模糊の旅人
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カテゴリ:チュニジア( 16 )
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2019年 05月 17日 |

LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「チュニジア中部・歴史とリゾートの街“サヘルの真珠”スースを歩く!」という記事が公開されました。
チュニジア中部にあり、古い旧市街と地中海リゾートを楽しめる街スースの紹介ですので、ぜひ↓お読みください。








さて、百舌鳥・古市古墳群 について、ユネスコ諮問機関(イコモス)の世界遺産への登録勧告が出ました。(5/14)
これで、7月の世界遺産への登録がほぼ決まりました。


発掘調査が進まず陵墓名と遺跡名が混在しているといった問題点があるものの、古墳群の価値が傑出していると大きく評価されたようです。


私も、ライターとして百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録への、民間からの応援・協賛活動をやってきました。旅行業の一端を担う者として嬉しい限りです。これで、大阪府ではじめての世界遺産が誕生します。


一古代史ファンとしても、大阪の古墳群の歴史的価値が評価されたことを喜んでいます。


↓仁徳天皇陵古墳(大山古墳・大仙陵古墳)の一周コースより

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↓仁徳天皇陵古墳の現地解説看板

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↓日本語解説部分を拡大・・・ここに世界遺産登録のことも書かれるのでしょうね。

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私の、百舌鳥・古市古墳群に関するトラベルJPの記事には、以下の三本があり、今回の指定を受けて、表題やリード文を少し修正してみました。
ぜひ、お読みください。


いよいよ世界遺産!堺市・百舌鳥古墳群の6大古墳を完全制覇




もうすぐ世界遺産!大阪・河内の古市古墳群を歩こう!




いよいよ大阪に世界遺産が誕生!百舌鳥・古市古墳群をめぐり古墳カードを集めよう





古墳関係では、以下の記事もあります。


日本の夜明けだ!邪馬台国のロマンを求めて奈良・オオヤマト古墳群を歩こう






ブログでは、古墳関係記事も多く書いてきました。その代表的なものを、まとめて以下に紹介しますので、よろしければお読みください。



仁徳天皇陵古墳の真の被葬者は誰か?  百舌鳥古墳群と古市古墳群の被葬者の比定


百舌鳥古墳群の古墳配置と仁徳天皇陵の等高線乱れ  ~百舌鳥古墳群を歩く(1)


仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)


古墳カード記事がアップされた件と大仙公園の小型古墳  ~百舌鳥古墳群を歩く(3)



古市古墳群紹介記事の公開のお知らせ  ~古市古墳群を歩く(1)


仲姫命陵古墳の真の被葬者は誰か?  ~古市古墳群を歩く(2)


謎の古墳:古室山古墳 ―大和川水系に王権あり― ~古市古墳群を歩く(3)


箸墓古墳は卑弥呼の墓か? ~大和日帰りドライブ(6)


旅行ガイド記事公開  ~邪馬台国のロマンを求めて~







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2019年 05月 06日 |

前回紹介したヤツガシラ以外のチュニジアの野鳥も教えてほしいとのリクエストがありましたので、今日はチュニジアの野鳥特集です。

それでは、よく見かける順に紹介していきます。


チュニジアで最も多い野鳥は日本と同じくスズメ類です。
ただし、日本のスズメ(学名 P. montanus )とは同種ではなく、スズメよりやや大きい イエスズメ(学名 P. domesticus )になります。
イエスズメの中でも北西アフリカ亜種(学名 P. domesticus tingitanus )が分布しています。

↓北西アフリカ亜種のイエスズメ 雄の眉が独特の特徴があります。日本のスズメとは印象が違います。

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イエスズメ(俗称 House Sparrow) はアフリカ原産で、人類の発展とともに分布を広げていった典型的なシナントロープで、農耕環境や都市環境に適応しています。
現在は南極大陸を除く世界中に広がり、世界一分布域の広い鳥類となっています。

面白いのは、大きな空白域として朝鮮、日本、台湾、フィリピンがあり、ここには代替種としてスズメ(俗称 Tree sparrow)が分布しています。

スズメも分布の広い鳥ですが、イエスズメと競合する地域では、英俗称の Tree sparrow どおり、森に棲んでいます。
これは、多分、餌の多い都市や村では、より大きくて強いイエスズメに駆逐されるためと思われます。
ただ、日本のような東アジアでは、状況が逆転しており、スズメが優勢なのは謎です。
スズメひとつとっても自然界の不思議がありますね。



