模糊の旅人
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カテゴリ:モロッコ( 15 )
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2018年 10月 08日 |
前回、モロッコの食事と砂漠の写真を載せたところ、砂漠はどんなところで宿泊するのですか?というご質問をいただきました。
そこで、今日はモロッコの砂漠でのホテル?での写真をアップします。

サハラ砂漠の西の始まりであるモロッコでは、アトラス山脈を越えたメルズーガという村に砂漠体験用のホテルが並んでいます。
ホテルといっても、土で出来た建物とテントを組み合わせた野趣あるもので、一種のグランピングと言えるかもしれません。

↓私の泊まったホテルのテント棟(砂漠側から撮影)
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↑奥左側に見えているのが土でできた建物棟で、私はその建物棟の部屋に宿泊しました。

↓テント棟を建物棟から撮影 後ろに砂漠が見えています
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このように砂漠に近いところにあるので、砂漠に徒歩やラクダで行けるわけです。
こうしたモロッコならではの砂漠体験というのが欧米人に人気で、多くの観光客が訪れます。

↓夜のテント棟の内部
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↓建物棟の前の広場
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↓建物棟の天井は草で編んであります。雨が降らないのでこれで十分だそうですが・・・うーん。
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↓私の泊まった部屋
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↓ベッドは荒々しい木でつくられたもの。壁は土と草を漆喰で固めたもの・・・
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↓これがシャワー(左側)と洗面
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シャワーが使いたくてテントではなく建物棟の部屋にしたのですが、お湯は出ず、水もチョロチョロでした。

↓食堂は建物棟の前にあり、天井は巨大テント風布 バイキング形式
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↓一応綺麗な食器やテーブルで隅っこで食事しましたが・・・・暗いんですよね。
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味はもうひとつでした・・・

イランのキャラバンサライの野趣あるホテルに泊まったことを思い出しましたが、全般的にイランの宿のほうが質が高かったです。詳しくは こちら。

↓食堂の前の広場でも食事ができます。ただ夜は寒くて、焚火を囲む形になります。
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まあ、貴重な砂漠体験ができるのですから、この程度は野趣として楽しめる範囲だと思います。

最後は、ホテルから歩いて砂漠に行って撮ったサハラの写真をご覧ください!

↓昼間
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↓早朝
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↓砂漠の夜明け
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2018年 10月 01日 |

皆さん、大型台風がまた来襲しましたが、大丈夫でしょうか?
私のほうは、なんとか被災を免れました。
それにしても今年は、本当に地震・台風・大雨など天災が多いですね。、


さて、今日は模糊の料理教室です。

モロッコのスーパーで買ったクスクスの調理に挑戦してみました。


台風の日は、撮影仕事は無理でイベントも中止になりますので、少し時間ができます。そこで、ちょっと変わった料理をしようと思うのです。
最近、凝っているのが我流クスクス料理です。


世界の旅先で見かける保存のきく庶民的な料理素材は、自分へのお土産として、いつも買ってきます。レンズ豆はその代表ですが、モロッコではクスクスも仕入れました(汗)
モロッコでは代表的な郷土料理で、↓の写真のクスクスの袋詰めがスーパーで非常に安く売られていました。

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クスクスは、パスタの一種とも言え、小麦粉からつくる粒状の粉食です。

北アフリカのモロッコからチュニジアにかけてのマグリブ地方が発祥の地で、南ヨーロッパや中東でも食べられています。一般的には上の写真のような乾燥状態で売られています。安くて手軽に調理できることから、現在でもマグリブ地方やシチリアでは非常にポピュラーなものです。


今回買ってきたクスクスは粒の細かいタイプで、現地では人気があるとのことです。
イスラエルでは、やや粒の大きなクスクスを食べましたが、モロッコではこの粒の小さなタイプが主流でした。


袋裏にはアラビア語での説明がありましたが、私はアラビア語は読めないので、ネットでレシピサイトなどを検索して、調理方法を調べました。
レシピは、とても簡単なものでした。


↓まず、一人当たり80~100gのクスクスを鍋か大きめの深皿に入れます。

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次に、同量の熱湯を入れてまんべんなく丁寧に混ぜ、10分ほど蓋をしてなじませます。蒸すというよりフヤかすという感じです。


↓蓋をして10分間

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↓なじませ蒸しあがったクスクス 水を吸って体積が増しています。

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モロッコのレストランではクスクス鍋という二段の蒸し器のような専用鍋で調理しますが、私はクスクス鍋を持っていないので、上記の方法でやりましたが、モロッコでもこの簡単な方法による調理が一般的だそうです。


次は味付け調理で、これは要するに日本でいう焼きめしやチャーハンあるいはパスタ、○○丼と同じように考えれば良いのです。

モロッコでは、バターを多用し、タジン皿に盛り付けたりして、やや油っこく感じましたので、自分なりに和風味付けでやってみました。

フライパンで炒めて、ありあわせの肉や野菜を混ぜ、好みの味付けで調理します。


↓一回目(台風21号が来襲した日は、和風味付けクスクスにアボカドを添えてエスニック風に)

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食感は、おからの焼き飯という感じで、パサパサ感があり、まあまあでした(笑)


↓二回目(昨日は、台風24号が来襲したので、またクスクス料理)クスクス・チャーハンのトマトソースかけ

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↑クスクスは卵チャーハン風に改良を試みました。

かけているのは、ホールトマト缶を使った、我流のトマトソースです。
トマトソースに入れているのは、たまたま冷蔵庫にあったソーセージですが、これはタコやイカ、貝類などお好みに合わせて使われたら良いでしょう。もちろんソース自体を変えてカレーやデミグラスソース、ミートソース、豆板醤、中華餡なども楽しめそうです。発想は自由!


