古墳群の楽しみ方は大きな盟主古墳だけでなく周辺の陪塚(陪冢・ばいちょう)など小型古墳を見て回ることにあります。
いわばスタンプラリーのような形で、たくさんの古墳をカメラに収めていけば、古墳群を制覇した気分になり、それぞれの規模や形そして出土した埴輪などを知ることで、古墳に対する理解が深まります。
↓まずJR百舌鳥駅を降りると、線路をまたいで陸橋がありますので、そこに登って大仙陵古墳の森を見てみます。
陸橋を渡らずに戻り、西へ少し歩くと大仙陵古墳の拝所へ至りますが、途中に二基の小型古墳があります。
↓まず駅前広場のようになっている古墳が収塚古墳(おさめづかこふん)です。
この古墳の濠内などから、須恵器の土台や円筒埴輪、朝顔形埴輪、衣笠形埴輪などが出土しており、築造は5世紀中頃と推定されています。
時期的にも場所的にも、大仙陵古墳の付属墓の陪塚であることは間違いありません。
↓収塚古墳の前は広場になっており、カラー舗装で失われた前方部が形取られています。
↓この古墳にある石柱は、史跡長山古墳となっています。
↓経過を示した説明板
↑この古墳は大仙陵古墳の中心線上にあり、時期的にも合うことから、大仙陵古墳の陪塚として最も重要なものです。
孫大夫古墳は帆立貝形の前方後円墳で、墳頂から勾玉が出土したことから、私見では、大仙陵古墳被葬者の女性の近親が葬られていると予想します。大王の寵愛した側室という可能性もありますね。
↓孫大夫古墳横の池に咲いていたスイレン
竜佐山古墳は、孫大夫古墳より新しく5世紀後半の築造です。したがって、大王没後しばらく時間を経過してから死んだ大王関係者が葬られていると思います。
↓竜佐山古墳北側の車道沿いの歩道が少し高く立体的になっているので、古墳墳形が見やすくなっています。前方部角を撮影しました。
狐山古墳は、直径約27mの円墳で、位置的に大仙陵古墳の陪塚でない可能性もあります。
↓狐山古墳の北側、車道を渡って大仙陵古墳の周遊歩道に入ったところにある銅亀山古墳
この記事を書くため、リハビリを兼ねて百舌鳥野へ撮影に行ってきたのですが、杖をついているので大型カメラでの両手撮影は出来ませんでした。コンパクトデジカメの片手撮影ですので、厳密な構図や水平線がとれておりませんが、ご容赦願います。
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古墳そのものについては、書かれたものを読んで、納得していますが、
古墳もさることながら、緑と水豊かなその自然に魅力を感じます。
散策していると、百舌鳥をはじめ、野鳥の囀りがきこえたり、
緑風に癒されたり、古墳以外でも結構楽しめる百舌鳥野に思えます。
百舌鳥古墳訪ね巡れば睡蓮や青鷺に会ふひと時ぞよき
不便がないかと心配です。どうぞお気をつけてください。
古墳は小学生の頃の社会科見学以来なので、久しぶりに古墳巡りをしてみたいと思いました。スタンプラリー感覚でカメラに収めていくという楽しみ方、なるほどなーと思いました。
広い面積を持つ古墳が多いだろうから、歩いて回れば良い運動にもなりますね。
模糊さんは杖を片手に見学されたようですが、回復が早くて驚いているのと同時に安心しました。
私は昨年の同じくらいの時期、まだ足を引きづりながら移動をしていて、こんな広い場所を歩き回るなんてできませんでしたから・・・。
どうぞお大事になさってください。