次にチュニジアで多いのは、タイリクハクセキレイ(学名 Motacilla alba )です。

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日本のハクセキレイのほうが、この種の亜種とされています。
この種も人間の住む様々な環境に適応しており、世界中でよく見られる野鳥です。

↓タイリクハクセキレイ(White Wagtail)は、日本亜種(Japanese Pied Wagtail)のような過眼線がなく、背中が灰色なのがよく分かる特徴です。

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三番目によく見る鳥は、クロウタドリ(学名 Turdus merula 俗称 Blackbird)です。

この鳥も分布が広くユ-ラシア~アフリカでよく見られます。
何より鳴き声が美しく、高い樹木や建築物の上で囀るので、すぐに分かります。

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↓地上に降りて虫などをついばみ、その際観察すると、黄色い嘴と、目の周りのアイリングが意外に可愛らしいです。

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↓クロウタドリ飛ぶ!

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以下は、アフリカらしい鳥をいくつか紹介します。


まずは、アフリカヒヨドリ(学名 Pycnonotus barbatus 俗称 Black-eyed Bulbul)です。

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この鳥は強勢でたくましく人家にも近づき分布を広げています。日本でいえばヒヨドリ(Brown-eared Bulbul)とムクドリ(White-cheeked Starling)を合わせた感じの位置をしめています。

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私の限られた経験では、モロッコ、チュニジア、エジプトではこのアフリカヒヨドリが優勢で、イスラエルに行くとこの種に代わって カバイロハッカ が多く荒野では トリストラム が分布し、ドバイでは シリアカヒヨドリ が多かったです。



次にいかにも砂漠の荒野にふさわし野鳥で、シロガシラクロサバクヒタキ です。
長い名前ですが、和名を漢字で書くと「白頭黒砂漠鶲」、学名は Oenanthe leucopyga 、俗称は White-crowned Black Wheater となります。

↓シロガシラクロサバクヒタキ 雄の白い頭が非常に特徴的で一度見ると忘れられません。

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私はこの鳥を、やはりモロッコ、チュニジア、エジプトで観察しており、それも半砂漠地帯や遺跡、荒野のカスバなどで目撃しました。
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下の写真は、上の写真が逆光で空が白く飛びシロガシラクロサバクヒタキの白頭が目立たなく写ったので、空を青くHDRなどの技術を使って修正したものです。

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最後に、多分 サバクヒタキ(学名 Oenanthe deserti )の雌と思われる写真を掲載します。

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↑この写真はチュニジアの土漠地帯の人家の軒先で撮影したものです。撮影場所の環境と色合いからしてサバクヒタキの雌ではないかと思われるのですが同定に自信はありません。
もしこの野鳥の正体をご存知の方がおられたらご教示ください。よろしくお願いいたします。








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2019年 04月 30日 |

カルタゴのローマ時代の遺跡と野鳥ヤツガシラの話です。平成最後の更新になります。


ピュルサの丘から、海に降りていく途中に、ローマ時代のカルタゴ遺跡「ローマ人の住居 Villas Romainers」があります。

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ここは、ローマ時代の裕福な住民の住居遺跡で、階段状に住居跡が見られます。

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古代ローマ人の上流家庭の生活が垣間見られる必見の遺跡でしょう。

丘の中腹のなだらかな傾斜地にあり、いわば古代の山手の住宅街といった雰囲気。現在もこのあたりは高級住宅街で、はるか古代から連綿と人々が暮らしてきた長い歴史の重みを実感できます。


花に埋もれた所もあります。

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ローマ人の住居跡には、現場に残された像やモザイクもあり、とても興味深いです。

↓海も望めます。

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特にモザイクは列柱回廊のあるヴォリエールの別荘と呼ばれる屋敷のものが一番。今でも現場に色合いが残る素敵な遺物で、古代ローマ人の優れた芸術感覚がそこにあります。

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現場に残されているモザイクという意味では、モロッコのヴォルビリス遺跡 ほど大規模ではありませんが、私が気に入ったのは、野鳥のモザイクがとても多いという点です。

以下、鳥関係のモザイクをご覧ください。

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↓中でも、私が感動したのは野鳥ヤツガシラのモザイクがあった点です。

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ヤツガシラは、個体数は多くないものの世界的に分布する綺麗な野鳥で、イスラエルの国鳥でもあります。英語でフープー、イランでフドフド、中国でフーポーポーと俗称されますが、これらは、ヤツガシラの「ポポーポー」と言う鳴き声から来ています。
そのヤツガシラの鳴き声は、こちらの日本野鳥の会のページ でお聞きください。