これは美味しかったです。やはり、少し経験を積むと、良くなりますね(笑)今後も創意工夫を重ねていくつもりです。創作料理と言えるほどのものではなく単なる男の趣味料理ですが、少なくともこうした創造性がなければ料理自体が楽しくありません・・・


まあ、日本では良質のコメの粒食が発達しているので、クスクスは非常にマイナーな存在です。チネリ米という、小麦粉を使った代用コメ料理がありますが・・・マニアックな和製クスクスと言えるでしょうね。


でも、クスクスは、お米よりはローカロリーなので、時代潮流に乗って、今後、普及しそうな気もします。


↓モロッコのレストランで食べたクスクス料理 これが本場の元祖ですが、私にはバターやオイルが重く感じました・・・・

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久しぶりにモロッコの写真を整理していると、また中東の砂漠地帯に行きたくなりました・・・・そこでサハラ砂漠の写真を三枚ごらんください。


↓モロッコの砂漠にて ここからサハラがはじまる・・・

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2018年 02月 23日 |

昨日、写真展が、 無事 閉幕いたしました。

多くの方に来場いただき、本当にありがとうございました。


最後の写真展ということで、遠方から来ていただいた方もおられ、感激しております。


私が在廊していない折に、私の作品を見に来ていただいた方もおられたようで、申し訳ありません。


↓写真展の全体展示

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↑クリックすると横1200ピクセルに拡大表示されます。ぜひ大きくしてご覧ください。



三人それぞれの個性が溢れる写真展だという御評価が多く、とても嬉しかったです。


↓私の作品展示・・・「日の没する国々への旅」というテーマで、『風土』と『猫』の写真です。

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↑クリックすると横1200ピクセルに拡大表示されます。ぜひ大きくしてご覧ください。




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ご来場いただきました皆様には、本当に心より感謝しています。
オリンパスプラザの係員の皆さんをはじめ、御協力を賜りました方々には、深く御礼申し上げます。
また、ネット上のコメントやメール等で温かい応援を送っていただいた方々にも、感謝いたします。


皆さん、ありがとうございました!


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(写真を撮らせていただいた方や、感想メモを残していただいた方については、次回のブログ記事で簡単に紹介させていただきます)




以下、今回の写真展での私の作品紹介の最終回です。「風土」部門の後編です。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(9)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 モロッコは、北部は地中海沿岸の雰囲気でした。
モロッコ中南部に行くと荒涼たるアフリカの景観となりました。
『カスバ朽ちゆく』という作品は、アトラス山脈の中のダデス谷の村を撮影したものです。
不思議な形の山と下方の崩れゆくカスバの景色に驚嘆しました。



『カスバ朽ちゆく』

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(10)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


サハラ砂漠では、他では見られない不毛の世界が広がっていました。
その雄大な夜明けは実に感動的な体験でした。
朝のマジックアワーの紫がかった一瞬をとらえたものです。



『砂漠の夜明け』

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(11)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


砂漠ではラクダの隊列に出会いました。
『千の足跡』は、忘れられない砂漠の一期一会のスナップです。
あの時間、あの場所での一度しか体験できない機会
それを写真という手段で残しておきたいと思いました。



『千の足跡』

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(12)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


マルタに行くと穏やかな世界に出会えました。
1月下旬の巨石遺跡であるイムナイドラ神殿付近
野生の花々が満開で黄色に埋め尽くされていました。
カタバミ、からし菜(菜の花の一種)そしてキク科の花々、どれも黄色!
そこで海と聖地フィルフラ島をバックに撮影しました。



『早春の原生花園』

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<たびねす記事もよろしくお願いします>


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2018年 02月 14日 |

写真展が、明後日2月16日(金)から開始されます。
最後の写真展になりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

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↓オリンパスプラザ

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足かけ8年、7回目を数えますグループ写真展の最終回です。


マルタ旅行の写真も展示したかったため、ギリギリになりましたが、やっと目途がたちました。なんとか間に合いそうです。
明日は会場の設営作業。これも大切な作業なので、頑張ってきます。
三人の手作り写真展の掉尾を飾るべく、今回の写真展は、悔いのないようにしたいと思います。



<会場へのアクセス>

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大阪梅田方面から来られる場合、地下鉄四つ橋線で西梅田駅から乗って本町駅で下車してください。(御堂筋線本町からだと中央線のホームを西へ全部歩くので結構遠いです)
四つ橋線本町駅を下車してホームを進行方向(南)へ行き、改札を出てから、21番出口に向かってください。21番はエスカレーターなので、地上に出たら反対方向(西側)へ振り返って歩きます。
図の赤の線で矢印のほうへ歩いて、信号を渡って目の前がオリンパスプラザ入り口正面です。


大阪南部から来られる場合も、地下鉄四つ橋線で本町下車で、こちらは23番出口のエレベータを利用すれば、地上に出たところがオリンパスプラザの前になります。堺方面から地下鉄御堂筋線利用の場合は、大国町駅で降り同一ホームで四つ橋線に乗り換えるのが非常に便利です。


オリンパスプラザは基本、カメラのショールームなので、カメラを見るふりしてブラブラしながら真っすぐ奥へ行くとオープンフォトスペースがあり、そこでわが、第7回グループ温故斬新写真展をやっています。

↓ショールーム。奥に見える写真の展示が、オープンフォトスペースです。

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ショールームでは、オリンパスのカメラやレンズの展示があり、カメラに関して分からない点や最新情報も聞くことが出来ます。ここで購入することも可ですが、カメラ店のように店員がしつこく勧めてくることはないので、ゆっくり触れます。
展示機材を使った試写も出来ますので、ぜひ新型カメラや高価なレンズを使ってみてください。


