、その芸術性を高めようとする姿勢が見られます。このあたり、時代は違いますが、同じ多作画家の巨匠であるレンブラントの晩年に似ているなあと思いました。



とはいえ、ヴェネツィア派は、ティツィアーノで頂点を極めてしまったと、私には感じました。ティツィアーノ以降の画家は、印象的な作品はありましたが、全体的には、どうも私の肌には合いませんでした。


↓パンフレット裏側下部に掲載されたティントレット『聖母被昇天』(左)とヴェロネーゼ『レパントの海戦の寓意』(右)
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あくまで私見ですが、ティントレットやヴェロネーゼは、要するに劇画チックなんですよね。こんなに、大げさに描いては、かえって神聖さを損なうように感じてしまいます。バッサーノも、うーん・・・

肖像画作品を見ると筆力はあるし、良いものも多々あるのですが、ティントレットとヴェロネーゼの大作は私の個人的好みではないのです。お好きな方、すいません。



それに比べて、身びいきでしょうが、わがカルロ・クリヴェッリは、とても私の好みです。ティントレットとヴェロネーゼの大仰な作品を見てから、クリヴェッリに戻ってきて再会すると、ほっとしました(笑)

クリヴェッリは小品2点で、テーマ も地味で、全展示品中唯一の板+テンペラという古い方法で描かれているのにも関わらず、静謐な神聖さが漂っており、やはり素晴らしいと感じました。油彩画より色に艶と趣があり、緻密かつクリアに残されているのにも驚きました。

硬質な人物描写に、後ろのタペストリーの精密な文様が独特の雰囲気を醸し出しています。神秘的という観点から見ても、クリヴェッリ作品は展覧会中の随一でした。

↓上で紹介したクリヴェッリ作品の絵ハガキを拡大
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左側の聖セバステイアヌスは、3世紀のディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害で殉教した聖人で、矢がささっている姿で描かれるのが通例です。矢で瀕死の状態になりますが、聖女イレーネに救われ命を取り留めます。後に、宣教を続けたため、こん棒で殴打され殺されます。
矢を受けても死ななかったことなどから、後世に黒死病から信者を守る聖人として崇敬されました。

なお、クリヴェッリ『聖セバステイアヌス』と『福者ヤコボ・デッラ・マルカ』という作品名についている「聖人」と「福者」との違いは、カトリックにおける称号の違いです。「聖人」のほうが位が高く、次いで「福者」となります。(正教会やプロテスタントでは扱いが異なります)

右側のヤコボ・デッラ・マルカは、15世紀の聖職者で、クリヴェッリが後半生を過ごしたアスコリ・ピチェーノで特に人気があったそうです。18世紀に聖人として列聖されましたが、クリヴェッリが描いた15世紀末の時点では、まだ福者であったので、『福者ヤコボ・デッラ・マルカ』という作品名になっているわけです。

↓『聖セバステイアヌス』の光輪部分(左)と『福者ヤコボ・デッラ・マルカ』の光線部分(右)
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ミュージアムショップで販売さていた図録の解説によると、『聖セバステイアヌス』が頭上に光輪があるのに対し、『福者ヤコボ・デッラ・マルカ』のほうは頭の周りに光線が描かれているのは、聖者(Saint) と福者(Beato) の違いを表しているそうです。

また、図録の解説ですが、『福者ヤコボ・デッラ・マルカ』の下部に「OPVS KAROLI CRIVELLI VENETI」のサインがあるのは、後世の書き加えであるとのことです。なぜなら、クリヴェッリは、祭壇画では中央パネルの聖母子像にしかサインをしなかったからです。この作品は、アスコリ受胎告知教会の多翼祭壇画の端部パネルとされており、独立した絵画ではないのです。

また、X線解析から、複数の人の手による作成痕跡らしきものが見つかっており、全部がクリヴェッリ一人により描かれたというより、クリヴェッリ工房の作品の可能性があると、これも図録の解説にあります。



ヴェネツィアのアカデミア美術館には、クリヴェッリによるアスコリ受胎告知教会多翼祭壇画パネルとしては、聖セバステイアヌス、聖ロッコ、福者ヤコボ・デッラ・マルカ、聖エミディオの4枚が、『4聖人』として収蔵展示されています。そのうち、今回は2枚が来日したわけです。



