模糊の旅人
mokotabi.exblog.jp
  Top ;Log-in
タグ:EOS 6D ( 141 ) タグの人気記事
|
2017年 02月 12日 |
エルミタージュ美術館のルネサンス絵画については、すでに こちら で書きましたので、今回は残されたヴェネツィア派絵画について書いてみます。


エルミタージュ美術館には、ヴェネツィア派最大の巨匠ティツィアーノの作品が10点もあります。

ティツィアーノはヴェネツィア派を代表する画家で、長命であったことから多くの作品を残しました。
上手さ抜群の筆使いで、大胆かつ表現力豊かな世界を展開し、祭壇画、宗教画、神話画から肖像画・風景画に至るまで多様な作品を描き、盛期ルネサンス期のヴェネツィアの芸術をけん引しました。


ティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(悔悛するマグダラのマリア)
f0140054_91381.jpg

『懺悔するマグダラのマリア』は、ティツィアーノ作品として宗教性と官能性を併せ持つことから絶大な人気があり、広く賞賛を受けたテーマで、何度も描かれました。

エルミタージュ美術館のものは、1560年代のティツィアーノの晩年の作品で、シリーズ作品の中では表情が最も迫真的で見事なもの。ティツィアーノが到達した円熟の境地を示しています。


<参考>
↓最初期のティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(ピッティ美術館蔵)1533年ころ
f0140054_942290.jpg


↓中期のティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(J・ポール・ゲティ美術館蔵)1560年ころ
f0140054_94497.jpg


↓晩年のティツィアーノ『懺悔するマグダラのマリア』(カンポディモンテ美術館蔵)1565年ころ
f0140054_95988.jpg

エルミタージュの『懺悔するマグダラのマリア』は、時期的に、おそらくJ・ポール・ゲティ美術館蔵の作品とカンポディモンテ美術館蔵の間に入るものと考えられます。

後期になればなるほど、マグダラのマリアの着衣が多くなっています。これは当時、北ヨーロッパで宗教改革の嵐が吹き荒れたのと、それを意識したカトリック側の宗教会議「トリエント公会議」で教義の再確認と風紀引き締めが行われた影響と思われます。


新約聖書の登場人物としては、マグダラのマリアは最も興味深い存在で、聖書外典として2世紀頃、すでに『(マグダラの)マリアの福音書』が書かれていました。
その後、長い歴史の中で、元娼婦と類推する考え方からイエス・キリストの妻という説まであり、マグダラのマリアほど芸術家たちの想像力と制作意欲をかき立てた聖女はいないでしょう。その典型が、ティツィアーノの『懺悔するマグダラのマリア』です。(いつか、マグダラのマリアをテーマに記事を書きたいのですが、トンデモ本も多く資料の真偽判断に迷う題材なので、なかなか難しいです。いろいろ調べてはいるのですが、ちょっと先送り中です。)




ティツィアーノ『ダナエ』
f0140054_962169.jpg

『ダナエ』もティツィアーノが好んで描いたモチーフです。ギリシャ神話で、娘ダナエの生む子により殺さるという神託を受けたアルゴス王アクリシオスは、ダナエを幽閉しますが、オリンポスの主神ゼウスが黄金の雨となって部屋に侵入し、ダナエを妊娠させます。その結果、生まれたのがメドゥーサ退治を成し遂げた英雄ペルセウス。後に祖父アクリシオスを円盤投げ競技会の事故により殺してしまい図らずも神託が成就します。

この絵は、ゼウスが部屋に侵入した瞬間を描いており、裸で横たわるダナエの右側で侍女が降り注ぐ金貨を集めようと布を広げています。エルミタージュ美術館には、全く同じテーマの レンブラントの作品 もあります。時代は違いますが、二人の巨匠が描いた同名作品を比較して、どちらが好みか、鑑賞してみるのは一興です。


ティツィアーノ『聖セバステイアヌス』
f0140054_982142.jpg

この作品は、ヨーロッパの人々には非常に人気があり、団体客が絶えず観覧していました。アジア人観光客はほとんど観覧していないので、やはりキリスト教文化圏に影響力のあるモチーフなんだなあと感じました。