↓昨年度の第6回グループ温故斬新写真展の会場風景

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オープンフォトスペースは、真ん中にソファーがあります。写真展を見ながら、ゆっくりと過ごされてはいかがでしょうか。

↓オープンフォトスペースはL字型でその中央コーナーにある、三角置き台。(前回のようす)

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↑ここには、メッセージ用紙がありご感想を残すことができます。また、お土産の写真絵ハガキが置いてありますので、ご自由にお取りいただけます。ぜひ忘れずにお持ち帰りください。


オープンフォトスペースの奥には、オリンパスの大阪サービスステーションがあり、修理等に対応しています。


オープンフォトスペースの横には、暗いですが大きな部屋があり、オリンパスギャラリー大阪となっています。
第7回グループ温故斬新写真展実施中は、オリンパスギャラリー大阪では、大亀京助・クキモトノリコ・前田欣一・三村博史・米川浩二 写真展「ブラカメラ」というのをやっています。色々なジャンルで活動するプロ写真家5人によるグループ展で、「ブラカメラ」の標題どおり、街をブラブラ撮影したスナップ系作品が見られます。
これも見応えがありますので、併せてご覧いただくことをおすすめします。


もちろん、以上の、ショールーム、オープンフォトスペース、オリンパスギャラリー大阪は全て入場無料です。
まだ外は寒いですが写真展会場内は暖かいです。決して敷居の高い場所ではありませんので、気楽にお立ち寄りください。



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以下、今回の写真展での私の作品紹介の2回目です。
今日は「猫」テーマ作品から3枚・・・モロッコでの猫の写真をお見せします。
もちろん写真展会場では、大きなプリント(半切またはワイド四つ切)を展示しますので迫力が違います。ぜひ、写真展会場に足をお運びいただき実物をご覧ください。

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マグレブの国々では、猫が人々の生活に溶け込んで、まさに共生していました。
猫たちは自由闊達に歩き回り、実にナチュラルでした。
猫好きの友人がいるので、最初から少し意識して猫を撮っていました。
しかし途中からマグレブの猫の存在感に圧倒され、猫の撮影に熱中してしまいました。
ありがとう、日の没する国々の猫たち!



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(3)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

モロッコ南部、アトラス山脈の谷には、カスバやクサルといった城塞的建物があります。
こうした谷の城壁に何匹もの猫が穏やかなムードを漂わせて暮らしていました。
その余裕ある姿を撮影したのが『カスバの猫』です。
ゆったりした雰囲気を生かせるようコントラストを下げ薄味軟調に撮影しました。



『カスバの猫』

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↑クリックすると横1000ピクセルに拡大表示されます。ぜひ大きくしてご覧ください。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(4)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


モロッコのフェズの旧市街フェズ・エル・バリは迷宮都市として有名です。
その迷路のような街を猫は我が物顔に歩き回っていました。
その光景を撮ったのが『バブーシュと猫』という作品です。
フェズの派手な旧市街を再現すべく派手目に撮影しました。


『バブーシュと猫』

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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・写真展の作品(5)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


さらに、フェズの新市街に行くと、モザイクタイルを作成する場所にも魅力的な猫がいました。
背景にそのモザイクを配して撮影したものが『モザイクタイルと猫』です。
いかにもイスラムの国らしい場所で癒されました。
これは、くっきり系に撮影しました。



『モザイクタイルと猫』

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↑これは、写真展案内ハガキに使ったおなじみの作品です。
猫の展示は全部で5作品。そのうち、この『モザイクタイルと猫』だけは半切の大きさにプリントしました。



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2018年 02月 05日 |

「たびねす」に、私の「モロッコの迷宮都市フェズの迷路の謎を解く!」という記事が掲載されましたのでお知らせします。フェズの歴史をたどることで、迷路がどうして出来たかという謎を解明しようと書いたものですので、ぜひご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。

なおこの「たびねす」記事は、私のフェズ紹介記事の後編にあたるものです。前編は「モロッコの迷宮都市フェズの真実―わくわくドキドキ、実は分かりやすい町だった!」という記事です。






本ブログでも、上記「たびねす」とタイアップして、少し切り口を変えてフェズの迷路について紹介します。


たびねす記事の最初に述べたムーレイ・イドリスについては、以前に書きましたので こちら をご覧ください。


モロッコの古都フェズは、迷宮都市として世界に鳴り響いていますが、実際は、中世の姿を残しながらも現在も人の動きが活発な、古くても生き生きした稀有な町です。

↓ラズベリーなど美味しそうな果物も売っています。

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↓タジン鍋のいろいろ

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↓フェズのレストランにて・・・さすが古都フェズ、タジン料理も美味しかったです。

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↓ファティマの手のドアノブも歴史を感じさせます。

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フェズの旧市街は、実は、謎の迷路でもなんでもありません。
イスラム法を貫徹させ、多くの人を集め、密集させればこのような町ができるのです。

↓屋根のある路地

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カラウィン・モスクを中心として、メインストリート二本がつくられ、その周りに葉脈のように路地・小路がつけられ独特の街並みが誕生しました。これがフェズの旧市街フェズ・エル・バリです。後世には城壁に囲まれ、フェズはモロッコの中枢都市として大いに繁栄していくのです。


↓カラウィン・モスクの西側に家屋の密集した丘があり、その天辺にザウイア・ムーレイ・イドリス廟があります。近づくと圧倒的な装飾に驚かされます。

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ここは、フェズをつくったとされるイドリス2世の霊廟ですから、多くの巡礼者が参っています。丘の上にある位置からして、この霊廟こそフェズの本来の中心であるともいえます。すなわち、フェズはムハンマドの血をひくシャリーフ系王朝の首都ですが、その歴史的経過からモロッコの極めて重要な聖地でもあるのです。そして、このザウイア・ムーレイ・イドリス廟に巡礼する人と、カラウィン・モスクで祈る人を世話する門前町という性格をも有しているのです。


