前回、父の家の跡を訪ねたところ、ビルが立て込んだ大都会の一画になっていたことをお話しました。
↓父の家の跡かたも無いので、周辺を歩き回り、うろうろしてみました。
このあたりは、満鉄付属地で日本人が奉天の西郊外に新たに造成した市街でした。
↓当時の地図も父の絵日記アルバムに貼られていました。
右側の楕円形の城壁に囲まれた一帯が奉天旧市街で、さらにその中に長方形の城壁に囲まれたところが「城内」と呼ばれる瀋陽故宮城(太祖ヌルハチが後金の都城として建設)の中枢になります。
もちろん現在は、人口800万人になった瀋陽の中心街として、ともに完全に大都会市街に埋もれてしまい、城壁も取り壊され、旧市街と満鉄付属地の区別はありません。。。。
↓満鉄付属地をもう少し拡大 この地図では奉天駅が上に位置し、右下のロータリー(現在の中山広場)に至る斜めの道が旧・浪速通り
以下、下へ、住吉町、琴平町、八幡町、富士町・・・!
すべて日本の地名がつけられています。(もちろん、以上の地名は戦前のもので、今は名前が変わっています)
父の住んだのが八幡町〇〇番地でした。
すぐ横の富士町には、日本人の写真屋が経営する「永清寫眞店富士町支店」があって、父の家族はよくお世話になったそうです。
この写真館の当該番地を探してみましたが、今は跡形もありませんでした。
↓永清寫眞店の当時の写真
夏目漱石が奉天の満鉄付属地を訪れた時代の様子は次のようでした。
「満鉄附属地に赤煉瓦の構造、所々に見ゆ。立派なれど未だ点々の感を免れず」(夏目漱石『満韓ところどころ』)
なお、この永清写真店に関しては、当時の店主の御子息である永清文二氏が書かれた『満洲奉天の写真屋物語』という名著があり、読ませていただき感動した思い出があります。 戦前の古い写真店についてご興味のある方は、ぜひお読みください。
当時の浪速通り、現在の中山路の奉天駅と中山広場の間には、一か所、歩道橋があり、高いところから道を見下ろせます。
そこで、歩道橋に登ってみました。
↓歩道橋の上から駅側を望みます。正面に見えるのが瀋陽駅(かつての奉天駅)
さて、父は7才で京都から大連を経てここに至り、生活をはじめました。父の絵日記にから紹介します。
↓小学校の一年生、級長さん(今の学級委員)だったようです。
二重窓の小窓から首だけ出して
クリヌクイ 又 ヤキイモ を呼ぶ
冬!
アイヤ」
↑この父の絵日記アルバムに書かれた「クリヌクイ」という言葉が頭にあって、安部公房伝を読んだ時に同じ言葉があり驚いたものです。
安部公房は奉天で父の通った同じ学校の後輩になります。
『夜』 小学生の安部公房の書いた詩
「クリヌクイ クリヌクイ」
カーテンにうつる月のかげ
安部ねり『安部公房伝』216頁より引用
余談ですが、安部公房は作品の中で奉天(瀋陽)を登場させ、碁盤目の街を描写しています。
「町は正確な碁盤目に仕切られていた。しばらくのあいだはひっそりとした古めかしい住宅街で人通りも少なかった。それから急ににぎやかな表通りに出た。」(『けものたちは故郷をめざす』安部公房 新潮文庫 201頁)
「クリヌクイ クリヌクイ」という栗の売り子の声は奉天の日本の子供には幸せの言葉だったのですね。
上で紹介した『満洲奉天の写真屋物語』にも「クリヌクイ」は登場します。
「寒い冬の夜など、~栗ぬくーい~ という売り声が北風に千切れて飛んで来るのを聞くと、いそいそと買いに出たものだった。・・・・・奉天の栗は日本で売られている、天津港から積み出されたいわゆる天津栗と称するのとは違って、ずっと大きくて美味で、食べ出がある。」(永清文二『満洲奉天の写真屋物語』480頁)
↓そこで、私も瀋陽の中心街では屋台に行って焼き栗を買ってみました(笑)・・・なかなか美味しかったです。
↓父のアルバムには「満州のおやつ」と称する一コマがあります。焼き栗だけでなく多くの美味しそうな食べ物が描かれています。
奉天は餃子や豚まんの本場で、とても美味だったとのこと
「奉天で食したあんな美味な包子、すなわち豚まんには、ただの一度もお目にかからない、いやお口に味わえない。」(永清文二『満洲奉天の写真屋物語』476頁)
↓もちろん私も、現在の奉天(瀋陽)の豚まんや餃子を味わってみました。美味礼賛!
にほんブログ村 ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
お父様は絵がお上手ですね。
楽しく読ませてもらっています。
奉天は何と人口825万人にもなっているのですね。
そして満州時代の面影を残す地名が
たくさんありますね。
ポチ♪
でも時の流れが長すぎて、個人的なものはうたかたの運命となっているのは詮無いこと・・・
それでもイメージを膨らませながら尋ね歩く旅人の姿は、爽やかで共感できます。
食べ物の記述がありますが、これまでの中で一番美味しそうです。
栗のおやつの話が面白い。
私も栗大好き人間で、この季節に海外に行くと、街角でよく焼栗を買ったものです。
イタリアの焼栗が一番美味しいけれど、日本では丹波の焼栗ですね。
イタリア産のもたまに売っていますが、丹波ともども超高くておやつなんて感覚ではないですね。
でも美味しい!
焼栗に関するお話がとても興深かった。奉天のエキゾティックにして郷愁あふれる風物詩・・・
その昔( かみ )の暮らしの跡はなけれども父恋ひ行けば幻に顕 (た ) つ
焼栗を「クリヌク〜イ」と呼ばひ売る声に深まる奉天の秋
これからも楽しみに読ませてもらいます。よろしくです。
先日亡くなった祖父が満州、大連生まれ奉天育ちでした。
祖父の母(私から見れば曾祖母)の旧姓が藤田で、曽祖父は満鉄に勤めておりました。
祖父の自伝を読みながら当時の軌跡を追っております。
ブログを拝見し、奉天の残照の一部が今でも現地に残っているのだと感動いたしました。
貴重な記録をありがとうございます。