模糊の旅人
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2018年 10月 31日 |

皆様、お元気お過ごしでしょうか。
私は、無事、旅から帰還しました。少し前に帰国していましたが、バタバタしており、ブログ更新は今日になりました。

まずは、旅のひとつの目的であったレッドビーチ(紅海灘風景区)の写真の前編をおおくりします。


もう枯れているかと心配したレッドビーチですが、やや色が暗赤色になってはいましたが、幸いにも、まだ赤が十分に残っており目的の写真を撮ることができました。

年によって状況が異なるようですが、今年は10月の上旬が盛期だったようです。当初の予定の9月上旬なら、全く赤くなっていなかったとのこと。
関空被災で一ケ月以上遅れた訪問も、結果的には良かったかも知れません。


↓レッドビーチと石油掘削櫓

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↓鑑賞ポイントの遊歩道

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↑入場料が必要ですが、園内はバスで道路に沿って五か所ある鑑賞ポイントに行くことができます。園内でも総長18kmの赤色の浅瀬が続き、各ポイントでは写真のように遊歩道が整備されており、沖のほうまで見に行けるようになっています。

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このレッドビーチ(紅海灘風景区)は、遼河デルタに広がる大湿地帯。世界最大級で、100平方km超の広さ(東京ドーム約2,000個分!)。
そのスケールの大きさは、日本では考えられないものです。

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↓ドラゴンのオブジェが・・・

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↓アップで
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↑赤い大地の正体であるマツナは、アカザ科の一年草で、秋9月~10月に深紅に染まります。近くで見ると葉がぷっくりと膨らんで赤く染まっているのが分かります。

日本の北海道に分布するアツケシソウ(サンゴ草)もアカザ科の植物で近い種類ですが、中国のレッドビーチのほうが色も大きさも圧倒的に凄いですね。

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↓反対側に広がる稲田アート地帯

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レッドビーチは真っ直ぐな道路の海側に広がっているわけですが、陸側は淡水化された中国随一の水田地帯で、秋には黄金色の稲穂がたわわに実ります。田園楽土区とされる場所では、観光客を楽しませるため、稲田アートも作られています。いわば、レッドビーチと対照的なゴールデンビーチがあるわけです。


↓奥のほうまで、遊歩道がありますので、これも楽しめます。

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確かにまっ平で、広大な湿地帯ですから、稲作には最適でしょうね。当然、このあたりは中国随一のコメの産地になっています。


↓ということで 銘柄米「盤錦大米 天満」が売られていました。

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2018年 10月 15日 |

トラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「日本の夜明けだ!邪馬台国のロマンを求めて奈良・オオヤマト古墳群を歩こう」という記事が公開されました。
いわゆる三輪王朝といわれる日本最初の統一政権が出現した古墳群を歩く記事です。ここを、邪馬台国の中心地とする説が有力になりつつあり、まさに日本の夜明けを告げる地域ですので、ぜひお読みください。





本ブログでもタイアップしてオオヤマト古墳群の記事を書いていきます。
ただ、上のトラベルジェイピーの記事は、旅行ガイド記事ですので、歩く順番に紹介していますが、本ブログでは造営順(時代順)にたどり、私の邪馬台国から大和朝廷への被葬者比定説を述べます。


なお、間に旅行記事を挟みますので、断続的な記事展開となりますので、ご承知おきください。


まずは、邪馬台国の女王:卑弥呼の墓ではないかと考えられる箸墓古墳です。

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奈良盆地の東南部、現在の桜井市から天理市にまたがる一帯は、「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる 大和し美し」と歌われた古代日本の夜明けを告げる場所です。

このヤマトの中のヤマトとされる一帯は、古来よりヤマトと呼ばれており、大和=オオヤマト古墳群地域とされます。
古墳群の定義は学者により異なりますが、邪馬台国から初期大和朝廷への発展を一体と考え、奈良盆地東南部の古墳全体をまとめてオオヤマト古墳群として捉える白石太一郎近つ飛鳥博物館名誉館長の学説を私は支持します。


このオオヤマト古墳群で巨大前方後円墳が誕生しました。すなわち、日本で最も古い巨大前方後円墳は箸墓古墳であり、卑弥呼の墓の可能性が最も高いのです。


箸墓古墳の航空写真は、こちら の記事の最初の写真をご覧ください。とても美しい形をした前方後円墳であることが分かります。


↓箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命大市墓)の拝所 西側にあります。

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もしかすると卑弥呼が葬られているわけですから、箸墓古墳の前に立つと胸が高まります。ここはまさに古代史ファンの聖地です。


東側に回って、箸墓古墳を一周します。北側以外は濠はなく、地面から直接古墳が立ち上がっています。

ただし、奈良県立橿原考古学研究所や桜井市教育委員会の調査では、幅10メートルの周壕とさらにその外側に幅15メートル以上の外堤が存在していた可能性が高いとされています。

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北側には「卑弥呼の庭」というカフェもできていました。
北側の池は、「箸中大池」として日本ため池百選にも選ばれています。

