模糊の旅人
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2018年 01月 05日 ( 1 )
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2018年 01月 05日 |

モロッコの歴史展開に沿って、モロッコ各地を紹介しています。今日は、イスラム化する時代の話です。


7世紀に誕生したイスラム教は、瞬く間に広がります。預言者ムハンマド(マホメット)から娘婿アリーの正統カリフ時代を経て、その後、権力を握ったウマイア朝はイスラムを世界に拡張する政策をとり、現チュニジアにはカイルワーンという根拠地を建設。そこから、北アフリカとイベリア半島の征服に乗り出します。


↓預言者ムハンマドの娘ファティマ(夫は第四代カリフであるアリー)の手をかたどった意匠はモロッコの象徴です。

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モロッコ~アルジェリアでは、ベルベル人が、ユダヤ教徒の女王カヒナを中心に抵抗します。しかし、カヒナが滅ぼされるとイスラム勢力はモロッコ西岸まで到達し、ベルベル人もイスラム化していきます。


中でも、ベルベル人の勇者ターリクは、ベルベル人とアラブ人からなる兵士を率いて、海を渡ってイベリア半島に上陸し、西ゴート軍と戦い勝利し、トレドまで進攻します。この英雄ターリクを記念して名付けられた上陸地が「ジャバル・アル・ターリク」すなわち略して「ジブラルタル」なのです!


こうして、モロッコもイベリア半島もイスラム化していくのですが、イスラム本国たる中東ではウマイア朝が滅び、アッバース朝の時代となります。ウマイア朝の生き残りの王子アブド・アッラフマーンは、北アフリカに逃れ、ベルベル人にかくまわれイベリア半島まで送り届けられます。この王子こそ、コルドバで後ウマイア朝(756-1031年)を興したアブド・アッラフマーン1世で、後ウマイア朝は、中東のアッバース朝に匹敵する繁栄を見ることになります。


モロッコでは、このイベリア半島の後ウマイア朝を受け入れ、787年までその支配下に入りますが、その後、モロッコ独自のイスラム王朝が興ります。それが、イドリス朝です。

ベルベル人は、貴種流離譚が特に好きなようです。イドリス朝の始祖、ムーレイ・イドリス1世(以下:イドリス1世)は、アブド・アッラフマーンよりさらに貴種流離譚にふさわしい人物です。すなわち、預言者ムハンマドの娘ファティマとその夫で第四代カリフ:アリーの子孫なのです。いわば、ウマイア朝よりさらに由緒正しい血統で、苦労して中東から逃れてモロッコまで至り、ベルベル人に担がれる形で宗教的・政治的指導者となったのです。


このアリーの一派であるイドリス朝は、中東のアッバース朝を否定し、血統を重んじ正統カリフを標榜するわけですから、イスラム教シーア派そのものです。
イドリス1世は、当時のモロッコの中心であったヴォルビリス付近を拠点として、宗教的・政治的活動を開始します。そこが、聖都ムーレイ・イドリスです。


↓ヴォルビリスから見るムーレイ・イドリス(ヴォルビリスから徒歩30分くらいです)

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山に張り付いたようなムーレイ・イドリスの町はとても印象的です。緑のヴォルビリス平原の端の小さな山が建物に覆い尽くされているのです。

周りに平坦な場所があるのに、わざわざ山間に家屋が密集している不思議な雰囲気の町です。特別な意味で作られた宗教都市であることが分かります。

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イドリス1世や聖都ムーレイ・イドリスにある「ムーレイ」という名は預言者ムハンマドの血統をひく聖なるものという意味で、モロッコでは人名や地名に多くみられます。この聖者崇敬主義(ムハンマドの子孫=シャリーフ血統の重視)は、イドリス朝以降、モロッコの王朝の正統性を主張するメルクマールとなっていきます。真贋はともかく、この聖性の指標がないと正統とは認められないのです。イドリス朝の成立により聖者主義こそモロッコ史を通底する鍵となりました。

