模糊の旅人
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2017年 09月 04日 |

伊吹山には、綺麗だけれども同定が難しい花があります。それが、クガイソウ と ルリトラノオ です
どちらも青紫系の細長い花でとても素敵なのですが、花だけ見ると私には区別がつきません。葉の付き方でなんとか区別します。

↓スジグロシロチョウを撮影したのですが、その止まっている花がクガイソウなのかルリトラノオなのか・・・

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↓少し角度/構図を変えて、葉も入れて撮影すると分かります。葉が輪生なので、これはクガイソウです。

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↓伊吹山のクガイソウは、イブキクガイソウとしてクガイソウから独立した種類(亜種)とする考え方もあります。

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↓こちらは、ルリトラノオ
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ルリトラノオは、伊吹山と岐阜県揖斐川町(伊吹山の東側すぐ)にしか分布しない珍しい植物ですが、瑠璃色の花がクガイソウそっくりなので、花だけでは区別しにくいです。

ルリトラノオは、葉が対生なので、そこで区別できます。

↓これは分かりやすい写真で、明らかに葉が対生なので、ルリトラノオです。

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↓ちょっと発色が青に寄りましたが、これもルリトラノオです。

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写真のように、クガイソウよりルリトラノオのほうが真っすぐ咲くような気がしますが、斜めによれて咲くルリトラノオもあるので、やはり葉の付き方で区別するのが正解です。


私自身は、昆虫とくに蝶がたくさん寄ってくるクガイソウのほうが好きなのですが、ルリトラノオの凛とした雰囲気も良いものです。

以下、5枚の写真はすべてクガイソウで、蝶や昆虫、カタツムリがいるものです。

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↓小さなカタツムリがいます。これは、ヒメボタルの餌になり、伊吹山頂の山小屋に宿泊すれば、夜に蛍の輝きを観察できます。

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↑周りをアカソが取り囲んでいますね。クガイソウも負けずに頑張って生きてほしいものです。



もうひとつ、名前的にややこしいのですが、イブキトラノオという白い花があります。

↓イブキトラノオ。これは、白い花とはいえ、やはり細長い虎の尾状の形をしています。

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↓シモツケソウの群落の中に咲くイブキトラノオの花たち。少し弱弱しい風情がなんとも個性的です。

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このイブキトラノオをはじめ、イブキフウロソウ、イブキトリカブト、イブキジャコウソウ、コイブキアザミなど、伊吹山にはイブキ~~と伊吹を冠した植物が30種近く自生しています。これは、伊吹山には花が多く植物研究のメッカであり、ここで発見命名された植物が多いからです。






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2017年 08月 29日 |

伊吹山の代名詞ともいえる美しい花がシモツケソウです。バラ科の多年草で、ピンクのふわっとした雰囲気は夏の山の妖精のようです。年によって開花量が異なりますが、運が良ければ群生して咲く景色も見られます。

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↓たくさん咲いていると見事です。
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10年ほど前から、シモツケソウの花が減り、心配されていました。

最近は、関係者の保護努力により、シモツケソウの開花数が復活しており、大きな群落も昔のように見られるようになってきました。
有難いことで、これからもこの繊細で美しい花の姿を見守っていきたいものです。

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群生するシモツケソウのお花畑の美しさは例えようもありません。
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↓霧が立ち込める中でのシモツケソウ群落も良いものです。夢幻的です。

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↓シモツケソウの上下に葉先が三裂した赤い細棒のような花が見えています。これがシモツケソウを圧迫しているアカソです。

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シモツケソウの減少をもたらした大きな原因は、このアカソという花の勢力拡大です。

アカソはイラクサ科の強勢な多年草で、60cmから120cmまで大きくなるため、アカソが繁殖すると他の植物が埋もれて枯れてしまうのです。

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伊吹山の山頂付近では多種多様な花が咲きますが、特にアカソ、次いでテンニンソウが優勢になってきており、他の植物が脅威にさらされています。特に生育環境が似ているシモツケソウの被害が多いようです。

