模糊の旅人
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2019年 03月 20日 ( 1 )
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2019年 03月 20日 |

LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「チュニジアで必見!古代遺跡のカルタゴと白壁青扉のシティブサイドを巡る!」という記事が3月14日に公開されました。
チュニジアで最も有名なカルタゴ遺跡と人気のシティブサイドを紹介したガイド記事ですので、ぜひ↓お読みください。






当ブログでもこの旅行ガイド記事とタイアップして、より詳しく紹介していきます。


かつて紀元前の古代、地中海を制覇した海洋国家がありました。フェニキア=カルタゴです。

後にローマに敵対し徹底的に滅ぼされたため、不当に歴史上から消されてしまいましたが、アルファベットの発明や、地中海各地にオリーブ栽培と小麦栽培を広げ、交易網を築き、経済文化が結ばれた地中海世界を開いた都市国家連合です。
その政治組織や交易ルートはギリシャやローマに受け継がれ、やがてヨーロッパ文明の礎となったのです。



そのフェニキア人の地中海ネットワークの中心がカルタゴで、現在のチュニジアの首都チェニスの北隣のカルタゴ市にあたり、貴重な遺跡が残され、チュニジア観光の目玉になっています。


↓カルタゴには、フェニキア人時代から使われたという軍港跡があります。半円形は当時のままだそうです。

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私は、フェニキア人によるカルタゴ遺跡に非常に興味を持っており、今回の旅の目的の一つとして楽しみにしていました。
それは、古代宗教=地母神信仰の研究というのが私の持続している密かな旅テーマであり、カルタゴには絶大な信仰を得ていた「タニト女神」の遺跡であるトフェ遺跡があるからです。


それでは、簡単にフェニキア・カルタゴの歴史をからめてトフェ遺跡を見て行きます。

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起源前1200年頃、BC1200年のカタストロフという大事件がおこりました。
それについては、以下のブログ記事の ~ エピローグ ~ で書きましたので詳細はそちらをお読みください。


↓ 「ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ遺跡(エピローグ)」



このBC1200年のカタストロフの結果としてフェニキア人にとって重要な事は、ミケーネ文明とヒッタイト帝国が滅び、エジプトも弱体化し、東地中海地域に権力の空白地帯が生じた事です。

もともと、フェニキア人は現在のレバノンからイスラエルあたりの海岸地域に住んでいましたが、ユダヤ=イスラエル人からの攻撃と圧迫があり、メソポタミア地方にはミタンニやアッシリアという大国が興亡していました。

そこで、レバノン杉という船を造る素材にも恵まれていたことから、海洋貿易を行うこととし、BC1200年のカタストロフによるヒッタイトの滅亡からは、その権力空白地帯へ本格的に進出したのです。


地中海に季節的に吹く風と海流を利用し、フェニキア人は航海術を磨き、どんどん西へと進出しました。
地中海全域に商人として貿易に従事し、主にオリエントで不足する鉱物資源を運びました。特に現スペインからポルトガルにあたるイベリア半島西岸の「銀」が重要だったようです。


フェニキア人は、現イギリスやアフリカ西岸からギニア湾の現カメルーンまで至りました。スカンジナビアにも行ったのは確実です。
俗説ですが、アメリカ大陸まで渡ったという説まであります。
ギリシア人ヘロドトスの「歴史」によると、紅海からアフリカ東岸をめぐり喜望峰を回ってアフリカ大陸を周回したという事が書かれています。(ヴァスコダガマの逆コースですね)


地中海はフェニキア人の海となり、経済と文化の交流がおこりました。地中海沿岸各地にフェニキア人の植民都市が築かれました。
そうした、フェニキア人の地中海ネットワークの中心がカルタゴでした。


私が旅したマルタ島はカルタゴから海を隔てたすぐ近くで、フェニキア人の遺物が発掘されており、マルタ考古学博物館での展示の一画を占めていました。
それについては、以下の記事をご覧ください。


↓ 「マルタ考古学博物館(その四)フェニキア人遺跡とコインコレクション 」 




また、地母神信仰とキリスト教のマリア信仰の関係につきましては、以下の記事の「More 聖母マリア信仰について考える」をお読みください。


↓「聖母マリア永眠教会と聖母マリア信仰 ~聖書の大地を行く(31)」



カルタゴのタニト神も、男神バアル・ハモンと組みになった女神です。ただ、カルタゴではタニト女神のほうが男神たるバアル神より人気がありました。

カルタゴで発見される碑文は全て、タニト神がバアル神より先に書かれているという特徴があり、タニト神の重要性がうかがえるのです。


残された石碑文は必ず、女主人「バアルの顔」であるタニトへ・・・・、という句からはじまります。

↓タニト神の祀られたトフェの外観

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↓タニト神の神域 トフェの遺跡内部 聖石ペテュロスが描かれた石碑

