模糊の旅人
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2018年 12月 31日 |
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モロッコ マラケシュ メナラ庭園 (Jardin Menara) にて
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いよいよ大晦日、今年最後のブログ更新になります。

今年も皆様にはたいへんお世話になりました。
春から骨折など思わぬ災難に見舞われ、いろいろ予定が狂いました。また、思わぬ仕事が舞い込み、苦労が多く辛い年でした。ただ、後半はなんとか立て直し、海外旅も再開することができました。

皆様のおかげで、当ブログの総アクセス数が153万件を超え、ブログ村の旅ブログランキングでも上位を維持しております。
旅ライターとしての「たびねす」記事にも本年は多くのアクセスをいただきました。
これもひとえに、皆様のご協力の賜物です。深く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

また来年も頑張りますので、今後ともご愛顧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

それでは、皆様、良いお年を!




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2018年 12月 24日 |

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今日は、旅写真を離れて、久しぶりの機材ネタをひとつ。


以前から、メール等で質問をいただいているのが、「旅の途中、記事の文章をどのように作成されているのですか?」ということです。これについて、今、現在のやり方を紹介しておきます。


私はノートパソコンを旅に持って行くわけではありません。その余裕があれば、カメラやレンズのほうを増やします。
というのは、カメラやレンズで写真自体が大きく変わるのに対し、文章の内容は機材によって変化しないからです。


私の日本語入力は「ローマ字入力」なので、機材によって使いやすさは入力のしやすさの相違はありますが、文章内容は基本的にテキストデータで作り、テキストファイルで保存します。こうするのが一番早く単純だからです。


 (注)テキストデータとは、文字情報だけの単純データ。文字の字体・大きさ・配列・段組み・画像挿入などの装飾情報は無し。その保存ファイル末尾は、「~.txt」となります。


自宅のパソコンで文章を作成する場合も、ワードや一太郎を使うわけではなく、軽くて動作の早いTeaPadやメモ帳などのテキストエディタで文章を迅速に作成し、最後に記事を送る際に専用のアプリを使用し、印刷する場合はワードにテキストを送って装飾するという方法をとっています。ブログコメントやメールなどもテキストエディタで作成し、コピーしてテキストを貼り付ければ良いのです。


 (注)テキストエディタとは、テキストファイル作成専門のプログラムで、Windowsのメモ帳や、macOSのテキストエディットなど。私は、TeaPadというのを使っています。ソフトウェアとして小さく動きが軽いのが特徴。


さて、旅行の際ですが、小型パソコンやタブレットパソコンなどいろいろ試しましたが、スマホ時代になって、どれも中途半端に感じました。


飛行機内や旅先のホテルで文章を作成する場合、パソコンというのは無駄な機能が満載されており、電源や大きさの問題もなかなか厄介です。電気事情の悪い海外で、突然停電になりデータが消えてしまったこともあります。


タブレットパソコンなら、写真撮影やメール利用、ネット接続も可能ですが、私の場合、写真撮影にはこだわりがあり、デジタル一眼でないと満足できません。


さらに、電話とメールやネット検索に地図などの定型アプリだけなら、スマホの方が簡単便利です。
スマホとパソコンを両方持って行くのは、どうも気が進みません。


私の欲しいのは、デジタルのテキストデータだけを入力できる、小型のシンプルマシンです。


スマホでの片手入力は、私は非常に苦手です。


ガラケーで主流だったテンキーボードで超高速に打ち込む女子をよく見かけますが、私にはとても無理。

↓テンキーボード

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そうなると、QWERTYキーボードになりますが、これを小さなスマホの画面で打ち込むのは、非常に繊細なタッチを要求され、間違いが多発して、仕事になりません。

↓QWERTYキーボード

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そこで、私が今、使っているのは、友人のBさんから教えていただいた テキスト入力専用マシン キングジム「ポメラ」です。


思いついたらどこでも「ポメラ」!「パッと開いてすぐに起動。テキスト入力に特化」「電源を切ってもさっきの画面!」というポメラは、私が望んでいた単機能のテキスト入力専用文房具といえるでしょう。
アルカリ電池(またはエネループ)で約20時間動きますので、僻地に行って電源環境が悪い場所でも安心して使用できます。


↓私のスマホ(左側)とポメラ(右側)カバー付き

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↓本体の縦の長さは、ほぼスマホと同じですが、幅が大きく厚みもあります。