異常繁殖した植物は盛期を過ぎると再び減少するものですが、アカソとテンニンソウに関してはそんな減少する気配が見られません。

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植物の生存競争といえばそれまででですが、伊吹山の植物の変遷には、多くの観光客や登山者にさらされる影響も指摘されており、人間が踏み込む環境に適したアカソのような植物に優位に働いているのです。


↓アカソも撮影仕方によっては、それなりに綺麗に見えますが・・・

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↓他の花(クルマバナ)を圧迫しつつあるアカソです。

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アカソは人気のない花なので可哀そうな気もしますが、お花畑がアカソだらけになってしまうのは、植物環境が貧しく単調になり考え物です。

外来種ヒメジョオンも広がってきており、これについては駆除する活動が行われているようです。

人間の生活環境に適応したススキやオオヨモギも勢力を増してきており、伊吹山独特の植物が減るのは望ましいことではありません。

入山者を制限すべきという意見もありますが、多種多様な花が咲き乱れる伊吹山だからこそ多くの登山者が殺到するわけで、それを一部の特権的な人にだけに見せるというのは反対です。誰でもこんな雲上の楽園を見たいわけで、伊吹山の素晴らしさを多くの方に味わってもらえるような方向で、自然保護に努めていくようにしてほしいです。

地球温暖化や鹿の食害という問題もあり、人気の伊吹山ならではの自然保護の難しさがあるようです。






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2017年 08月 23日 |

近場で夏に涼しくて野生の花が沢山見られる場所というのは伊吹山が随一です。まさに雲上の楽園と言えるので、私は毎年登ります。

伊吹山は滋賀県と岐阜県の県境に位置する独立峰で、雲が湧きやすく石灰岩系の岩質土壌のため山頂付近に樹林が無く、真夏に天然のお花畑が広がっています。日本のへそにあり、北日本と南日本の自然が交差し、多くの種類の植物が見られます。真夏でも20°C前後の気温で快適に自然を探勝できます。

今日は伊吹山の風景と登山模様を紹介します。


↓下から見る伊吹山。頂上付近が平らであるのが分かります・・・まさに、ここに天然のお花畑が広がっているわけです。

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↓伊吹山を詠んだ芭蕉の句碑

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「そのままの姿で月の風情も不要なほどに美しい」という意味で、伊吹山の毅然とした良さが短い言葉に詠みこまれています。さすが芭蕉ですね。


伊吹山の一般的な登山道は三つあります。

↓西登山道 最も登山者の多い道で、花が多く傾斜がなだらかです。

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↓中央登山道 距離的には一番短いのですが急傾斜で階段がずっと続きます。

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↓東登山道 もっとも人が少なく、深山の雰囲気があります。

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↓平らな頂上が見えてきました。右側の道に小さく見える多くの登山者が分かりますね。

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↓頂上が近づいてきました。景色が良いです。

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軽いリュックを背負って上る人がほとんどです。
最近はトレッキングポール(軽量登山杖)で登る人が多くなりました。(ちなみに私は写真を撮りながら登るのでトレッキングポールは使用しません。常に両手を空けておくのが私の流儀です。)

↓頂上付近で琵琶湖を見る人々

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↓頂上には神社も売店もあります。

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↓頂上のヤマトタケル像

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ヤマトタケルの最期について、古事記と日本書紀では内容が少し異なりますが大意は同じです。ヤマトタケルは伊吹山の神との対決に敗れ、ふもとの居醒めの清水(醒井の記事参照)で傷を癒すものの病の身となり、大和に帰ろうとしますが能煩野(現・三重県亀山市)で「倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し麗し」「乙女の床のべに 我が置きし 剣の大刀 その大刀はや」などの国偲び歌を詠んで死去します。
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ここは滋賀県の最高峰(1377m)です。

↓白い岩は石灰岩です。このように天気が良く琵琶湖が見える風景は高度感があり雄大ですが・・・

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↓霧が湧く天候もまた雰囲気が良いものです。幻想的であるとともに曇り空は光線が穏やかで気温が低く過ごしやすいのです。

