模糊の旅人
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2018年 01月 20日 |

今月末まで、海外取材旅に行ってきますので、ブログ更新も休ませていただきます。

行き先は、地中海西部シリーズの掉尾を飾るものとして、マルタ共和国となります。マルタは小さな島ですので、一つの宿に滞在して、ゆっくり取材するつもりです。
ひょっとして2月の温故斬新写真展用の作品も撮れるかもしれません。



その写真展が迫ってきておりますので、お知らせもしておきます。

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なお、この写真展案内ハガキをご希望の方は、必要枚数をご記入の上、メールまたは非公開コメントで送付先をお知らせください。マルタから帰国後、直ちに送付させていただきます。

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さて、最近、何人かの方から、ブログ掲載写真について、海外旅の使用カメラ機材を詳しく教えてくださいとのメールをいただいております。機材ネタもやらねばと思っていたのですが、旅写真優先で余裕がありませんでした。そこで、この機会に旅カメラを紹介させてもらいます。


このところ私の旅行用カメラ機材は変化しておりません。多分、どれかが壊れるまで、この体制が続くと思われます。


↓メイン機材 カメラ:オリンパス OM-D E-M1 MarkⅡ  レンズ: M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4 IS PRO

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旅では小型でよく写るこの機材セットが決定版で、もう当分の間はこのメインは変わらないでしょう。


OM-D E-M1 MarkⅡ は小型ミラーレス一眼としては秀逸で、使い慣れたオリンパスのカメラなので安心して操作できます(RAWで撮影しておけば最新のアートフィルターも事後適用できます)


M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4 は、高倍率なのに驚くほどよく写るレンズです。焦点距離が換算24mm~200mm相当ということで、旅ではこれ一本でじゅうぶんです。以前のように交換レンズを持って行く必要がなくなりました・・・これは移動しながら撮影する旅カメラとしては非常に助かります。


しかも、このカメラとレンズのセットを組み合わせた場合、カメラ側とレンズ側の手ぶれ補正が協調して効果を高めるシンクロ手振れ補正機能が超強力で、暗い場所でも手持ち撮影が可能になり、旅には最適です。


旅の景観風景やスナップは、もちろん問題なく撮れますが、あえて限界状況的な作品を挙げてみます。


↓メイン機材の使用例(その一) ISO6400 手持ち撮影

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↑スペインで撮影しました。夜明け前のマジックアワーがはじまった瞬間で、肉眼ではほぼ真っ暗に見える状況です。手持ちISO6400で、このくらい撮れれば文句ありません。


↓メイン機材の使用例(その二) デジタルテレコン使用

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↑ポルトガルの田舎町を散歩していたとき突然、クロジョウビタキが飛んできました。従来なら撮れないところですが、望遠域にズームしてfn1ボタンを押せばデジタルテレコンが効いて換算400mm! 旅先で出会った野鳥や昆虫も瞬時に対応して、簡単に撮れるようになりました。(私はfn1ボタンにデジタルテレコンを割り当てています)


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↓サブカメラ(1) カメラ:Panasonic LUMIX DMC-GM1  レンズ: G VARIO 14-42mm/F3.5-5.6

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旅ライターとしては、失敗が許されないので、カメラが壊れるという最悪の状況に対応できるようサブカメラが必須です。ただ大きなカメラではサブになりませんので小型軽量という条件があります。


パナソニックのGM1は、もう四年近く使っていますが、現在でもμフォーサーズとして最小のカメラで、ポケットに入るコンデジクラスの大きさでありながら、写りも良く便利な機材です。(欠点は操作ボタンが小さすぎる点ですが、これはサイズが極小なので当然のこと。サブカメラとしては私は気になりません)


μフォーサーズ規格のミラーレス一眼ですので、メイン機材のレンズが不調の場合はレンズ交換可能ということでレンズ側サブとしても有効です。
大きなカメラでは不似合いというシチュエーションにも対応できます。ストロボ内蔵というのも便利で、これまで旅のサブカメラとして大いに活躍してきました。小型標準ズームレンズ先端に自動開閉するレンズキャップLC-37Cを付けています。


ごくまれに、メインでカバーできない超広角・魚眼・マクロ・超望遠のどれかのレンズをつけて撮影領域を広げるべくトライすることがありますが、撮影場所の性格が明確であるケースに限られます。



↓サブカメラ(1)の使用例(その一) 内蔵ストロボ使用

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↑トルコ航空の機内食をストロボ一発オート撮影。飛行機内に座ったまま機内食が配られ身動き出来ない状況ですので大きなカメラを出すのは面倒。そんな時はポケットからGM1を出せば解決です。


↓サブカメラ(1)の使用例(その二) トルコのレストランで

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↑期待しないで入った小さなレストランで、美味しそうな皿料理が! これも大きなカメラを出すのは大げさな雰囲気でしたので、ポケットからGM1を出してパチリと瞬撮。一秒あれば良いのです。