これで、クリヴェッリ作品は、私にとって実物は、5作品を見たことになります。今後も、海外の教会や美術館を巡って、少しずつ見ていきたいものです。

クリヴェッリ作品は、世界中に散らばってしまっています。とはいえ、そんなに多くの作品は現存しません。(日本の国立西洋美術館にも1点ありますが、常設展示作品ではないのが残念です。)

寡作作家というのは、全作品を実際に見ることが不可能ではないので、ある意味、追いかける対象としては最適です。
私は、これまで、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ジョルジョーネ、フェルメールといった好きな寡作画家の作品を旅の楽しみのひとつとして意識して見てきました。今後は、それにクリヴェッリを加えることにします。



以上、全体的な話と、特に感心した作品について書いてみました。


↓次の展覧会はクラーナハ、これも好きな画家なので行く予定にしています。
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2016年 11月 08日 |
トルコ記事では遺跡案内が続きましたので、今日はトルコの食べ物の話を。

私は魚介が好きなので、世界各国でよくシーフード料理を食べます。
トルコでも、いろいろ食べましたので、まとめて紹介してみます。

日本人なので世界の魚料理にはどうしても辛口評価になりがちですが、トルコは中近東ではベターというか、まずまず魚料理がいけると感じました。

↓トルコで一番美味しかった魚料理。アンタルヤの豪華ホテルのバイキングスタイルの夕食 で食したフエダイ
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↑これは料理が秀逸というよりフエダイという魚自体が非常に美味なので、素材の良さが出ていると思いました。
とはいえ。ここは評判のシェフがいるだけあって全般的に水準が高く、例えば、フエダイの左下がトルコピザで、右下がパプリカの肉詰め(ドルマ)ですが、ともに文句なく非常に美味でした。

↓アンタルヤで味をしめてパムッカレで注文した魚料理・・・うーんいまいち。身が柔らか過ぎうまみが出ていません。
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イスタンブールでは、ちょっと高級なレストランにも一度だけ行ってみたのですが・・・

↓前菜は豪華でした。
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↓メインはサバなんですが・・・・残念、期待外れ。揚げ過ぎパサパサ感・・・
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そこで、別の小さなレストランで再挑戦。

↓ここの前菜サラダはマリーネ風で美味でした。
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↓メインの魚は・・・うーんまあまあ普通でした。
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レストランの魚料理はあきらめて、安いサバサンドを食べてみると・・・

↓自撮りサバサンド。これは行ける!
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結局、イスタンブールの魚料理では、一番安いサバサンドが一番美味しかったという結果でした(汗)

もちろん味は人それぞれの好みに左右されますので、以上の結果はあくまで私の個人的な評価です。

私には全般的に、トルコでは調理過剰気味で、肉類は非常に良いのですが魚はいまいちに感じます。これは、日本人の私は魚の素材の味の良さを知っているので、シンプルな味付けを欲してしまうからでしょう。
あえて言わせてもらえれば、サバはシンプルな塩焼きが一番です(笑)


<補遺>

↓トルコの魚屋さんの店先ディスプレイ。なかなか綺麗です。
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↓これはオコゼ系だと思いますが、何もここまでしなくともと思ってしまいました。
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More  写真展のお知らせ
2014年 08月 06日 |
死海の荒野で貴重な絶滅危惧種であるアイベックスに遭遇しました。
アイベックス類の中でも特に立派な角を持つ雄のヌビアアイベックスらしいです。野生のヌビアアイベックスを見たのははじめてでしたので感動しました。

以下、全ての写真はクリックすると拡大表示されますので、ぜひ大きくして御覧ください。

↓崖の上に現れたヌビアアイベックス
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↓死海をバックに、こちらを意識して警戒しながらもポーズをとってくれました。
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↓死海をバックに、ドアップで。
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アイベックスはユーラーシア~北アフリカの厳しいい自然環境の場所に点々と分布するウシ科の哺乳類で多くの種類・亜種があります。
スイスの山岳地帯に分布するアルプスアイベックスが有名ですが、ピレネーのスペインアイベックス、ロシアのカフカスアイベックス、シベリアアイベックスやエチオピアのワリアアイペックスなどもあります。