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↓雲間の琵琶湖

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↓南西側の琵琶湖景観・・・中央右の半島の先に浮かんでいるやや大きな島が沖島で、その手前右側に豆粒のように見える島が多景島です。

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↓北西側の琵琶湖景観・・・竹生島が見えます。

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↓最後はモノクロで「雲の湧く時」

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次回から伊吹山の花を紹介します。




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2017年 08月 17日 |

醒井の後編です。

↓地蔵川風景

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↓梅花藻と醒井宿の街並み

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↓梅花藻の茎は長く、独特の水中世界を形づくっています。

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梅花藻はユニークな水環境を育み、水生昆虫が生息するだけでなく、梅花藻の茎葉を産卵床とするハリヨ(針魚)という淡水魚が見られます。

ハリヨは岐阜県と滋賀県の山間部にしか生息しない貴重な生き物で、年間を通じて低水温で清浄な浅瀬環境に適応しています。
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ここ居醒の清水近くの延命地蔵堂には地蔵川のハリヨを入れた水槽があり、飼育された姿を間近で見学することができます。

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ハリヨは、わずか体長5㎝ほどの小さな魚で、背中にや腹にトゲを持ちます。現在は環境の悪化や近縁のイトヨとの交雑が進み絶滅が危惧されているそうです。

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ハリヨの水槽のある地蔵堂の側に、雨森芳洲の歌碑があります。

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「水清き人の心をさめが井や底のさざれも玉とみるまで」

江戸時代中期の儒学者である雨森芳洲は、近くの現・長浜市の出身で、対馬藩に仕え李氏朝鮮との外交に活躍しました。この歌は、晩年、故郷近くの居醒の清水に思いを寄せて詠んだものです。


雨森芳洲は、木下順庵の下で儒学を学び、新井白石、室鳩巣とともに、木下門下の五先生あるいは木門十哲の一人とされた秀才です。朝鮮語と中国語に堪能で、外交官としての役割を果たすとともに、篤実な人格者で信頼され、対馬藩主の側用人にも就任しました。


↓ヤマトタケルの像(伊吹山の神に敗れたヤマトタケルは、ここの清水で傷を冷やしたとされています)

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↓その「居醒の清水」(平成名水百選のひとつ)

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↓上の写真の中央部分をズームでアップ・・・確かに相当の量の水が湧いています。

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居醒の清水を見たら、来た道を戻ります。

↓醒井宿の街並みは素敵です。

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↓帰路、醒井宿の民家玄関先に植えられていたルリヤナギの花

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醒井の街並みの西はずれ(大王水から西へ3分)に、西行水という湧水があり泡子塚が祀られています。これは西行法師の逸話に彩られたロマンチックな場所です。

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伝説によると、平安時代末期、西行が京から関東へ行く途中、この醒井の湧水で休憩していたところ、茶店の娘が西行に恋をして、西行の飲んだ後の茶の泡を飲むと懐妊していしまい、男の子を生みました。

西行は、関東からの帰り、ここに立ち寄り、娘から話を聞き、その生まれた子を見つめるや「今一滴の泡変じてこれ児をなる、もし我が子なら ば元の泡に帰れ」と祈り「水上は清き流れの醒井に浮世の垢をすすぎてやみん」と詠みました。すると不思議や、その子はたちまち消えて、元の泡になりました。西行は「実に我が児なり」と、ここに石塔を建てたそうです。

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↓西行水の近くには、中山道醒井宿の道標があります。

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2017年 08月 11日 |

「たびねす」に、私の <夏は滋賀県・醒井で梅花藻(バイカモ)の可愛い姿を観察しよう!> という記事が掲載されました。夏に最適の清流に咲く水中花の記事ですので、ぜひご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。






ブログでも、上記の、たびねす記事とタイアップして、醒井の街並みと水中花:梅花藻について、紹介します。

「醒井」は、JRの駅名は「醒ヶ井」と書き、いずれも「さめがい」と読みます。

『日本書紀』の日本武尊(ヤマトタケル)伝説に登場する「居醒泉」(いさめがい)に由来し、伊吹山の神に敗れたヤマトタケルの傷を冷やしたとされ、ここの湧水がはるか神話時代から有名であったことが分かります。