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↓折り畳みキーボードを開いたところ。

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↓スマホ(下側)の入力画面で最大のQWERTYキーボードを表示。ポメラ(上側)のキーボードとの比較。

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↑ポメラ(上側)のキーボードのほうがはるかに入力しやすいです。キーにストロークがあり確かな感覚で入力できます。スマホはキー部分が小さく、しかもパネルタッチなので微妙な感覚が難しいです・・・・多量の文字を打つ仕事には向きません。


スマホの優れている点は、片手でできる電話、googleマップでの地図検索、簡単なネット検索、簡単なメール送受信・・・このあたりはタブレットより簡単で便利です。もちろん通信機能を持たないポメラには出来ない芸当です。

ということで、今は、旅に持って行くデジタル機器は、カメラ関係以外は、スマホとポメラだけです。


ポメラは、座る場所さえあればどこでも書き込めます。新幹線や飛行機での文章作成にはいうことなし! 作成したデータは、帰宅してからSDカード経由でパソコンに入れて仕上げます。まさに物書き=ライターには最適の道具と言えるでしょう。


私は、旅先のホテルで、思いついた文章や表現を、ポメラにメモリます。夜寝て考えついたアイデアを朝起きてメモることも多々あります(笑)


私のは古いポメラDM10ですが、今は新型のDM30というタイプが出ています。

↓ポメラDM30

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現ポメラの欠点ですが、まだまだ大きすぎると思います。重量も450g程度なので、300gを切ってほしいです。


↓横長スタイルでキーボードを折りたたまないタイプのDM200

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↑このDM200は、アウトライン機能などの諸性能がアップしたのですが、電力消費が多くなり、アルカリ電池ではなくリチウムイオンバッテリーになってしまいました。うーん、残念。


私見ですが、アウトライン機能などは不要です。余計な性能アップより、省電力と小型化を追求し、ポメラのポメラたるシンプルなテキストマシンという道を進んでほしいです。

現在のポメラをもう少し薄型にして、軽量化を実現すれば最高ですので、キングジムさんの今後の努力を期待します。





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2018年 12月 17日 |

大連の中山広場に面した一角に、旧・大連ヤマトホテルがあります。現在は大連賓館と呼ばれ、予約すれば見学が可能です。(2018年12月現在は宿泊利用はできません)
開業以降100年を経過し、さすがに老朽化していますが、愛新覚羅溥儀(ラストエンペラー)の部屋などがあり、見学するに値するホテルです。

↓現在の大連ヤマトホテル(大連賓館)

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多くの著名人が宿泊しています。
夏目漱石は、親友で満鉄総裁だった中村是公に招待されて、1909年に胃痛に悩まされながら満州を旅し、大連ヤマトホテル(二代目)に泊まっています。その旅の様子は『満韓ところどころ』という紀行文になりました。それ以降も多くの日本の文人や著述家が利用しています。


戦前の満州では、満鉄が経営していたヤマトホテル系列が一番のホテルでしたから、日本から大連に来た賓客は、ここ大連ヤマトホテルか星ヶ浦ヤマトホテル(大連郊外の海岸リゾートにあり)に宿泊しました。


↓戦前の大連ヤマトホテル

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↓戦前の星ヶ浦ヤマトホテル

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大連ヤマトホテルは2018年現在も建っていますが、星ヶ浦ヤマトホテルは取り壊され分館の一部が残っているだけです。


↓現在の星ヶ浦(星海公園)

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現在見学できる大連ヤマトホテルは、写真撮影は外観と一階ロビーだけ可で、他の内部は撮影できません。歴史の舞台となった中央広間や各部屋を紹介できないのが残念です。ただし、二階のカフェは別経営となり現在も営業しており、利用すれば写真撮影可ということで、ここだけは紅茶を飲んで撮らせていただきました。


↓大連ヤマトホテルの旧址であることをしめすプレート

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↓一階ロビー
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中央広間(食堂や舞踏会場、会議室としても使われた)はなかなか趣がありました。二階管理部屋からも俯瞰できます。


ヤマトホテルは、文化人だけでなく、リットン調査団、毛沢東、周恩来、田中角栄、中曽根康弘、宮沢喜一、村山富市など多くの政治家も利用しました。多くの歴史が刻まれた場所です。