日本では、旅鳥としてまれに見られる珍鳥で、昭和天皇が皇居の庭で発見し、侍従に「双眼鏡を持ってこい」と命じたところ、侍従が「お芋を見るのに双眼鏡が何故いるのですか?」と聞き返したという有名なエピソードがあります。里芋類にヤツガシラというのがあるので侍従が勘違いしたわけです。


↓そのヤツガシラの写真です。

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↑ヤツガシラの特徴である冠羽(頭の上の飾り羽根)が閉じたものしか撮れなかったので、以下にウイキペディアより写真をお借りして、冠羽の開いた状態のヤツガシラの姿を掲載します。

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↑冠羽が八つあるように見えることから「ヤツガシラ」という和名がついたそうです。


↓この後、お土産店を回った際、ヤツガシラの意匠のモザイクを見つけましたので、自分への土産として購入しました。

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↑モザイクは、チュニジア土産のひとつとして人気があります。ファティマの手や駱駝などの動物意匠のものが多いのですが、ヤツガシラ模様を見つけて嬉しかったです(笑)


チュニジアで注目されてきたヤツガシラは、古来、はるか日本でも注目されてきた野鳥で、正倉院の宝物の中にも、ヤツガシラが描かれたものが多数あります。もし今後、正倉院展に行かれたら、ぜひ注意してご覧ください。

↓ヤツガシラが描かれた正倉院宝物の一例

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↓イスラエルの記念コイン:国鳥のヤツガシラ(Hoopoe)
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古代ギリシアのアリストパネスは『鳥』で冠羽=王冠連想からヤツガシラを「鳥の王」としています。『旧約聖書』の「エステル記」にも登場します。このヤツガシラについては、まだまだ書きたいことがありますが、いささか話が脱線してきましたので、このあたりで終わります。







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2019年 04月 23日 |

LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「焼き物好きなら必見!チュニジア有数の陶器の街ナブールを歩こう!」という記事が公開されました。
チュニジア随一の陶器制作の街で人気がありますので、ぜひ↓お読みください。





当ブログでもこの旅行ガイド記事とタイアップして、より詳しく紹介していきます。

ただ、カルタゴの紹介が終わっていませんので、併行してブログ記事を書いていきます。




ナブール市は日本の瀬戸市と姉妹都市で、古代バビロニア以来の陶器づくりの伝統を誇ります。本格的に発展したのは17世紀で、これはスペインを追われたアンダルシアの職人が釉使用の製陶技術を伝えたことによります。


チュニジアの陶器製造地としては、もう一つジェルバ島のゲララがありますが、ナブールのほうが規模が大きいのでポピュラーです。


チュニジアのほとんどの家庭にはナブール焼きの陶器があります。日常食器から花瓶・趣味的陶器まで幅が広くバラエティに富んだ製品が販売されています。ちょうど日本における瀬戸焼きや有田焼きのような感じですね。


そこで、おすすめしたいのはナブール焼きの陶器製作所を見学することです。ナブールには多くの見学可能な陶器工房兼販売店があります。中でも政府公認の職人さんがいて値札のある定価販売の店なら安心して買い物ができます。


↓工房の入り口

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ナブール焼きは基本的に手作りの陶器で、丁寧につくられていますが、さほど高価ではないので、我々観光客のお土産にも最適です。


轆轤による成型は主に男性職人の仕事で、大量生産はできません。

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絵付けや色付けは女性職人が多く、繊細な技術を要する丁寧な仕事です。

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こうした工房の陶器制作過程を見学してから、お好きなナブール焼きを購入しましょう。チュニジア旅行の良い思い出となります。

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私はカルタゴのトフェで見たタニト女神のシンボルをかたどった鍵掛け陶器がありましたので、「これだ!」と思わず飛びついて買ってしましました(笑)
↓他では見られないタニト意匠作品ですので、大事に使いたいと思います。

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↓食器としては、日常使用できるシンプルで安価な皿を買いました。

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2019年 03月 28日 |

古代カルタゴの遺跡の中心であるピュルサの丘・・・・ここは高台にあり城壁に囲まれたカルタゴ誕生の地です。

↓ピュルサの丘から地中海を望む

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紀元前814年、フェニキアからここへ避難してきた女王エリッサは、地元のベルベル人から「牛の皮一枚で覆える地」なら貸すと言われました。そこで賢いエリッサは牛の皮を細長く切り裂いて丘を囲い土地を得たという建国伝説があります。
そこで、この建国の地は、ピュルサ(=皮の意)の丘と呼ばれるようになったのです。

