模糊の旅人
mokotabi.exblog.jp
  Top ;Log-in
国内旅行のお知らせ と モロッコ史の幕間  ~モロッコ紀行(5)
2017年 12月 02日 |

明日から国内旅行に行ってきますので、10日間ほどブログ更新を休ませていただきます。


国内の温泉でゆっくりする取材&短期滞在型の湯治の旅です。


実は、たまっているエミレーツ航空のマイレージポイントの一部が、12月に切れますので、それをなんとか有効に使いたいのです。とはいえ、さすがに海外はすぐには無理です。


エミレーツ航空のマイレージは、JALのチケットにも交換できるので、これまで、あまり行ったことののない温泉のある県ということで、探したところ、大阪―秋田のJAL往復チケットがポイントで取れました。12月中旬以降のJAL便は、満席で難しいのですが、12月はじめなら空いていたのです。


モロッコでは主にシャワーだけのホテルで旅してきましたので、日本の湯の花散る温泉大浴場露天風呂で骨休めしたいのです・・・・
足の持病の温泉治療の意味合いもあり、大浴場もある中級温泉宿に滞在して、ゆっくりしてきます。


確保した宿は、秋田県の山沿いにあるので、この季節、大雪が心配です。もし暴風雪なら宿に閉じこもって、湯治しながら読書と記事でも書くつもりです・・・・



さて、モロッコの歴史の話です。以下、モロッコ史前半の幕間期のまとめを、モロッコで撮影した車窓風景をお楽しみながら、気楽にお読みください。

f0140054_08145763.jpg
日本では、エジプトを筆頭にトルコやイランの歴史については多くの研究があるものの、モロッコ史については、あまり詳しい資料がありません。
読みやすいポピュラーなモロッコの歴史に関する書籍が少なく、私の知る限り、文化史家の那谷敏郎氏の『紀行 モロッコ史』(新潮選書)があるくらいです。
私の記述の多くは、この那谷敏郎氏の著作に負っていることを申し添えます。

f0140054_08151913.jpg

紀元前2~1世紀:北アフリカの現チュニジア~アルジェリア東部ににヌミディア王国、その西にはマウレタニア王国(現モロッコ~アルジェリア西部)が興りました。


前25年、ローマ初代皇帝アウグストゥスによってマウレタニア国王に任命されたのが、元ヌミディア国王だったユバ1世の子ユバ2世です。このユバ2世は、ローマで王族人質として育った後、クレオパトラ・セレネ(アントニウスとクレオパトラの娘)を妻とし、ローマ支配下の王国としてヴォルビリスに都を構えました。


ユバ2世の子プトレマイオスの没後、ローマ帝国皇帝クラウディウスは、マウレタニアをローマ直轄の属州とし、東西2つに分割して統治しました。その西側部分がマウレタニア・ティンギタナで現在のモロッコにあたります。

f0140054_08174270.jpg
ローマ属州としてヴォルビリスを中心に大いに栄えたモロッコでした。オリーブ・オイルや小麦を生産し、アフリカからの金をはじめとする鉱物資源や動物皮革など諸物資の交易でも中継点として重要な役割を果たしました。
しかし、ローマ帝国の弱体化に伴い、その後のモロッコは、しばらくは暗黒時代というか、歴史の幕間になります。


すなわち、西ローマ帝国は、ゲルマン人の侵入により、476年に、あっけなく滅亡します。
その少し前、429年に、イベリア半島から渡って来た、ゲルマン部族のヴァンダル人が侵入し、北アフリカを蹂躙します。
この時も、北アフリカのマグレブの地は、イベリア半島と運命をともにするのです。

f0140054_08182813.jpg
ヴァンダル人はゲルマン系ではなくスラブ系という可能性も高いですが、ゲルマン人の民族移動と連携して行動し、ライン川を渡ってガリア地方からイベリア半島、そして北アフリカまで進出しました。現モロッコを通過し、現チュニジアにあるカルタゴの故地にヴァンダル王国を建国しました。


ヴァンダル族の起源は諸説あるものの、とにかく現ポーランド付近から現チュニジア付近まで移動したわけですから、凄いものです。一時的に滞在したスペインでは「アンダルシア」(ヴァンダルシア)の語源となり、破壊行為を意味するヴァンダリズムという言葉も生みました。約100年のあいだ北アフリカを拠点に、シシリア・サルディニア・コルシカ・マルタなども支配したのです。