今回撮影したアイベックスは、アラビア半島やアフリカ北東部の荒野に棲息するヌビアアイベックスのようです。
ヌビアアイベックスは荒野~砂漠の貴重な肉として、昔から人間に狙われ、生息数が減少しています。現在は絶滅危惧種として保護されていますが、大きな角を標的とする密猟があるそうです。
人間が有用動物として家畜化し増やしてきたラクダとの生存競争もあり、将来絶滅する可能性があります。
もともと厳しい自然の中で人間に追われてなんとか棲息してきた動物です。このアイベックスも頑張って生き抜いてほしいものですね。

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2014年 07月 27日 |
今回は、死海周辺でよく見られた野鳥カバイロハッカを紹介します。

カバイロハッカは通称英名マイナ・バードといい世界中の熱帯~亜熱帯に生息域を広げている中型の野鳥です。
もともとはインド原産ですが、現在はアフリカ・アラビア半島から東南アジア・太平洋の島々やオーストラリアにまで分布しています。私も以前、ハワイで見かけました。

この鳥は、街や村の人間の生活に適応し、人をさほど怖がらず、人家から出るゴミをあさることもある雑食性のたくましい野鳥です。
日本で言えば、ヒヨドリやムクドリにあたる生態的地位を占めていると思われます。

死海リゾートでもホテルや浮遊体験海水浴場でよくみかけ、観光客からも餌をもらいます。
繁殖力の強い鳥なので在来種に害を与えるという指摘があり、実際、死海では本来ここにいる トリストラム という野鳥を駆逐しつつあるように見えました。

ただ、よく見ると可愛い鳥なので、私は宿泊したホテルの部屋から、毎朝飛んでくるこのカバイロハッカを観察し、手のひらカメラLUMIX GM で楽しく写真に収めました。(LUMIX GM は超小型で威圧感がないので野鳥も逃げないような気がします)

以下、カバイロハッカの写真は全てクリックすると拡大表示されますので、ぜひ大きくして御覧ください。
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LUMIX GM with Lumix G Vario 45-150mm F4.0-5.6 MEGA O.I.S

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2014年 07月 18日 |
マサダ要塞は、紀元70年、ユダヤ戦争でエルサレムが陥落した後、1000人のユダヤ人集団が3年半にわたり籠城し、集団自決で幕をおろした有名な古戦場です。

現在は、死海周辺では、浮遊体験とクムラン遺跡に並ぶ、必見の観光スポットで、2001年にユネスコの世界遺産に登録されました。本当にスケールの大きい荒涼とした絶景で、とても日本では見られない類の景色です。

マサダは死海に面した孤立峰の頂上にあり四方を絶壁に囲まれた難攻不落の要塞でした。ローマ軍はここを攻略するために、1万5千人人の軍勢で3年がかりで急峻な斜面に土を盛り、なんとか攻撃用の斜路を造成したのでした。

今日はマサダ紹介の前編として、その壮大な景観の写真を掲載します。


以下、マサダの写真は全て、クリックすると長辺1000ピクセルに拡大されます。ぜひ大きくして御覧ください。

↓マサダ周辺の荒涼とした景観
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↓マサダへはロープウェイを利用して行きます。(クリック拡大すると地上の急斜路=蛇の道を歩いて下ってくる人の姿も見えます)
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↓ロープウェイに搭乗して撮影
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↓岩壁に貼りつくロープウェイ頂上駅に到着。凄い高度感があります。
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↓遺跡を見学します。書庫跡・倉庫跡・住居跡などが並んでいます。
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↓これぞ本物の天空の城ではないでしょうか・・・
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↓北側の「ヘロデの北宮殿」の手すりから身を乗り出すと、スケールの大きい恐ろしい景色です。
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↓突き出した「ヘロデの北宮殿」の壮絶な風景
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↓西側(死海側と反対の山側)の景観も素晴らしいです。
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↓西側台地に残されたローマ軍の野営地跡(左上の四角く囲まれた土塁遺跡)
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↓ローマ軍が造成した攻撃用の斜路が残っています。(ここからローマ軍が侵入した時、マサダには960人の自決遺骸がありました)
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↓南側の景観(下に死海があり、さらに死海対岸のヨルダンの山が見えます)
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↓東側の景観(死海へユダの荒野が広がり草木はほとんどありません)
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↓崖を見下ろす(鉄砲水の跡の涸れ川=ワジが見えます)
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↓マサダ要塞の空撮写真
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2014年 07月 03日 |
先日の日曜日、南森町のMAGにて、ブログの輪写真展の打ち上げがありました。

