模糊の旅人
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2018年 01月 13日 |

イドリス2世がフェズを国都として建設したのは、父のイドリス1世の遺志を継いだこともありますが、何より貨幣経済が進み産業の中心となる大きな根拠地が必要になったことにあります。フェズは東西南北の道が交わる要衝で、政治経済のセンターとなる運命にありました。


イドリス朝はモロッコ最初のイスラム系独立政権として約150年続きます(788年~926年、一説には~985年まで)。最盛期は二代目イドリス2世の時代で、その後は君侯国に権力が分散していき、徐々に勢力が衰えていきます。
しかし、首都フェズは経済の中心として大いに栄え、イドリス朝が滅んだ後も、何度も首都となり、モロッコの文化センターであり続けました。

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モロッコでは、カサブランカから東へ、ラバト~ヴォルビリス~ムーレイ・イドリス~メクネス~フェズというラインは、中央平原の肥沃な穀倉地帯に沿っており、古代から歴史的に中央権力の所在地で、このありようは現在も変わっていません。預言者ムハンマドの血統を重視するシャリーフ政権の諸王朝の首都がおかれた町たちです。
(唯一の例外はマラケシュで、こちらは南部の地方対抗権力の根拠地となります。)

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イドリス朝の滅亡後、モロッコ南部の砂漠の民から生まれたムラービト朝(11世紀)と、アトラス山脈の山岳民族を基礎とするムワヒッド朝(12世紀)は、あえて上記の中央平原ラインを避け、南部のマラケシュを都としました。ともに聖者主義を掲げる宗教運動から発展した王朝ですが、上記の血統重視のシャリーフ王朝勢力に対抗するため、「聖者の宗教運動」を武力を持つ地方豪族勢力が政治的に利用したという面があります。


ついで興隆したマリーン朝は、もともとは現アルジェリア西部からモロッコ東部を根拠地とするベルベル系遊牧民で、13世紀から15世紀末にかけてフェズを首都として、最盛期にはイベリア半島から現チュニジアに至るマグレブ地方全域を支配しました。


マリーン朝は、当初はムハンマド血統のシャリーフ政権でもなく聖者主義を標榜する宗教運動を母体とする政権でもなかったので領国支配に苦労しました。そのため、支配の正当性を確保しようと、様々な手段を用いて自らイスラム的君主を演出しました。ムハンマドの末裔イドリス朝の血をひくシャリーフたちを保護し、首都フェズに多くのマドサラ(神学校)を建設し、カラウィンモスクを増築拡張し、フェズを宗教学術文化都市として大きく発展させたのです。



ということで、そのマリーン朝時代に大きく拡張されたカラウィンモスクを目指し、前回紹介したブ―・イナニア神学校を後にして、フェズの、メインストリートを下っていきます。フェズの2本のメインストリーのうち、より細く雑踏的で面白いのは、南側のタラア・セギーラ通リで、まずは、こちらのほうを歩きましょう。

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セギーラ通リには、たくさんの商店やレストラン、出店、屋台が立ち並び、とても面白いです。売られているものを見ながら歩くと、あまりにも興味深くて前に進めません(汗)。買いたいものがあっても値段表示がないので、交渉に手間がかかり時間を要します・・・・それでも楽しい街歩きです。
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↓ひとつひとつはマグネットの小さなお土産品ですが、これだけ並べられると壮観!

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↑モロッコイスラム装飾のひとつの表現に感じてしまい、思わず買ってしまいました(笑)


↓これはモロッコ名物の化石! うーん・・・

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↓これも魅力的ですが、ひょっとして稀少動物の牙かもしれないので買わなかったです。

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↓ドライフルーツやスパイス類も種類豊富

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↓金属工芸店内部

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↓これは見事なランプでした。

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↓フェズ焼きは代表的なお土産ですね。

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↓これは、サボテンの実です。いわば日本でいうところのドラゴンフルーツ!