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トフェはタニト神の聖域とされており、写真にあるような遺跡が発掘されています。


↓タニトの印が刻まれた石碑

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↑トフェにはタニト神の印が刻まれています。この形はカルタゴの国章であり、後にギリシャ・ローマに伝わり、金星(ビーナス)を表すマークから、女性を示すロゴになりました。

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タニト神は古代地中海周辺にポピュラーな豊饒の女神たる地母神信仰と結びつき、古代エジプトのイシス神との共通性も指摘されています。



問題は、タニト神は、カルタゴで絶大な信仰を集めた女神であるとともに、多数の赤子の生贄を捧げられたという伝承がある点です。


フロベールが有名小説「サランボー」で、この伝承とポリビュオス「歴史」をもとに、カルタゴ人が赤子を火の中に投げ入れる幼児犠牲の様子を描いたことから、西欧人にカルタゴ人の残虐なイメージを植え付ける結果となりました。


↓幼児犠牲の様子のイメージ(ローマ側の想像による絵)

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↓幼児用石棺

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ここで幼児の石棺や骨が見つかったのは事実ですが、果たしてこれが生贄であったかどうかは学説が分かれています。当時の新生児の生存率が低かったことから、赤子を大切に葬った墓所である可能性もあるからです。


カルタゴが完全に滅ぼされてしまったため、敗者側の資料がなく、全てはポリビュオス(ローマ共和政時代の歴史家)など勝者ローマ側の解釈です。そこが問題を複雑にしています。


1970年に、トフェ遺跡の再調査が行われ科学的分析が行われました。
この分析解釈については、ピッツバーグ大学のシュバルツ教授が幼児犠牲を否定し、ヘブライ大学のスミス教授が幼児犠牲を肯定する、それぞれ違った意見を報告しています!

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以下、私見を述べておきます。

他のカルタゴの遺跡から幼児の墓がほとんど見つからないことから、このトフェは最初は死産や早世した子の埋葬場として造られたのは間違いないと思います。
そこで、地母神と融合したタニト女神が、その幼児葬礼を司る神として重要視されたのでしょう。

祭祀の結果として、天候が好転したリ戦役に勝利したことから、死んだ赤子を生贄的な祈りの用途にも多少は使ったと思われます。神へ捧げ祈り聖別したのです。
ただ、その幼児犠牲が祈りの中心であったわけではなく、子供の冥福を祈るということが主目的でした。火に投げ込んだなら遺骨も残っていないはずですが棺に丁寧に葬られた骨が残されています。

その幼児葬礼の様子を見聞したローマ人が、残虐な面を強調し、フェニキア人を野蛮人として評価することで、徹底的に滅ぼすための材料として利用したのです。あくまで、ポエニ戦役の本質は、ローマのカルタゴに対する政治経済的な利権争いです。

現場に立ってみて、そんな古代史の一コマが浮かんでくるようでした・・・


カルタゴ史の研究者である佐藤育子氏は、名著『通商国家カルタゴ』(講談社学術文庫)の中で次のように述べています。
「人間を神への生贄に捧げること、つまり人身供犠は人間の歴史において何も珍しいことではなく、さまざまな民族にによってあらゆる時代に行われてきた慣習であるが、カルタゴの場合は特に、その対象が幼い子供であるという点で喧伝された感は否めない。」


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母国フェニキアは、アッシリアや新バビロニア、ペルシア帝国と次々と興亡する大国に服属しましたが、統治は自主性を得ていました。しかし、アレクサンドロス大王により完全に滅亡させられました。
ペルセポリスと同じく、またもや、テュロス(フェニキアの中心都市)を徹底的に破壊したのは、ヨーロッパでは英雄とされるアレキサンダーだったのです。イランでも感じましたが、私はアレキサンダーは英雄というより破壊者だと思います。


こうして母国フェニキアが滅んだ後も、カルタゴは地中海を支配し数百年の間、大いに繁栄しました。イベリア半島西岸の銀を主として交易し、現在のイギリスや、アフリカ西岸のギニア湾方面まで至ったようです。


しかし、ローマが興隆してきたため覇権争いとなりました。三度にわたる戦争(ポエニ戦役)で、アルプス越えで有名な名将ハンニバルを擁して善戦しましが、最後はローマに敗れ、徹底的に破壊され市民は虐殺されました。紀元前146年の事でした。



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