写真とブログを愛する、同好の志の集まりでしたので、非常に盛り上がり、楽しい時間を過ごさせていただきました。参加の皆様の写真は力作ばかりで、大いに刺激を受けました。打ち上げでも、いろいろなお話を聞くことができ、とても参考になりました。

このブログの輪写真展では、私も一品を出展させていただきましたが、hirosiさんをはじめ世話役の皆さんに、本当にお世話になりました。深く御礼申し上げます。

また、写真展に、ご来場をいただいた皆様に心より感謝いたします。
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↓打ち上げ最後の記念撮影の集合写真を撮らせていただきましたので、その写真をアニメ風に加工して掲載してみます。皆さん、笑顔をありがとう!
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上の集合写真を御希望の方がおられましたら、メールまたは鍵コメで御連絡下さい。データを送付させていただきます。

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2014年 05月 26日 |
神殿の丘に来ましたので、その一部である「嘆きの壁」を紹介します。

前回書きましたように、エルサレムの第二神殿は、ユダヤ戦争の結果、AC70年に破壊されます。

破壊後、西壁の基礎部分だけが残ったので、ユダヤ教の聖地となります。ユダヤ教徒は、神殿の破壊を嘆き悲しみ、残された壁の前で祈り泣きます。そこで「嘆きの壁」と一般的に言われますが、ユダヤ人の正式な言い方は「西の壁」です。

下の写真のように、ユダヤ教の聖地「嘆きの壁」のすぐ上に、イスラム教の聖地「岩のドーム」があるのが分ります。

↓手前の「嘆きの壁」と、奥に見える金屋根の「岩のドーム」と、岩のドームに行くための「空中廊下」(右下)
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↓「岩のドーム」に行くための空中廊下より「嘆きの壁」をのぞむ(左側が男性用の壁で、右側が女性用の壁です)
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↓「嘆きの壁」男性側を望遠で・・・(皆、帽子を被っているのが分ります)
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↓「岩のドーム」見学後、「嘆きの壁」に降りる途中です。。
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↓また別の手荷物検査場を通過して、「嘆きの壁」の場所まで降りてきました。↓
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↓「嘆きの壁」に近づいて見学します。
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↓下の7段目までがヘロデ大王の時代のものです。エルサレム地方で採れる石灰岩エルサレム・ストーンが使用されているとのことです。
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男性は、私のような非ユダヤ教徒の観光客もキッパという帽子をかぶらねばなりません。(壁の前に用意されています)
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頭を隠すことて、神に対しての謙遜の意思を表す意味があるらしいです。(信仰の深い成人男子は黒ずくめでシルクハットを着用しています)

↓キッパいろいろ(エルサレム新市街の店で撮影)
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ユダヤ教の服装に関する律法の規定により、ユダヤ教徒の男性の最低限度の服装として常に頭にキッパを被らねばなりません。「嘆きの壁」のような神聖な場所では、非ユダヤ教徒の観光客(男性)も、キッパを被ることを要求されます。

↓旧約聖書が置かれています。
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↓激しく祈る方々(岩の割れ目に祈りの紙が挟み込まれています)
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ユダヤ戦争でAC70年にエルサレムが陥落すると、ユダヤ人約1000人が死海ほとりのマサダ要塞にたてこもり籠城します。AC73年ユダヤ籠城者の集団自決によりマサダ砦は落ち、ユダヤ戦争は終結しました。

ユダヤ戦争後、原則的にユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止され、その後イスラム化したため、この場所への参詣はユダヤ教徒にとってなかなか困難な状況になりました。
ユダヤ教徒が堂々といつでも嘆きの壁に行けるようになったのは、実に西暦1967年の第三次中東戦争以降のことなのです。。。


新約聖書の関係では、このユダヤ戦争後に、「マタイの福音書」と「ルカの福音書」が書かれました。AC80年前後のころと思われます。この両福音書の資料となったのが、ユダヤ戦争前に出来ていた「マルコの福音書」と、ロギアと呼ばれたイエス言葉集「Q資料」です。


