模糊の旅人
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2018年 10月 15日 |

トラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「日本の夜明けだ!邪馬台国のロマンを求めて奈良・オオヤマト古墳群を歩こう」という記事が公開されました。
いわゆる三輪王朝といわれる日本最初の統一政権が出現した古墳群を歩く記事です。ここを、邪馬台国の中心地とする説が有力になりつつあり、まさに日本の夜明けを告げる地域ですので、ぜひお読みください。





本ブログでもタイアップしてオオヤマト古墳群の記事を書いていきます。
ただ、上のトラベルジェイピーの記事は、旅行ガイド記事ですので、歩く順番に紹介していますが、本ブログでは造営順(時代順)にたどり、私の邪馬台国から大和朝廷への被葬者比定説を述べます。


なお、間に旅行記事を挟みますので、断続的な記事展開となりますので、ご承知おきください。


まずは、邪馬台国の女王:卑弥呼の墓ではないかと考えられる箸墓古墳です。

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奈良盆地の東南部、現在の桜井市から天理市にまたがる一帯は、「大和は国のまほろば たたなづく青垣山ごもれる 大和し美し」と歌われた古代日本の夜明けを告げる場所です。

このヤマトの中のヤマトとされる一帯は、古来よりヤマトと呼ばれており、大和=オオヤマト古墳群地域とされます。
古墳群の定義は学者により異なりますが、邪馬台国から初期大和朝廷への発展を一体と考え、奈良盆地東南部の古墳全体をまとめてオオヤマト古墳群として捉える白石太一郎近つ飛鳥博物館名誉館長の学説を私は支持します。


このオオヤマト古墳群で巨大前方後円墳が誕生しました。すなわち、日本で最も古い巨大前方後円墳は箸墓古墳であり、卑弥呼の墓の可能性が最も高いのです。


箸墓古墳の航空写真は、こちら の記事の最初の写真をご覧ください。とても美しい形をした前方後円墳であることが分かります。


↓箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫命大市墓)の拝所 西側にあります。

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もしかすると卑弥呼が葬られているわけですから、箸墓古墳の前に立つと胸が高まります。ここはまさに古代史ファンの聖地です。


東側に回って、箸墓古墳を一周します。北側以外は濠はなく、地面から直接古墳が立ち上がっています。

ただし、奈良県立橿原考古学研究所や桜井市教育委員会の調査では、幅10メートルの周壕とさらにその外側に幅15メートル以上の外堤が存在していた可能性が高いとされています。

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北側には「卑弥呼の庭」というカフェもできていました。
北側の池は、「箸中大池」として日本ため池百選にも選ばれています。

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箸墓古墳は、墳丘長278mの出現期古墳中の最古の巨大墓で、三世紀後半の築造と考えられます。魏志倭人伝に書かれた卑弥呼の墓とする有力な学説があります。宮内庁の正式名は、倭迹迹日百襲姫命大市墓。日本書紀には「墓は昼は人が作り、夜は神が作った。」と書かれています。このヤマトトトモモソソヒメは、孝霊天皇の皇女で、三輪山の神と婚姻した伝説的な巫女とされ、祟神天皇は巫女であるヤマトトトモモソソヒメの神託を聞いて政治を行なったとあります。


この古墳は、邪馬台国の女王:卑弥呼の墓である可能性が非常に高いと考えます。
根拠については、以前書いた記事を、下の More に再々掲してみましたので、ご興味のある方は More をクリックしてお読みください。

なお、私は白石太一郎近つ飛鳥博物館名誉館長の講義や講演を何度も聞きに行っています。館長の主張は一貫していますので、箸墓古墳の被葬者に関して述べられている部分を以下に引用しておきます。

倭国王墓として最初の箸墓古墳は、大型前方後円墳としては最古のもので、3世紀中葉に遡る。その被葬者の候補として卑弥呼以外の人物を考えるのは難しい」(白石太一郎講演レジメ「邪馬台国連合から初期ヤマト王権へ」より抜粋)