↓路地で遊ぶ男の子

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フェズのメインストリートには店舗が多く、開かれた建物が主流ですが、そこから一歩奥へ入ると、両側に建物が覆いかぶさるように非常に狭い路地があり一見すると圧迫感のある迷路のように感じます。これがフェズが迷宮都市といわれるゆえんです。しかし、この路地は行き止まりの袋小路になっている場合が多く、突き当たれば引き返せば良いだけで、実際は迷路というわけではありません。

↓圧迫感のある非常に狭い路地

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なぜ、このような構造になっているかというと、メインストリートの後ろ側に、入り口の扉だけが街路に面した、しっかりした中層建て住宅が、どんどん建設されていったからです。それが密集しているため、暗い路地ができたのです。


↓路地側には入り口だけ。その自分の家に入る人

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フェズ旧市街の住宅はイスラム法に基づく構造になっており、外側には窓がない中層建てで、内側は明るい中庭の周囲を窓のある部屋が取り囲んでいます。これこそイスラム的なプライバシーと採光を両立させる間取り。


グーグルなどでフェズの航空写真を見れば、真ん中に空間(中庭)のある家がびっしり並んでいるのが一目瞭然です。

↓グーグルの航空写真によるフェズの旧市街中心部(ほとんどの家には中庭がありますね)

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↓以前、掲載したフェズのカラウィンモスク付近の構造地図

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↑各建物の形に注目! モスクや市場(グレー部分)以外は中庭の家ばかりなのが分かります。

↓中庭はガラスの天井の場合もあります。

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フェズの住宅の中に入ると、外からでは想像できない明るい華麗な世界が広がっているのです!


住宅資材も石造りや煉瓦造りに漆喰が塗られたもので、きわめて頑丈なものです。漆喰が剥がれた建物を見ると内部構造が判明します。すなわち、フェズの街並みは、決してバラックやスラム街的な混沌の集合ではなく、頑強な建物が有機的につながった高水準の構造都市なのです。

↓漆喰が剥げた建物部分

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フェズ旧市街は、現在の自動車優先の都市とは全く違います。今でも最も強力な物資輸送手段はロバです。しかし、発展に取り残された町ではなく、生き生きとした中世的生活が今も躍動している稀有な都会です。他所で見られる遺跡的建物が残っているだけの古い町ではないのです。フェズの旧市街にある民宿的な宿:リヤドに泊まれば、そのことが肌で感じられます。フェズいかれたら是非どうぞ。


フェズ旧市街内部の観光を終えたら、フェズ・エル・バリを見る展望ポイントに行って見ましょう。フェズ・エル・バリはフェズ川の谷間に開けた町ですので、見晴らしの良い尾根に登れば町を一望できます。おすすめは、北側のマリーン朝墓地付近と、南側の国道に沿った公園です。

↓南側の国道に沿った展望所から撮影したもので、左から右へ下ってい行くフェズの街並みを眺めて、歩いてきた場所を再確認することができます。

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写真展が迫っておりますので、ブログの更新が滞りがちになりすいません。
スペイン・ポルトガル・モロッコ・マルタで撮影したデータから、写真展の展示作品のセレクト・現像・印刷・額装・各写真タイトル作成・作品解説などをしなければならず、まだセレクトの最終段階で格闘中です。

↓その写真展の案内です。どうぞよろしくお願いします。

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2018年 01月 16日 |

モロッコ史の続きです。
マリーン朝は200年強も続き(1248-1465年)、首都のフェズはモスクや神学校が整備され、モロッコの政治経済文化の中心となりました。
最盛期には現チュニジアからイベリア半島南部までを支配し、文化の面でも大社会学者イブン・ハルドゥーンや大旅行家イブン・バットゥータ(『三大陸周遊記』が有名)が活躍しました。


やがて爛熟したマリーン朝は弱体化し、フェズの住民暴動により滅亡します。預言者ムハンマドの末裔を名乗るシャリーフ政権が短期間成立し、その後、マリーン朝近縁のワッタース朝がフェズを首都として15世紀末から16世紀半ばにかけて支配しますが、その領域はモロッコ北部に限られ、南部は聖者主義のシャリーフやスーフィー(イスラム神秘主義)が地域豪族と結びつき跋扈します。


そうしたシャリーフ系の南部豪族の中から、サアド朝が興隆し、今度はマラケシュを首都としてモロッコ全土を支配します。サアド朝は武断派で強力で、英主アフマド・アル=マンスールはサハラをこえてトンブクトゥ(現・マリ共和国)を征服し、オスマン帝国の西進拡大も阻止し、16世紀半ばから17世紀半ばにかけてモロッコを支配します。


サアド朝が内紛で弱体化すると、モロッコは再び分裂状態となりますが、シャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)として尊敬されていた血筋のアラウィー家が勢力を拡大し、17世紀後半にモロッコを再統一します。これが現在のモロッコ王室でもあるアラウィ―朝で、この王朝の首都はフェズにはじまり、メクネス→ラバトと変遷しますが、一貫して北部の平原地帯ラインにあります。

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モロッコの歴史は、イドリス朝以来、預言者ムハンマドのシャリーフ家系を柱に、聖者主義をからませる形で推移してきました。フェズの王朝が爛熟し衰退すると、南部や山岳地帯の武力を持った田舎豪族が聖者主義を掲げて征服を行い覇権を握るものの、やがて都市化してまた弱体化してしまうというパターンです。
このあたりは、すでにマリーン朝時代にイブン・ハルドゥーンが『歴史序説』で「結束力が強い田舎勢力が都市を征服し、都市生活が長くなって弱体化し、新たな田舎勢力に征服される」という歴史パターンを見事に定式化しており、その慧眼に驚かされます。