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貴種流離譚というのは世界各地に見られ、「高貴の血脈に生まれた主人公が、逆境の中で苦労しながら旅や冒険をする」というもので、ギリシア神話のヘラクレス、インド神話のラーマ、日本神話のスサノオから・・・小公子、スターウォーズ、グインサーガ、精霊の守り人に至るまで枚挙にいとまがありません。普通は、フィクションのモチーフなのですが、モロッコではそれが歴史上の実在の人物であるアブド・アッラフマーン1世やイドリス1世であるというのが、興味深いところです。

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↓ムーレイ・イドリスの街の上にそびえる山
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↓ムーレイ・イドリスの町の中心部。異教徒は近づけません。

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↑緑屋根の四角い建物がイドリス1世の霊廟とモスク。その右横の塔がミナレット。

いずれも四角いスクエアの建物というのがモロッコの特徴です。他のイスラム圏ではドーム型モスクや円柱型ミナレットが主流ですが、モロッコでは四角いのです。これぞモロッコのローカルスタイル!

古代からヴォルビリス付近がモロッコの中心地であり、イスラム化後、最初にモロッコ独自の王朝を開いたイドリス朝はここヴォルビリス平原の端にあるムーレイ・イドリスから出発しました。
したがって、このムーレイ・イドリスのモスク、霊廟、ミナレットは、モロッコ史においてきわめて重要。その後のモロッコの建築様式に大きな影響を与えたのです。


その後、イドリス1世は、イスラムの布教につとめ、大きな都をつくろうと、神託を受けてフェズに決めますが、アッバース朝が放った暗殺者に毒殺されます。そして聖都ムーレイ・イドリスに葬られ、それ以降ここは、多くの巡礼者が訪れるモロッコ最高の聖所となります。
現在でも、聖都ムーレイ・イドリスの中心部には、異教徒は入れません。それほどモロッコ人にとって、ここは大切な場所なのです。



中心部には入れないので、聖都ムーレイ・イドリスの町はずれのレストランで昼食を食べました。

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↓そのメニューである牛肉のタジン鍋です。なかなか美味しかったです。

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イドリス1世は暗殺されて聖者の中の聖者となり、暗殺したアッバース朝側の目的とは逆に、モロッコのネイティブであるベルベル人の結束を固める結果になります。イドリス1世とベルベル人女性の間に生まれた息子がイドリス2世としてモロッコ最初の独自王朝イドリス朝を確たるものとし、フェズを国都として定めることになるのです。

かくして、ヴォルビリス→ムーレイ・イドリス→フェズという、この一帯に「モロッコの核」が形成されたのです。


こうした貴種=ムハンマドの子孫=シャリーフ血統を重んじるモロッコでは、イドリス朝の祖にあたる預言者ムハンマドの娘ファティマがことのほか愛され人気があります。彼女は、生涯を社会奉仕に捧げた慈悲深い女性でイスラム女性の理想像でもあります。
そして、霊力があるとされるファティマの手のデザインのお守りは、モロッコで発明され、現在でも「邪視」を払う重要なアイテムです。門のノッカーから、魔除けの護符、アクセサリー、装飾品の類にも使われます。

↓高級お土産店のショーケースにもファティマの手が並んでいます。

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↓庶民的なお土産のデザインでもあります。

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↓ファティマの手の置物

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*ファティマの手の起源については諸説あります。モロッコ発祥とするもの以外には
(1)手指の5本を意味するハムサから来た。
(2)ユダヤ教のモーゼとアーロンの妹の名前:ミリアムの手から来た。
(3)古代カルタゴ人の女神タニトから来た。
などです。

私見ですが、はるか古代から中東~地中海地方に広く存在する地母神=女神信仰が形を変えて、ファティマの手として連綿と現在に生き続けているように感じます。(今度、旅する予定のマルタ島でも古代女神信仰の遺跡があるそうで、楽しみにしています)


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