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フェニキア本国史によれば、テュロス王家の10代目の王ムット(マッテン一世)は美貌の娘エリッサと息子ピュグマリオンを死後の相続人として残しました。
ピュグマリオンは王となり、エリッサは王に次ぐ地位の神官アケルバスと結婚します。
しかし、ピュグマリオンは、アケルバスの財宝と宗教権力に嫉妬し、彼を殺害します。

夫を殺され危機が迫ったエリッサは、王に反対する貴族や元老院議員とともに、フェニキアの王都テュロスをからくも脱出します。

↓ピュルサの丘にある、エリッサの逃避行ルートの説明板

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エリッサらの一行は、まずキプロスに上陸します。
キプロスの神官らはエリッサに同行を申し入れ、約80人のキプロスの娘を脱出したテュロス人の妻として同乗させ、逃避行に協力するのです。


そして、ディードー(さすらう者)とも称されたエリッサらの船団は、苦労の末、ピュグマリオンの追及の手の届かない遠い場所=現在のカルタゴに至ったのです。


カルタゴとは、カルト・ハダシュトの略で、フェニキア語で「新しい都」を意味します。つまり、新天地につくられた新しい聖なる都でした。

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女王エリッサの逃避行伝説は、まさに貴種流離譚ですが、重要なのは政治的宗教的な亡命者によりカルタゴが建設されたことです。

エリッサはフェニキア最高位の神官の妻であり、宗教的にはフェニキア王ピュグマリオンより正統で、聖なる本山の移動ともいえる出来事だったのです。
これはつまり、後にイギリスでの迫害を逃れてメイフラワー号でアメリカ新大陸に渡り懸命に働き、アメリカ建国への道を切り開いた清教徒の移住に似ています!


こうして、ピュルサの丘に定着したフェニキア人たちは、宗教的理想に燃え、都市建設に一所懸命に励み、カルタゴを完成させ西地中海世界の盟主としていきます。


しかし、美貌の女王エリッサゆえの悲劇が待っていました。すなわち先住民の王ヒアルバスはエリッサに結婚を強要し、拒否すれば戦争を仕掛けると脅します。テュロスから苦難を共にしてきた10人の有力者は先住民の王に屈してしまい、進退窮まったエリッサは、亡き夫アケルバスの名を叫びながら、ピュルサの丘に築かせた薪の山に上り、「私も夫の所へ行きます」と言いつつ剣で命を絶ちます。

この後、カルタゴではエリッサは女神として崇拝されたのです。

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栗田伸子氏は、『通商国家カルタゴ』(講談社学術文庫)の中で次のように書いています。
「非業の死を遂げた神官にしてテュロスの王族のアケルバスの妻が、メルカトル神に守られつつ建設した新たな聖都、というのがカルタゴ建国の理念であったとすれば、それは女王エリッサが亡夫への貞節を貫いて死んで初めて完全なものとなるのである。」


カルタゴは、地政的に西地中海の中央に位置しただけでなく、聖都であったがゆえに、地中海フェニキア世界の新たなる中心となったのです。

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↑は、ピュルサの丘で発掘された古代カルタゴ時代の居住区で、ハンニバル街と呼ばれます。

わずかに残されたフェニキア人時代の非常に貴重な遺跡です。ここは有名なポエニ戦役で、カルタゴ側の最後の砦となり、ローマに破壊され埋められたのですが、近年発掘され見学できるようになりました。


カルタゴの建設は紀元前814年で、ポエニ戦役で徹底的に破壊されたのが紀元前146年です。
そうすると、フェニキア人のカルタゴは約670年ほどの歴史を有したことになります。非常に長く繁栄した都だったのです。


ローマ側は一度徹底的にカルタゴを破壊しましたが、やがてカルタゴの地政的な重要性に気づき、アフリカ属州の中心地として、カルタゴを再建しました。

現在、ピュルサの丘に見られる遺跡は、ほとんどローマの支配時代のものです。

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↓ローマ時代の遺物を中心に展示しているカルタゴ博物館。

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↓サンルイ大聖堂
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↑現在、ピュルサの丘の上に立つ最も大きな建築物はサンルイ大聖堂です。これは1884年にフランスにより造営された美しいカトリック教会で、十字軍のチュニス包囲戦で没したフランス王聖ルイ9世に捧げられました。