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2014年 05月 20日 |
ガリラヤから南下しエリコでザーカイの家に宿泊したイエスの一行は、いよいよエルサレムに通じるエリコ街道を上ります。
エリコは標高マイナス240mでエルサレムは標高835mなので、1000m以上も登ることになります。

↓現在のエリコ街道の左右に点在する遊牧民ベドウィンのテント集落(車窓からの撮影)
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イエス一行は、エルサレム近郊オリーブ山南東麓のベタニアに宿泊します。ここにイエスの信者マリア・マルタ・ラザロの兄弟などが住んでいたからです。

いよいよここから、イエスの受難物語がはじまります。
オリーブ山の麓ベタニアからエルサレムに来ると、ゲッセマネの園付近から町に入ることになります。

↓現在のゲッセマネの園から神殿の丘をのぞみます。(西方向になります)
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↓ワイドに神殿の丘全景(この写真はクリックすると横1000ピクセルに拡大されますので大きくして御覧ください)
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↓黄金門のアップ(終末の日にメシアが軍勢を引き連れてここから入城するため、イスラム教徒が閉ざしてしまったと言われています)
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↓少し引いて視点を左に振ると神殿の丘がケデロン渓谷から切り立っているのが分ります。
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↓現在は、丘中央の、神殿の場所にイスラム教の「岩のドーム」(金色のドーム屋根の建物)が建っています。
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↑上の写真の左端の三角頭の細長く高い建物が聖墳墓教会です。

イエスの時代には、この大きな「神殿の丘」には、当然、ユダヤ教の神殿が建っていました。
そのユダヤ教の神殿がある光景は、エルサレム博物館の旧市街復元模型で見ることができます。

↓エルサレム博物館の旧市街復元模型で、上の写真と同じ方から撮影してみました。中央にユダヤ教神殿が見えます。
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↓ユダヤ教神殿の復元模型のアップ
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↓旧市街復元模型で、イエスが市街に入った可能性が高いライオン門(ステパノ門)のあたりを大きく撮影してみました。(イエスが入城したのは黄金門であったという説もあります)
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上の写真にあるような場所を通ってイエスと弟子たちの一行は、エルサレムに入りました。

その際、イエスはエルサレム手前の村でロバを手配し、それに乗ってエルサレムに入ります。子ロバに乗る者は「謙遜のメシア」の象徴とされているからです。
イエスはこうしてメシア的な行動をあえてとったのです。


弟子たちは、そのろばの子をイエスのところに引いてきて、自分たちの上着をそれに投げかけると、イエスはその上にお乗りになった。すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。そして、前に行く者も、あとに従う者も共に叫びつづけた、
「ホサナ、
主の御名によってきたる者に、祝福あれ。
今きたる、われらの父ダビデの国に、祝福あれ。
いと高き所に、ホサナ」。
こうしてイエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。
(マルコの福音書11.7~11)

↓(参考)「キリストのエルサレム入城」(ジョット画、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂)
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このように、歓迎されてエルサレムに入ったイエスですが、数日後に、人々は手のひらを返したようにイエスを「十字架につけよ」と叫ぶのです・・・歓声と罵声はイエスの受難物語の明と暗の伴奏曲です。

マルコの福音書では、このようにエルサレム入りからイエスの受難物語のプロローグが書かれています。


ところで、フランスの聖書学者エティエンヌ・トロクメの、マルコの福音書の14章以下の受難物語は、後から別の著者により付け加えられたものだ、とする有力な学説があります。

確かに、14章以下は物語の雰囲気が変わり、イエスは弟子たちと離れた孤独な存在となり、ガリラヤでの人間的治癒者からキリスト論的指導者像へと移行します。
また、マルコ特有の接続詞 kai(そして)の多用が減り、文章が少し変化しています。

それでは、果たして、マルコの福音書の14章以下は、別人が書いたものでしょうか?

