LINEトラベルジェイピーの旅行ガイドで、私の「名著を読んで中国遼寧省・大連をめぐる!旧満州玄関口の昔と今」という記事が公開されました。
瀋陽(奉天)の代表的観光スポットを紹介したものですので、ぜひ↓記事をお読みください。
本ブログでも、タイアップ企画として、しばらく奉天を離れて、大連を紹介することにします。
大連は、ロシア人と日本人が力を入れて造った都会で、港町でもあり、魅力的な町として知られています。
明治以来、多くの文人が大連を旅して文章を書き、そこに暮らした人々は大連を愛し記録を残しました。戦後も多くの大連テーマの書物が刊行され続けています。そうした名著による大連紹介を試みたのが上記の「名著を読んで中国遼寧省・大連をめぐる!旧満州玄関口の昔と今」というトラベルジェイピーの旅行ガイド記事です。
「ロシア人と、日本人とは、ここに自己流の楽園を築こうとした。」(『大連・旅順はいま』 宇田博)
「大連という都会における、このような矛盾のすべてにもかかわらず、彼は南山麓をはじめとするさまざまな場所を、切ないような苦しさで愛さずにはいられなかった」(『アカシヤの大連』 清岡卓行)
「日本には滅多にない煉瓦づくりの建物や住宅が並び、広場を中心に放射状の道路がひろがり、北海道を除くとあまり日本に見られぬアカシアやポプラの街路樹が植えられ・・・・」(『深い河』 遠藤周作)
↑ 一端を紹介しましたが、このように大連を書いた名著は数え切れません。。。。
私は「なぜ大連がこんなに日本人の心をとらえ続けるのか」という疑問を持っていました。今回、大連を存分に歩き回ってみて、少しその謎が解けたような気がします。確かに、大連は不思議な魅力を持った町でした・・・・
今日は、その大連の中心である中山広場を紹介します。
↓現在の中山広場の航空写真(絵葉書より) この写真はクリックすると横1200ピクセルに拡大されます。
孫文の号である中山をその名称にした中山広場は、直径およそ200mの大きな円形を成しているが、さらにその外周を幅20数mの道路がめぐっている。そして、その輪状の道路から、今度は放射状に十条の道路が、ほぼ等しい間隔をもって描く方向に発しているのである。(『中山広場』清岡卓行)
↓1920年ころの中山広場(大連賓館こと旧ヤマトホテルの二階のカフェにあった写真を撮影) 当時はビルが無いので奥に海が見えますね・・・
↓現在の横浜正金銀行大連支店の建物、中国銀行遼寧省分行となっています。
この中山広場とそこから放射状に発する十条の道路は、かつて確かに日本の管理、資本、技術によって建設されたものであった。用いられた設計はほとんど、ロシアが残していったものであった。その設計に含まれていた主な特徴は、フランスの首都に学んだものであった。(『中山広場』清岡卓行)
ロシア人のパリへのあこがれにより構想された不凍港ダルニーは、日本人によって現実化され、大連と名付けられたのです。
ここは青泥窪という田舎の村でした。それをダルニー(遠大を意味する言葉)と名付けた市長サハロフは、日露戦争の進展に伴い、大連市街をほとんど破壊せず、日本へ引き渡すかのように旅順へと撤退しました。このあたりのサハロフの気持ちを推測して書かれたのが清岡卓行の『サハロフ幻想』です。
サハロフはダルニーを愛しており、日本軍の進駐に際して、愛する街を破壊するに忍びず、旅順要塞司令官ステッセルの破壊命令に反して、形だけ爆破行為を行い、ほぼ無傷のダルニーを日本に譲りました。おそらく、日本軍を押し返し、またダルニー帰ってくるという強い思いがあったのでしょう。しかし、その夢はかなわず、サハロフは旅順で病没しました・・・・
↓旧 大連民政署(大連警察署) 現在は遼寧省対外貿易経済合作庁。
↓中山広場に面した旧・ヤマトホテル(現・大連賓館)の一階のテラスから撮影
旧・市役所は、真ん中に塔があります。この塔は、京都祇園祭の山車をイメージしたそうです。設計者は関東都督府土木課長の松室重光で、施工は清水建設です。
この建物は戦後、大連市人民政府庁舎として使用され、現在は中国工商銀行大連市分行となっています。
↓戦前の旧・市役所(旧ヤマトホテルの二階のカフェにあった写真を撮影)
中山広場は、夜はライトアップされます。
以下、夜の中山広場をご覧ください。
↓旧・市役所
↓旧 英国領事館
↓上のほぼ同じ場所からの昼間の写真
今日の最後は、与謝野寛・晶子夫妻の大連を詠んだ歌でしめくくります。
与謝野寛・晶子夫妻の大連の歌(『満蒙遊記』より)
大連のアカシヤの街ただ少しこころを濡らす朝露もがな 寛(鉄幹)
アカシヤに風の騒げば山の灯もいさり灯のごと心もとなし 晶子
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大連は名前は知っているものの、どのような都市なのか全く分からなかったので、模糊さんの記事を楽しく拝見しました。
大連が題材となっている作品が多くあることも、模糊さんのガイド記事で知りました。
新旧の建物が並ぶ街がとても素敵ですね。写真撮るのが楽しそうです。
昼間ですと昔ながらのレンガや石造りの外壁が印象的な建物が、ライトアップされるとまた違う雰囲気となり、素敵ですね。
大連が題材となった作品を一つ、カバンに入れて訪れてみたいと思いました。
子供の頃に、すでにその名を聞いた記憶があります。
写真を見ると、結構洗練された都市ですが、近代的なビルのみでなく、
赤レンガやバロックドームを持つ建物などがあってエキゾティックな雰囲気があり、魅力を深めています。
夜のカラー写真の色がイマイチで、模糊色でないのは、絵葉書からの転写だからなんですね。
日本の文人たちに愛されたことによって、大連は永遠の命?を
得たと言えそうです。
見も知らぬ大連なれど文人らの愛でし思ひにひしと寄り添ふ
大連・旅順、懐かしいです。
二人の祖父は日露戦争に参加しています。
中山広場の航空写真を1200ピクセルに拡大して見ました。
素晴らしい夕景の写真です。
絵葉書でもここまで描写できるのですね。
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