宗教的には、ヴァンダル族の主力はキリスト教アリウス派であったようですが、ドナトゥス派も有力で、カトリックやミトラ教もあり、紛争が絶えませんでした。

f0140054_08191967.jpg

東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は、ローマ帝国の再統一をめざし、ヴァンダル王国の混乱に乗じて、対ササン朝ペルシア戦で大活躍したベリサリウス将軍を派遣し、534年にヴァンダル王国を滅亡させました。


モロッコを含むマグレブの地は、再びローマ世界に組み入れられたのです。この時点で、またまた北アフリカは、イベリア半島と同状況です。


しかし、このユスティニアヌス1世によるローマ再統一も長く続かず、帝国首都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)での黒死病(ペスト)の流行もあり、東ローマ支配は強力なものになりませんでした。モロッコなどではベルベル人の反乱が多発したようです。


↓ウィキペディアによる565年ごろの東ローマ帝国の地図ですが、モロッコでは北端のタンジェ付近のみが帝国領になっています。

f0140054_08195649.jpg
この頃は、モロッコの詳しい状態は分からず、まさに歴史の幕間です。


やがて、次の世紀:7世紀に入ると、歴史は新しい段階に入ります。
それは、東方でのイスラム教の誕生と、その勢力の急激な拡大です。
モロッコもその新しい歴史の波に、飲み込まれていくのです・・・・


↓イスラム以前のモロッコ史の簡単なマトメ

f0140054_08203848.jpg




<たびねす記事もよろしくお願いします>



にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ
にほんブログ村 ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
by mokonotabibito | 2017-12-02 08:22 | モロッコ | Trackback | Comments(7)
トラックバックURL : https://mokotabi.exblog.jp/tb/28789639
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by youshow882hh at 2017-12-02 12:17
こんにちは。ゆーしょーです。
三枚目は雄大な写真ですね。
このような写真は大好きです。
四枚目の木、面白い形をしていますね。
大小の構図がいいですね。
ポチ♪
Commented by Lago at 2017-12-02 21:08 x
モロッコ紀行も5回目で、青天の下の禿げ山や砂漠など、
これまでとは異なる風景がとても新鮮且つ魅力的です。
ヨーロッパ文明の素晴らしさからやがて、モロッコを始めとするアフリカ大陸の自然や文化に
旅の方向転換をする人が非常に多いのもこうした風景を見ていると、頷けますね。
私自身も、想像していた以上にモロッコには魅了されたのでした。
モロッコの歴史記述も有難かったけど、写真がほんとに素晴らしかった。

禿げ山と砂漠広がる眺めには虚飾捨てたる自然美思ふ

砂漠にも緑茂らす樹の二本精霊宿る力みなぎり
Commented by engel777engel at 2017-12-02 23:18
コメント欄復活したのですね。
 青が基調の空気の中に砂漠のように見える乾いた風景がつらなる雄大なモロッコの車窓風景、雰囲気が伝わってきます。

温泉旅行、ゆっくりモロッコの疲れとってきてください。
応援ポチッ!!!
Commented by travelertsubotomo at 2017-12-05 19:36
模糊さんこんにちわ。
コメント欄復活されましたね。モロッコの記事を楽しく拝読しております。
写真が美しいですね!
青空の下の乾いたモロッコの大地や、広大な地に立つ存在感のある樹木や草木が印象的です。

たびねすのヴォルビリス遺跡の記事も拝読しました。モザイクの存在感がすごいですね。
人物だけでなく動物のモザイクもあって、見ごたえあるなって感じました。

秋田への湯治の旅、いいですね。
ゆっくりなさってください。雪の影響がなければよいですが・・・。

Commented by LLサイズ at 2017-12-07 16:29 x
ポチしにしました
Commented by LLサイズ。 at 2017-12-10 20:30 x
ポチに来ました。
Commented by LLサイズ at 2018-01-11 21:13 x
ポチ
<< 田沢湖高原温泉『プラザホテル山... PageTop 凱旋門やバシリカ・・・ヴォルビ... >>
XML | ATOM

個人情報保護
情報取得について
免責事項
Starwort Skin by Sun&Moon