↓エルサレム入りでイエスを先導する左側の少年は、マルコを彷彿とさせます。
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以下、私的な見解を簡単に述べます。

私は14章以下の受難物語も、福音著者マルコ自身が書いたものだと考えます。

ただ、14章以下は、受難物語として、あらかじめマルコが別に書いておいたものなのです。

私説では、マルコは少年時代にイエスの伝道に同行しており、それがこのエルサレムでの出来事なのです。
14章以下の受難物語は、マルコが実際に見聞きし衝撃体験を得たものであり、これぞマルコがまず力を入れて書いた部分です。
そこには、マルコが自分自身の自画像を滑り込ませた箇所 もあります。

つまり、マルコは受難物語を自分の衝撃経験の中からまず先に著し、つぎにこの受難物語を前提として、遡って、資料をあつめて自らはイエスと同伴していないガリラヤの福音物語を書いたのです。
ガリラヤでの治癒実践のイエス伝承は、エルサレムでマルコが間近に見たイエスの治癒姿と重なり、マルコは、大いに我が意を得たことでしょう。ガリラヤのイエスの伝承を集めて、虐げられた人々を救う実践の人・行動の人イエスの福音物語を、生き生きと書いたのです。

連続して書いたのではなく、後からガリラヤ福音物語とエルサレム受難物語をくっつけたため、このようなやや不自然な形になり、語調も変化したように見えるのです。

エルサレムの受難物語がキリスト論的指導者像へと移行するのは、自己の死期を悟ったイエスの苦悩が描かれているからです。

福音書の最初にイエスがヨハネに洗礼を受けた時「天が裂けて」(マルコの福音書1.10)霊が下りるのですが、最後にイエスが息を引き取った時にも「神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(マルコの福音書15.38)のです。
この二つの事象は呼応しており、イエスの公生涯の最初と最後を象徴するものです。まさに物語の円環をなしており、福音物語と受難物語が同じ作者の手になることを示しています。

ガリラヤ福音物語とエルサレム受難物語は、どちらが主であるとか、どちらが付録であるとかいうものではなく、福音物語と受難物語が同格に組み合わされることにより、マルコの福音書が完成されたのです!


なお、16章9節以下の復活後日譚は、あきらかに後世付け加えられたものです。この点については、聖書学者の中でも全く異論は出ていません。(4世紀の学者であるヒエロニムスやエウセビオスでさえ、マルコ福音書は16章8節で終わっているとしています。)
イエスが果たして復活したのか?との暗示的姿勢がマルコらしい醍醐味なのです。
これを復活後日譚のように書いてしまうことは余計な解説で、マルコの福音書の見事なラスト構成から逸脱した蛇足です。

マルコは、「イエスの墓が空っぽである」という非常に劇的な場面を描いて、わざと唐突な形で福音書を終えたのです!
私も若き日マルコの福音書を読み、このダダーンと突然終わる衝撃のラストシーンに、感動しました・・・


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2014年 05月 18日 |
イスラエルの野鳥も見たいという御要望等をいただきましたので、今回はトリストラムという野鳥です。
この鳥は荒野~オアシスに住む野鳥で、私も今回はじめて見ました。

トリストラムは中型の鳥で、エリコから、死海を見下ろす荒野のマサダ遺跡、そして死海の浮遊体験のできるリゾート地域などで見られました。

学名は Onychognathus tristramii 、英名は Tristram's Starling 、和名は トリストラムクリバネテリムク です。
トリストラムと呼ばれるのは、英国の鳥類学者トリストラム(Henry Baker Tristram)が発見・命名したからです。
和名のクリバネテリムクというのは、翼を広げると風切部分が黄色~栗色で印象的なところから来ています。

↓エンボケック(死海リゾート)にて撮影
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↓以下は全てマサダ遺跡にて撮影
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カラスよりやや小さく、翼を広げると綺麗です。
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マサダ遺跡では群棲しています。人を怖がらないので撮影はしやすいです。
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↓背景に高度感のあるマサダ遺跡が写っています。枯れた川のような所が砂漠のワジ(涸れ川)です。
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↓群れが飛ぶと、黄色い翼が目立って壮観です。
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↓下の写真はクリックすると横1000ピクセルに拡大されます。ぜひ大きくして御覧ください。
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トリストラムは、マサダ遺跡に行けば必ず見れます。
実は、私がマサダ遺跡まで行ったのは、このトリストラムが近くで見られると聞いたからです。実際、間近で大きく撮影できたので、とても嬉しかったです。
なお、マサダ遺跡そのものに関しては、後日、詳しく紹介する予定です。

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