すなわち、フランスもまた、このピュルサの丘を聖地として位置付け大聖堂を建てたのです。



ピュルサの丘は、カルタゴの象徴です。エリッサの時代から、幾多の複雑な歴史を刻んできました。ローマの後もヴァンダル、ビザンチン、カヒーナ(ベルベル人)、イスラム、オスマン、ノルマン(シチリア)、十字軍、フランス、チュニジア独立、ジャスミン革命・・・この丘の上に立って、長く演じられてきた歴史ドラマに思いを馳せれば、本当に興味の尽きない場所なのです。。。。







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2019年 03月 20日 |

LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「チュニジアで必見!古代遺跡のカルタゴと白壁青扉のシティブサイドを巡る!」という記事が3月14日に公開されました。
チュニジアで最も有名なカルタゴ遺跡と人気のシティブサイドを紹介したガイド記事ですので、ぜひ↓お読みください。






当ブログでもこの旅行ガイド記事とタイアップして、より詳しく紹介していきます。


かつて紀元前の古代、地中海を制覇した海洋国家がありました。フェニキア=カルタゴです。

後にローマに敵対し徹底的に滅ぼされたため、不当に歴史上から消されてしまいましたが、アルファベットの発明や、地中海各地にオリーブ栽培と小麦栽培を広げ、交易網を築き、経済文化が結ばれた地中海世界を開いた都市国家連合です。
その政治組織や交易ルートはギリシャやローマに受け継がれ、やがてヨーロッパ文明の礎となったのです。



そのフェニキア人の地中海ネットワークの中心がカルタゴで、現在のチュニジアの首都チェニスの北隣のカルタゴ市にあたり、貴重な遺跡が残され、チュニジア観光の目玉になっています。


↓カルタゴには、フェニキア人時代から使われたという軍港跡があります。半円形は当時のままだそうです。

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私は、フェニキア人によるカルタゴ遺跡に非常に興味を持っており、今回の旅の目的の一つとして楽しみにしていました。
それは、古代宗教=地母神信仰の研究というのが私の持続している密かな旅テーマであり、カルタゴには絶大な信仰を得ていた「タニト女神」の遺跡であるトフェ遺跡があるからです。


それでは、簡単にフェニキア・カルタゴの歴史をからめてトフェ遺跡を見て行きます。

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起源前1200年頃、BC1200年のカタストロフという大事件がおこりました。
それについては、以下のブログ記事の ~ エピローグ ~ で書きましたので詳細はそちらをお読みください。


↓ 「ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ遺跡(エピローグ)」



このBC1200年のカタストロフの結果としてフェニキア人にとって重要な事は、ミケーネ文明とヒッタイト帝国が滅び、エジプトも弱体化し、東地中海地域に権力の空白地帯が生じた事です。

もともと、フェニキア人は現在のレバノンからイスラエルあたりの海岸地域に住んでいましたが、ユダヤ=イスラエル人からの攻撃と圧迫があり、メソポタミア地方にはミタンニやアッシリアという大国が興亡していました。

そこで、レバノン杉という船を造る素材にも恵まれていたことから、海洋貿易を行うこととし、BC1200年のカタストロフによるヒッタイトの滅亡からは、その権力空白地帯へ本格的に進出したのです。


地中海に季節的に吹く風と海流を利用し、フェニキア人は航海術を磨き、どんどん西へと進出しました。
地中海全域に商人として貿易に従事し、主にオリエントで不足する鉱物資源を運びました。特に現スペインからポルトガルにあたるイベリア半島西岸の「銀」が重要だったようです。


フェニキア人は、現イギリスやアフリカ西岸からギニア湾の現カメルーンまで至りました。スカンジナビアにも行ったのは確実です。
俗説ですが、アメリカ大陸まで渡ったという説まであります。
ギリシア人ヘロドトスの「歴史」によると、紅海からアフリカ東岸をめぐり喜望峰を回ってアフリカ大陸を周回したという事が書かれています。(ヴァスコダガマの逆コースですね)


地中海はフェニキア人の海となり、経済と文化の交流がおこりました。地中海沿岸各地にフェニキア人の植民都市が築かれました。
そうした、フェニキア人の地中海ネットワークの中心がカルタゴでした。


私が旅したマルタ島はカルタゴから海を隔てたすぐ近くで、フェニキア人の遺物が発掘されており、マルタ考古学博物館での展示の一画を占めていました。
それについては、以下の記事をご覧ください。