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↓フェズ旧市街で最強の荷物運搬手段であるロバ。自動燃料補給中です。

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↓セギーラ通リがタラア・ケビーラ通リに合流してしばらく行くとネジャリーン広場があります。水飲み場のような、美しいモザイクタイルで構成された泉があり、とてもフォトジェニックな被写体。木工・家具の店も多く、木工芸博物館もありますので、ちょうど休憩に適した地域です。

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さらにタラア・ケビーラ通リを下って、真っ直ぐに行くとカラウィンモスクですが、その手前で右側(南側)に折れて、家屋が密集した小さな丘を登ります。これは、フェズの精神的中心であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見るためです。


↓フェズの核心部にあるザウイア・ムーレイ・イドリス廟 内部には入れないので外側から撮影させてもらいました。

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↑もちろん、ここはフェズをつくったイドリス2世の霊廟です。聖都ムーレイ・イドリスではイドリス1世の霊廟には近づけなかったので、ここは外から内部を少しだけ覗かせてもらいました。非常に壮麗です。(入場は不可)


本当はここが非常に重要なフェズの中心です。フェズは預言者ムハンマドの血をひくシャリーフ系王朝の首都ですが、その歴史的経過からモロッコの聖地でもあるのです。このザウイア・ムーレイ・イドリス廟に巡礼する人と、カラウィン・モスクで祈る人を世話する門前町という性格をも有しているのです。


↓ケビーラ通リの終点。フェズ旧市街の中心であるカラウィン・モスクに到着です。フェズの歴史がはじまった由緒あるモスクです。

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イスラム教徒以外は中には入れませんが、周囲の壁や門も見事なので、ぐるりと一周してみましょう。ところどころで門扉の隙間などからモスク内部の雰囲気を知ることができます。ここのモザイクは素晴らしいそうです。


↓門扉の隙間からカラウィン・モスクを撮影。上品で綺麗な雰囲気ですね。

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↓右側の壁がカラウィン・モスクを取り囲む壁。この周囲にそってぐるっと路地を回ります。

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タラア・ケビーラ通リ、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟、カラウィン・モスクの位置関係は言葉で説明しにくいので地図を載せます。高さは、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟は丘の天辺にあり、ここだけ盛り上がった場所です。


↓私が実際に辿ったカラウィン・モスク周辺の地図を掲載します。持って歩いた地図の現物を撮影しましたので参考にしてください。

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↑緑のマーカー線が私の歩いた軌跡です。ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見たかったのでこの回り道ルートになりました。

ピンクの線がメインストリートのタラア・ケビーラ通リですので、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見ない場合は、ピンクの線をたどってカラウィン・モスクに行く方が単純で分かりやすいです。


カラウィン・モスクの壁に沿って半周して、右下のセファリーン広場に出ました。次はここからタンネリに向かいます。





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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 09日 |

「たびねす」に、私の「モロッコの迷宮都市フェズの真実―わくわくドキドキ、実は分かりやすい町だった!」という記事が掲載されましたのでお知らせします。迷宮都市として世界的に有名なフェズの街歩き案内記事ですので、ぜひご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。
なおこの「たびねす」記事は、私のフェズ紹介記事の前編にあたるもので、後編として次に「迷宮都市フェズの迷路の謎を解く」という記事を書く予定です。







本ブログでも、「たびねす」とタイアップして、モロッコの古都でもあることから、より詳しくフェズ旧市街を紹介します。


フェズは8世紀末にイドリス2世が、国都として築いた町です。その後、モロッコの歴史の中で、何度も首都となり、モロッコの核として栄えてきました。時期的にも、まさに日本でいえば京都にあたる都市です。