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↓サブカメラ(2) オリンパス Tough TG-5

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上記の E-M1 MarkⅡ と GM1 の二台で、旅カメラとしては、ほぼ完璧です。
それ以上のシチュエーションとなると、超広角、超望遠、超マクロ撮影、そして砂漠や水中などヘビーデューティーなレアケースとなります。 


ところが、モロッコでは砂塵舞うサハラ砂漠の撮影予定があり、続く秋田では温泉と雪の撮影がありそうなので、ヘビーデューティーなカメラが欲しくなりました。
折よく、オリンパスからタフシリーズのコンパクトデジカメである新型 TG-5 が発売されましたので、モロッコ行の直前に導入しました。


このカメラは、あえて旧型より画素数を減らし高感度に強くした新センサーを用い、ハイスピードムービー(スローモーション)撮影も可能にした、水中15m撮影対応のタフカメラです。
従来から定評のあるF2.0レンズや顕微鏡マクロ、ライブコンポジット機能、さらにフラッシュディフューザーも使える魅力的なカメラです。


サブカメラの域をこえて、メインカメラの対応できないヘビーな状況でも活躍できそうです。実際、サハラ砂漠や露天風呂でも全く問題なく使用できました。今後も旅写真の可能性を広げてくれるのではと期待しています。


↓サブカメラ(2)の使用例(その一) サハラ砂漠にて

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↑砂塵舞う砂漠の朝。細かい砂が帽子の下の髪や下着にまで入り込んでくる状況です。こんな時でもTG-5は元気に活躍してくれました。その時の作品『赤い砂漠』


↓サブカメラ(2)の使用例(その二) 秋田の露天風呂にて

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↑吹雪の日。露天風呂の入浴客は私ひとり、これはラッキーとTG-5を片手に岩の浴槽へドボン。浴槽に浸かりながら雪を手で触ったりして楽しく撮影三昧です。こういうシチュエーションにはTG-5が最適ですね。(どこまで撮影するねん、カメラ馬鹿ですねえ・・・・)


一般的な飛行機利用で行く取材旅では、小型軽量が必須ですので、上記の E-M1 MarkⅡ をメインとして、状況に応じて GM1 か TG-5 のどちらかをサブとして持って行きます。


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↓その他の撮影中に必要なカメラ関係機材

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↑左側から小型刷毛、小型ブロア、メガネクリーナーです。


大抵のホコリは、刷毛かブロアで取れるのですが、撮影中に取れにくいゴミや雨雪がレンズ先端部(フィルターやレンズ前玉)に付着することがあります。動き回っている最中ですので、レンズクリーニングキットを落ち着いて使用することは出来ません。そこで、応急処置として使用するのが、メガネクリーナー。これを折って中心からクルクル回してフィルターを清掃します。


さらに、撮影中にメディアが満杯になったりバッテリ切れがおこるので、必要と予想される予備メディアと予備バッテリーは、決めた場所に収めて持ち歩きます。


これ以外には、持ち歩きませんが、各カメラ用バッテリー(5~6本)、バッテリーチャージャー、メディア本体(64GBと32GBのSDカード各10枚)を旅用リュックサックまたはスーツケースに入れてあります。


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タブレットパソコンやストレージ(クラウドも含めてのデータ保存機器)については、私は今は使っていません。これは、かつてストレージが故障して撮影データが飛んでしまった経験があるのと、海外旅行の旅先での貴重な時間を、ストレージに転送したりパソコンを操作する時間に費やしたくないからです。電源状態の不安定な外国で、下手に撮影データを触ったり転送したりして事故がおこる危険性もあります。


旅先では、撮影して満杯になったSDカードは空のものと間違えのないよう別にして大切に保管して、そのまま触りません(磁気に接触させないことが最重要)。これが一番単純かつ安全な一時的保存法です。帰国してから外付けHD2台に二重に転送保存し、特に重要なデータはさらにブルーレイディスクに複製保存します。それが終わってから、SDカードを開放して再利用します。
今は、信頼性の高いサンディスクなどのSDカードが安く買えるようになり、64GBが10個もあれば昔のストレージや小型パソコンに匹敵する容量を確保できます。無駄な操作をしないことにもつながり、安全性も確保できます。今のところ、この方法で、データの事故はありません。


以上が、現在の私の「旅」カメラ機材です。



もちろん、車で野鳥撮影や花・昆虫撮影に行く場合は、キヤノンの大きなカメラや超望遠レンズ・マクロレンズ等も使用します。交換レンズもいろいろ持っています。マウントを広げると収拾がつかなくなるので、μフォーサーズ機(オリンパスとパナソニック)とキヤノン機の2マウント制で行っています。
趣味的な味わいを得たい場合は、オールドレンズやフィルムカメラもよく使いますが、あくまでその撮影する被写体が明確である時になります。

撮影したい目的状況に応じた機材をそろえてている・・・つまり、私は機材を飾っておくコレクターではなく、使ってなんぼのカメラ馬鹿です。

参考にしていただければ幸いです。




次のブログ更新は、来月はじめになります。
それでは、皆さん、しばらくのあいだ、ごきげんよう!