そうした長い歴史の中で、フェズの町は常にモロッコの伝統的な核として機能してきたのです。日本でいえば、常に上洛の目的地であった京都と同じ役割を果たしてきた町と言えるでしょう。

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その古都フェズ案内ですが、今日は、中心のカラウィン・モスクから必見の観光ポイントであるタンネリです。


カラウィン・モスクをぐるりと回ると下側にサファリーン広場があります。ここは、銅鍋などを製造販売している光景を見学できます。カーンカーンという音が響き、叩き出しの銅製品が作られていきます。

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サファリーン広場を歩いていると、タンネリ(なめし革工場)の案内人に声をかけられます。交渉次第ですが、だいたい5DHから10DHで案内してくれます。


広場の下り方向に向かって左側、異臭のする方へ歩けば道は分かるのですが、どうせ100円くらいですので、誠実そうな案内人を選んでタンネリへ行ってみましょう。まれに、高額な金銭を要求する悪質な客引きがいますので、注意してください。

このあたりにも多くの商店があります。

↓衣料品店

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↓手を振ってくれた女の子  装飾が施された金属製品を売っていました。
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↓これは何屋さん? 銅線のワイヤーのようなものが並べられていました。
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↓フェズ川に下っていく路地

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このあたりから強烈な異臭がしてきました。

↓ここにリヤド(高級民宿)があるようですが、この臭いがきつくて、ちょっと泊まれないなあ・・・

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↓タンネリ・ショワラと書いてあります。ここが見学ポイントの入り口ですね。

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タンネリは正式には、タンネリ・ショワラといい、フランス語で「なめし革工場」という意味。フェズ川の水を利用して昔ながらの手作りの皮革製造業が営まれています。


工場見学は、タンネリの周囲に立ち並ぶ革製品販売店の上階テラスから俯瞰して見る形になり、案内人はそのひとつの商店と契約しているわけです。

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↑円い染色桶がずらっと並ぶ光景は、けっこう強烈なインパクトがあります。悪臭にむせかえりますので、店の入り口で提供されるミントの葉を鼻に詰めたりマスクをして見学しましょう。


このなめし革工場は、500年以上の伝統を誇る公共の施設で、牛や羊、ラクダなどの革が、まず鳩の糞で柔らかくされ、次に様々な自然の染料によって、染め上げられていきます。


↓の写真で、左側に色の無い白い桶が並んでいますが、ここがまず革を柔らかくする鳩の糞の壺桶です。

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↓右側の建物の端に猫が佇んでタンネリを眺めています・・・・この悪臭は気にならないのかなあ・・・・

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↓ズームアップ

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フェズのクライマックスたるタンネリを見た後は、案内された店の革製品を見ることになります。バブーシュという可愛い革製スリッパは、お土産としても最適。お気に入りのものがあれば、タンネリの思い出として購入しましょう。タンネリ見学の入場料がわりともなります。


↓さすがこのあたりは革製品が多いですね。本場なので品質は良さそうです。

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↓バブーシュと猫(この作品は写真展で展示する予定です)

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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 13日 |

イドリス2世がフェズを国都として建設したのは、父のイドリス1世の遺志を継いだこともありますが、何より貨幣経済が進み産業の中心となる大きな根拠地が必要になったことにあります。フェズは東西南北の道が交わる要衝で、政治経済のセンターとなる運命にありました。


イドリス朝はモロッコ最初のイスラム系独立政権として約150年続きます(788年~926年、一説には~985年まで)。最盛期は二代目イドリス2世の時代で、その後は君侯国に権力が分散していき、徐々に勢力が衰えていきます。
しかし、首都フェズは経済の中心として大いに栄え、イドリス朝が滅んだ後も、何度も首都となり、モロッコの文化センターであり続けました。

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モロッコでは、カサブランカから東へ、ラバト~ヴォルビリス~ムーレイ・イドリス~メクネス~フェズというラインは、中央平原の肥沃な穀倉地帯に沿っており、古代から歴史的に中央権力の所在地で、このありようは現在も変わっていません。預言者ムハンマドの血統を重視するシャリーフ政権の諸王朝の首都がおかれた町たちです。
(唯一の例外はマラケシュで、こちらは南部の地方対抗権力の根拠地となります。)

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イドリス朝の滅亡後、モロッコ南部の砂漠の民から生まれたムラービト朝(11世紀)と、アトラス山脈の山岳民族を基礎とするムワヒッド朝(12世紀)は、あえて上記の中央平原ラインを避け、南部のマラケシュを都としました。ともに聖者主義を掲げる宗教運動から発展した王朝ですが、上記の血統重視のシャリーフ王朝勢力に対抗するため、「聖者の宗教運動」を武力を持つ地方豪族勢力が政治的に利用したという面があります。


ついで興隆したマリーン朝は、もともとは現アルジェリア西部からモロッコ東部を根拠地とするベルベル系遊牧民で、13世紀から15世紀末にかけてフェズを首都として、最盛期にはイベリア半島から現チュニジアに至るマグレブ地方全域を支配しました。


マリーン朝は、当初はムハンマド血統のシャリーフ政権でもなく聖者主義を標榜する宗教運動を母体とする政権でもなかったので領国支配に苦労しました。そのため、支配の正当性を確保しようと、様々な手段を用いて自らイスラム的君主を演出しました。ムハンマドの末裔イドリス朝の血をひくシャリーフたちを保護し、首都フェズに多くのマドサラ(神学校)を建設し、カラウィンモスクを増築拡張し、フェズを宗教学術文化都市として大きく発展させたのです。



ということで、そのマリーン朝時代に大きく拡張されたカラウィンモスクを目指し、前回紹介したブ―・イナニア神学校を後にして、フェズの、メインストリートを下っていきます。フェズの2本のメインストリーのうち、より細く雑踏的で面白いのは、南側のタラア・セギーラ通リで、まずは、こちらのほうを歩きましょう。

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セギーラ通リには、たくさんの商店やレストラン、出店、屋台が立ち並び、とても面白いです。売られているものを見ながら歩くと、あまりにも興味深くて前に進めません(汗)。買いたいものがあっても値段表示がないので、交渉に手間がかかり時間を要します・・・・それでも楽しい街歩きです。
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↓ひとつひとつはマグネットの小さなお土産品ですが、これだけ並べられると壮観!