また、東日本と西日本を結ぶ交通の要衝で、泉が湧き、旅人が休憩する場所として最適だったのです。当然、昔より宿場町であり、中山道の61番目の宿場でした。


↓JR東海道線の醒ヶ井駅

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↓醒ヶ井駅前にある「醒井水の宿駅(さめがいみずのえき)」
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↑直売所として地場の野菜や名物お土産物を販売しており、おふくろバイキング 「みゆき」やミュージアムもあります。なにより「醒井の湧水」が入口前にあり、無料で試飲したり汲むことができます。美味しい水ですので、ぜひ試してみましょう。


醒ヶ井駅前から、南へ国道21号線を渡り、行きあたりを東(左)へ折れて歩いて5分ほどで、地蔵川に至り(十王水)、ここから地蔵川の水源たる居醒泉の清水まで約500mの間に、点々と梅花藻(バイカモ)が見られます。

↓十王水までの道の左側にある旧・醒井郵便局の建物

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↑有名なヴォーリズの設計による郵便局舎で、石造り風に見える木造モルタルの擬洋風建築という独特の建築物です。現在は醒井宿資料館になっています。


↓旧・醒井郵便局の先にある案内看板(写真をクリックすると横1200ピクセルに拡大されますので、地図として参考にしてください)

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↓十王水。川の流れの中にあるので、水源がある湧水とは分かりにくいです。

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↓十王水付近で見る梅花藻

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河岸には「かわと」という川際に降りる階段状の場所が設けられ、果物を冷やしたり野菜を洗ったりできるようになっています。古くから地元の人たちの生活と結びつき保護されてきた水と親しむ街並みは、落ち着きと潤いのある情緒を醸し出しています。

↓水に親しむ地蔵川沿いの醒井宿風景

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↓夏は、地蔵川に咲く水中花である梅花藻(バイカモ)が一番人気。多くの観光客が訪れます。

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醒井宿資料館のひとつである問屋場のあたりが梅花藻が最も群生して見られます。

↓問屋場

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↓梅花藻は可愛い水の精

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地蔵川は、梅花藻が生息する貴重な場所として知られ、年間を通じて14度くらいの清浄で安定した湧水環境が維持されています。梅花藻は、初夏から初秋にかけて小さな梅のような花を水面に咲かせ、全体的に小規模ながら独特の華やな雰囲気があります。夏季の限定期間には、梅花藻の夜間ライトアップもあります。

↓梅花藻の群生

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↓梅花藻に近づいてクローズアップ撮影

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↓あれ?梅花藻に赤花があるかと思って、接近してよく見ると、上流で岸から落ちて流れてきたサルスベリの花でした。それでも、とても風情がありました。

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2017年 06月 09日 |
オビドスの最終回です。

メインストリートのディレイタ通りの突き当りにはオビドス城があります。石壁がひときわ大きくそびえ、強固な城塞のようで、ポルトガルの七不思議のひとつとされています。
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↓こちらは柔らかく仕上げてみました。
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オビドス城は、現在は、歴史的建造物を利用した国営のホテルである「ポサーダ カステロ デ オビドス(Pousada Castelo de Obidos)」になっています。
ポサーダ は、格式を誇るホテルで非常に人気があります。古城ホテルの一種というべきものですが、内部は綺麗に改装されており、快適に宿泊できます。

↓入り口付近
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このホテルに宿泊すると、オビドスを囲む城壁へ上るプライベートなアプローチを利用できるそうです。とても美しい景色を独り占めできるのです。このホテルは部屋数が少ないのが難点で、私も予約が取れずここには宿泊できませんでしたが、機会があればぜひ宿泊してみてください。きっと、ホテルからの城壁ルートや夕刻から夜にかけてのオビドス街歩きなど、一味違うオビドスを体験できるでしょう。