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箸墓古墳は、墳丘長278mの出現期古墳中の最古の巨大墓で、三世紀後半の築造と考えられます。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓とする有力な学説があります。宮内庁の正式名は、倭迹迹日百襲姫命大市墓。日本書紀には「墓は昼は人が作り、夜は神が作った。」と書かれています。このヤマトトトモモソソヒメは、孝霊天皇の皇女で、三輪山の神と婚姻した伝説的な巫女とされ、祟神天皇は巫女であるヤマトトトモモソソヒメの神託を聞いて政治を行なったとあります。


この古墳は、邪馬台国の女王:卑弥呼の墓である可能性が非常に高いと考えます。
根拠については、以前書いた記事を、下の More に再々掲してみましたので、ご興味のある方は More をクリックしてお読みください。

なお、私は白石太一郎近つ飛鳥博物館名誉館長の講義や講演を何度も聞きに行っています。館長の主張は一貫していますので、箸墓古墳の被葬者に関して述べられている部分を以下に引用しておきます。

倭国王墓として最初の箸墓古墳は、大型前方後円墳としては最古のもので、3世紀中葉に遡る。その被葬者の候補として卑弥呼以外の人物を考えるのは難しい」(白石太一郎講演レジメ「邪馬台国連合から初期ヤマト王権へ」より抜粋)



箸墓古墳から北へ巻向駅の方へ歩くと、邪馬台国の宮殿跡ではないかとされる纏向遺跡があります。弥生時代末期から古墳時代前期の大集落遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地として、現在も発掘調査が進められています。

この遺跡を邪馬台国の首都に比定する説が有力になりつつあります。王宮的な建物跡が発掘され、話題となりました。

最近は、桃のタネ約2000個以上が見つかり話題になりました。神託などに使われた古代祭祀の供物のようで、炭素年代測定法の計測により西暦135~230年のものであるという研究発表があり、邪馬台国の時代に整合します。

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↑航空写真をご覧ください。奥にある山が聖地:三輪山、右端の大きな古墳が箸墓古墳、左端の団地の右上にある空地が纏向遺跡の中心です。この位置関係が重要で、この辺りが、大和朝廷の黎明期に日本最古の都邑があった場所であることは間違いありません。







さて、中国東北地方いわゆる旧・満州の地へ旅に出ることになりました。
関空の台風被害で一度中止した旅ですが、関空が復旧しましたので再チャレンジすることにしました。


10月上旬は非常に多忙でしたので、10月中旬の出発となりました。目的のひとつであるレッドビーチの取材は、一ケ月遅れましたので、もう枯れてしまっているかも知れません。


ただ、どうしても今年に行きたいという思いがあり、挙行することにしたものです。


もうひとつの目的である、私自身の祖父が満鉄社員として赴任し家族(私の父や祖母・伯父・叔母など)とともに住んだ地を見るということは、果たせそうです。


無理したせいか、風邪気味で体調が思わしくないのですが、もうこれ以上順延はできませんので、頑張って行ってきます。


それに伴い、ブログの更新も二週間ほど休ませていただきます。


次のブログ更新は、10月の月末頃になります。
それでは、皆さん、しばらくのあいだ、ごきげんよう!





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More  箸墓古墳は卑弥呼の墓である
2018年 10月 08日 |
前回、モロッコの食事と砂漠の写真を載せたところ、砂漠はどんなところで宿泊するのですか?というご質問をいただきました。
そこで、今日はモロッコの砂漠でのホテル?での写真をアップします。

サハラ砂漠の西の始まりであるモロッコでは、アトラス山脈を越えたメルズーガという村に砂漠体験用のホテルが並んでいます。
ホテルといっても、土で出来た建物とテントを組み合わせた野趣あるもので、一種のグランピングと言えるかもしれません。

↓私の泊まったホテルのテント棟(砂漠側から撮影)
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↑奥左側に見えているのが土でできた建物棟で、私はその建物棟の部屋に宿泊しました。

↓テント棟を建物棟から撮影 後ろに砂漠が見えています
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このように砂漠に近いところにあるので、砂漠に徒歩やラクダで行けるわけです。
こうしたモロッコならではの砂漠体験というのが欧米人に人気で、多くの観光客が訪れます。

↓夜のテント棟の内部
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↓建物棟の前の広場
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↓建物棟の天井は草で編んであります。雨が降らないのでこれで十分だそうですが・・・うーん。
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↓私の泊まった部屋
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↓ベッドは荒々しい木でつくられたもの。壁は土と草を漆喰で固めたもの・・・
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↓これがシャワー(左側)と洗面
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シャワーが使いたくてテントではなく建物棟の部屋にしたのですが、お湯は出ず、水もチョロチョロでした。

↓食堂は建物棟の前にあり、天井は巨大テント風布 バイキング形式
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↓一応綺麗な食器やテーブルで隅っこで食事しましたが・・・・暗いんですよね。
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味はもうひとつでした・・・

イランのキャラバンサライの野趣あるホテルに泊まったことを思い出しましたが、全般的にイランの宿のほうが質が高かったです。詳しくは こちら。

↓食堂の前の広場でも食事ができます。ただ夜は寒くて、焚火を囲む形になります。
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まあ、貴重な砂漠体験ができるのですから、この程度は野趣として楽しめる範囲だと思います。

最後は、ホテルから歩いて砂漠に行って撮ったサハラの写真をご覧ください!