ここは光線状況が難しいのと、観覧者が多いので、斜めから撮影してみました。

聖セバステイアヌスは、3世紀のディオクレティアヌス帝のキリスト教迫害で殉教した聖人で、矢がささっている姿で描かれるのが通例です。矢で瀕死の状態になりますが、聖女イレーネに救われ命を取り留めます。後に、宣教を続けたため、こん棒で殴打され殺されます。
矢を受けても死ななかったことなどから、後世に黒死病から信者を守る聖人として崇敬されました。


ティツィアーノ工房『鏡の前のヴィーナスと二人のキューピッド』
f0140054_991417.jpg

割と大きな作品で目立っていました。同モチーフ作品が、先般の国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展で、ティツィアーノ工房作品『ヴィーナス』(フランケッティ美術館蔵)として展示されていました。やはりこれもティツィアーノが好んで描いたテーマだったようです。

二人のキューピッドが鏡を支えて、そこ写った自分の姿を、ヴィーナスが身体をひねって見ています。古代ギリシャの彫刻に由来するポーズで、「鏡を見るヴィーナス」のヴァリアントのひとつです。

このエルミタージュの作品自体は、ティツィアーノの真筆ではなく、工房による模写作品です。ただし、正直言って、私には真作と模写の区別はつきませんでした。



ジョルジョーネ『ユディト』
f0140054_1452826.jpg

ジョルジョーネは、ティツィアーノの兄弟子にあたる天才画家で、ジョヴァンニ・ベッリーニの工房で修行し、レオナルド・ダ・ヴィンチが1500年にヴェネツィアを訪れると、その画法に大きな影響を受けて開眼したと伝えられます。
若くして夭折したため残された作品はわずかですが、どれも素晴らしいもので、その傑作のひとつが、エルミタージュにある『ユディト』です。

哀愁を帯びた詩情ゆたかなこの作品は本当に見事です。エルミタージュのヴェネツィア派の部屋ではひときわ抜きんでて存在感がありました。
ただ、非常に縦長で大きな作品であるのと、敵将ホロフェルネスの首を切って足で踏みつけるというモチーフが残酷なので、撮影した全体写真の上下左右をカットして掲載しています。お許しください。

なお、この作品は、絵画の修復という観点からも注目に値するものです。
すなわち、もともと板絵だった作品をカンヴァスに移し替え移植して、さらに変色したワニス皮膜を取り除き、大規模な修復が行われたものです。今日の姿によみがえったのは、1971年のことです。

板絵をカンヴァスに移し替えた例は、エルミタージュ美術館に比較的多く、有名作品としてはこのジョルジョーネ『ユディト』以外に、レオナルド・ダ・ヴィンチの『ブノワの聖母』があります。



ヴェロネーゼ『聖カタリナの神秘の結婚』
f0140054_9121594.jpg

ルネサンス後期にはヴェネツィアを代表する画家としてヴェロネーゼが活躍しました。ティツィアーノの人間表現や色彩を受け継ぎ、神話や聖書逸話に題材をとった物語性豊かな作品を多く生み出しました。

聖カタリナは、4世紀はじめにアレキサンドリアで殉教した聖人で、イエスと結婚するという神秘的な幻想を体験しました。この絵では、聖カタリナが聖母マリアに抱かれた幼児キリストの祝福を受けています。



ベネデット・カリアリ『聖家族と聖カタリナ、聖アンナ、聖ヨハネ』
f0140054_913386.jpg

ベネデット・カリアリは、ヴェロネーゼ(本名パオロ・カリアリ)の弟で、結構多くの作品を残しており、エルミタージュ美術館には3枚の絵が収蔵されています。この『聖家族と聖カタリナ、聖アンナ、聖ヨハネ』は、ベネデット・カリアリの代表的な作品です。

ヴェロネーゼ工房は、ヴェロネーゼの死後も、二人の息子とベネデット・カリアリが運営し、活躍していたようです。先般の国立国際美術館「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」にも、ヴェロネーゼ没後の工房作品『羊飼いの礼拝』(アカデミア美術館蔵)が展示されていました。