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2018年 01月 16日 |

モロッコ史の続きです。
マリーン朝は200年強も続き(1248-1465年)、首都のフェズはモスクや神学校が整備され、モロッコの政治経済文化の中心となりました。
最盛期には現チュニジアからイベリア半島南部までを支配し、文化の面でも大社会学者イブン・ハルドゥーンや大旅行家イブン・バットゥータ(『三大陸周遊記』が有名)が活躍しました。


やがて爛熟したマリーン朝は弱体化し、フェズの住民暴動により滅亡します。預言者ムハンマドの末裔を名乗るシャリーフ政権が短期間成立し、その後、マリーン朝近縁のワッタース朝がフェズを首都として15世紀末から16世紀半ばにかけて支配しますが、その領域はモロッコ北部に限られ、南部は聖者主義のシャリーフやスーフィー(イスラム神秘主義)が地域豪族と結びつき跋扈します。


そうしたシャリーフ系の南部豪族の中から、サアド朝が興隆し、今度はマラケシュを首都としてモロッコ全土を支配します。サアド朝は武断派で強力で、英主アフマド・アル=マンスールはサハラをこえてトンブクトゥ(現・マリ共和国)を征服し、オスマン帝国の西進拡大も阻止し、16世紀半ばから17世紀半ばにかけてモロッコを支配します。


サアド朝が内紛で弱体化すると、モロッコは再び分裂状態となりますが、シャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)として尊敬されていた血筋のアラウィー家が勢力を拡大し、17世紀後半にモロッコを再統一します。これが現在のモロッコ王室でもあるアラウィ―朝で、この王朝の首都はフェズにはじまり、メクネス→ラバトと変遷しますが、一貫して北部の平原地帯ラインにあります。

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モロッコの歴史は、イドリス朝以来、預言者ムハンマドのシャリーフ家系を柱に、聖者主義をからませる形で推移してきました。フェズの王朝が爛熟し衰退すると、南部や山岳地帯の武力を持った田舎豪族が聖者主義を掲げて征服を行い覇権を握るものの、やがて都市化してまた弱体化してしまうというパターンです。
このあたりは、すでにマリーン朝時代にイブン・ハルドゥーンが『歴史序説』で「結束力が強い田舎勢力が都市を征服し、都市生活が長くなって弱体化し、新たな田舎勢力に征服される」という歴史パターンを見事に定式化しており、その慧眼に驚かされます。


そうした長い歴史の中で、フェズの町は常にモロッコの伝統的な核として機能してきたのです。日本でいえば、常に上洛の目的地であった京都と同じ役割を果たしてきた町と言えるでしょう。

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その古都フェズ案内ですが、今日は、中心のカラウィン・モスクから必見の観光ポイントであるタンネリです。


カラウィン・モスクをぐるりと回ると下側にサファリーン広場があります。ここは、銅鍋などを製造販売している光景を見学できます。カーンカーンという音が響き、叩き出しの銅製品が作られていきます。

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サファリーン広場を歩いていると、タンネリ(なめし革工場)の案内人に声をかけられます。交渉次第ですが、だいたい5DHから10DHで案内してくれます。


広場の下り方向に向かって左側、異臭のする方へ歩けば道は分かるのですが、どうせ100円くらいですので、誠実そうな案内人を選んでタンネリへ行ってみましょう。まれに、高額な金銭を要求する悪質な客引きがいますので、注意してください。

このあたりにも多くの商店があります。

↓衣料品店

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↓手を振ってくれた女の子  装飾が施された金属製品を売っていました。
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↓これは何屋さん? 銅線のワイヤーのようなものが並べられていました。
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↓フェズ川に下っていく路地

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このあたりから強烈な異臭がしてきました。

↓ここにリヤド(高級民宿)があるようですが、この臭いがきつくて、ちょっと泊まれないなあ・・・

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↓タンネリ・ショワラと書いてあります。ここが見学ポイントの入り口ですね。

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タンネリは正式には、タンネリ・ショワラといい、フランス語で「なめし革工場」という意味。フェズ川の水を利用して昔ながらの手作りの皮革製造業が営まれています。


工場見学は、タンネリの周囲に立ち並ぶ革製品販売店の上階テラスから俯瞰して見る形になり、案内人はそのひとつの商店と契約しているわけです。

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↑円い染色桶がずらっと並ぶ光景は、けっこう強烈なインパクトがあります。悪臭にむせかえりますので、店の入り口で提供されるミントの葉を鼻に詰めたりマスクをして見学しましょう。


このなめし革工場は、500年以上の伝統を誇る公共の施設で、牛や羊、ラクダなどの革が、まず鳩の糞で柔らかくされ、次に様々な自然の染料によって、染め上げられていきます。


↓の写真で、左側に色の無い白い桶が並んでいますが、ここがまず革を柔らかくする鳩の糞の壺桶です。

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↓右側の建物の端に猫が佇んでタンネリを眺めています・・・・この悪臭は気にならないのかなあ・・・・

