少し変わった視点から世界遺産エフェスを紹介した記事ですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。
(34)トルコ「世界遺産エフェス」女神信仰の歴史と知的冒険を楽しもう!
http://guide.travel.co.jp/article/18937/
エフェスは人気の観光地で、すでに多くの記事で紹介されています。そこで、一般的な視点ではなく、女神信仰とキリスト教の聖母マリア崇拝という切り口で書いてみたのが上に紹介した「たびねす」記事です。
このブログでは、すでに「ああ、エフェスの地にて・・(その一)~(その五)」で、世界遺産エフェスの主要部分をアップしていますので、今日は「たびねす」記事の最後部分に関連させて「マリアの家」を紹介し、エフェスの最終記事とします。
エフェス遺跡から南東7kmの山の中に「マリアの家」という巡礼スポットがあります。ここは、イエス・キリストの磔刑死後、使徒ヨハネが聖母マリアを保護してこの地に至り、余生を過ごしたという伝説のある場所です。
↓まずマリア像が出迎えてくれます。
19世紀はじめ、ドイツ人のアンナ・カタリナ・エンメリックという病身の修道女が、イエスの受難、聖母マリアの晩年などを幻視し、詩人ブレンターノにその内容を伝えました。その後、1881年に、フランス人のジュリアン・ゴヤット神父が、この地でアンナのヴィジョンのとおりの家の遺跡を発見しました。
歴代のローマ教皇も訪問し聖地としてしたことから、キリスト教徒の重要な巡礼地となり、1951年には小さな聖堂が建てられ、今は人気の観光地となっています
↓これが「マリアの家」入口です。
↓「マリアの家」出口です。
とても小さな聖堂で、内部は簡素ですが良い雰囲気でした。黒い聖母子像もあり印象的でした。
↓内部は撮影禁止なので、外側にある説明看板を撮影しておきました。
↓ロウソクを灯す場所も外にあります。
↓「マリアの家」の下にある「マリアの泉」は人が列をつくり聖水を飲んでいました。
マリアの泉は飲むと奇跡が起こるとされ、多くの巡礼者が並んでいます。
三つの蛇口があり、向かって左側から健康運、愛情運、金運を授かるそうです。まさに、御利益のあるパワースポットということですね。
↓マリアの泉とその横壁の願い事紙縒りコーナー
願いを書いた紙縒りでびっしりと埋まっており、日本の神社の願い絵馬やおみくじ紙縒りを彷彿とさせるものです。今も一般庶民の聖母マリア信仰が生きていることを感じる場所です。
↓お土産店が並んでいます。
郵便局もありここからハガキを出すと聖母がデザインされたスタンプを押してくれます。富士山五合目の郵便局と同じですね・・・
↓貯水池跡
↓貯水池跡に咲く花
↓周辺の山に咲く花
山中の自然豊かな場所にあり、ここでゆっくりするのも良さそうです。野花も多く野鳥も囀っていました。
なお、ここはエフェスといっても、世界遺産に指定された場所ではありません。
「マリアの家」は学術的に解明されたものではなく、聖堂も1951年に建てられたものだからです。
マリアの晩年については諸説あり、むしろ定説は無いといえるでしょう。
その中で、マリア終焉の地として、多くの巡礼者を集めているのが、ここエフェスのマリアの家と、イスラエルのエルサレムにある聖母マリア永眠教会です。
聖母マリア永眠教会については、こちら を御覧ください。
最後に私見を述べます。
雰囲気的には、ここエフェスの自然豊かな「マリアの家」のほうが良いでしょう。マリアがこんな鄙びた穏やかな場所で最晩年を過ごしてほしい感じがします。
しかし、歴史的事実と個人的な願望は別のものです。
年代的に考えて、現在のイスラエルにいたマリアが、キリスト教がまだ広まっていない紀元40年(マリアの没年とされている)前に、ここエーゲ海に面するエフェスの地に至ったとするのは無理があります。多分、使徒ヨハネ伝説と入り混じったのでしょう。
普通に考えるなら、エルサレムにある聖母マリア永眠教会のほうが、はるかに可能性が高いです。
アンナ・カタリナ・エンメリックが幻視したそうですが、考古学的に裏付けられたものはありません。幻視は科学的証拠ではないのです。
歴史的事実と信仰とは位相が違います。信仰により事実を捻じ曲げることは出来ません。
信仰の生む文化や芸術は素晴らしいもので、計り知れない価値があります。また信仰の力が時代を動かしてきたのも確かです。しかし、それはそれとして、理性による実証的な歴史研究は止めてはなりません。
とにもかくにも、「マリアの家」は、素敵な巡礼地でした。
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和歌山は朝からどんより曇り蒸し暑いです。
立派なマリア様の像ですね。
マリア様はどこで見ても美人です。
貯水池は前方後円墳の感じですね。
ポチ♪
私も訪れましたが、十数年の間にすっかり観光化が進んだようです。
人は常に何かにすがっていたいと、助けを求めているのでしょうか。
私が見落としたのかどうか、お願いの紙縒りはありませんでした。あまり美的ではないですね。
人間の業の深さを見るようで、なんだか無惨な感じがします。
見方を変えれば、それだけマリア様にすがりたい気持が強いのでしょう。
マリアの家に立った時、私もここが終焉の地とは全く思えなかったし、伝説にすぎないと思いました。
近くにお土産屋もなく、ひっそりとした佇まいが印象的で、
野一面の真っ赤なひなげしが、マリアの家の思い出と一つになって今も心に残っています。
エフェソスのマリア伝説あなどらず信仰のあかしと瞑目す
聖水なるマリアの泉人々は癒しと平安念じて飲まん