模糊の旅人
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龍野・三木露風生家  ~播磨・美作ちいさな旅(2) sanpo
2016年 07月 08日 |
「たびねす」に、私の龍野の記事が掲載されました。
播磨の小さな城下町で、散策に最適な好印象の場所でしたので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(35)播磨の小京都「龍野」を遊歩し文学と歴史の町を楽しむ
http://guide.travel.co.jp/article/19637/





拙ブログではちょうど龍野の記事をはじめようとしていたところですので、たびねす記事とタイアップして今日から龍野を紹介させていただきます。



気ままなドライブ旅を続けます。
国宝・世界遺産の姫路城を後にして、さらに西へ向かって出発です。まだ朝の8時半過ぎです。
道路地図によれば、大手前駐車場を出て西へまっすぐ県道5号線を走ると、龍野(現・たつの市)に突き当たるはずです。

龍野は戦国時代に播磨国守護赤松氏が城を築き、その後、幾多の歴史と文化を刻んだ、播磨の小京都と言われる町です。
私は30年くらい前に一度だけ訪れ、こじんまりした素敵な町だったという好印象を持っていますので、時間的余裕のある今回、ゆっくり歩いてみようかと、ここに来て思いつきました(笑)

しばらく快適な郊外の道を走ると、揖保川に至りました。橋を渡って龍野の市街に入り、細い道を上っていくと裁判所があり、その裏に龍野城の門と駐車場がありました。そこにクルマを止め、まず龍野城下を歩き回ることにしました。

城の直下に、三木露風の生家というのが開いていましたので、さっそく訪問してみます。(以前来たときは公開されていませんでした)
木造平屋建てのごく標準的な家です。

↓入り口(入場無料です)
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童謡「赤とんぼ」の作詩者として知られる三木露風は明治22年に龍野で生まれました。
ここで幼年期を過ごした露風ですが、両親が離婚したため祖父の家に引き取られました。したがって、この生家は露風の母への思いが随所に残されており、見学者を感動させる場所となっています。

↓玄関の間から奥を見る。「露風とともに」というのは三木露風生家の愛称だそうです。
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木造平屋建て、8畳3間に玄関と続き部屋で構成されたシンプルな構造で、武家屋敷の流れを組んだ歴史的な建物です。屋根小屋組は丸太で煙により黒くすすけており、外壁は小舞竹土塗壁の上に漆喰塗りとなっています。できるだけ古い瓦や建具を再利用して維持改修がなされており、当時の面影がしっかりと残されています。

↓前庭
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建物内部の部屋には、資料が沢山あり、露風が龍野に住んでいた10代までを中心として分かりやすく説明されています。特に幼児から中学校時代までの写真や原稿なども展示されています。

露風は「私に詩思を与へ、私の少年時代にして尚且つ思索に耽らしめたのは、故郷の山川である」と語っており、少年時代を過ごした郷土が露風の原点であることが分かります。

↓床の間にある赤とんぼのオブジェが印象的です。
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↓床の間に飾られた露風の句
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  鳶多き龍野なりけり秋の晴れ  露風


↓「ふるさとを思ふ」という原稿
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↓「櫻の下」という詩集ノート
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↑露風の若き日の詩集ノートですが、去った母への思いが横溢しています。

露風が母を詠んだ歌には次のようなものがあります。

 われ七つ因幡に去ぬのおん母を又帰り来る母と思ひし

このあたりの経過を簡単に説明しておきます。

露風の祖父:三木制(すさむ)は、龍野藩の奉行から龍野町長、九十四銀行頭取を勤め、漢学を深く修めた知識人でした。
制は、鳥取藩の家老の娘で漢学の素養のある「かた」を懇望して息子の嫁にしたのですが、肝心の息子:節次郎(露風の父)は大酒飲みで身持ちの悪い男でした。
長男(操のちの三木露風)や次男(勉)が生まれても節次郎の身持ちの悪さは治らず、それを見かねた制が、いつまでも三木家に縛り付けて置くのは忍びないと、かたに対して自由にしてくれと離婚を勧めたのです。
乳飲み子の勉を連れたかたは、長男の操(露風)を残し実家へと帰りました。播磨から因幡に帰る道筋にある峠の上で、かたは播磨の空を振り返り、あとに残した操のことをしのんで涙したとのことです。そこに泣き地蔵があります。

この露風の母「かた」は、鳥取県の生んだ女性解放運動の先駆者として多大な業績を残した「碧川かた」その人です。かたは、東京で看護婦として働いた後、北海道で碧川企救男と再婚し、クリスチャンとなりました。
後に、三木露風も北海道で母と再会し、クリスチャンとなり、函館のトラピスト修道院滞在中に「赤とんぼ」を作詩しました。


碧川かた の晩年の歌に

 よき子供生まるるといひし祖父君に聞かせたく思ふ赤とんぼのうた

というのがあります。
長男三木露風の赤とんぼの歌を聞かせたいと、かつての舅である三木制をなつかしんだものです。

息子の放蕩が原因とはいえ、嫁を自由にしてあげたいという三木制の思いやり。その母に去られて教養ある祖父の下で育てられ詩人となった三木露風。苦労しながらも女性解放運動に尽くし、舅に露風の歌を聞かせてあげたかったという碧川かた。
いくつも複雑な人生ドラマに紡がれた、感動的なエピソードですね。
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露風は、近代日本を代表する詩人・作詞家で、北原白秋と並び「白露時代」と称され、鈴木三重吉の赤い鳥運動にも参加し童謡を手掛けました。
後に、露風は母の影響もありクリスチャンとなり洗礼名をパウロといいます。バチカンからキリスト教聖騎士の称号も授与されたそうです。
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↓この露風生家は、龍野地区の歴史的景観形成地区にあり、龍野城の真下にあることから幕藩時代は政治の中枢の場所であったと思われます。龍野の街なみの中心としてふさわしく、龍野散策の起点となります。
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by mokonotabibito | 2016-07-08 20:32 | 兵庫 | Trackback | Comments(5)
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Commented at 2016-07-08 09:45
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2016-07-08 12:41
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by Lago at 2016-07-08 14:48 x
三木露風— 私達世代にとっては忘れられない詩人です。
少女の頃、詩は愛誦しましたが、細かい来歴までは知らなかったので、
今回の紹介は、たびねす共々嬉しく拝見致しました。
露風は平易な言葉で詩情あふれる作品を書きました。
今の時代になっても、古くはなく、心を打つものがあります。
また作曲家に恵まれ、一度聞いたら忘れられない曲になっているのも幸運です。
露風といえば「赤とんぼ」ですが、私はそれと並んで
「ふるさとの」の詩と曲(斎藤佳三:作曲)をどれ程愛唱したことか・・・
「ふるさとの」はご関心の向きはYou Tube で聞く事が出来ます。

いつの世も母恋ふ思ひ変らざるましてや幼時別れしならば

乙女の日愛唱したる「赤とんぼ」「ふるさとの」歌と郷愁そそる
Commented at 2016-07-09 10:33
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Commented at 2016-07-10 21:30 x
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