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↓ズームアップ

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フェズのクライマックスたるタンネリを見た後は、案内された店の革製品を見ることになります。バブーシュという可愛い革製スリッパは、お土産としても最適。お気に入りのものがあれば、タンネリの思い出として購入しましょう。タンネリ見学の入場料がわりともなります。


↓さすがこのあたりは革製品が多いですね。本場なので品質は良さそうです。

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↓バブーシュと猫(この作品は写真展で展示する予定です)

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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 13日 |

イドリス2世がフェズを国都として建設したのは、父のイドリス1世の遺志を継いだこともありますが、何より貨幣経済が進み産業の中心となる大きな根拠地が必要になったことにあります。フェズは東西南北の道が交わる要衝で、政治経済のセンターとなる運命にありました。


イドリス朝はモロッコ最初のイスラム系独立政権として約150年続きます(788年~926年、一説には~985年まで)。最盛期は二代目イドリス2世の時代で、その後は君侯国に権力が分散していき、徐々に勢力が衰えていきます。
しかし、首都フェズは経済の中心として大いに栄え、イドリス朝が滅んだ後も、何度も首都となり、モロッコの文化センターであり続けました。

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モロッコでは、カサブランカから東へ、ラバト~ヴォルビリス~ムーレイ・イドリス~メクネス~フェズというラインは、中央平原の肥沃な穀倉地帯に沿っており、古代から歴史的に中央権力の所在地で、このありようは現在も変わっていません。預言者ムハンマドの血統を重視するシャリーフ政権の諸王朝の首都がおかれた町たちです。
(唯一の例外はマラケシュで、こちらは南部の地方対抗権力の根拠地となります。)

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イドリス朝の滅亡後、モロッコ南部の砂漠の民から生まれたムラービト朝(11世紀)と、アトラス山脈の山岳民族を基礎とするムワヒッド朝(12世紀)は、あえて上記の中央平原ラインを避け、南部のマラケシュを都としました。ともに聖者主義を掲げる宗教運動から発展した王朝ですが、上記の血統重視のシャリーフ王朝勢力に対抗するため、「聖者の宗教運動」を武力を持つ地方豪族勢力が政治的に利用したという面があります。


ついで興隆したマリーン朝は、もともとは現アルジェリア西部からモロッコ東部を根拠地とするベルベル系遊牧民で、13世紀から15世紀末にかけてフェズを首都として、最盛期にはイベリア半島から現チュニジアに至るマグレブ地方全域を支配しました。


マリーン朝は、当初はムハンマド血統のシャリーフ政権でもなく聖者主義を標榜する宗教運動を母体とする政権でもなかったので領国支配に苦労しました。そのため、支配の正当性を確保しようと、様々な手段を用いて自らイスラム的君主を演出しました。ムハンマドの末裔イドリス朝の血をひくシャリーフたちを保護し、首都フェズに多くのマドサラ(神学校)を建設し、カラウィンモスクを増築拡張し、フェズを宗教学術文化都市として大きく発展させたのです。



ということで、そのマリーン朝時代に大きく拡張されたカラウィンモスクを目指し、前回紹介したブ―・イナニア神学校を後にして、フェズの、メインストリートを下っていきます。フェズの2本のメインストリーのうち、より細く雑踏的で面白いのは、南側のタラア・セギーラ通リで、まずは、こちらのほうを歩きましょう。

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セギーラ通リには、たくさんの商店やレストラン、出店、屋台が立ち並び、とても面白いです。売られているものを見ながら歩くと、あまりにも興味深くて前に進めません(汗)。買いたいものがあっても値段表示がないので、交渉に手間がかかり時間を要します・・・・それでも楽しい街歩きです。
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↓ひとつひとつはマグネットの小さなお土産品ですが、これだけ並べられると壮観!

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↑モロッコイスラム装飾のひとつの表現に感じてしまい、思わず買ってしまいました(笑)


↓これはモロッコ名物の化石! うーん・・・

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↓これも魅力的ですが、ひょっとして稀少動物の牙かもしれないので買わなかったです。

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↓ドライフルーツやスパイス類も種類豊富

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↓金属工芸店内部

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↓これは見事なランプでした。

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↓フェズ焼きは代表的なお土産ですね。

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↓これは、サボテンの実です。いわば日本でいうところのドラゴンフルーツ!

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↓フェズ旧市街で最強の荷物運搬手段であるロバ。自動燃料補給中です。

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↓セギーラ通リがタラア・ケビーラ通リに合流してしばらく行くとネジャリーン広場があります。水飲み場のような、美しいモザイクタイルで構成された泉があり、とてもフォトジェニックな被写体。木工・家具の店も多く、木工芸博物館もありますので、ちょうど休憩に適した地域です。

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さらにタラア・ケビーラ通リを下って、真っ直ぐに行くとカラウィンモスクですが、その手前で右側(南側)に折れて、家屋が密集した小さな丘を登ります。これは、フェズの精神的中心であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見るためです。