↓ 「マルタ考古学博物館(その四)フェニキア人遺跡とコインコレクション 」 




また、地母神信仰とキリスト教のマリア信仰の関係につきましては、以下の記事の「More 聖母マリア信仰について考える」をお読みください。


↓「聖母マリア永眠教会と聖母マリア信仰 ~聖書の大地を行く(31)」



カルタゴのタニト神も、男神バアル・ハモンと組みになった女神です。ただ、カルタゴではタニト女神のほうが男神たるバアル神より人気がありました。

カルタゴで発見される碑文は全て、タニト神がバアル神より先に書かれているという特徴があり、タニト神の重要性がうかがえるのです。


残された石碑文は必ず、女主人「バアルの顔」であるタニトへ・・・・、という句からはじまります。

↓タニト神の祀られたトフェの外観

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↓タニト神の神域 トフェの遺跡内部 聖石ペテュロスが描かれた石碑

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トフェはタニト神の聖域とされており、写真にあるような遺跡が発掘されています。


↓タニトの印が刻まれた石碑

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↑トフェにはタニト神の印が刻まれています。この形はカルタゴの国章であり、後にギリシャ・ローマに伝わり、金星(ビーナス)を表すマークから、女性を示すロゴになりました。

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タニト神は古代地中海周辺にポピュラーな豊饒の女神たる地母神信仰と結びつき、古代エジプトのイシス神との共通性も指摘されています。



問題は、タニト神は、カルタゴで絶大な信仰を集めた女神であるとともに、多数の赤子の生贄を捧げられたという伝承がある点です。


フロベールが有名小説「サランボー」で、この伝承とポリビュオス「歴史」をもとに、カルタゴ人が赤子を火の中に投げ入れる幼児犠牲の様子を描いたことから、西欧人にカルタゴ人の残虐なイメージを植え付ける結果となりました。


↓幼児犠牲の様子のイメージ(ローマ側の想像による絵)

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↓幼児用石棺

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ここで幼児の石棺や骨が見つかったのは事実ですが、果たしてこれが生贄であったかどうかは学説が分かれています。当時の新生児の生存率が低かったことから、赤子を大切に葬った墓所である可能性もあるからです。


カルタゴが完全に滅ぼされてしまったため、敗者側の資料がなく、全てはポリビュオス(ローマ共和政時代の歴史家)など勝者ローマ側の解釈です。そこが問題を複雑にしています。


1970年に、トフェ遺跡の再調査が行われ科学的分析が行われました。
この分析解釈については、ピッツバーグ大学のシュバルツ教授が幼児犠牲を否定し、ヘブライ大学のスミス教授が幼児犠牲を肯定する、それぞれ違った意見を報告しています!

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以下、私見を述べておきます。

他のカルタゴの遺跡から幼児の墓がほとんど見つからないことから、このトフェは最初は死産や早世した子の埋葬場として造られたのは間違いないと思います。
そこで、地母神と融合したタニト女神が、その幼児葬礼を司る神として重要視されたのでしょう。

祭祀の結果として、天候が好転したリ戦役に勝利したことから、死んだ赤子を生贄的な祈りの用途にも多少は使ったと思われます。神へ捧げ祈り聖別したのです。
ただ、その幼児犠牲が祈りの中心であったわけではなく、子供の冥福を祈るということが主目的でした。火に投げ込んだなら遺骨も残っていないはずですが棺に丁寧に葬られた骨が残されています。

その幼児葬礼の様子を見聞したローマ人が、残虐な面を強調し、フェニキア人を野蛮人として評価することで、徹底的に滅ぼすための材料として利用したのです。あくまで、ポエニ戦役の本質は、ローマのカルタゴに対する政治経済的な利権争いです。

現場に立ってみて、そんな古代史の一コマが浮かんでくるようでした・・・


カルタゴ史の研究者である佐藤育子氏は、名著『通商国家カルタゴ』(講談社学術文庫)の中で次のように述べています。
「人間を神への生贄に捧げること、つまり人身供犠は人間の歴史において何も珍しいことではなく、さまざまな民族にによってあらゆる時代に行われてきた慣習であるが、カルタゴの場合は特に、その対象が幼い子供であるという点で喧伝された感は否めない。」


