高桐院(こうとういん)といいます。ここは私の最も好きな寺院で、思い出もあり、鎮魂の最後にふさわしいと考えました。
ここは、紅葉の名所でもあり、細川家代々の墓や、出雲阿国のものと伝えられる墓もあります。
↓ いわば「額縁の中の紅葉」でしょうか。
ここは、細川忠興(三斎)が1601年に建立しました。忠興は、武将ですが、千利休の七哲といわれた高弟で文化人としての見識も高かったようです。利休いわれの品も多いです。
書院は利休屋敷から移築したもので、↓茶席「松向軒」は秀吉が北野大茶会を催した時のものだそうです。(茶室の名の由来は北野天満宮境内にある菅公影向の松の元に建てた事によります。)
↓細川忠興及びガラシャ夫人の墓石となっている灯篭です。これは当時、天下第一と言われた千利休愛蔵の灯篭ですが、秀吉に所望された時、利休は灯篭の一角を欠き献上を断りました。その後、利休は切腹を命ぜられた折、形見として、秀吉に内緒で細川忠興に贈ったそうです。忠興は非常に大切にし、自分とガラシャ夫人の歯を埋めて墓にしました。
袈裟形の手水鉢:加藤清正が朝鮮より持ち帰り忠興に贈ったものです。加藤清正と細川忠興は、仲が良かったようで、清正死後の熊本藩を細川氏が領したのも因縁ですね。
ここが高桐院で一番有名な散り紅葉の写真の名所です。今年は散りが遅く少し時期が早かったようです。すいません。
今回でレクイエムシリーズを終わります。
歴史に興味のある方は、Moreをクリックして、ガラシャ婦人についてのコメントをご覧ください。
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More ガラシャ夫人の生涯など
私はキリシタンに興味を持っているので、ガラシャ夫人について研究したことがあります。そこで、少しだけ書いてみたいと思います。
細川ガラシャは、明智光秀の娘で名を珠(たま、玉とも書く)といい、美人の誉れ高い女性でした。
明智光秀は、以前ともに将軍足利義輝を支えた畏友であった細川藤孝(幽斎)の息子である細川忠興(三斎)に愛娘珠を嫁がせました。忠興と珠は、当代第一の美男美女夫婦といわれました。実際、仲のよい夫婦だったそうです。
細川藤孝と忠興の父子は、織田信長に従い武勲をあげ、その功績によって天正8年(1580年)に信長から丹後国12万石を与えられました。
だが、天正10年(1582年)、本能寺の変で信長が光秀に討たれたため、光秀の娘を妻とする細川氏は微妙な立場になりました。そして細川氏は、光秀に同調しない決断をしました。
忠興は珠を愛していたので離縁はせず、天正12年(1584年)まで彼女を丹後の味土野に幽閉しました。(細川父子にまで見捨てられたことは、光秀の滅亡を決定的にしたといわれています。)
その後、天下の覇権を握った秀吉の取りなしにより、忠興は珠を細川家の大坂屋敷に戻しました。こうした人生の有為変転の中で、珠はカトリックに興味を持ち、その教えに傾倒していきました。
そして、天正15年(1587年)密かに洗礼を受け、ガラシャ(ラテン語で恩寵の意)という洗礼名を受けました。
秀吉死後、細川忠興は、加藤清正らの武断派と近く、石田光成らの文治派とは一定の距離を置いていました。そして、徳川家康の上杉征伐に従軍して大坂の屋敷を留守にしました。
その時、慶長5年(1600年、関ヶ原の戦いの直前)、決起した石田光成は、大坂の細川屋敷にいたガラシャ夫人を人質に取ろうとしました。
たが、ガラシャはそれを拒絶し、家老に命じて槍で部屋の外から胸を貫かせて死にました。キリスト教では自殺は禁じられているからです。38歳だったそうです。
ガラシャ夫人の辞世の句
「ちりぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
家老は、屋敷に爆薬を仕掛け自刃しましたた。そのすぐあと、オルガンティノ神父が、焼け跡となった細川屋敷からガラシャの骨を拾い、堺のキリシタン墓地に葬ったそうです。
細川忠興はガラシャの死を大いに悲しみ、忠興自身はガラシャのカトリック入信に反対していたにもかかわらず、オルガンティノ神父にガラシャ教会葬を依頼して葬儀にも参列しました。
細川氏は、その後、徳川家康に従い、豊前40万石の小倉藩そして、加藤清正死後の肥後熊本藩54万石の領主となり、幕末まで237年統治しました。
細川忠興は83歳まで生き、熊本で没しましたが、ガラシャ夫人と同じ墓に入ることを望み、関ヶ原の戦い後、京都大徳寺に塔頭「高桐院」を創建し、千利休から譲られた天下一の灯篭を、夫婦の墓標に指定しました。
その灯篭は、豊臣秀吉が千利休に所望したものですが、利休はその灯篭をわざと裏面三分の一を欠き傷物にして、「天下人に似合わぬ」と秀吉への献上を拒否しました。そして、後に秀吉より死を命ぜられると、密かに灯篭を、茶の湯の高弟である細川忠興に贈ったそうです。
↓確かに、灯篭の後ろに回ってみると大きく欠けています。逸話は史実のようです。
戦国の世を実に巧妙に生き抜き、雄藩となった細川氏と、その影に咲いた悲劇の女性キリシタン:ガラシャ夫人の生涯は、私の子ども時代にも有名な話として聞かされたものです。