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。

More 余談
2017年 02月 04日 |
「たびねす」に、私の「ロシア・エルミタージュ美術館でルネサンス美術を見る!」という記事が掲載されました。

以前、掲載した「世界最大規模!ロシア・エルミタージュ美術館を完全制覇」という記事が好評だったので、エルミタージュのルネサンス美術を専門的に取り上げて書いたものです。
絵画など15枚の写真をアップしていますので、ぜひ、この紹介記事をご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(42)ロシア・エルミタージュ美術館でルネサンス美術を見る!
http://guide.travel.co.jp/article/24310/






今日は、上記の、たびねす記事とタイアップして、エルミタージュのルネサンス絵画のうち、あまり知られていない初期ルネサンスのものを中心に紹介します。

エルミタージュ美術館の初期ルネサンス美術群は注目に値するものです。多くの作品が展示されていますので、時間の許す限り、ゆっくりと鑑賞しました。その中で、圧倒的に多い「聖母子」というテーマは、分かりやすいので、ルネサンス美術をたどる道しるべになると感じました。

それでは、なるべく描かれた年代順に、「聖母子」という切り口で選んだ、初期ルネサンス絵画をご覧ください。


14世紀のシエナの画家『聖母子』
f0140054_854161.jpg

1320~1325年ころに書かれたと説明板にありました。
「14世紀のシエナの画家」とあるだけで詳しくは不明ですが、いかにも中世的な古色が横溢しています。作者不詳というのがまた古さを感じさせて良いですね。

シエナは、中世に金融業と羊毛取引で栄えた都市国家で、トスカーナ地方の覇権をフィレンツェと競うとともに、プロト・ルネサンス芸術活動が盛んでした。そうした歴史を感じさせる作品ですね。



ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ジェリニ『聖母子』
f0140054_8594216.jpg

ロレンツォ・ディ・ニッコロ・ジェリニは、14世紀末から15世紀初に活躍したフィレンツェの画家で、この絵は1400年ごろに描かれたものと思われます。
板にテンペラで、上に掲載した「14世紀のシエナの画家」の作品と、下に掲載しているフラ・アンジェリコの作品のちょうど中間の雰囲気です。

フィレンツェは、 メディチ家のによる統治の下、ルネサンス芸術が花開いた場所です。初期ルネサンスから、文化の中心地となり、多くの建築家や芸術家を生み出しました。



フラ・アンジェリコ『聖母子と天使』
f0140054_90739.jpg

フラ・アンジェリコは、15世紀前半に活躍した修道士画家で、その優しい画風と優れた人格からとても人気があります。

この絵は、聖母子の周りに天使たちを配して、いかにもフラ・アンジェリコらしい作品。古いゴシック的要素と新しいルネサンス的要素が混在しており、少し古色を残した雰囲気が素朴感を漂わせています。
1425年ごろの作品で、板にテンペラで描かれて額装と一体化しており、祭壇画の中心部パネルであった可能性もあります。




ポッティチーニ『聖女バルバラと聖マルティヌスのいる幼児キリストの礼拝』
f0140054_903596.jpg

ポッティチーニは、ボッティチェリとほぼ同年代で名前が似ているため、混同された画家ですが、最近ようやくそのアイデンティティーが整理され、研究途上にあります。この『聖女バルバラと聖マルティヌスのいる幼児キリストの礼拝』という作品は、完成度が高く大型であることから、きわめて貴重なもので、今後注目されていくことが期待されます。





ヴェロッキオ『聖母子』
f0140054_91724.jpg

ヴェロッキオは、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめボッティチェリ、ペルジーノ、ギルランダイオらの師匠で、当時フィレンツェで最も優れた美術工房を運営していました。やがてペルジーノはラファエロの師匠となり、ギルランダイオはミケランジェロの師匠となったわけですから、ヴェロッキオ工房は、歴史的にも非常に重要です。

ヴェロッキオが、『キリストの洗礼』という作品を描いた時、弟子レオナルドにキリストのローブを捧げ持つ天使を担当させたのですが、レオナルドがあまりに見事に描いたことから、師ヴェロッキオは二度と絵画を描くことはなく彫刻に専念するようになったとする逸話があります(事実かどうかは不明)。

写真の『聖母子』を見ると、すでにゴシック的な古さは無く垢抜けしており、ルネサンス絵画の描き方になっています。ヴェロッキオの工房から出た画家たちが、ルネサンス盛期をかざる作品を描く時代が到来したことを感じさせます。

