今年も皆様にはたいへんお世話になりました。
拙ブログを御愛顧たまわり、深く御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。また来年も頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。
さて、今日はサンクトペテルブルグのロシア正教会の首座教会であるカザン聖堂をおおくりします。
↓圧巻のカザン聖堂内部
この写真は入り口付近から撮影したものです。(ここから内部は撮影禁止でした)
カザン聖堂は、ロシア正教会において重要なイコンである「カザンの生神女」が祀られた教会で、多くのロシア正教の信者が訪れる場所です。
聖イサク大聖堂や血の上の救世主教会のような博物館的なものではなく、現在も生きている市民の教会といえるでしょう。したがって、入場は無料です。
中に入ると荘厳な雰囲気で、何より奥正面のカザンの生神女のイコンが印象的で、敬虔な信者が頭を垂れて祈っていました。
生神女のイコンの一角はロシア正教の信者のみが入れますので、観光客は遠くから見守る形になります。いかにロシア正教徒がイコンを大切にしているかが分かる教会といえます。
なお、ロシア正教では立像はほとんど見られず、平面的な聖画像であるイコンが中心となります。これは初期キリスト教の偶像禁止の流れに基づき、立体的な像が避けられてきた歴史によります。
イコンは、板絵、フレスコ画、写本挿絵、モザイク画などで、わざと平面的に描かれ、教会の内部を飾っています。これが正教会内部を見学するとき頭に入れておくべき肝要な点です。
カザン聖堂の生神女のイコンは撮影禁止なので、お土産として売っていた木製板に書かれたイコンの小さなレプリカを購入しました。
すこしデザインが違いますが、参考になると思いますので、そのお土産の写真をアップします。
↓お土産の小さな生神女イコン
カザン聖堂は、ヴォロニーヒンの設計により、10年がかりで1811年に完成しました。完成翌年には、ナポレオン戦争(ロシアでいう祖国戦争)勝利を記念するものとされました。ソ連時代には無神論博物館とされましたが、1996年にロシア正教会に返還されました。
この教会の外観の特徴は、ネフスキー大通りに面して主建物の両側に半円状に弧を描くコリント式列柱の回廊です。いわばローマのサンピエトロ寺院を彷彿とさせるもので、ロシアでは珍しい様式です。
これにはロシア正教会側ではなく建築当初の皇帝であるパーヴェル1世の意向が反映されたのではないかと言われています。
↓コリント式列柱の回廊
↓ファサードもローマ・ギリシア風
↓中央ドームのアップ7
それでは、皆様・・・良いお年を!
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1枚目などはスクロールしながら、全体像はどうなんだろう、とワクワクしながら
マウスのホイールをまわしてました。
今年も大変お世話になり、ありがとうございました。
来年もいい年になりますよう、よいお年をお迎えください。
素晴らしい写真で今年を締められましたね。
模糊さんの写真はいつも素晴らしいので
感動しつつ見ています。
では、来年もよろしくお願いいたします。
どうぞよいお年をお迎えください。
ポチ♪
思えないような造りに驚きました。
一番気に入ったのは,最後のフォトの青銅色のドームで、装飾的設えがとても素晴らしい。
晴天に映えて、見飽きない美しさです。
また、アプローチから祭壇へ誘う最初のショットは雰囲気をよく捉えた見事な一枚です。
ところで、今回の記事の重要なキーワードは「生神女」。
模糊さんは既知のこととして文を進めていますが、果たしてそうでしょうか?
文脈的には分かりますが、日本に於いて「生神女」という単語は
聞き慣れない、見慣れない言葉では?日常は勿論、書物の上でさえ。
そこで、僭越ながら、調べた結果を簡潔にまとめてみたい。
「生神女」一体その読みは? 「しょうしんじょ」
その意味は? 神を生みし女。 正教会における聖母、イエスの母マリアの敬称。
ところで、「聖母」と「生神女」の間に、言葉としての微妙なニュアンスの違いを感ずるのは、
私だけであろうか?
「聖母」には、優しく柔和で温もりのある永遠の母を感じる。
一方「生神女」といわれると、どこか生々しくて、神話世界に踏み込んだような
畏敬の念にかられてしまう。
然し、これは言葉の魔術で、実際の聖母像、イコンを見ていると、そんな事は忘れて
両者に何の差異もなく、母なる者の愛に打たれてしまう。本質は一つなのだ。
従って両者の呼称の違いは、信者側の受け止め方の違いなのであろう。
このイコンは美術本にも紹介され、アート作品になっているが、
イコンは本来的には、祈りの最も強い表明であり、無記名を原則としてきた。
カトリックよりも、より原始キリスト教に近い信仰の在り方を、
様々な国の正教会で見聞・体験してきたので、思いは尽きない今回のブログであった。
生神女そは聖母のことなれど畏敬を込めて神髄を突く