古代カルタゴの遺跡の中心であるピュルサの丘・・・・ここは高台にあり城壁に囲まれたカルタゴ誕生の地です。
↓ピュルサの丘から地中海を望む
紀元前814年、フェニキアからここへ避難してきた女王エリッサは、地元のベルベル人から「牛の皮一枚で覆える地」なら貸すと言われました。そこで賢いエリッサは牛の皮を細長く切り裂いて丘を囲い土地を得たという建国伝説があります。
そこで、この建国の地は、ピュルサ(=皮の意)の丘と呼ばれるようになったのです。
ピュグマリオンは王となり、エリッサは王に次ぐ地位の神官アケルバスと結婚します。
しかし、ピュグマリオンは、アケルバスの財宝と宗教権力に嫉妬し、彼を殺害します。
夫を殺され危機が迫ったエリッサは、王に反対する貴族や元老院議員とともに、フェニキアの王都テュロスをからくも脱出します。
↓ピュルサの丘にある、エリッサの逃避行ルートの説明板
キプロスの神官らはエリッサに同行を申し入れ、約80人のキプロスの娘を脱出したテュロス人の妻として同乗させ、逃避行に協力するのです。
そして、ディードー(さすらう者)とも称されたエリッサらの船団は、苦労の末、ピュグマリオンの追及の手の届かない遠い場所=現在のカルタゴに至ったのです。
カルタゴとは、カルト・ハダシュトの略で、フェニキア語で「新しい都」を意味します。つまり、新天地につくられた新しい聖なる都でした。
エリッサはフェニキア最高位の神官の妻であり、宗教的にはフェニキア王ピュグマリオンより正統で、聖なる本山の移動ともいえる出来事だったのです。
これはつまり、後にイギリスでの迫害を逃れてメイフラワー号でアメリカ新大陸に渡り懸命に働き、アメリカ建国への道を切り開いた清教徒の移住に似ています!
こうして、ピュルサの丘に定着したフェニキア人たちは、宗教的理想に燃え、都市建設に一所懸命に励み、カルタゴを完成させ西地中海世界の盟主としていきます。
しかし、美貌の女王エリッサゆえの悲劇が待っていました。すなわち先住民の王ヒアルバスはエリッサに結婚を強要し、拒否すれば戦争を仕掛けると脅します。テュロスから苦難を共にしてきた10人の有力者は先住民の王に屈してしまい、進退窮まったエリッサは、亡き夫アケルバスの名を叫びながら、ピュルサの丘に築かせた薪の山に上り、「私も夫の所へ行きます」と言いつつ剣で命を絶ちます。
この後、カルタゴではエリッサは女神として崇拝されたのです。
「非業の死を遂げた神官にしてテュロスの王族のアケルバスの妻が、メルカトル神に守られつつ建設した新たな聖都、というのがカルタゴ建国の理念であったとすれば、それは女王エリッサが亡夫への貞節を貫いて死んで初めて完全なものとなるのである。」
カルタゴは、地政的に西地中海の中央に位置しただけでなく、聖都であったがゆえに、地中海フェニキア世界の新たなる中心となったのです。
↑は、ピュルサの丘で発掘された古代カルタゴ時代の居住区で、ハンニバル街と呼ばれます。
わずかに残されたフェニキア人時代の非常に貴重な遺跡です。ここは有名なポエニ戦役で、カルタゴ側の最後の砦となり、ローマに破壊され埋められたのですが、近年発掘され見学できるようになりました。
カルタゴの建設は紀元前814年で、ポエニ戦役で徹底的に破壊されたのが紀元前146年です。
そうすると、フェニキア人のカルタゴは約670年ほどの歴史を有したことになります。非常に長く繁栄した都だったのです。
ローマ側は一度徹底的にカルタゴを破壊しましたが、やがてカルタゴの地政的な重要性に気づき、アフリカ属州の中心地として、カルタゴを再建しました。
現在、ピュルサの丘に見られる遺跡は、ほとんどローマの支配時代のものです。
↑現在、ピュルサの丘の上に立つ最も大きな建築物はサンルイ大聖堂です。これは1884年にフランスにより造営された美しいカトリック教会で、十字軍のチュニス包囲戦で没したフランス王聖ルイ9世に捧げられました。
すなわち、フランスもまた、このピュルサの丘を聖地として位置付け大聖堂を建てたのです。
ピュルサの丘は、カルタゴの象徴です。エリッサの時代から、幾多の複雑な歴史を刻んできました。ローマの後もヴァンダル、ビザンチン、カヒーナ(ベルベル人)、イスラム、オスマン、ノルマン(シチリア)、十字軍、フランス、チュニジア独立、ジャスミン革命・・・この丘の上に立って、長く演じられてきた歴史ドラマに思いを馳せれば、本当に興味の尽きない場所なのです。。。。
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つまり、あまりにもめまぐるしい歴史ドラマを秘めているからでしょうか?
一方、長い間この遺跡に立ちたかった旅人の思いが、レポートには痛切に流れているのを感じます。
地中海臨むピュルサの丘に佇てば幻のやうエリッサの顕 (た) つ
カルタゴの遺跡愛しみ旅人はピュルサの丘に時を忘れぬ