各部屋の中で、一番の見学スポットとなっているのは、ラストエンペラー溥儀が使った部屋。そこは、執務室と寝室の続き部屋で、さほど大きくありませんが、調度品は見事でした。ご興味のある方は、愛新覚羅溥儀『わが半生「満州国」皇帝の自伝』をお読みください。

↓唯一撮影できるのが二階のカフェ。ここは現在はホテルと別経営ということです。

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↓紅茶をいただきました。
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↓カフェにある写真は、戦前のヤマトホテルを偲ぶものばかりでした。
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↓中央上は、夏目漱石ですね。左側は宮澤喜一、右側は村山富市が来た時の会談風景でした。
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↓満鉄経営のヤマトホテル・グループの宿泊料金紹介は興味深いです。
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↓じっくり見学して、ヤマトホテルの一階テラスに出ると、外は中国的な派手なライトアップがはじまっていました。

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2018年 12月 10日 |

LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「名著を読んで中国遼寧省・大連をめぐる!旧満州玄関口の昔と今」という記事が公開されました。
瀋陽(奉天)の代表的観光スポットを紹介したものですので、ぜひ↓記事をお読みください。




本ブログでも、タイアップ企画として、しばらく奉天を離れて、大連を紹介することにします。


大連は、ロシア人と日本人が力を入れて造った都会で、港町でもあり、魅力的な町として知られています。


明治以来、多くの文人が大連を旅して文章を書き、そこに暮らした人々は大連を愛し記録を残しました。戦後も多くの大連テーマの書物が刊行され続けています。そうした名著による大連紹介を試みたのが上記の「名著を読んで中国遼寧省・大連をめぐる!旧満州玄関口の昔と今」というトラベルジェイピーの旅行ガイド記事です。

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「ロシア人と、日本人とは、ここに自己流の楽園を築こうとした。」(『大連・旅順はいま』 宇田博)


「大連という都会における、このような矛盾のすべてにもかかわらず、彼は南山麓をはじめとするさまざまな場所を、切ないような苦しさで愛さずにはいられなかった」(『アカシヤの大連』 清岡卓行)


「日本には滅多にない煉瓦づくりの建物や住宅が並び、広場を中心に放射状の道路がひろがり、北海道を除くとあまり日本に見られぬアカシアやポプラの街路樹が植えられ・・・・」(『深い河』 遠藤周作)


↑ 一端を紹介しましたが、このように大連を書いた名著は数え切れません。。。。


私は「なぜ大連がこんなに日本人の心をとらえ続けるのか」という疑問を持っていました。今回、大連を存分に歩き回ってみて、少しその謎が解けたような気がします。確かに、大連は不思議な魅力を持った町でした・・・・


今日は、その大連の中心である中山広場を紹介します。


↓現在の中山広場の航空写真(絵葉書より) この写真はクリックすると横1200ピクセルに拡大されます。

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孫文の号である中山をその名称にした中山広場は、直径およそ200mの大きな円形を成しているが、さらにその外周を幅20数mの道路がめぐっている。そして、その輪状の道路から、今度は放射状に十条の道路が、ほぼ等しい間隔をもって描く方向に発しているのである。(『中山広場』清岡卓行)


↓1920年ころの中山広場(大連賓館こと旧ヤマトホテルの二階のカフェにあった写真を撮影) 当時はビルが無いので奥に海が見えますね・・・

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↑写真中央奥は、旧・横浜正金銀行大連支店。横浜正金銀行は、日本の半官半民の貿易決済・外国為替専門銀行で、後に東京銀行を経て三菱UFJ銀行となりました。


↓現在の横浜正金銀行大連支店の建物、中国銀行遼寧省分行となっています。

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↑3連のバロックドームを持つタイル貼りの美しい建物で中山広場の象徴ともいえます。設計は妻木頼黄と太田毅です。


この中山広場とそこから放射状に発する十条の道路は、かつて確かに日本の管理、資本、技術によって建設されたものであった。用いられた設計はほとんど、ロシアが残していったものであった。その設計に含まれていた主な特徴は、フランスの首都に学んだものであった。(『中山広場』清岡卓行)