イドリス朝を創始したイドリス1世とモロッコのベルベル人の女性の間に生まれたイドリス2世は、父の遺志を継ぎ王国の首都としてフェズを開発しました。イドリス1世は、預言者ムハンマドの娘ファティマの血をひく貴種としてベルベル人に担がれて王となったのですが、イドリス2世はその聖者の子であるとともに、ベルベル人の母の血もひき、貴種とネイティブの混血として、アラブ系とベルベル系の人々をつなぐ期待通りの英明な王で、イドリス朝の最盛期を現出しました。


フェズは、東西南北に通じる交通の要衝で、都として最適。おりからカール大帝の侵入により騒乱状態にあった後ウマイヤ朝(現スペイン)から8000家族が避難してきており、また東隣のアグラブ朝の興隆から逃れたカイルワーン(現チュニジア)からの避難者2000家族も避難して来ました。


イドリス2世は、これらの難民をフェズ川の両側に住まわせ、競って町づくりを援助・奨励しました。

↓フェズ工芸の代表:フェズ焼き

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イベリア半島の後ウマイヤ朝から来た人たちは、高度な芸術や職人工芸を伝え焼き物・金銀細工・なめし皮・織物などの産業を興し、カイルワーンから来た人たちは宗教を伝えその故郷の名を冠するカラーウィンモスク(カラウィーンはカイルワーンの変形)を建設しました。そして、フェズの基礎を築いたイドリス2世の霊廟であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟もつくられました。


これらのフェズ川付近から丘の上にかけて、メインストリートがつくられ、そこから町が広がっていきました。これがフェズ旧市街の中でも古いほうの町・・・フェズ・エル・バリで世界遺産です。



フェズの旧市街フェズ・エル・バリの探検は、正門たるブー・ジュルード門からはじまります。迷宮都市として恐れられているフェズですが「実際はどんなところなのだろう?」「いよいよここからだ」と緊張と期待が高まる美しい門です。


↓ブー・ジュルード門(外側から)

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↓ブー・ジュルード門(内側から)

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この門からはフェズ川にかけてゆるやかな下りになっており歩いて行くのには最適。実は、ブー・ジュルード門から中心のカラウィーン・モスクまで、メインストリートは2本だけで、そこから葉脈のように細い路地が広がっています。この構造を頭に入れておけば、フェズの旧市街はとても分かりやすいのです。


↓メインストリートのひとつがタラア・ケビーラ通リ

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↑車は通れませんがフェズ一番の通りで、ブー・ジュルード門からほぼ道なりに東へまっすぐ下ってカラウィーン・モスクに至ります。もし路地やスークで迷ったら、このケビーラ通リに戻れば良いのです。方向も、下りがカラウィーン・モスクに向かう東側ですから間違えることはありません。


↓もうひとつのメインストリートであるタラア・セギーラ通リ

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↑タラア・セギーラ通リは、ブー・ジュルード門を入ってすぐに右折するやや細い道です。ケビーラ通リの少し南側をくねくねと並行して進み、ネジャリーン広場の少し手前でケビーラ通リに合流します。この道は商店が多く、土産物屋が並んでいるので、とても面白い街歩きを楽しめます。



モロッコでは、ほとんどのモスクや重要な霊廟に異教徒は入れません。イスラム芸術の極致が見られないのは残念ですが、そのかわり見学できるのが神学校(マドサラ)です。フェズでも、ブー・ジュルード門を入ってすぐのところのブ―・イナニア神学校には素晴らしいイスラム装飾がありますので、忘れずに見学しましょう。

ここは細かなアラベスク模様が見事で、あまり派手過ぎないところが日本人の美意識に合います。


以下、ブ―・イナニア神学校の秀逸な装飾の写真を一挙10枚ごらんください。

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モロッコの建物装飾は、ペルシア(イラン)のように華麗ではなく、トルコのように壮大ではありませんが、落ち着いて上品な雰囲気は素晴らしいものでした。
モロッコ人のクラフトマンシップの高さと信仰への情熱が感じられます。何よりこの渋い繊細さがとても良かったです。






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