↓フェズの核心部にあるザウイア・ムーレイ・イドリス廟 内部には入れないので外側から撮影させてもらいました。

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↑もちろん、ここはフェズをつくったイドリス2世の霊廟です。聖都ムーレイ・イドリスではイドリス1世の霊廟には近づけなかったので、ここは外から内部を少しだけ覗かせてもらいました。非常に壮麗です。(入場は不可)


本当はここが非常に重要なフェズの中心です。フェズは預言者ムハンマドの血をひくシャリーフ系王朝の首都ですが、その歴史的経過からモロッコの聖地でもあるのです。このザウイア・ムーレイ・イドリス廟に巡礼する人と、カラウィン・モスクで祈る人を世話する門前町という性格をも有しているのです。


↓ケビーラ通リの終点。フェズ旧市街の中心であるカラウィン・モスクに到着です。フェズの歴史がはじまった由緒あるモスクです。

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イスラム教徒以外は中には入れませんが、周囲の壁や門も見事なので、ぐるりと一周してみましょう。ところどころで門扉の隙間などからモスク内部の雰囲気を知ることができます。ここのモザイクは素晴らしいそうです。


↓門扉の隙間からカラウィン・モスクを撮影。上品で綺麗な雰囲気ですね。

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↓右側の壁がカラウィン・モスクを取り囲む壁。この周囲にそってぐるっと路地を回ります。

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タラア・ケビーラ通リ、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟、カラウィン・モスクの位置関係は言葉で説明しにくいので地図を載せます。高さは、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟は丘の天辺にあり、ここだけ盛り上がった場所です。


↓私が実際に辿ったカラウィン・モスク周辺の地図を掲載します。持って歩いた地図の現物を撮影しましたので参考にしてください。

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↑緑のマーカー線が私の歩いた軌跡です。ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見たかったのでこの回り道ルートになりました。

ピンクの線がメインストリートのタラア・ケビーラ通リですので、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見ない場合は、ピンクの線をたどってカラウィン・モスクに行く方が単純で分かりやすいです。


カラウィン・モスクの壁に沿って半周して、右下のセファリーン広場に出ました。次はここからタンネリに向かいます。





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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 09日 |

「たびねす」に、私の「モロッコの迷宮都市フェズの真実―わくわくドキドキ、実は分かりやすい町だった!」という記事が掲載されましたのでお知らせします。迷宮都市として世界的に有名なフェズの街歩き案内記事ですので、ぜひご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。
なおこの「たびねす」記事は、私のフェズ紹介記事の前編にあたるもので、後編として次に「迷宮都市フェズの迷路の謎を解く」という記事を書く予定です。







本ブログでも、「たびねす」とタイアップして、モロッコの古都でもあることから、より詳しくフェズ旧市街を紹介します。


フェズは8世紀末にイドリス2世が、国都として築いた町です。その後、モロッコの歴史の中で、何度も首都となり、モロッコの核として栄えてきました。時期的にも、まさに日本でいえば京都にあたる都市です。


イドリス朝を創始したイドリス1世とモロッコのベルベル人の女性の間に生まれたイドリス2世は、父の遺志を継ぎ王国の首都としてフェズを開発しました。イドリス1世は、預言者ムハンマドの娘ファティマの血をひく貴種としてベルベル人に担がれて王となったのですが、イドリス2世はその聖者の子であるとともに、ベルベル人の母の血もひき、貴種とネイティブの混血として、アラブ系とベルベル系の人々をつなぐ期待通りの英明な王で、イドリス朝の最盛期を現出しました。


フェズは、東西南北に通じる交通の要衝で、都として最適。おりからカール大帝の侵入により騒乱状態にあった後ウマイヤ朝(現スペイン)から8000家族が避難してきており、また東隣のアグラブ朝の興隆から逃れたカイルワーン(現チュニジア)からの避難者2000家族も避難して来ました。


イドリス2世は、これらの難民をフェズ川の両側に住まわせ、競って町づくりを援助・奨励しました。

↓フェズ工芸の代表:フェズ焼き

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イベリア半島の後ウマイヤ朝から来た人たちは、高度な芸術や職人工芸を伝え焼き物・金銀細工・なめし皮・織物などの産業を興し、カイルワーンから来た人たちは宗教を伝えその故郷の名を冠するカラーウィンモスク(カラウィーンはカイルワーンの変形)を建設しました。そして、フェズの基礎を築いたイドリス2世の霊廟であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟もつくられました。


これらのフェズ川付近から丘の上にかけて、メインストリートがつくられ、そこから町が広がっていきました。これがフェズ旧市街の中でも古いほうの町・・・フェズ・エル・バリで世界遺産です。



フェズの旧市街フェズ・エル・バリの探検は、正門たるブー・ジュルード門からはじまります。迷宮都市として恐れられているフェズですが「実際はどんなところなのだろう?」「いよいよここからだ」と緊張と期待が高まる美しい門です。


↓ブー・ジュルード門(外側から)

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↓ブー・ジュルード門(内側から)

