ユダヤ教徒ではないローマ総督ピラトにとってイエスのキリスト自称は有罪でもなんでもないわけです。したがって、ピラト自身はイエスの処刑に消極的だったので、祭のたびに一人の罪人に特赦を施す慣例から、イエスか、暴徒バラバ(ヨハネ福音書では強盗バラバ)のどちらかを釈放しようとはかります。
しかし祭司長たちは、バラバの方を釈放くれるように、群衆を煽動した。そこでピラトはまた彼らに言った、「それでは、おまえたちがユダヤ人の王と呼んでいるあの人は、どうしたらよいか」。彼らは、また叫んだ、「十字架につけよ」。ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると、彼らは一そう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。それで、ピラトは群衆を満足させようと思い、バラバを釈放してやり、イエスをむち打ったのち、十字架につけるために引きわたした。(マルコの福音書15.11~15)
ここで煽動された群衆は、イエスを「十字架につけよ」と叫びます。
総督ピラトは、興奮した群衆が騒動をおこすのを恐れ、群衆がバラバを選んだことで自分の責任を回避し、イエスの十字架刑を認めるのです。
このピラト官邸からイエスの十字架死までの最後の歩みを、ヴィア・ドロローサ(苦難の道)といい、14の留(ステーション)があります。イエスと同じ道を歩いていると信じることで、わずかながらもイエスの苦しみを追体験し宗教的な歩みを得るという、巡礼の道となっているのです。
このヴィア・ドロローサの歩みは、いつしか巡礼者によって自然発生的にはじめられたもので、後にローマ教皇からエルサレムの管理を命じられたフランシスコ会が整備し、平和的な巡礼者の行進運動として伝統的に受け継がれてきています。
第1留<ピラトに裁かれる>
第1留は<ピラトに裁かれる>すなわち、総督ピラトの官邸があった場所とされていますが、そこは現在、イスラムの学校の敷地となっていますので見学ができません。ただ、学生が沢山いました。(ヴィア・ドロローサはイスラム化されたアラブ人街の中にあります)
↓そのピラト官邸跡とされる男子校(ウマリヤ小学校)の生徒たち
ピラト官邸の代わりに、フランシスコ会により、伝承のある「敷石」の上に、有罪判決の教会が建てられ、イエスが祀られています。
ピラトはこれらの言葉を聞いて、イエスを外に連れ出し、ヘブライ語でガバタ、すなわち「敷石」という場所で、裁判の席に着かせた。(ヨハネの福音書19.13)
↓その敷石ではないかと言われている、有罪判決の教会の古い敷石
↓有罪判決の教会の内部
第2留<鞭打ちの教会>
イエスが鞭で打たれたとされる場所に、鞭打ちの教会が建てられています。
兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中庭に連れて行き、部隊全員を呼び集めた。そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせた。(マルコの福音書15.16~17)
イエスは、鞭打たれ、いばらの冠をかぶせられ、「ユダヤの王様」と嘲笑され、いったん着せられた紫の衣を剥がれ、自分を処刑するための十字架を自ら背負わされたとされています。その場所が第2留です。
↓鞭打ちの教会のファサード
↓鞭打ちの教会の内部
↓いばらの冠をイメージした鞭打ちの教会天井
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どこの国でも子供はヤンチャですね。
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