↓ポサーダ中庭への入り口
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↓中庭を撮影させてもらいました。周囲を城壁に取り囲まれていますが、中庭は石畳が敷き詰められ、白いホテル建屋が落ち着いて上品な雰囲気を醸し出しています。
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オビドス旧市街を囲む城壁へは、何箇所か上り口があり、素敵な景色を楽しむことができます。おすすめは、オビドス城手前から西側城壁に上り、南へ歩き、最初に紹介した城門(ポルタ・ダ・ヴィラ)に至る、半周コース。オビドス城壁は西側が高いので、このコースは見晴らしが良いのです。

↓ただし、城壁は片側が切れ落ちており怖いです。その雰囲気が分かるように、城壁を歩く人を撮影してみました。
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↓以下8枚、城壁の上を歩いて撮影した写真を、一気にお見せします。
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↑オビドスの城壁の内側が旧市街

以上のように、城壁の上を歩けば、スリル満点で素敵な景観も満喫できます。城壁上ルートは一応の道幅はあり、外側には石壁があるのですが、内側は手すりもなく切れ落ちており危険です。かつて観光客の落下事故もあったそうですから、城壁の上をめぐる際は、細心の注意をはらい、用心深く歩いてください。

何より、逆方向から歩いてきた人とのすれ違いが恐怖でした(汗)

↓城壁の穴から見た外側の景色です。田園風景が広がっていました。
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↓城壁の上から見下ろした、外の駐車場と水道橋です。
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2017年 06月 04日 |
今日はオビドスの素敵な教会を二ケ所紹介します。

↓サンタマリア教会
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オビドスのメインストリートであるディレイタ通りをオビドス城へ上っていく途中、右側に大きな広場(サンタマリア広場)があります。その中央正面の美しい白い教会がサンタマリア教会です。ここは村の中心の教会という感じで、外観はシンプルで清楚。内部も必見です。

↓門を入ると、すぐにアズレージョ(青タイル)が出迎えてくれます。
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↓教会内部は元がロマネスク様式ですので暗いのですが、アズレージョが多く明るく感じます。
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この教会は12世紀にロマネスク様式で創建され、何度か立て直されました。ポルトガル国王(アフォンソ5世)が1448年に結婚式をあげた教会としても有名です。王や王妃も若かったそうですから、この可愛い教会に似合っていたことでしょう。

↓祭壇
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祭壇を取り囲むアズレージョが見事。

↓壁も見事なアズレージョに埋め尽くされています。まさに、いかにもポルトガルらしい教会といえるでしょう。
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青いタイルは暗い教会内を明るくしてくれます。
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アズレージョは、かつてイベリア半島を統治したイスラム教徒(ムーア人)が用いていた建物装飾の伝統を受け継いだもので、その源流はペルシアのタイル芸術にあります。

アズレージョという言葉は、アラビア語で「ホーローで覆われた素焼き」を意味します。まさにシルクロードの文化がユーラシア大陸の西の果てのポルトガルで花開いたのです。


↓天井にはフレスコ画が描かれています。
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↓サンタマリア教会の前には、ペロウリーニョという石の柱があります。これは、かつて罪人を晒した柱で、村の自治のシンボル的役割があったそうです。
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↓サンタマリア教会近くの家の壁にも素敵なアズレージョがありました。
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↓サン・ペドロ教会
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サン・ペドロ教会は、オビドス第二の教会です。12世紀に創建されたものですが、リスボン地震で崩壊し再建されました。最近外装の改修を終えたことから綺麗になっていました。


↓内部はサンタマリア教会とまた違った雰囲気で、全体にシンプルですが金泥細工の祭壇だけが派手です。
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↓その祭壇
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↓ここにも聖セバステイアヌスがありました。
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さらに、もうひとつ教会にも入ったのですが、そこは現在は教会ではなく本屋さんになっていました。


オビドスの教会は、いずれも小さな町の素敵な教会という感じで好感が持てました。それぞれアズレージョと金泥細工というポルトガルらしい特徴があり、興味深かったです。



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2017年 05月 30日 |
オビドスは小さな人気観光地。昼間は観光客でいっぱいなので、皆さんカメラを構えて写真を撮っています。そこで、私も思い切り浮き浮きと街角スナップを楽しみました。