箸墓古墳から北へ巻向駅の方へ歩くと、邪馬台国の宮殿跡ではないかとされる纏向遺跡があります。弥生時代末期から古墳時代前期の大集落遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地として、現在も発掘調査が進められています。

この遺跡を邪馬台国の首都に比定する説が有力になりつつあります。王宮的な建物跡が発掘され、話題となりました。

最近は、桃のタネ約2000個以上が見つかり話題になりました。神託などに使われた古代祭祀の供物のようで、炭素年代測定法の計測により西暦135~230年のものであるという研究発表があり、邪馬台国の時代に整合します。

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↑航空写真をご覧ください。奥にある山が聖地:三輪山、右端の大きな古墳が箸墓古墳、左端の団地の右上にある空地が纏向遺跡の中心です。この位置関係が重要で、この辺りが、大和朝廷の黎明期に日本最古の都邑があった場所であることは間違いありません。







さて、中国東北地方いわゆる旧・満州の地へ旅に出ることになりました。
関空の台風被害で一度中止した旅ですが、関空が復旧しましたので再チャレンジすることにしました。


10月上旬は非常に多忙でしたので、10月中旬の出発となりました。目的のひとつであるレッドビーチの取材は、一ケ月遅れましたので、もう枯れてしまっているかも知れません。


ただ、どうしても今年に行きたいという思いがあり、挙行することにしたものです。


もうひとつの目的である、私自身の祖父が満鉄社員として赴任し家族(私の父や祖母・伯父・叔母など)とともに住んだ地を見るということは、果たせそうです。


無理したせいか、風邪気味で体調が思わしくないのですが、もうこれ以上順延はできませんので、頑張って行ってきます。


それに伴い、ブログの更新も二週間ほど休ませていただきます。


次のブログ更新は、10月の月末頃になります。
それでは、皆さん、しばらくのあいだ、ごきげんよう!





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More  箸墓古墳は卑弥呼の墓である
2018年 10月 08日 |
前回、モロッコの食事と砂漠の写真を載せたところ、砂漠はどんなところで宿泊するのですか?というご質問をいただきました。
そこで、今日はモロッコの砂漠でのホテル?での写真をアップします。

サハラ砂漠の西の始まりであるモロッコでは、アトラス山脈を越えたメルズーガという村に砂漠体験用のホテルが並んでいます。
ホテルといっても、土で出来た建物とテントを組み合わせた野趣あるもので、一種のグランピングと言えるかもしれません。

↓私の泊まったホテルのテント棟(砂漠側から撮影)
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↑奥左側に見えているのが土でできた建物棟で、私はその建物棟の部屋に宿泊しました。

↓テント棟を建物棟から撮影 後ろに砂漠が見えています
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このように砂漠に近いところにあるので、砂漠に徒歩やラクダで行けるわけです。
こうしたモロッコならではの砂漠体験というのが欧米人に人気で、多くの観光客が訪れます。

↓夜のテント棟の内部
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↓建物棟の前の広場
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↓建物棟の天井は草で編んであります。雨が降らないのでこれで十分だそうですが・・・うーん。
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↓私の泊まった部屋
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↓ベッドは荒々しい木でつくられたもの。壁は土と草を漆喰で固めたもの・・・
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↓これがシャワー(左側)と洗面
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シャワーが使いたくてテントではなく建物棟の部屋にしたのですが、お湯は出ず、水もチョロチョロでした。

↓食堂は建物棟の前にあり、天井は巨大テント風布 バイキング形式
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↓一応綺麗な食器やテーブルで隅っこで食事しましたが・・・・暗いんですよね。
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味はもうひとつでした・・・

イランのキャラバンサライの野趣あるホテルに泊まったことを思い出しましたが、全般的にイランの宿のほうが質が高かったです。詳しくは こちら。

↓食堂の前の広場でも食事ができます。ただ夜は寒くて、焚火を囲む形になります。
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まあ、貴重な砂漠体験ができるのですから、この程度は野趣として楽しめる範囲だと思います。

最後は、ホテルから歩いて砂漠に行って撮ったサハラの写真をご覧ください!

↓昼間
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↓早朝
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↓砂漠の夜明け
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