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母国フェニキアは、アッシリアや新バビロニア、ペルシア帝国と次々と興亡する大国に服属しましたが、統治は自主性を得ていました。しかし、アレクサンドロス大王により完全に滅亡させられました。
ペルセポリスと同じく、またもや、テュロス(フェニキアの中心都市)を徹底的に破壊したのは、ヨーロッパでは英雄とされるアレキサンダーだったのです。イランでも感じましたが、私はアレキサンダーは英雄というより破壊者だと思います。


こうして母国フェニキアが滅んだ後も、カルタゴは地中海を支配し数百年の間、大いに繁栄しました。イベリア半島西岸の銀を主として交易し、現在のイギリスや、アフリカ西岸のギニア湾方面まで至ったようです。


しかし、ローマが興隆してきたため覇権争いとなりました。三度にわたる戦争(ポエニ戦役)で、アルプス越えで有名な名将ハンニバルを擁して善戦しましが、最後はローマに敗れ、徹底的に破壊され市民は虐殺されました。紀元前146年の事でした。



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2019年 03月 12日 |

メディナを東へ突っ切ると、フランス門がありそこから新市街になります。このあたりはフランス通りと言い、一転して欧州的な街並みとなります。

マガザン・ジェネラルやモノプリといったスーパーマーケットがあり、価格が安く値札が付いているので、メディナで苦労した買い物が嘘のようです。

↓モノプリ

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さらに東へ進むと道が広くなる独立広場があり、カトリックの大聖堂である重厚なカテドラルが建っています。ここから東側は、町のメイン・ストリートであるハビブ・ブルギバ通りとなり、新市街の中心地です。

↓独立広場のエンブレム

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↓カトリックのチュニス大聖堂

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大聖堂の前の緑地には、チュニジア出身の中世イスラム世界を代表する社会学者イブン・ハルドゥーンの像が立っています。フランスの巨大建築物の間にある偉大な学者の姿は、チュニジアの誇りと意地を象徴しているようです。


↓イブン・ハルドゥーン像

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ハビブ・ブルギバ通りは幅が広く、中央部は歩行者天国で市民の憩いの場となっています。パリのシャンゼリゼ通りを意識してつくられ、洒落た雰囲気がします。オープンカフェや噴水、時計塔などもあります。


↓ハビブ・ブルギバ通り中央部

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↓印象的な建物

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↓夕刻のハビブ・ブルギバ通りを横切るトラム

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↓書店があったので入ってみました。

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↓フランス語版の村上春樹の本が並べられていました。チュニジアでも人気のようです。

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ハビブ・ブルギバ通り沿いの中央南側に聳えている巨大な青いビルが、チュニスのランドマークであるホテル・アフリカです。ロケーションが最高で、チュニス観光には最も適したおすすめのホテルです。ここに滞在すれば縦横無尽にチュニスの街歩きを楽しめます。


↓アフリカホテル

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↓アフリカホテルの高層階から新市街を撮影したもの。眼下に新市街が広がり、シティービューを満喫できます。

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部屋の設備やアメニティーも申し分なく、上品で清潔。Wi-Fiもフリーでした。普段は中級ホテル専門の私ですが、チュニジアは物価が安いので、たまにはこのような高級ホテルも良いでしょう。


↓ホテルの部屋からのチュニス湖の夕景

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チュニス湖は海とつながった浅く広い塩湖=自然のラグーンで、シーズンになると野生のフラミンゴが舞い降ります。フラミンゴの群れが舞う時期にも来てみたいものだと思いました・・・


↓望遠レンズでチュニス湖の彼方の山をアップで撮影

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アフリカ・ホテルに泊まれば、夕刻でも早朝でもハビブ・ブルギバ通りの散策を楽しめます。


↓通りの東端には1月14日広場があり、時計台とブルギバ元大統領の像が佇立しています。旧市街から東へ歩いた終点がここです。

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2019年 03月 05日 |
グランド・モスク前広場の東側に最も多くの人が出入りする通りがあり、これがモスクと同じ名前のジャーミア・ズィトーナ通り。メディナのメインストリートです。

↓前回の記事の最後の写真で、多くの方が曲がって行く情景がありますが、これがジャーミア・ズィトーナ通りに入っていく人々です。
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↓入り口付近・・・こんなに混んでいます。
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ここは新市街へと繋がるメインルートなので、中へ入りどんどん東へとまっすぐ歩きます。やや下り坂になっており歩きやすいですが、非常に混み合う雑踏ですので手荷物には注意が必要。

このジャーミア・ズィトーナ通りには沢山の店が軒を連ねており、露天も所狭しと並んでいます。あらゆる種類の雑貨や衣類、香料、食べ物、装飾品、お土産物などなど・・・見て歩くだけでもわくわくします。

