模糊の旅人
mokotabi.exblog.jp
  Top ;Log-in
仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)
2018年 06月 15日 |

古墳群の楽しみ方は大きな盟主古墳だけでなく周辺の陪塚(陪冢・ばいちょう)など小型古墳を見て回ることにあります。
いわばスタンプラリーのような形で、たくさんの古墳をカメラに収めていけば、古墳群を制覇した気分になり、それぞれの規模や形そして出土した埴輪などを知ることで、古墳に対する理解が深まります。


↓まずJR百舌鳥駅を降りると、線路をまたいで陸橋がありますので、そこに登って大仙陵古墳の森を見てみます。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08515937.jpg
↑最近、ピンク色の大きな建物ができたので、残念ながら大仙陵古墳の森はよく見えなくなりました。以前はもう少し良く見えたのですが・・・・やはり巨大古墳を上から見れないというのが問題ですね。


陸橋を渡らずに戻り、西へ少し歩くと大仙陵古墳の拝所へ至りますが、途中に二基の小型古墳があります。


↓まず駅前広場のようになっている古墳が収塚古墳(おさめづかこふん)です。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08532772.jpg
仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08534812.jpg
仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08540506.jpg

この古墳の濠内などから、須恵器の土台や円筒埴輪、朝顔形埴輪、衣笠形埴輪などが出土しており、築造は5世紀中頃と推定されています。
時期的にも場所的にも、大仙陵古墳の付属墓の陪塚であることは間違いありません。


↓収塚古墳の前は広場になっており、カラー舗装で失われた前方部が形取られています。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08543017.jpg
↓広場の前には、お土産ショップもず庵があります。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08545825.jpg
↓収塚古墳の道路をはさんだ向かい側を南へ50mくらい行くと長塚古墳があります。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08570293.jpg
長塚古墳は住宅に囲まれており、一部からしか墳丘を見られません。墳丘長が106.4mもあり、場所的にもやや離れていることから、大仙陵古墳の陪塚ではないようです。


↓この古墳にある石柱は、史跡長山古墳となっています。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08575180.jpg
↑これは、1920年に仮指定された時の名称で。1958年に文化財保護法による史跡指定の際に長塚古墳に改められたのです。


↓経過を示した説明板

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08581012.jpg
↓収塚古墳に戻ると西側に観光用有料駐車場があります。その北側に遊歩道があり、大仙陵古墳の三重目の濠を近くで見られます。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08585742.jpg
↓大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)の拝所 神主さんが座って祈っておられました。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08591829.jpg
↓拝所の正面 道路を挟みますが真ん前にあるのが孫大夫古墳です。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08593751.jpg
仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_08595081.jpg

↑この古墳は大仙陵古墳の中心線上にあり、時期的にも合うことから、大仙陵古墳の陪塚として最も重要なものです。


孫大夫古墳は帆立貝形の前方後円墳で、墳頂から勾玉が出土したことから、私見では、大仙陵古墳被葬者の女性の近親が葬られていると予想します。大王の寵愛した側室という可能性もありますね。


↓孫大夫古墳横の池に咲いていたスイレン

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09002126.jpg
↓孫大夫古墳の西側50mにある竜佐山古墳

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09015607.jpg
仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09021085.jpg

竜佐山古墳は、孫大夫古墳より新しく5世紀後半の築造です。したがって、大王没後しばらく時間を経過してから死んだ大王関係者が葬られていると思います。


↓竜佐山古墳北側の車道沿いの歩道が少し高く立体的になっているので、古墳墳形が見やすくなっています。前方部角を撮影しました。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09033963.jpg
↓竜佐山古墳の濠にいたアオサギ

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09041605.jpg
↓竜佐山古墳の西側にある狐山古墳

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09044960.jpg

狐山古墳は、直径約27mの円墳で、位置的に大仙陵古墳の陪塚でない可能性もあります。

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09051755.jpg
仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09053525.jpg

↓狐山古墳の北側、車道を渡って大仙陵古墳の周遊歩道に入ったところにある銅亀山古墳

仁徳天皇陵の陪塚など小型古墳を見る  ~百舌鳥古墳群を歩く(2)_f0140054_09061291.jpg
銅亀山古墳は、百舌鳥古墳群としては珍しい方墳で、一辺が約26mの正方形ですが、最近の発掘調査の結果、帆立貝型古墳あるいは前方後方墳の可能性もあるとされています。5世紀中頃の築造で、大仙陵古墳の陪塚であることは確実です。


この記事を書くため、リハビリを兼ねて百舌鳥野へ撮影に行ってきたのですが、杖をついているので大型カメラでの両手撮影は出来ませんでした。コンパクトデジカメの片手撮影ですので、厳密な構図や水平線がとれておりませんが、ご容赦願います。





Travel.jpの旅行ガイド記事もよろしく!








にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ
にほんブログ村 ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。



by mokonotabibito | 2018-06-15 09:08 | 大阪 | Trackback | Comments(6)
Commented by Lago at 2018-06-15 21:09 x
これらの古墳群、当時なればこそ、これだけの広大な土地に陪塚も含めて多くの墳墓が造営できたのですね。
古墳そのものについては、書かれたものを読んで、納得していますが、
古墳もさることながら、緑と水豊かなその自然に魅力を感じます。
散策していると、百舌鳥をはじめ、野鳥の囀りがきこえたり、
緑風に癒されたり、古墳以外でも結構楽しめる百舌鳥野に思えます。

百舌鳥古墳訪ね巡れば睡蓮や青鷺に会ふひと時ぞよき
Commented by youshow882hh at 2018-06-15 23:20
こんばんは。ゆーしょーです。
百舌鳥には色んな古墳があるのですね。
この付近、アオサギもくる静かなところですね。
ポチ♪
Commented at 2018-06-16 19:58
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2018-06-17 22:18
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by engel777engel at 2018-06-19 17:01
こんにちは。。昨日は長袖着たのに、今日は半袖。。

応援ポチッ
Commented by travelertsubotomo at 2018-06-20 10:52
模糊さん、地震は大丈夫でしたでしょうか。
不便がないかと心配です。どうぞお気をつけてください。

古墳は小学生の頃の社会科見学以来なので、久しぶりに古墳巡りをしてみたいと思いました。スタンプラリー感覚でカメラに収めていくという楽しみ方、なるほどなーと思いました。
広い面積を持つ古墳が多いだろうから、歩いて回れば良い運動にもなりますね。

模糊さんは杖を片手に見学されたようですが、回復が早くて驚いているのと同時に安心しました。
私は昨年の同じくらいの時期、まだ足を引きづりながら移動をしていて、こんな広い場所を歩き回るなんてできませんでしたから・・・。

どうぞお大事になさってください。
<< アジサイの季節の近況ニュース(... PageTop 百舌鳥古墳群の古墳配置と仁徳天... >>
XML | ATOM

会社概要
プライバシーポリシー
利用規約
個人情報保護
情報取得について
免責事項
ヘルプ
Starwort Skin by Sun&Moon