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↑モロッコイスラム装飾のひとつの表現に感じてしまい、思わず買ってしまいました(笑)


↓これはモロッコ名物の化石! うーん・・・

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↓これも魅力的ですが、ひょっとして稀少動物の牙かもしれないので買わなかったです。

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↓ドライフルーツやスパイス類も種類豊富

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↓金属工芸店内部

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↓これは見事なランプでした。

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↓フェズ焼きは代表的なお土産ですね。

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↓これは、サボテンの実です。いわば日本でいうところのドラゴンフルーツ!

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↓フェズ旧市街で最強の荷物運搬手段であるロバ。自動燃料補給中です。

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↓セギーラ通リがタラア・ケビーラ通リに合流してしばらく行くとネジャリーン広場があります。水飲み場のような、美しいモザイクタイルで構成された泉があり、とてもフォトジェニックな被写体。木工・家具の店も多く、木工芸博物館もありますので、ちょうど休憩に適した地域です。

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さらにタラア・ケビーラ通リを下って、真っ直ぐに行くとカラウィンモスクですが、その手前で右側(南側)に折れて、家屋が密集した小さな丘を登ります。これは、フェズの精神的中心であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見るためです。


↓フェズの核心部にあるザウイア・ムーレイ・イドリス廟 内部には入れないので外側から撮影させてもらいました。

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↑もちろん、ここはフェズをつくったイドリス2世の霊廟です。聖都ムーレイ・イドリスではイドリス1世の霊廟には近づけなかったので、ここは外から内部を少しだけ覗かせてもらいました。非常に壮麗です。(入場は不可)


本当はここが非常に重要なフェズの中心です。フェズは預言者ムハンマドの血をひくシャリーフ系王朝の首都ですが、その歴史的経過からモロッコの聖地でもあるのです。このザウイア・ムーレイ・イドリス廟に巡礼する人と、カラウィン・モスクで祈る人を世話する門前町という性格をも有しているのです。


↓ケビーラ通リの終点。フェズ旧市街の中心であるカラウィン・モスクに到着です。フェズの歴史がはじまった由緒あるモスクです。

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イスラム教徒以外は中には入れませんが、周囲の壁や門も見事なので、ぐるりと一周してみましょう。ところどころで門扉の隙間などからモスク内部の雰囲気を知ることができます。ここのモザイクは素晴らしいそうです。


↓門扉の隙間からカラウィン・モスクを撮影。上品で綺麗な雰囲気ですね。

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↓右側の壁がカラウィン・モスクを取り囲む壁。この周囲にそってぐるっと路地を回ります。

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タラア・ケビーラ通リ、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟、カラウィン・モスクの位置関係は言葉で説明しにくいので地図を載せます。高さは、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟は丘の天辺にあり、ここだけ盛り上がった場所です。


↓私が実際に辿ったカラウィン・モスク周辺の地図を掲載します。持って歩いた地図の現物を撮影しましたので参考にしてください。

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↑緑のマーカー線が私の歩いた軌跡です。ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見たかったのでこの回り道ルートになりました。

ピンクの線がメインストリートのタラア・ケビーラ通リですので、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見ない場合は、ピンクの線をたどってカラウィン・モスクに行く方が単純で分かりやすいです。


カラウィン・モスクの壁に沿って半周して、右下のセファリーン広場に出ました。次はここからタンネリに向かいます。





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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ

2018年 01月 09日 |

「たびねす」に、私の「モロッコの迷宮都市フェズの真実―わくわくドキドキ、実は分かりやすい町だった!」という記事が掲載されましたのでお知らせします。迷宮都市として世界的に有名なフェズの街歩き案内記事ですので、ぜひご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。
なおこの「たびねす」記事は、私のフェズ紹介記事の前編にあたるもので、後編として次に「迷宮都市フェズの迷路の謎を解く」という記事を書く予定です。







本ブログでも、「たびねす」とタイアップして、モロッコの古都でもあることから、より詳しくフェズ旧市街を紹介します。


フェズは8世紀末にイドリス2世が、国都として築いた町です。その後、モロッコの歴史の中で、何度も首都となり、モロッコの核として栄えてきました。時期的にも、まさに日本でいえば京都にあたる都市です。


イドリス朝を創始したイドリス1世とモロッコのベルベル人の女性の間に生まれたイドリス2世は、父の遺志を継ぎ王国の首都としてフェズを開発しました。イドリス1世は、預言者ムハンマドの娘ファティマの血をひく貴種としてベルベル人に担がれて王となったのですが、イドリス2世はその聖者の子であるとともに、ベルベル人の母の血もひき、貴種とネイティブの混血として、アラブ系とベルベル系の人々をつなぐ期待通りの英明な王で、イドリス朝の最盛期を現出しました。


フェズは、東西南北に通じる交通の要衝で、都として最適。おりからカール大帝の侵入により騒乱状態にあった後ウマイヤ朝(現スペイン)から8000家族が避難してきており、また東隣のアグラブ朝の興隆から逃れたカイルワーン(現チュニジア)からの避難者2000家族も避難して来ました。


