模糊の旅人
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三尊セン仏など:海会寺幻想 ~海会寺跡古代史博物館(5)
2016年 09月 04日 |
特別展示室には軒丸瓦以外にも多数の出土品があります。

その中で特に興味深いのは、セン仏です。セン仏のセンは漢字で「塼」または「甎」と書き、仏像レリーフタイルとでもいうべき型押し焼成で作られた小型仏です。

↓三尊セン仏の破片を復元図にあてはめ展示したもの
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貴重な仏のレリーフである三尊セン仏は、小さいですが美麗なものです。この三尊セン仏は、明日香の橘寺で最初につくられたもので、各地の古代寺院では橘寺のセン仏を粘土で型取り「踏み返し」という技法で複製化してから焼成・彩色しました。海会寺の三尊セン仏もそのひとつで、五重塔の内壁面に貼る形で飾られていたと思われます。

↓三尊セン仏の拡大撮影
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その他の主な展示物も以下に紹介します。

↓独尊セン仏
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↓見事な陶器・・・これが大化の改新の時代にここで作られていたとは驚きました。
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↓寺という字が刻まれた陶片
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↓鴟尾(しび=屋根頂上の飾り)・・・飛鳥時代に大陸から伝えられたもので海会寺のものは日本で最初期の鴟尾のひとつです。
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↓相輪風鐸(相輪を飾ったベル)
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↓石でできた相輪の部品
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↓風鐸(軒先に吊るされたベル)と風鐸の舌(ベルの打棒)
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この展示室の説明パネル類も平易な文章で詳しく書かれており、とても好感が持てます。

こうして、撮影しながらゆっくり見学し、古代の寺院の実像を知ると、深い感慨が湧いてきました。律令国家のシンボルから信仰の対象となり、やがて歴史の彼方に忘れ去られた存在となった海会寺・・・滅びたからこそ蘇える古代歴史ロマンの世界が、ここにあります。

↓完成時の海会寺の想像図・・・古代を幻想してください・・・
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海会寺がつくられる直前におこった大化の改新は、天皇を中心とする中央集権国家をめざす政治的改革でした。孝徳天皇は新しい政治を行うため、飛鳥の地を離れ、難波(現・大阪市)に都を移します。そして、国家統治の根拠地として「畿内」の範囲を定め、政治基盤の強化をはかったのです。

海会寺は、まさにその当時の「畿内」の南西端にありました。畿内と紀伊国を結ぶ南海道の重要地点だったのです。ここに、当時の最新技術を駆使して、先端文化の象徴であった大きな仏教寺院がつくられたのです。さぞ壮大で他を圧する存在感を放っていたことでしょう。

↓当時の畿内の範囲と海会寺の位置・・・まさに畿内の南西端ですね。
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↑海会寺は、木国(後の紀伊国)の国府とは和泉山脈を挟んだ向かい側にあることが分かります。

当時、木国は南海道の先にある重要な地域でした。雨が多く森林の多い国ということで木国と命名されましたが、現在の和歌山県北部が、有力豪族である紀氏が支配していた地域であることから「紀の国」(紀伊国)となったそうです。
その木国に対する畿内側の出口として海会寺は鎮座しています。斉明天皇は、ここを通り南海道を経て、658年(斉明4年)に紀温湯(牟呂温湯=現在の南紀白浜温泉)に行幸し二ヶ月半も滞在しました。

なお、当時の南海道は、紀伊国や熊野国に行くだけではなく、加太港から淡路国を経て、阿波国・讃岐国・伊予国・土佐国へ通じる重要ルートでした。当時の一級国道と言えるでしょう。
上図に示されているとおり、南海道は、紀伊国に入った後、西に折れ、海に面した賀田港(現・和歌山市加太)に達しています。



実際に海会寺をつくった人や、詳細な経緯は判明していません。おそらく、この泉南の地を支配し都中央と結つきの強かった豪族が建設したと推測されるだけです。まだまだ、多くの謎が残されており、今後の調査研究の成果が待たれるところです。



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by mokonotabibito | 2016-09-04 08:19 | 大阪 | Trackback | Comments(3)
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Commented by Lago at 2016-09-04 15:06 x
海会寺の凄さに益々驚かされます。
甎仏という技法まで既に知っていたのですね。
そのかけらを嵌め込んだ展示は全体像を知る上で貴重ですが、
何とも無惨で、切ない。
私は風鐸に以前から関心があり、お寺に行くと、必ず注目します。
四方の軒先の風鐸はとても風情があります。
京都のとある寺の風鐸がお気に入りですが、
お庭を含めてイメージはすぐ浮かぶものの肝心の寺の名前が出てきません。歳のせいですね・・・
ベルの打棒があるのですから、きっと音を出すのでしょうが
余程の強風でないと鳴らないのでは?
従って未だ聞いた事がありません。
下記の短歌の三句目、ほんとは「涼やかな」としたかったのですが、
そんな事はあり得ない筈と・・・以下の通りです。

相輪を飾る風鐸鈍 ( にび ) いろの音色をしのぶ海会寺の秋
Commented by youshow882hh at 2016-09-05 20:38
こんばんは。ゆーしょーです。
「畿」=みやこ で、畿内は大阪府までだったのですね。
黄色の線で分かるように、海会寺はぎりぎり南西の位置に
なりますね。
奈良の都から、丁度 裏鬼門の方向です。
ポチ♪
Commented by youshow882hh at 2016-09-06 19:53
こんばんは。
ポチ♪
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