ということで、今日はスナップ天国オビドスで、自由気ままに撮影した写真を一挙15枚ご覧ください。
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オビドスでは、ジンジャだけでなく、各種の小物雑貨類がお土産として売られています。中でも可愛い陶器類が人気。その他にも、タイル、コルク製品、人形、バッグ、衣類、缶詰など多種多様で、ウィンドウショッピングいや店先見学だけでも面白いです。
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人の多いメインストリートだけでなく、脇道や路地も絵になるのがオビドスの良さ。静かな街角スナップも満喫しました。
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2017年 05月 25日 |
「たびねす」に、私の ~「王妃の村」ポルトガルのオビドスを完全制覇~ という記事が掲載されました。
オビドスは、ポルトガルの七不思議のひとつで「谷間の真珠」あるいは「中世の箱庭」とも称される美しい村ですので、ぜひご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(46)「王妃の村」ポルトガルのオビドスを完全制覇
http://guide.travel.co.jp/article/26512/






ブログでも、上記の、たびねす記事とタイアップして、オビドスについて4回くらいに渡って詳しく紹介します。


オビドスは、ポルトガルの七不思議のひとつで「谷間の真珠」あるいは「中世の箱庭」とも称される、古い街並みを残す、城壁に囲まれた美しい村です。人口800人ほどしかないのですが、ポルトガル旅行の白眉とされ、昼間は観光客で一杯。小さな空間に凝縮された絵本のような村を散策できます。

1288年にポルトガル王ディニス1世と王妃イサベル(聖エリザベト皇后)は、新婚旅行でオビドスを訪れました。その際、王妃が大変気にいったことから、王はこの地を王妃にプレゼントしたのです。以来、オビドスは代々の皇后の直轄地となり「王妃の村」とされました。今は、中世の面影を残す小さな観光地として、ポルトガル旅行随一の人気スポットです。


リスボンのカンポ・グランデ駅バスターミナルから一時間ほどバスに乗るとオビドスに到着します。リスボンからの日帰り観光に最適です。

↓城壁の外側にあるバスの停車駅から下の駐車場方面を見ると、古い水道橋が見えます。
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オビドスは城壁に囲まれた小さな町(村)です。まずバス停から、城壁に向かいます。

↓外側から見た城壁
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↓ポルタ・ダ・ヴィラという城壁の門に入ると、アーチ上部に18世紀のアズレージョ(タイル装飾)が見られます。この城門は1380年に建造されたもので、中で折れ曲がるクランク型の構造で、敵に直接攻め込まれるのを防いでいます。
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門を抜けるとメインストリートが現れ、青と白の配色が印象的です。

↓写真は城門横の城壁に登る階段から撮ったもの。ここに限らず、オビドスはどこを撮っても絵になりますので、思い切り写真撮影を楽しめます。
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このメインストリートは、ディレイタ通りといい、両側の白壁の家に挟まれた石畳の細い道で、一番奥のオビドス城まで少し上り勾配で続いています。ここには、土産物屋などが立ち並び、昼間は観光客の流れが途絶えることがありません
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城門からオビドス城まで10分ほどで行けるのですが、急がずに、ディレイタ通りを見物したり買い物したりして、ゆっくりと歩きながら楽しみましょう。
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ここでは、さくらんぼの果実酒であるジンジャ・デ・オビドス(Ginja d’Obidos)通称ジンジャが一番の名物です。 瓶の大きさやデザインは各種あり、お土産にも最適。通りのあちこちで販売されており、ほとんどの方が買って行かれます。
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↓せっかくオビドスに来たのですからジンジャを一口飲んでみました。それにはチョコレート製小カップ(お猪口)に注いでくれるジンジャが最適で、通りのあちこちで売られています。1ユーロで、ジンジャとチョコを味わえます。
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ジンジャは、とても甘いリキュールで口当たりは良いのですが、アルコール度数は20度くらいあり、結構強いお酒です。

