エルミタージュ美術館には、ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノの作品が10点もあります。
ティツィアーノはヴェネツィア派を代表する画家で、長命であったことから多くの作品を残しました。
上手さ抜群の筆使いで、大胆かつ表現力豊かな世界を展開し、祭壇画、宗教画、神話画から肖像画・風景画に至るまで多様な作品を描き、盛期ルネサンス期のヴェネツィアの芸術をけん引しました。
『懺悔するマグダラのマリア』は、ティツィアーノ作品として宗教性と官能性を併せ持つことから絶大な人気があり、広く賞賛を受けたテーマで、何度も描かれました。
エルミタージュ美術館のものは、1560年代のティツィアーノの晩年の作品で、シリーズ作品の中では表情が最も迫真的で見事なもの。ティツィアーノが到達した円熟の境地を示しています。
<参考>
↓最初期のティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(ピッティ美術館蔵)1533年ころ
↓中期のティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(J・ポール・ゲティ美術館蔵)1560年ころ
↓晩年のティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(カンポディモンテ美術館蔵)1565年ころ
エルミタージュの『懺悔するマグダラのマリア』は、時期的に、おそらくJ・ポール・ゲティ美術館蔵の作品とカンポディモンテ美術館蔵の間に入るものと考えられます。
後期になればなるほど、マグダラのマリアの着衣が多くなっています。これは当時、北ヨーロッパで宗教改革の嵐が吹き荒れたのと、それを意識したカトリック側の宗教会議「トリエント公会議」で教義の再確認と風紀引き締めが行われた影響と思われます。
新約聖書の登場人物としては、マグダラのマリアは最も興味深い存在で、聖書外典として2世紀頃、すでに『(マグダラの)マリアの福音書』が書かれていました。
その後、長い歴史の中で、元娼婦と類推する考え方からイエス・キリストの妻という説まであり、マグダラのマリアほど芸術家たちの想像力と制作意欲をかき立てた聖女はいないでしょう。その典型が、ティツィアーノの『懺悔するマグダラのマリア』です。(いつか、マグダラのマリアをテーマに記事を書きたいのですが、トンデモ本も多く資料の真偽判断に迷う題材なので、なかなか難しいです。いろいろ調べてはいるのですが、ちょっと先送り中です。)
『ダナエ』もティツィアーノが好んで描いたモチーフです。ギリシャ神話で、娘ダナエの生む子により殺さるという神託を受けたアルゴス王アクリシオスは、ダナエを幽閉しますが、オリンポスの主神ゼウスが黄金の雨となって部屋に侵入し、ダナエを妊娠させます。その結果、生まれたのがメドゥーサ退治を成し遂げた英雄ペルセウス。後に祖父アクリシオスを円盤投げ競技会の事故により殺してしまい図らずも神託が成就します。
この絵は、ゼウスが部屋に侵入した瞬間を描いており、裸で横たわるダナエの右側で侍女が降り注ぐ金貨を集めようと布を広げています。エルミタージュ美術館には、全く同じテーマの レンブラントの作品 もあります。時代は違いますが、二人の巨匠が描いた同名作品を比較して、どちらが好みか、鑑賞してみるのは一興です。
この作品は、ヨーロッパの人々には非常に人気があり、団体客が絶えず観覧していました。アジア人観光客はほとんど観覧していないので、やはりキリスト教文化圏に影響力のあるモチーフなんだなあと感じました。
ここは光線状況が難しいのと、観覧者が多いので、斜めから撮影してみました。
聖セバステイアヌスは、3世紀のディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害で殉教した聖人で、矢がささっている姿で描かれるのが通例です。矢で瀕死の状態になりますが、聖女イレーネに救われ命を取り留めます。後に、宣教を続けたため、こん棒で殴打され殺されます。
矢を受けても死ななかったことなどから、後世に黒死病から信者を守る聖人として崇敬されました。
割と大きな作品で目立っていました。同モチーフ作品が、先般の国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展で、ティツィアーノ工房作品『ヴィーナス』(フランケッティ美術館蔵)として展示されていました。やはりこれもティツィアーノが好んで描いたテーマだったようです。
二人のキューピッドが鏡を支えて、そこ写った自分の姿を、ヴィーナスが身体をひねって見ています。古代ギリシャの彫刻に由来するポーズで、「鏡を見るヴィーナス」のヴァリアントのひとつです。
このエルミタージュの作品自体は、ティツィアーノの真筆ではなく、工房による模写作品です。ただし、正直言って、私には真作と模写の区別はつきませんでした。
ジョルジョーネは、ティツィアーノの兄弟子にあたる天才画家で、ジョヴァンニ・ベッリーニの工房で修行し、レオナルド・ダ・ヴィンチが1500年にヴェネツィアを訪れると、その画法に大きな影響を受けて開眼したと伝えられます。
若くして夭折したため残された作品はわずかですが、どれも素晴らしいもので、その傑作のひとつが、エルミタージュにある『ユディト』です。
哀愁を帯びた詩情ゆたかなこの作品は本当に見事です。エルミタージュのヴェネツィア派の部屋ではひときわ抜きんでて存在感がありました。
ただ、非常に縦長で大きな作品であるのと、敵将ホロフェルネスの首を切って足で踏みつけるというモチーフが残酷なので、撮影した全体写真の上下左右をカットして掲載しています。お許しください。
なお、この作品は、絵画の修復という観点からも注目に値するものです。
すなわち、もともと板絵だった作品をカンヴァスに移し替え移植して、さらに変色したワニス皮膜を取り除き、大規模な修復が行われたものです。今日の姿によみがえったのは、1971年のことです。
板絵をカンヴァスに移し替えた例は、エルミタージュ美術館に比較的多く、有名作品としてはこのジョルジョーネ『ユディト』以外に、レオナルド・ダ・ヴィンチの『ブノワの聖母』があります。