余談ですが、細川氏18代細川護熙は熊本県知事を務め、日本新党を結成し、1993年(平成5年)に内閣総理大臣となりました。
墓石の灯篭の説明
大阪玉造の聖マリア大聖堂にある細川ガラシャ夫人像
細川ガラシャ夫人の像はいろいろありますが、なんといっても、イスラエルのナザレの受胎告知教会にある、長谷川ルカ画伯制作の、『華の聖母子』が素晴らしいです。
<追記>
2014年3月にイスラエルを旅し、この長谷川ルカ画伯のモザイク画を、ナザレの受胎告知教会で見ることができました。その模様については、 こちら を御覧ください。
また、大阪の細川ガラシャ夫人終焉の地の越中井の碑(細川越中守屋敷跡)については こちら を御覧下さい。
大きい額縁は良く撮るのですが、小さい額縁効果、なかなかお洒落です。
今度試してみたいです。
下から2枚目もgoodです。
高桐院で一番有名な散り紅葉の写真の名所は、紅葉の真っ赤な葉で道が染まるんでしょうね~。
どの写真を見てもただただ、その美しさにうっとりするばかりです。ため息が出てきました。
ガラシャ婦人のお話は、自分の人生が最後の最後まで時代に翻弄され続けて生きた、本当に悲しいお話です。
あまりにも有名な、ガラシャ夫人の辞世の句
「ちりぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
心に残る名句ですね。
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京都は日本史の教科書みたいところですね。
北海道に住んでいるととても憧れます。
ガラシャは悲劇のヒロインですものね。
父が天下人を暗殺するんですから精神的にまいってしまいます。
それにしても本能寺の変から関ヶ原の戦いまで、武将は大変だったでしょうね。
だれにつけばいいのか分からないですものね。
徳川時代になって、大名として残れた武将は運が良かっただけかもしれませんね。
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散り紅葉、最盛期には見事なレッドカーペットが出現しそうです。
京都は少しでも知っている歴史があちらこちらに見つけられるので、いつも興味深いです。
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額縁の紅葉素敵です。。手前のモミジから奥の額縁のほうへいい雰囲気がひろがってみえます。。
散り紅葉はなんとも味わいのある景色、名所とされるだけのことはありますね。上空の散り際のモミジ、石畳に散る紅葉の対比が素敵、見事に味わいを映し出されたお写真です。。。。
戦国時代にはガラシャ婦人のように歴史に名を残すとびぬけた存在のご婦人が何人もあらわれたようですね。。
嬉しい御言葉ありがとうございます。
ここは紅葉の名所なのですが、時期的に早かったので迷いました。。。
小さい額縁をねらってみました(笑)
小さな寺院も良いものですね
そのとおりですね。
盛期は、ここは、まさに真っ赤な絨毯のようになりますが、、、人が多いです(笑)
いろいろお褒めいただき嬉しいです。
ガラシャ夫人は戦国時代に最も印象的な女性ですね。
私はこの人の生涯をどうしても忘れることができません。
共感していただいて、ありがとうございます。
ポチ感謝です。
興味を持っていただき、ありがとうございます。
歴史のいわれだけは、京都は豊富ですね(笑)
ガラシャ夫人、本当に本能寺の変の後は、どんな気持ちだったのでしょうね。
まさに悲劇のヒロインでしょう。ちょっと、うるうるきます・・・
そうした関連ながら、細川氏の処世術は、なかなかのものだと思います。
ポチ感謝です。
一枚目を気に入っていただきましたか。
どうもありがとうございます。
ちょっとこの写真を撮った時は、時期的に早かったようです。
ぜひ、散り紅葉の時期に、高桐院に行ってください!
人が多いですが・・・(笑)
ポチ感謝です。
一枚目と二枚目を気に入っていただいたようで、嬉しいです。
ここは本当は散り紅葉の時期が、一番良いのですが、、、
一面、赤い絨毯のようになります。
ぜひ行かれてみてください!
ポチ感謝です。
小さな額縁、気に入っていただけましたか?
確かに散り紅葉は、レッドカーペットですね。ぜひ行ってください。
私は時期的に早すぎて残念でした・・・
京都は、歴史好きには最高ですね。
ポチ感謝です。
額縁の紅葉と、散り紅葉の写真を、非常に褒めていただき、ありがとうございます。
いやあ、調子に乗って、やる気が出てきました(笑)
ガラシャ夫人の生涯は、私には非常に印象的で、忘れられないです。
いつか、ブログにのせたかったのです、、、
幸いにこのたび、墓参りが出来ましたので少し書いてみました。
これからも宜しくお願いします。
やはり、写真は楽しく撮りたいですよね。
お褒めいただき、ありがとうございます。
母の思い出を胸に、これからの人生を、精一杯生きていこうと思います。
趣味の写真も、楽しみながら続けていきます。
どうぞ、今後とも宜しくお願いします。