イドリス2世は、これらの難民をフェズ川の両側に住まわせ、競って町づくりを援助・奨励しました。

↓フェズ工芸の代表:フェズ焼き

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イベリア半島の後ウマイヤ朝から来た人たちは、高度な芸術や職人工芸を伝え焼き物・金銀細工・なめし皮・織物などの産業を興し、カイルワーンから来た人たちは宗教を伝えその故郷の名を冠するカラーウィンモスク(カラウィーンはカイルワーンの変形)を建設しました。そして、フェズの基礎を築いたイドリス2世の霊廟であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟もつくられました。


これらのフェズ川付近から丘の上にかけて、メインストリートがつくられ、そこから町が広がっていきました。これがフェズ旧市街の中でも古いほうの町・・・フェズ・エル・バリで世界遺産です。



フェズの旧市街フェズ・エル・バリの探検は、正門たるブー・ジュルード門からはじまります。迷宮都市として恐れられているフェズですが「実際はどんなところなのだろう?」「いよいよここからだ」と緊張と期待が高まる美しい門です。


↓ブー・ジュルード門(外側から)

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↓ブー・ジュルード門(内側から)

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この門からはフェズ川にかけてゆるやかな下りになっており歩いて行くのには最適。実は、ブー・ジュルード門から中心のカラウィーン・モスクまで、メインストリートは2本だけで、そこから葉脈のように細い路地が広がっています。この構造を頭に入れておけば、フェズの旧市街はとても分かりやすいのです。


↓メインストリートのひとつがタラア・ケビーラ通リ

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↑車は通れませんがフェズ一番の通りで、ブー・ジュルード門からほぼ道なりに東へまっすぐ下ってカラウィーン・モスクに至ります。もし路地やスークで迷ったら、このケビーラ通リに戻れば良いのです。方向も、下りがカラウィーン・モスクに向かう東側ですから間違えることはありません。


↓もうひとつのメインストリートであるタラア・セギーラ通リ

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↑タラア・セギーラ通リは、ブー・ジュルード門を入ってすぐに右折するやや細い道です。ケビーラ通リの少し南側をくねくねと並行して進み、ネジャリーン広場の少し手前でケビーラ通リに合流します。この道は商店が多く、土産物屋が並んでいるので、とても面白い街歩きを楽しめます。



モロッコでは、ほとんどのモスクや重要な霊廟に異教徒は入れません。イスラム芸術の極致が見られないのは残念ですが、そのかわり見学できるのが神学校(マドサラ)です。フェズでも、ブー・ジュルード門を入ってすぐのところのブ―・イナニア神学校には素晴らしいイスラム装飾がありますので、忘れずに見学しましょう。

ここは細かなアラベスク模様が見事で、あまり派手過ぎないところが日本人の美意識に合います。


以下、ブ―・イナニア神学校の秀逸な装飾の写真を一挙10枚ごらんください。

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モロッコの建物装飾は、ペルシア(イラン)のように華麗ではなく、トルコのように壮大ではありませんが、落ち着いて上品な雰囲気は素晴らしいものでした。
モロッコ人のクラフトマンシップの高さと信仰への情熱が感じられます。何よりこの渋い繊細さがとても良かったです。







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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 05日 |

モロッコの歴史展開に沿って、モロッコ各地を紹介しています。今日は、イスラム化する時代の話です。


7世紀に誕生したイスラム教は、瞬く間に広がります。預言者ムハンマド(マホメット)から娘婿アリーの正統カリフ時代を経て、その後、権力を握ったウマイア朝はイスラムを世界に拡張する政策をとり、現チュニジアにはカイルワーンという根拠地を建設。そこから、北アフリカとイベリア半島の征服に乗り出します。


↓預言者ムハンマドの娘ファティマ(夫は第四代カリフであるアリー)の手をかたどった意匠はモロッコの象徴です。

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モロッコ~アルジェリアでは、ベルベル人が、ユダヤ教徒の女王カヒナを中心に抵抗します。しかし、カヒナが滅ぼされるとイスラム勢力はモロッコ西岸まで到達し、ベルベル人もイスラム化していきます。


中でも、ベルベル人の勇者ターリクは、ベルベル人とアラブ人からなる兵士を率いて、海を渡ってイベリア半島に上陸し、西ゴート軍と戦い勝利し、トレドまで進攻します。この英雄ターリクを記念して名付けられた上陸地が「ジャバル・アル・ターリク」すなわち略して「ジブラルタル」なのです!


こうして、モロッコもイベリア半島もイスラム化していくのですが、イスラム本国たる中東ではウマイア朝が滅び、アッバース朝の時代となります。ウマイア朝の生き残りの王子アブド・アッラフマーンは、北アフリカに逃れ、ベルベル人にかくまわれイベリア半島まで送り届けられます。この王子こそ、コルドバで後ウマイア朝(756-1031年)を興したアブド・アッラフマーン1世で、後ウマイア朝は、中東のアッバース朝に匹敵する繁栄を見ることになります。


モロッコでは、このイベリア半島の後ウマイア朝を受け入れ、787年までその支配下に入りますが、その後、モロッコ独自のイスラム王朝が興ります。それが、イドリス朝です。

ベルベル人は、貴種流離譚が特に好きなようです。イドリス朝の始祖、ムーレイ・イドリス1世(以下:イドリス1世)は、アブド・アッラフマーンよりさらに貴種流離譚にふさわしい人物です。すなわち、預言者ムハンマドの娘ファティマとその夫で第四代カリフ:アリーの子孫なのです。いわば、ウマイア朝よりさらに由緒正しい血統で、苦労して中東から逃れてモロッコまで至り、ベルベル人に担がれる形で宗教的・政治的指導者となったのです。