↓いろいろなジンジャ瓶があるので、それを見て回るだけでもじゅうぶん楽しめます。
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↑私は写真の小さなジンジャとチョコカップを買って帰りました。下戸の私には、ちょうど良いと思ったからです。
甘くて強いお酒なので、これでもちょっときつく、プレーンソーダ水に混ぜて、酎ハイのような感じで飲むと、サクランボ風味が効いて非常に美味しかったです。



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2017年 05月 20日 |
「たびねす」掲載された、私の 「河口慧海の足跡も!泉州・堺で古い街並み散策」 という記事とのコラボ企画の後編です。

今日は、堺の古い街並みの紹介と堺鉄砲の話です。


↓清学院の一筋東側に、鉄砲鍛冶屋敷跡があります。堺市の指定有形文化財ですが、住居として使われているため、内部非公開で外観だけの見学になります。
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安土桃山時代から江戸時代にかけて、技術力のある堺は日本一の鉄砲生産地として栄えました。第二次世界大戦の空襲で堺の中心部は焼失しましたが、この一画は奇跡的に戦災を免れました。鉄砲鍛冶屋敷跡は、江戸時代の鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼店舗であったもの。往時の面影を残す堺で唯一の貴重な建築物で、日本の町家建築としても最古級です。

↓鉄砲鍛冶屋敷跡を引いた画角で周辺の街並みと一緒に撮影
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1543年、種子島の門倉岬西村の小浦に漂着したポルトガル人より、初めて日本に南蛮式鉄砲がもたらされました。島主:種子島時堯が、二挺の鉄砲をポルトガル人から買い取ったのです。

当時、琉球との貿易に従事していた堺の貿易商・橘屋又三郎は、種子島に立ち寄り、その鉄砲製造技術を持ち帰り、堺の桜之町に鉄砲工場をつくりました。堺の職人たちは対応できる高い技能を持っていたからです。

また、紀州根来寺(現・和歌山県岩出市根来)でも、堺の刀工・芝辻清右衛門が種子島銃の複製に成功します。
さらに足利将軍義晴に島津経由で献上された鉄砲をもとに、近江国・国友村(現・滋賀県長浜市国友町)の刀工・善兵衛も種子島銃の複製に成功。

すなわち、ほぼ同時期に、日本の三か所で、鉄砲製造に成功し、そのうち二か所で、堺の人間が製造したのです。

戦場の様相を一変させる武器でしたので、戦国大名は競ってこの鉄砲を入手しようとしました。
中でも「尾張の大うつけ」といわれた織田信長は、1553年、舅である美濃の斎藤道三と初対面した際、足軽に500挺もの新兵器の鉄砲を持たせて行進し、驚かせたとのことです。

まさに、この時、鉄砲伝来からわずか10年後なのです!
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上記の堺の橘屋又三郎(鉄砲又)と芝辻清右衛門一族は、堺で本格的な鉄砲生産に乗り出し、堺は日本における鉄砲製造の中心地となりました。(信長が長篠の戦いで使用した3000挺の鉄砲のうち2500挺が堺の製品)

鉄砲の弾丸の鉛や火薬原料の硝石は輸入に頼らざるを得なかったので、海に面した貿易港である堺は鉄砲製造の立地条件としては最適でした。さらに職人の技術力の高い堺では、品質管理による「部品互換方式」の製作システムを確立して大量生産に乗り出しました。
いっぽう、原材料輸入貿易や鉄砲販売をする有力堺商人は、会合衆として堺の都市自治を推し進め、現代でいう商社的役割を果たし、鉄砲のバイヤーかつブローカーとして活躍しました。


織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下人は、鉄砲を重視し、堺を支配下に治めるべく努力しました。これらの天下人と結んだ堺商人は、財力を蓄え文化をも育成しました。

今井宗久や千利休・津田宗及らは、鉄砲の販売や硝石の貿易で活躍した堺商人で、その経済力の上に、茶の湯という高度な文化を生み出しました。彼らは、単なる武器商人ではなく、日本人の美意識を創り出した優れた文化のプロデューサーでもあったのです。千利休に至っては茶の湯を大成するとともに、「御茶湯御政道」の担い手として秀吉政治のフィクサーにまでなりました。(秀吉の弟:豊臣秀長の言葉「公儀のことは私に、内々のことは宗易【=千利休】に」)
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その結果、鉄砲生産の最盛期:1600年ころには、10万挺近い鉄砲が日本にあったと推測されます。当時、日本の鉄砲の数は、ヨーロッパ全体の量を超えていたそうです。