↓昼間
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↓早朝
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↓砂漠の夜明け
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2018年 10月 01日 |

皆さん、大型台風がまた来襲しましたが、大丈夫でしょうか?
私のほうは、なんとか被災を免れました。
それにしても今年は、本当に地震・台風・大雨など天災が多いですね。、


さて、今日は模糊の料理教室です。

モロッコのスーパーで買ったクスクスの調理に挑戦してみました。


台風の日は、撮影仕事は無理でイベントも中止になりますので、少し時間ができます。そこで、ちょっと変わった料理をしようと思うのです。
最近、凝っているのが我流クスクス料理です。


世界の旅先で見かける保存のきく庶民的な料理素材は、自分へのお土産として、いつも買ってきます。レンズ豆はその代表ですが、モロッコではクスクスも仕入れました(汗)
モロッコでは代表的な郷土料理で、↓の写真のクスクスの袋詰めがスーパーで非常に安く売られていました。

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クスクスは、パスタの一種とも言え、小麦粉からつくる粒状の粉食です。

北アフリカのモロッコからチュニジアにかけてのマグリブ地方が発祥の地で、南ヨーロッパや中東でも食べられています。一般的には上の写真のような乾燥状態で売られています。安くて手軽に調理できることから、現在でもマグリブ地方やシチリアでは非常にポピュラーなものです。


今回買ってきたクスクスは粒の細かいタイプで、現地では人気があるとのことです。
イスラエルでは、やや粒の大きなクスクスを食べましたが、モロッコではこの粒の小さなタイプが主流でした。


袋裏にはアラビア語での説明がありましたが、私はアラビア語は読めないので、ネットでレシピサイトなどを検索して、調理方法を調べました。
レシピは、とても簡単なものでした。


↓まず、一人当たり80~100gのクスクスを鍋か大きめの深皿に入れます。

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次に、同量の熱湯を入れてまんべんなく丁寧に混ぜ、10分ほど蓋をしてなじませます。蒸すというよりフヤかすという感じです。


↓蓋をして10分間

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↓なじませ蒸しあがったクスクス 水を吸って体積が増しています。

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モロッコのレストランではクスクス鍋という二段の蒸し器のような専用鍋で調理しますが、私はクスクス鍋を持っていないので、上記の方法でやりましたが、モロッコでもこの簡単な方法による調理が一般的だそうです。


次は味付け調理で、これは要するに日本でいう焼きめしやチャーハンあるいはパスタ、○○丼と同じように考えれば良いのです。

モロッコでは、バターを多用し、タジン皿に盛り付けたりして、やや油っこく感じましたので、自分なりに和風味付けでやってみました。

フライパンで炒めて、ありあわせの肉や野菜を混ぜ、好みの味付けで調理します。


↓一回目(台風21号が来襲した日は、和風味付けクスクスにアボカドを添えてエスニック風に)

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食感は、おからの焼き飯という感じで、パサパサ感があり、まあまあでした(笑)


↓二回目(昨日は、台風24号が来襲したので、またクスクス料理)クスクス・チャーハンのトマトソースかけ

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↑クスクスは卵チャーハン風に改良を試みました。

かけているのは、ホールトマト缶を使った、我流のトマトソースです。
トマトソースに入れているのは、たまたま冷蔵庫にあったソーセージですが、これはタコやイカ、貝類などお好みに合わせて使われたら良いでしょう。もちろんソース自体を変えてカレーやデミグラスソース、ミートソース、豆板醤、中華餡なども楽しめそうです。発想は自由!


これは美味しかったです。やはり、少し経験を積むと、良くなりますね(笑)今後も創意工夫を重ねていくつもりです。創作料理と言えるほどのものではなく単なる男の趣味料理ですが、少なくともこうした創造性がなければ料理自体が楽しくありません・・・


まあ、日本では良質のコメの粒食が発達しているので、クスクスは非常にマイナーな存在です。チネリ米という、小麦粉を使った代用コメ料理がありますが・・・マニアックな和製クスクスと言えるでしょうね。


でも、クスクスは、お米よりはローカロリーなので、時代潮流に乗って、今後、普及しそうな気もします。


↓モロッコのレストランで食べたクスクス料理 これが本場の元祖ですが、私にはバターやオイルが重く感じました・・・・

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久しぶりにモロッコの写真を整理していると、また中東の砂漠地帯に行きたくなりました・・・・そこでサハラ砂漠の写真を三枚ごらんください。


↓モロッコの砂漠にて ここからサハラがはじまる・・・

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