ロシア人のパリへのあこがれにより構想された不凍港ダルニーは、日本人によって現実化され、大連と名付けられたのです。


ここは青泥窪という田舎の村でした。それをダルニー(遠大を意味する言葉)と名付けた市長サハロフは、日露戦争の進展に伴い、大連市街をほとんど破壊せず、日本へ引き渡すかのように旅順へと撤退しました。このあたりのサハロフの気持ちを推測して書かれたのが清岡卓行の『サハロフ幻想』です。


サハロフはダルニーを愛しており、日本軍の進駐に際して、愛する街を破壊するに忍びず、旅順要塞司令官ステッセルの破壊命令に反して、形だけ爆破行為を行い、ほぼ無傷のダルニーを日本に譲りました。おそらく、日本軍を押し返し、またダルニー帰ってくるという強い思いがあったのでしょう。しかし、その夢はかなわず、サハロフは旅順で病没しました・・・・



↓旧 大連民政署(大連警察署) 現在は遼寧省対外貿易経済合作庁。

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↑時計塔を持つ建物で、ヨーロッパの市庁舎を参考にした。レンガは大連市内の満州煉瓦会社製、石材は山東省産の薄紅色花崗岩。


↓中山広場に面した旧・ヤマトホテル(現・大連賓館)の一階のテラスから撮影

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↑手前が旧・市役所 奥が旧・東洋拓殖大連支店
 旧・市役所は、真ん中に塔があります。この塔は、京都祇園祭の山車をイメージしたそうです。設計者は関東都督府土木課長の松室重光で、施工は清水建設です。
この建物は戦後、大連市人民政府庁舎として使用され、現在は中国工商銀行大連市分行となっています。


↓戦前の旧・市役所(旧ヤマトホテルの二階のカフェにあった写真を撮影)

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中山広場は、夜はライトアップされます。
以下、夜の中山広場をご覧ください。

↓旧・市役所

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↓旧 英国領事館  

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旧・ 英国領事館は建替えられてCGB銀行の建物になりましたが、高さは抑えられ中山広場の他の建物と調和しています。

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↓上のほぼ同じ場所からの昼間の写真
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やはり夜の方が綺麗ですね・・・昼間は背後の高層ビルに紛れてしまいがちですが、夜は古い建物だけが照明されて浮き立ちます。

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今日の最後は、与謝野寛・晶子夫妻の大連を詠んだ歌でしめくくります。



与謝野寛・晶子夫妻の大連の歌(『満蒙遊記』より)


 大連のアカシヤの街ただ少しこころを濡らす朝露もがな  寛(鉄幹)

 アカシヤに風の騒げば山の灯もいさり灯のごと心もとなし  晶子






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2018年 12月 03日 |

家族ぐるみで満州に移住した祖父・・・・私の祖父はどんな人物だっかのか?・・・・それが私の知りたい疑問でした。


祖父は戦前に死去しましたので、私は祖父を全く知りません。「飲む打つ買う」は全くしない実直な人だったと聞いているだけです。
ただ、父のおかげで写真は残されています。

↓実直な雰囲気で写る祖父(父のアルバムより)

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↓祖父が撮影した家族 (ソフトフォーカス処理しました)

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↑後列左から私の祖母、父、曾祖母、叔父、伯父
 前列左から私の叔母たち(つまり祖父の次女、三女、長女)
 この9人の家族は、満州で仲良く暮らしました。



やがて、この満州に移り住んだ一家では、曾祖母がまず亡くなり、ついで祖父が脳溢血で急逝しました。そして、学徒出陣した父の弟(私の叔父)は戦死しました。
9人家族が6人になってしまったわけです。


戦後しばらくして父の家族は苦心惨憺して京都に引揚げ、内地でも苦労したようです。


戦後の家族史は、すべての日本人のそれぞれの個人の歩みの重要な一ページとして、別の物語になるでしょう。
その年月の中で、やがて父は、私の母とめぐりあい、結婚し私が生まれたわけです。(面白いことに父の家族より一世代若い母の家族は、ブラジル移民というのが重要な位置を占めることになります)


したがって今、私が祖父のことを知るのは、父が残した、この満州アルバムしかありません。
そこには、辛い話よりも、家族の楽しい思い出がつづられているのが嬉しいです。


では、祖父は、なぜ満州へ行ったのでしょうか?