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この門からはフェズ川にかけてゆるやかな下りになっており歩いて行くのには最適。実は、ブー・ジュルード門から中心のカラウィーン・モスクまで、メインストリートは2本だけで、そこから葉脈のように細い路地が広がっています。この構造を頭に入れておけば、フェズの旧市街はとても分かりやすいのです。


↓メインストリートのひとつがタラア・ケビーラ通リ

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↑車は通れませんがフェズ一番の通りで、ブー・ジュルード門からほぼ道なりに東へまっすぐ下ってカラウィーン・モスクに至ります。もし路地やスークで迷ったら、このケビーラ通リに戻れば良いのです。方向も、下りがカラウィーン・モスクに向かう東側ですから間違えることはありません。


↓もうひとつのメインストリートであるタラア・セギーラ通リ

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↑タラア・セギーラ通リは、ブー・ジュルード門を入ってすぐに右折するやや細い道です。ケビーラ通リの少し南側をくねくねと並行して進み、ネジャリーン広場の少し手前でケビーラ通リに合流します。この道は商店が多く、土産物屋が並んでいるので、とても面白い街歩きを楽しめます。



モロッコでは、ほとんどのモスクや重要な霊廟に異教徒は入れません。イスラム芸術の極致が見られないのは残念ですが、そのかわり見学できるのが神学校(マドサラ)です。フェズでも、ブー・ジュルード門を入ってすぐのところのブ―・イナニア神学校には素晴らしいイスラム装飾がありますので、忘れずに見学しましょう。

ここは細かなアラベスク模様が見事で、あまり派手過ぎないところが日本人の美意識に合います。


以下、ブ―・イナニア神学校の秀逸な装飾の写真を一挙10枚ごらんください。

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モロッコの建物装飾は、ペルシア(イラン)のように華麗ではなく、トルコのように壮大ではありませんが、落ち着いて上品な雰囲気は素晴らしいものでした。
モロッコ人のクラフトマンシップの高さと信仰への情熱が感じられます。何よりこの渋い繊細さがとても良かったです。






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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 05日 |

モロッコの歴史展開に沿って、モロッコ各地を紹介しています。今日は、イスラム化する時代の話です。


7世紀に誕生したイスラム教は、瞬く間に広がります。預言者ムハンマド(マホメット)から娘婿アリーの正統カリフ時代を経て、その後、権力を握ったウマイア朝はイスラムを世界に拡張する政策をとり、現チュニジアにはカイルワーンという根拠地を建設。そこから、北アフリカとイベリア半島の征服に乗り出します。


↓預言者ムハンマドの娘ファティマ(夫は第四代カリフであるアリー)の手をかたどった意匠はモロッコの象徴です。

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モロッコ~アルジェリアでは、ベルベル人が、ユダヤ教徒の女王カヒナを中心に抵抗します。しかし、カヒナが滅ぼされるとイスラム勢力はモロッコ西岸まで到達し、ベルベル人もイスラム化していきます。


中でも、ベルベル人の勇者ターリクは、ベルベル人とアラブ人からなる兵士を率いて、海を渡ってイベリア半島に上陸し、西ゴート軍と戦い勝利し、トレドまで進攻します。この英雄ターリクを記念して名付けられた上陸地が「ジャバル・アル・ターリク」すなわち略して「ジブラルタル」なのです!


こうして、モロッコもイベリア半島もイスラム化していくのですが、イスラム本国たる中東ではウマイア朝が滅び、アッバース朝の時代となります。ウマイア朝の生き残りの王子アブド・アッラフマーンは、北アフリカに逃れ、ベルベル人にかくまわれイベリア半島まで送り届けられます。この王子こそ、コルドバで後ウマイア朝(756-1031年)を興したアブド・アッラフマーン1世で、後ウマイア朝は、中東のアッバース朝に匹敵する繁栄を見ることになります。


モロッコでは、このイベリア半島の後ウマイア朝を受け入れ、787年までその支配下に入りますが、その後、モロッコ独自のイスラム王朝が興ります。それが、イドリス朝です。

ベルベル人は、貴種流離譚が特に好きなようです。イドリス朝の始祖、ムーレイ・イドリス1世(以下:イドリス1世)は、アブド・アッラフマーンよりさらに貴種流離譚にふさわしい人物です。すなわち、預言者ムハンマドの娘ファティマとその夫で第四代カリフ:アリーの子孫なのです。いわば、ウマイア朝よりさらに由緒正しい血統で、苦労して中東から逃れてモロッコまで至り、ベルベル人に担がれる形で宗教的・政治的指導者となったのです。


このアリーの一派であるイドリス朝は、中東のアッバース朝を否定し、血統を重んじ正統カリフを標榜するわけですから、イスラム教シーア派そのものです。
イドリス1世は、当時のモロッコの中心であったヴォルビリス付近を拠点として、宗教的・政治的活動を開始します。そこが、聖都ムーレイ・イドリスです。


↓ヴォルビリスから見るムーレイ・イドリス(ヴォルビリスから徒歩30分くらいです)

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山に張り付いたようなムーレイ・イドリスの町はとても印象的です。緑のヴォルビリス平原の端の小さな山が建物に覆い尽くされているのです。