この鉄砲普及の驚異的なスピードと国産鉄砲の品質の高さは、日本だけで、ヨーロッパ人が銃を持ち込んだ世界のどの地域にも見られないものです。


有力な説によると、ポルトガル・スペインが日本の植民地化をあきらめた大きな要因は、この日本における鉄砲の普及にあったとされます。

「堺鉄砲が日本を守った」とは言いすぎかも知れませんが、少なくとも「歴史を変えた堺鉄砲」と言えるでしょう。


模倣から出発して、品質を向上させ本家を超えた良いものを大量生産する.....なんだか、現代日本の自動車産業やカメラ産業の話に似ていますね。
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江戸時代に、鎖国して天下泰平になると鉄砲の需要は減りますが、鉄砲鍛冶の伝統が途絶えることはなく、タバコ包丁や打ち刃物でも堺の高度な技術は連綿と受け継がれ、とりわけ高級なプロ用包丁である「堺包丁」は現在でも世界一の切れ味を誇ります。


↓このあたりには多くの鉄砲鍛冶が住んでいたのです。
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そうした、現代に堺鍛冶の伝統を受け継ぐ老舗が、水野鍛錬所です。

↓鉄砲鍛冶屋敷跡から二筋東に紀州街道があります。ここを南に150mほど歩くと水野鍛錬所があります。
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ここは、現在も営業している老舗の鍛冶屋で、伝統の古式鍛錬にのっとりプロ用の和包丁から日本刀に至る極めて優れた刃物を鍛造しています。奈良の法隆寺大改修の際には、国宝五重塔九輪の四方魔除け鎌をを鍛え奉納しました。
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↓水野鍛錬所の門横には、与謝野晶子の歌碑があります。2010年に水野鍛錬所により建立されたもので、鍛冶屋らしく庖丁の形をしています。
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 「住の江や和泉の街の七まちの鍛冶の音きく菜の花の路

「七まち」とは堺の鍛冶屋用語で、堺製のタバコ庖丁が江戸幕府公認となった際、北旅籠町、桜之町など七つの町に住んでいた37軒の鍛冶屋が指定されたことに由来します。このあたりは、堺の鉄砲製造の伝統を引く鍛冶屋の街区だったのです。

また「菜の花」は、江戸時代から明治時代にかけての堺では、菜種が多く栽培されていたことによります。河口慧海や与謝野晶子が、堺で幼少期を過ごした際、菜の花を見て育った情景が浮かびます。

この歌碑は、最近つくられたものですが、与謝野晶子のふるさとですので、堺には晶子の歌碑・顕彰碑は多く建立されてきており、現在は23基もあります。

なお、堺の与謝野晶子の歌碑については、
 「与謝野晶子のふるさと堺市で歌碑巡り 生家跡などで晶子を偲ぶ」
 「堺市で与謝野晶子の歌碑を辿り歴史ロマン散歩 大仙公園から晶子立像へ」
の記事をお読みください。


↓このあたりは刃物の店が多いです。
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↓紀州街道
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与謝野晶子歌碑の前の紀州街道を南に下り、阪堺線(路面電車)と合流してから次の筋を東に入ると山口家住宅があります。

↓山口家住宅
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山口家住宅は、大坂夏の陣の戦火直後(1615年)に建てられた貴重な建物で、江戸時代初期の町家として重要文化財に指定されています。内部は整備され、堺の伝統的な町家暮らしを感じることが出来る展示があります。

ここは、前回記事で紹介した「清学院」との共通入場券も発行され、連動して見学できます。「慧海と堺展」というイベントが実施された際は、山口家住宅もメイン会場の一つとなり、河口慧海と交流のあった堺の人々の関連資料が展示されました。


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