模糊の旅人
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謎の古墳:古室山古墳 ―大和川水系に王権あり― ~古市古墳群を歩く(3)
2018年 08月 30日 |

仲姫命陵古墳(仲津山古墳、仲ツ山古墳)の拝所の向かい側、前方部を向き合わせる形で中型の古墳があります。これが古室山古墳で、全長約150mもある結構迫力ある前方後円墳です。

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このような前方部を接近させて位置する中大型の古墳同士の配置というのは、百舌鳥・古市古墳群では他に例がありません。
これは不思議なことです。

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古室山古墳は皇族墳墓に治定されていないので、これまで発掘され詳しい研究書も発刊されています。
1986年の調査では、後円部から葺石が多量に見つかりました。その状況が下の写真です。
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古市古墳群は、百舌鳥古墳群と違って、実際に登ることのできる古墳が多いのが特徴です。
特に古室山古墳は、おススメで、古市古墳群を回るコースの中で、休憩するのに絶好です。ぜひ、南側の後円部から登って、景色を楽しんでください。

↓古室山古墳に登る途中から頂上を見上げる。
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↓古室山古墳の頂上よりの風景 はるかに、あべのハルカスが見えますね。
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古室山古墳の自然も良いものです。下は木に生えていたキノコ

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古室山古墳の謎はもうひとつあります。
白石先生の古市古墳群の編年図表によると、古室山古墳は古市古墳群の中では初期の造営で、ほぼ津堂城山古墳とほぼ同じような時期に位置付けられています。


ところが、古室山古墳の様式は古い形で、その周濠は墳丘に沿って前方後円形をしています。この形は、前期の前方後円墳によくみられるもので、出土した壷形埴輪も古い形式を表わしています。
津堂城山古墳になると、周濠は盾形となり、造出しや二重濠という新形式になります。これ以降の巨大古墳の周濠はすべて盾形です。


↓古室山古墳と隣接する仲津山古墳の周濠と墓域

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↑この赤の周濠と、緑の墓域は、私がフリーハンドで描いたものです。


これは一体何を意味しているのでしょうか?

天野末喜氏は、「大和政権が河内地域を領有」した際に征服された在地首長が葬られていると考えています。(『古室山・大鳥塚古墳』藤井寺市教育委員会事務局 2017 168頁)


逆に、白石太一郎教授は、河内を含むヤマト王権内部から河内政権が有力となっていく証拠であると考えています。


「筆者(白石太一郎氏のこと)は、ヤマト王権の本来の地域的基盤は畿内全体ではなく、その南の大和川水系及びその周辺、すなわち後の大和・河内(北河内をのぞく)・和泉の地域であったと考えている。それは、まさに大和・河内(和泉を含む)連合にほかならなかったのである。おそらくこの範囲は邪馬台国の原領域でもあったのではないだろうか。(『百舌鳥・古市古墳群出現前夜』大阪府立近つ飛鳥博物館図録60 2013 13~14頁))


私は、後者の白石先生の考え方を支持するものです。


私は、古市古墳群に先行する河内の玉手山古墳群を築いた集団は、決して大和の政権と対立する勢力ではなく、むしろ大和の政権を支えるもっとも有力な集団だったと思います。大和川水運を掌握し、一番大切な西への出口を押さえ、佐紀古墳群の政権一族とも交流したのでしょう。

オオヤマトすなわち原ヤマト国家は、箸墓や柳本古墳群のある場所を中心としますが、そこだけで成立したのではありません。周辺の地域から支持された連合国家(卑弥呼や台与の共立という事実があります)でした。白石先生が述べるように、大和・河内連合を基盤とした体制だったのです。

もともとヤマト政権というのは、邪馬台国時代からずっと大和川水系が中心でした。古市古墳群のある河内は、大和川を下って河内湖に出ていく要所であり、最重要拠点です。
地形的には、大和川が金剛生駒山脈を穿った渓谷=ボトルネックから大阪平野に広がるポイントで、畿内から瀬戸内へ西日本へ、さらには半島・大陸への門戸を確保できる場所です。


ここにすでに古来よりヤマト政権の機関が置かれており、その機関を担ってきた集団が在地勢力と融合し、佐紀古墳群の王権血縁者とも交流していく中で有力となったのが河内政権です。(したがって、私は、津堂城山古墳の段階で大和政権が河内を征服したとする天野末喜氏の説を支持しないのです。もともと大和政権というのは河内勢力との連合政権であったのです。)