日露戦争以降、大正から昭和にかけて、日本のやる気のある若者は満州へ行くというのが大きな夢でした。


----狭い日本で何をする? 男児骨を埋むる天地は支那だ。満蒙だ。(『満鉄外史』菊池寛 原書房 2011.6.16 124頁)


「馬賊の唄」
僕も行くから君も行け
狭い日本に住みあいた
(永清文二『満洲奉天の写真屋物語』ほかの資料より)


このような風潮はあったでしょうが、祖父は真面目な性格であったはず・・・そのような堅物も満州に夢を描いたのだろうか・・?


政府の帝国主義的政策に乗せられたというのは今だから言えますが、当時、真摯に生きようとする日本人は、誰しも満州進出を日本の希望と考えていたのではないでしょうか?

「ロシア人と、日本人とは、ここに自己流の楽園を築こうとした。」(『大連・旅順はいま』宇田博 54頁)


堅実で真面目であったからこそ、政府の言葉を信じ、祖父は日本の国のためと思い、満州へ行ったのではないかというのが私の推測です。



仕事に懸命に取り組んだ祖父は、休みの日には息子たちを連れ、奉天の街を歩き、周辺の自然に親しむ事にも取り組みました。


↓父の絵日記より

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「お父さんに城内に連れて行って貰うのが たのしみだった
 冬は志那靴にゴムバンドをつけて、はき、マントの裏に羊の皮をつけた」


男三人兄弟は、休日はお父さん(私の祖父)にくっついて一緒に過ごしたのです。仲の良い親子でした。


よく行った城内とは、奉天旧市街の中にさらに四角い城壁に囲まれた故宮の一帯で、出店や大道芸人などで賑わっていました。
中国の歴史を学び、庶民の屋台などを見学するのが楽しみだったようです。


↓現在の瀋陽故宮付近

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このあたりは、昔とさほど変わっていないと思います。


また祖父は、特に男の子たちに、自然に親しむ事も教えました。


特に熱心だったのは昆虫採集。


↓父のイラストより

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父は後に、昆虫採集に熱中し、満州で新種の昆虫を発見し日本の学者に標本を送り、自分の名前のついたハゴロモ(セミの近縁種)が図鑑に載ることになります。


奉天のすぐ近くを流れる渾河(コンガ)の河畔は、野鳥や昆虫が多く、日曜日は親子で通ったようです。


↓渾河の採集地の詳細図(何枚も細かい図が残されていますが、そのひとつです)

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渾河といえば、太祖ヌルハチの「瀋陽は形成の地である。西、明国を征し、北、蒙古を征し、南、朝鮮を征するのに絶好の位置である。山岳地帯で木を伐り渾河に流せば財となり、野に猟し河に漁すればたらふく食うことができる」という有名な宣布を思い出します。

やがて、ヌルハチはここに後金国の都を建設し奉天府となづけ、その子ホンタイジは明国を倒し中国に満州民族の国家「清」を打ち立てるのです。



事実、この要衝の地、渾河一帯は、ヌルハチが建国してから約300年後、日露戦争の決戦「奉天会戦」の舞台となります。



児玉は、口述した。
「敵ハ、渾河ノ左岸ニ集結シツツアリ」

             司馬遼太郎『坂の上の雲 四』 文春文庫 268頁



↓父の少しふざけた渾河の詩

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↓父が撮影したコーリャン畑の写真

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祖父自身は野鳥が大好きで、家に野鳥を飼っていました。


↓父のイラストより 当時は野鳥を自由に飼うことが可能でした。

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「二階の小部屋はお父さんによって数十羽の小鳥の室となった
 ノゴマ オガワコマドリ カワリサンコウチョウ トラツグミ マミジロ ウソ 等々
 お父さんは あらゆる鳥を飼った」

上記の祖父が飼った野鳥のうち、私が撮影した最近の鳥をいくつか・・


↓トラツグミ

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↓マミジロ

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↓ウソ

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オガワコマドリ カワリサンコウチョウ は日本内地では珍しい野鳥で私はまだ撮影に成功していません・・・この点は、祖父がうらやましいです。


この祖父の自然志向は、父を通じて、私にも受け継がれています。私も昆虫と野鳥は大好きです(笑)



↓現在の瀋陽の市街と南を流れる渾河(絵葉書より)

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「おい、渾河(コンガ)じゃないか」
鉄橋を渡れば奉天、いや現在は瀋陽とよばれているわたしたちの故郷である。
                         宇田博『落葉の市街図』 42頁








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