ルネサンス後期にはヴェネツィアを代表する画家としてヴェロネーゼが活躍しました。ティツィアーノの人間表現や色彩を受け継ぎ、神話や聖書逸話に題材をとった物語性豊かな作品を多く生み出しました。
聖カタリナは、4世紀はじめにアレキサンドリアで殉教した聖人で、イエスと結婚するという神秘的な幻想を体験しました。この絵では、聖カタリナが聖母マリアに抱かれた幼児キリストの祝福を受けています。
ベネデット・カリアリは、ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアリ)の弟で、結構多くの作品を残しており、エルミタージュ美術館には3枚の絵が収蔵されています。この『聖家族と聖カタリナ、聖アンナ、聖ヨハネ』は、ベネデット・カリアリの代表的な作品です。
ヴェロネーゼ工房は、ヴェロネーゼの死後も、二人の息子とベネデット・カリアリが運営し、活躍していたようです。先般の国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」にも、ヴェロネーゼ没後の工房作品『羊飼いの礼拝』(アカデミア美術館蔵)が展示されていました。
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More 余談
More ですので余談をひとつ。
エルミタージュ美術館のヴェネツィア派の部屋や、大阪で開催された国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展を見て、ヴェネツィア派画家の描く女性画は、ふっくらとした身体つきの作品が多いなあと感じました。
そこで、少し調べてみると、どうもヴェネツィア派が当時人気があったひとつの原因は、豊満な女性画にあったようです。
当時、イタリアは先進国で、富裕層には肥満型が増えたというか、太っているというのは富の象徴でもあったのです。
そして何より、ヴェネツィアの豊満な女性は、当時のヨーロッパ中の男性のあこがれでした。
上の本文『懺悔するマグダラのマリア』の説明で書きましたように、「トリエント公会議」による風紀引き締めがありましたが、厳しい情勢の中だからこそ、独立した自由都市ヴェネツィアの魅力がいっそう輝きます。(というかキリスト教会にとって憂うべき社会風俗状況であったからこそ、トリエント公会議が開かれたともいえます)
カトリックの異端審問委員会の構成員に俗界の人間が加わっていたのはヴェネツィアだけで、ヨーロッパにおける都市的自由の避難港でした。ヴェネツィアは比較的豊かなイタリア近辺地域の中で最も検閲が緩やかで、市民は爛熟した文化を謳歌し、ヴェネツィア派芸術は、こうした基盤の上に、大きく開花したのです。
こうしたヴェネツィアの魅力の象徴たる肉付きの良いヴェネツィア女性は大いに人気を博しました。詳しくは分かりませんが、多分、娼婦も多かったと推測され、画家の描く裸婦像絵画のモデルになっていたようです。
ルネサンス期のヴェネツィアには「コルティジャーナ」と呼ばれる高級娼婦がおり、高い教養を身に着け、権力者たちの周辺で重要な役割を果たし、あでやかに咲き誇りました。彼女たちの「おもてなし」がヴェネツィア政治のひとつの武器だったのです。
<参考>
「・・・・ヴェネツィアで教養の高い女を探すとなると、『コルティジャーナ』と呼ばれる、一種の高級芸者に行きつくしかないのである。・・・・紳士方と教養ある会話を交わすことが、彼女たちの第一の仕事であった。・・・・」(塩野七生『海の都の物語』より抜粋)
↓下の絵は、エルミタージュ美術館で撮影したものですが、ティツィアーノ作品によく登場するモデルで、この「コルティジャーナ」であったとされています。
閑話休題。
美意識というものは常に変化します。特に美人とされるタイプは時代や地域で著しく異なることがあります。現代のように価値が多様化すると、良し悪しは、個人の嗜好に依存します。まさに理屈ではなく、好き嫌いの問題ですね。ということで、あえて私自身の好みについては伏せさせていただきます。
ただ、現代日本の主流のトレンドを、ヴェネツィア派絵画の雰囲気と比較してみるのも一興かも知れませんね。そこで、現在、東京都美術館で開かれている「ティツィアーノとヴェネツィア派展」のポスターから一部分を切り取って以下に掲載します。どう感じられるでしょうか?
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ティツィアーノは同じモティーフで4点描いているようですが、その中の3点を見ています。
一番最初に見たのが、若い頃フィレンツェのピッティ宮内にある作品。
こんな絵は見た事がなかったので、大変な衝撃を受け、ずっと心に残っていました。
次に見たのが、かなり経ってからナポリのカンポディモンテ美術館における作品。
フィレンツェの時と違って、割りと落着いて鑑賞したことを覚えています。
そして、昨年見たエルミタージュのこの作品。
最初あれっと思いました。ナポリで見たはずだのに、借りてきたの?・・・とよく見ると
エルミタージュの所蔵品でした。似てるな〜・・・と、その点について、実は調べてなかったのでした。
両者は似ているけど、微妙に違いますね。
完成度の高いエルミタージュの後、ティツィアーノは何故また
4作目を描いたのでしょうか?
一番の違いは表情でしょうか?
エルミタージュの表情は4作中、最も強く情感が溢れていて、罪の改悛が迫真的です。
一方ナポリのマグダラのマリアは、とても内省的で、改悛と同時に、
主の帰依による一種の平安なる魂をも、ティツィアーノは描きたかったのではないかしら?
2作目だけは見ていませんが、こうしておなじモティーフを4回も描いた画家の意図を考えてみると、
それは画家自らの魂の遍歴でもあるのでしょう。
このブログによって、考察の機会がもてて有意義でした。
マグダラのマリアは何を見つめゐる瞳がなべてを語りつくせり
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