また、その大和川が金剛生駒山脈につきあたる奈良県側のポイントに栄えたのが葛城氏で、馬見古墳群があります。葛城氏は応神王朝期に多くの皇后を輩出し、河内集団とも強いつながりを持ちました。


その河内集団のトップで、私が仲哀天皇にあたる人物と考える津堂城山古墳の被葬者は、河内地域をおさえ、西方諸集団との関係を構築することによって、王権内部での地位を高め、佐紀古墳群の姫(神功皇后)と婚姻し、佐紀勢力同士の権力争いを制し大王クラスになったのです。


その次代にあたる仲津山古墳の被葬者=応神天皇にあたる人物は、ついに佐紀政権に代わる強力な大王として河内政権をゆるぎないものにします。その次の仁徳天皇は、葛城襲津彦の娘である磐之媛命を皇后として履中・反正・允恭の皇子を成しました。このことは、応神系の政権が佐紀古墳群の集団より、馬見古墳群の葛城氏系の集団を盟友とし、提携重点をそこに移していったことを意味しています。

↓大和川水系に集中する巨大古墳群

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↑ご覧のように、奈良盆地の大和川水系が古ヤマトの場所ですが、大和川が西の山脈に当たる場所に馬見古墳群があり、そこから山脈を出て大阪平野に出る場所に古市古墳群があります。
また、奈良盆地の北で大和川水系の北部には佐紀古墳群があり、山城・近江方面の淀川水系と接しています。
こうした大和川水系の重要地点に、政権が移り変わり、巨大古墳が築かれたわけですが、これはまたヤマト政権が大和~河内地方を基盤とする連合の政権であったことを示しています。



さて、津堂城山古墳の被葬者は、河内政権で最初に大王クラスとなった人物です。そこで自らの墳墓は、二重の盾形周濠・周堤、造出し、巨大石棺、水鳥形埴輪など新企画で豪華なものとしました。
この時期、巨大な大王墓クラスの古墳ほど新しい装いで登場し、逆に中規模以下の前方後円墳は、旧の伝統的な形態である例が多いのです。その中規模古墳の代表が、古室山古墳であり続いて造られた野中宮山古墳です。


古室山古墳は、大王たる津堂城山古墳の被葬者の下の、有力家臣クラスの墳墓であり、旧来の形態の古墳を希望した人物が葬られていると考えます。多分、老臣といったイメージの被葬者像が浮かびます。


次の世代になると、巨大な仲津山古墳という大王墓が築かれます。
この巨大古墳は、国府台地の最高地点に造られるのですが、そこにはすでに先代の老臣の墳墓である古室山古墳がありました。そこで異例ですが、前方部を接した形で、仲津山古墳が誕生したのです。

古室山古墳と非常に接近させる形にはなりますが、あえてそうしてまでも、国府台地の最高地点に造営することを選んだのです。これには、最も良い場所を使うという大王の強い意志が感じられます。

前に、仲姫命陵古墳の真の被葬者は誰か? という記事で書きましたように、この最重要地に造営された仲津山古墳の被葬者としては、応神天皇にあたる人物以外には考えられないと思います。



本記事を書くに際して、特に参考にした書籍は以下の三冊です。

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by mokonotabibito | 2018-08-30 20:13 | 大阪 | Trackback | Comments(3)
Commented at 2018-08-31 21:26
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Lago at 2018-09-01 17:44 x
古墳群研究発表もますます佳境に入ってきた・・・というべきでしょうが、
一般人には専門的すぎるというか、マニアックで、読み取りが結構難しいです。
学問とか研究というのは、もともとこうした地道な作業の積み重ねなんですね。
河内は大和に近いのですから、このような古墳群が見られることに不思議はないとしても、
こうした古墳群地図はほとんど見たことがないので、何かと驚きが大きいです。

かくまでに広がる河内の古墳群謎解き人の執念おそろし

注:蛇足ながら「おそろし」は「驚くべきものだ「大したものだ」の意
Commented by youshow882hh at 2018-09-01 21:47
こんばんは。ゆーしょーです。
あべのハルカス、高さ296m。
遠くからでもよく見えますね。
一度のぼってみたいです。
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