周りに平坦な場所があるのに、わざわざ山間に家屋が密集している不思議な雰囲気の町です。特別な意味で作られた宗教都市であることが分かります。

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イドリス1世や聖都ムーレイ・イドリスにある「ムーレイ」という名は預言者ムハンマドの血統をひく聖なるものという意味で、モロッコでは人名や地名に多くみられます。この聖者崇敬主義(ムハンマドの子孫=シャリーフ血統の重視)は、イドリス朝以降、モロッコの王朝の正統性を主張するメルクマールとなっていきます。真贋はともかく、この聖性の指標がないと正統とは認められないのです。イドリス朝の成立により聖者主義こそモロッコ史を通底する鍵となりました。

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貴種流離譚というのは世界各地に見られ、「高貴の血脈に生まれた主人公が、逆境の中で苦労しながら旅や冒険をする」というもので、ギリシア神話のヘラクレス、インド神話のラーマ、日本神話のスサノオから・・・小公子、スターウォーズ、グインサーガ、精霊の守り人に至るまで枚挙にいとまがありません。普通は、フィクションのモチーフなのですが、モロッコではそれが歴史上の実在の人物であるアブド・アッラフマーン1世やイドリス1世であるというのが、興味深いところです。

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↓ムーレイ・イドリスの街の上にそびえる山
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↓ムーレイ・イドリスの町の中心部。異教徒は近づけません。

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↑緑屋根の四角い建物がイドリス1世の霊廟とモスク。その右横の塔がミナレット。

いずれも四角いスクエアの建物というのがモロッコの特徴です。他のイスラム圏ではドーム型モスクや円柱型ミナレットが主流ですが、モロッコでは四角いのです。これぞモロッコのローカルスタイル!

古代からヴォルビリス付近がモロッコの中心地であり、イスラム化後、最初にモロッコ独自の王朝を開いたイドリス朝はここヴォルビリス平原の端にあるムーレイ・イドリスから出発しました。
したがって、このムーレイ・イドリスのモスク、霊廟、ミナレットは、モロッコ史においてきわめて重要。その後のモロッコの建築様式に大きな影響を与えたのです。


その後、イドリス1世は、イスラムの布教につとめ、大きな都をつくろうと、神託を受けてフェズに決めますが、アッバース朝が放った暗殺者に毒殺されます。そして聖都ムーレイ・イドリスに葬られ、それ以降ここは、多くの巡礼者が訪れるモロッコ最高の聖所となります。
現在でも、聖都ムーレイ・イドリスの中心部には、異教徒は入れません。それほどモロッコ人にとって、ここは大切な場所なのです。



中心部には入れないので、聖都ムーレイ・イドリスの町はずれのレストランで昼食を食べました。

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↓そのメニューである牛肉のタジン鍋です。なかなか美味しかったです。

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イドリス1世は暗殺されて聖者の中の聖者となり、暗殺したアッバース朝側の目的とは逆に、モロッコのネイティブであるベルベル人の結束を固める結果になります。イドリス1世とベルベル人女性の間に生まれた息子がイドリス2世としてモロッコ最初の独自王朝イドリス朝を確たるものとし、フェズを国都として定めることになるのです。

かくして、ヴォルビリス→ムーレイ・イドリス→フェズという、この一帯に「モロッコの核」が形成されたのです。


こうした貴種=ムハンマドの子孫=シャリーフ血統を重んじるモロッコでは、イドリス朝の祖にあたる預言者ムハンマドの娘ファティマがことのほか愛され人気があります。彼女は、生涯を社会奉仕に捧げた慈悲深い女性でイスラム女性の理想像でもあります。
そして、霊力があるとされるファティマの手のデザインのお守りは、モロッコで発明され、現在でも「邪視」を払う重要なアイテムです。門のノッカーから、魔除けの護符、アクセサリー、装飾品の類にも使われます。

↓高級お土産店のショーケースにもファティマの手が並んでいます。

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↓庶民的なお土産のデザインでもあります。

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↓ファティマの手の置物

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*ファティマの手の起源については諸説あります。モロッコ発祥とするもの以外には
(1)手指の5本を意味するハムサから来た。
(2)ユダヤ教のモーゼとアーロンの妹の名前:ミリアムの手から来た。
(3)古代カルタゴ人の女神タニトから来た。
などです。

私見ですが、はるか古代から中東~地中海地方に広く存在する地母神=女神信仰が形を変えて、ファティマの手として連綿と現在に生き続けているように感じます。(今度、旅する予定のマルタ島でも古代女神信仰の遺跡があるそうで、楽しみにしています)


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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 01日 |

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新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

今年は、まず、以下の写真展を最初の目標として頑張っていきます。最後の写真展ですので、皆さまのお越しをお待ち申しております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第7回 グループ温故斬新 写真展


場所 : オリンパスプラザ大阪 オープンフォトスペース
            (大阪市西区阿波座1-6-1 MID西本町ビル 1階)