このアリーの一派であるイドリス朝は、中東のアッバース朝を否定し、血統を重んじ正統カリフを標榜するわけですから、イスラム教シーア派そのものです。
イドリス1世は、当時のモロッコの中心であったヴォルビリス付近を拠点として、宗教的・政治的活動を開始します。そこが、聖都ムーレイ・イドリスです。


↓ヴォルビリスから見るムーレイ・イドリス(ヴォルビリスから徒歩30分くらいです)

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山に張り付いたようなムーレイ・イドリスの町はとても印象的です。緑のヴォルビリス平原の端の小さな山が建物に覆い尽くされているのです。

周りに平坦な場所があるのに、わざわざ山間に家屋が密集している不思議な雰囲気の町です。特別な意味で作られた宗教都市であることが分かります。

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イドリス1世や聖都ムーレイ・イドリスにある「ムーレイ」という名は預言者ムハンマドの血統をひく聖なるものという意味で、モロッコでは人名や地名に多くみられます。この聖者崇敬主義(ムハンマドの子孫=シャリーフ血統の重視)は、イドリス朝以降、モロッコの王朝の正統性を主張するメルクマールとなっていきます。真贋はともかく、この聖性の指標がないと正統とは認められないのです。イドリス朝の成立により聖者主義こそモロッコ史を通底する鍵となりました。

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貴種流離譚というのは世界各地に見られ、「高貴の血脈に生まれた主人公が、逆境の中で苦労しながら旅や冒険をする」というもので、ギリシア神話のヘラクレス、インド神話のラーマ、日本神話のスサノオから・・・小公子、スターウォーズ、グインサーガ、精霊の守り人に至るまで枚挙にいとまがありません。普通は、フィクションのモチーフなのですが、モロッコではそれが歴史上の実在の人物であるアブド・アッラフマーン1世やイドリス1世であるというのが、興味深いところです。

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↓ムーレイ・イドリスの街の上にそびえる山
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↓ムーレイ・イドリスの町の中心部。異教徒は近づけません。

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↑緑屋根の四角い建物がイドリス1世の霊廟とモスク。その右横の塔がミナレット。

いずれも四角いスクエアの建物というのがモロッコの特徴です。他のイスラム圏ではドーム型モスクや円柱型ミナレットが主流ですが、モロッコでは四角いのです。これぞモロッコのローカルスタイル!

古代からヴォルビリス付近がモロッコの中心地であり、イスラム化後、最初にモロッコ独自の王朝を開いたイドリス朝はここヴォルビリス平原の端にあるムーレイ・イドリスから出発しました。
したがって、このムーレイ・イドリスのモスク、霊廟、ミナレットは、モロッコ史においてきわめて重要。その後のモロッコの建築様式に大きな影響を与えたのです。


その後、イドリス1世は、イスラムの布教につとめ、大きな都をつくろうと、神託を受けてフェズに決めますが、アッバース朝が放った暗殺者に毒殺されます。そして聖都ムーレイ・イドリスに葬られ、それ以降ここは、多くの巡礼者が訪れるモロッコ最高の聖所となります。
現在でも、聖都ムーレイ・イドリスの中心部には、異教徒は入れません。それほどモロッコ人にとって、ここは大切な場所なのです。



中心部には入れないので、聖都ムーレイ・イドリスの町はずれのレストランで昼食を食べました。

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↓そのメニューである牛肉のタジン鍋です。なかなか美味しかったです。

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イドリス1世は暗殺されて聖者の中の聖者となり、暗殺したアッバース朝側の目的とは逆に、モロッコのネイティブであるベルベル人の結束を固める結果になります。イドリス1世とベルベル人女性の間に生まれた息子がイドリス2世としてモロッコ最初の独自王朝イドリス朝を確たるものとし、フェズを国都として定めることになるのです。

かくして、ヴォルビリス→ムーレイ・イドリス→フェズという、この一帯に「モロッコの核」が形成されたのです。


こうした貴種=ムハンマドの子孫=シャリーフ血統を重んじるモロッコでは、イドリス朝の祖にあたる預言者ムハンマドの娘ファティマがことのほか愛され人気があります。彼女は、生涯を社会奉仕に捧げた慈悲深い女性でイスラム女性の理想像でもあります。
そして、霊力があるとされるファティマの手のデザインのお守りは、モロッコで発明され、現在でも「邪視」を払う重要なアイテムです。門のノッカーから、魔除けの護符、アクセサリー、装飾品の類にも使われます。

↓高級お土産店のショーケースにもファティマの手が並んでいます。

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↓庶民的なお土産のデザインでもあります。

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↓ファティマの手の置物

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*ファティマの手の起源については諸説あります。モロッコ発祥とするもの以外には
(1)手指の5本を意味するハムサから来た。
(2)ユダヤ教のモーゼとアーロンの妹の名前:ミリアムの手から来た。
(3)古代カルタゴ人の女神タニトから来た。
などです。

私見ですが、はるか古代から中東~地中海地方に広く存在する地母神=女神信仰が形を変えて、ファティマの手として連綿と現在に生き続けているように感じます。(今度、旅する予定のマルタ島でも古代女神信仰の遺跡があるそうで、楽しみにしています)


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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2017年 12月 30日 |

今年最後の更新です。


「大西洋の荒波 in Morocco」

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皆様のおかげで、当ブログの総アクセス数が130万件を超え、ブログ村の旅ブログランキングでも上位を維持しております。
旅ライターとしての「たびねす」記事にも本年は約20万件のアクセスをいただきました。
これもひとえに、皆様のご協力の賜物です。深く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

また来年も頑張りますので、今後ともご愛顧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

それでは、皆様、良いお年を!






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