ファティマの手
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↓金属製土産物の打ち出し実演販売
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↓デーツやヌガーなどのお菓子類
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↓チュニジアの印が印象的
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↓ランプ類
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↓香料鉱物や香辛料
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↓結婚祝い用品
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↓陶器類
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↓男性用帽子
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↓少しすいてきました。
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↓衣料品。ディスプレイが見事です。
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これぞアラブの商店街。
雑踏感が心地よく非常に面白いのですが、値札が無いので、買い物は交渉次第。まず、ふっかけてくるので値段交渉がたいへんです。それが苦にならない方は、身振り手振りで買い物を楽しめるでしょう。

このストリートの印象は、他のアラブの国の商店街と比べると、女性の買い物客が多いので華やかに感じました。アラブ諸国の中でも、チュニジアは特に自由な国だなあと実感した次第です。






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2019年 02月 26日 |

シディ・ユセフ・モスクの東裏側あたりの曲がり角に、CAFE LA MEDINA という看板があります。景色が良いので有名なカフェです。看板デザインが ファティマの手 なのが素敵ですね。

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そこを入って三階へ上ってみましょう。位置関係をつかむのとカフェでの休憩に最適です。


↓カフェに上がる途中に多くの装飾があります。なかなか見事で、これも見ものです。

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↓屋上にはテーブルと椅子が並べられカフェになっています。

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↑休憩しながらチュニスのパノラマを楽しめます。写真正面下にあるのはグランド・モスクで、左側に四角柱のチュニジアスタイルのミナレットが見えています。正面奥には新市街が広がっており、右側遠くにそびえる青い高層ビルは目的地のアフリカ・ホテルです。


↓ミナレットのアップ

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↓チュニスを代表する双耳峰(ヤギの角という名前)と市街

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↓隣の建物の屋上も「パノラマ」として開放されています。

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眼下のグランド・モスクは、698年から建設が始まったチュニジアで二番目に古いモスクで、国内全土の信仰を集め、ジャーミア・ズィトーナ・モスク(オリーブの木のモスク)という別名を持っています。


カフェを降りて路地を回ればグランド・モスク前広場に出ます。

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↑ここはメディナの中心地で、路地やスークが四方に広がり、多くの人で賑わっています。

↓チュニスのメディナが世界遺産に指定された際の銘板もここにあります。

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2019年 02月 18日 |

LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「美しきチュニジアの首都チュニスを歩く!」という記事が公開されました。
チュニジアの首都の街歩きを紹介したガイド記事ですので、ぜひ↓お読みください。







当ブログでもこの旅行ガイド記事とタイアップして、より詳しくチュニスを紹介していきます。


カスバ広場の東からメディナ(旧市街)へ入ると、まず目立つのがシディ・ユセフ・モスク。これは1616年にオスマン帝国のユセフ王によって建てられたもので、八角形のトルコスタイルのミナレットが特徴です。
王冠のような頂端部も綺麗です。

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チュニジアの街が、モロッコの街と異なるのは、この八角形の塔がある点です。

これは歴史に原因があります。オスマン帝国は、15世紀に東ローマ帝国を滅ぼし、現アゼルバイジャンから現アルジェリアまで征服しました。
したがって、このトルコスタイルの八角形ミナレットは、オスマン帝国の版図に分布しています。
いっぽう、オスマン帝国に飲み込まれなかった現イランや現モロッコには分布していません。

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↓確かに無骨な感じのする四角形のミナレットに比べて、洗練された雰囲気があります。

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もちろん、チュニジアでも、オスマン帝国の支配以前につくられたミナレットは四角柱スタイルです。
↓その例(旧市街のあちこちから垣間見られるグランドモスクのミナレット・・・・チュニジアで二番目に古いもの)

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↓スーク街へ入ります。

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旧市街は道が錯綜しています。特にスーク(市場)の中は屋根があるので薄暗く圧迫感があります。様々な店が並んでおり、歩き回ると、ちょっとした迷宮のようです。

ただ、規模はそんなに大きくないので実は迷宮というほどのことはありません。そこがモロッコのフェズやマラケシュとは違います。


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彷徨っても迷子になることはありません・・・

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店のおじさんたちは濃い顔で目つきが鋭いので怖い感じがしますが、話してみると陽気で、日本人が少ないので「ニーハオ」とまず声をかけられます。
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