開催日:2018年2月16日(金)~2月22日(木) <但し日曜は休み>

開催時:午前10時~午後6時  <但し最終日は午後3時まで>


場所の 地図は こちら  

地下鉄本町22・23番出口すぐです。(四つ橋線本町駅が便利です)





オリンパスプラザが10周年でリニューアルされます。それに伴い、オープンフォトスペースがクローズされますので、今回がグループ温故斬新写真展の最終回となります。したがって悔いないよう、やりぬく所存です。

ぜひ、ご覧ください。


どうぞよろしくお願いします。




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2017年 12月 30日 |

今年最後の更新です。


「大西洋の荒波 in Morocco」

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皆様のおかげで、当ブログの総アクセス数が130万件を超え、ブログ村の旅ブログランキングでも上位を維持しております。
旅ライターとしての「たびねす」記事にも本年は約20万件のアクセスをいただきました。
これもひとえに、皆様のご協力の賜物です。深く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

また来年も頑張りますので、今後ともご愛顧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

それでは、皆様、良いお年を!






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2017年 12月 26日 |

温泉滞在中のある日、田沢高原温泉郷を雪の中、歩いてみました。
このあたりは、少し前までは原生林が広がっていたそうで、大自然の息吹が感じられます。


少し散策していると林辺に野鳥の姿が横切りました。

よく見ると、雪化粧をした樹木の枝に、カケスが止まっています!

↓カケス発見

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枝の中で少し見にくいですが、青い羽根が分かります・・・・爪が枝に積もった雪に食い込んでいますね。

↓しばらく観察していると雪道に降りてきました。

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↓水場に近づいていきます。

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↓水を飲みにきたようです。(ひょっとして餌の川虫を探していたのかも知れません)

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↓冷たくないのかなあと思わず心配します。

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私の様子をうかがいながらも怖がるそぶりは見せません。

↓そして飲み終わったのか、しばらくすると、泰然たる態度で悠々と向こうへ飛んでいきました。

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今回、秋田では大型望遠レンズを持っていかなかったので、大きくは撮れませんでしたが、宿の近くでカケスと遭遇出来て、とても嬉しかったです。ここのカケスはさほど人を怖がらないのですね。


カケスは大阪では金剛山系などの深い山中でしか見られません。
大きく撮影した大阪のカケスは、こちら をご覧ください。






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2017年 12月 23日 |

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↑秋田の本物の雪のクリスマスツリー的樹木です。


↓モノトーンのクリスマス的な雪の樹木をもう一枚

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2017年 12月 15日 |

クリスマスまでは、季節にふさわしいタイムリーな記事ということで、秋田の旅の写真を優先して紹介します。


田沢湖高原温泉郷には「アルパこまくさ」という施設があります。ここは自然ふれあい温泉館ということで、日帰り入浴施設やレストラン、お土産店、秋田駒ケ岳情報センター、防災ステーション、各種パネル展示などが建物内にあります。
また、ここは秋田駒ケ岳へのバスや、乳頭温泉「鶴の湯」の送迎バスの発着点になっており、田沢湖が一望できることから、田沢湖高原温泉からの散策と近辺観光地への拠点として最適です。


プラザホテル山麓荘に滞在中の晴れた一日、徒歩10分~15分くらいの距離なので、周辺を散策しながらアルパこまくさに行ってみました。

↓途中の道も木々に雪の花が咲いて綺麗でした。

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山は雪景色で美しく迫力がありました。
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↓足元の雪は、さらさらの粉雪で、新雪を踏むと、きゅっきゅっと気持ちが良いです。

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↓カーブを登ると、アルパこまくさが見えてきました。

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↑大きな屋根が印象的です。

↓アルパこまくさ玄関

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↓バス停

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↓中に入ると各種のパネルや模型展示があり、特に名前どおり「こまくさ」の説明が詳しいです。

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↓こまくさのリアルな模型展示

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夏季に秋田駒ケ岳に登って、こまくさの大群落を見てみたいなあと思いました。

↓イヌワシの展示

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実は、この滞在中、山の森の上空を飛ぶ猛禽類の姿を一度目撃しました。残念ながら撮影できなかったのですが、大型の鷲鷹類で尾が非バチ型なのでトビではありません。シルエットはトビより幅広で、私がこれまでに見た猛禽類としてはクマタカに似ていましたが、秋田駒ケ岳にはイヌワシが生息するとのことですので、ひょっとするとイヌワシだったかも知れません・・・このあたり本当に自然が深く豊かですね。

↓秋田駒ヶ岳の斜面に広がる「たざわ湖スキー場」

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↓田沢湖が一望できます。構図や焦点距離を変えていろいろ撮ってみました。

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↓雪原の向こうに田沢湖
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↓ワイドに、手前の風景も入れて
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↓アルパこまくさの駐車場に、乳頭温泉「鶴の湯」の送迎バスが到着しました。予約すればここから「鶴の湯」へ無料で運んでくれます。

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ということで、次回はバスに乗って乳頭温泉「鶴の湯」へ、日帰り入浴旅を紹介します。




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