なお、この絵については、ポッライオーロの作品とする説(コリン・アイスラー)もありましたが、現在ではヴェロッキオの作品とされており、エルミタージュ美術館の現場ではヴェロッキオ作という説明板がかかっていました。





レオナルド・ダ・ヴィンチ『リッタの聖母』
f0140054_913842.jpg

↑ルネサンス盛期。レオナルド・ダ・ヴィンチによりルネサンス絵画が頂点に達したことをうかがわせる作品です。エルミタージュでも、一番人気の絵画です。

この作品の成立年代については諸説ありますが、レオナルドが発明したスフマート技法がふんだんに使われており、中期の作品である可能性が高く、1490~1491年に描かれたとするのが最も有力です。
レオナルドが描いた元絵に、弟子たちによる加筆修正が加えられた可能性があるとされています。弟子ボルトラッフィオ作品という説もありますが、 逆に、この絵がレオナルド作品の中で最も美しい真作で本人単独作成とする意見もあります。エルミタージュ美術館はレオナルドの真作としています。

『リッタの聖母』のリッタは、ロシア皇帝アレクサンドル2世が、1865年にミラノ貴族アントーニオ・リッタ侯から買い取ったことに由来します。




同じ「聖母子」を描いていますが、このように年代順に見てくると、やはり時代によって雰囲気が変化していくことが分かります。ここがとても興味深いですね。

聖母子画は、最後は、ラファエロに至り、究極の形となります。37歳でラファエロが夭折すると、やがて安定感を脱したマニエリスム様式が主流となり、ラファエロの優雅で調和に満ちた世界から遠ざかっていきます。



今日、紹介できなかったエルミタージュのルネサンス画作品の詳細に関して、
レオナルド・ダ・ヴィンチについては、こちら
ラファエロについては、こちら
北方ルネサンスのクラーナハについては、こちら
をご覧ください。

ヴェネチア派については、いずれ機会を見て記事を書くつもりです。<追記> こちら に書きました。



↓エルミタージュ美術館は、インテリアとしての内装も素晴らしく、天井構造も見事。このようにルネサンスの芸術品は、部屋そのものも素敵な場所にありますので、全体的な雰囲気も楽しめます。
f0140054_925375.jpg

なお、エルミタージュ美術館の全体的な概要や注意点については、「【たびねす】世界最大規模!ロシア・エルミタージュ美術館を完全制覇」をお読みください。


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 02月 13日 |
今日は、前二回で紹介しきれなかったセルギエフ・ポサードです。

↓セルギエフ・ポサードを超広角で撮るといろいろな建物が写ります。
f0140054_7274167.jpg

↓一番目立つのは鐘楼です。
f0140054_7291569.jpg

↑色合いも白色と水色を主体とし、金色の屋根が乗っている、とても素敵な塔屋です。

この鐘楼は、高さ88mあり、建設当時は、ロシア一の高層建築でした。
パリのノートルダム寺院(63m)、サンジャックの塔(60m)より高いのですから、当時としては大したものです。

↓鐘楼の横にある、聖水の湧き出る泉があります。
f0140054_7282713.jpg

ロシア正教の信者の方は、ここで聖水をいただき、ペットボトルで持ち帰る人もいます。
日本にもこういう御利益があるとされる名水スポットはありますね。

↓上部に物見台を有するドゥホフスカヤ聖堂
f0140054_7304098.jpg

↓大食堂横の小聖堂
f0140054_7311074.jpg

↓宿舎
f0140054_7313575.jpg

↓建物の部分拡大
f0140054_73295.jpg

f0140054_7324145.jpg

↓地面に置かれた梵鐘
f0140054_7331753.jpg

↓いかにもロシアらしい団体巡礼者
f0140054_734493.jpg

↓ここから奥へは立ち入り禁止になっていました。
f0140054_7343231.jpg

お土産物ショップも多かったです。

↓イコンのレプリカ売り場
f0140054_7351191.jpg

↓ロシア正教にちなんだ童話絵本が興味深かったです。
f0140054_736243.jpg

↓マトリョーシカ売り場
f0140054_7363120.jpg

マトリョーシカと呼ばれる入れ子型人形は、日本の箱根細工人形を参考にして、ここセルギエフ・ポサードの修道士が作成したのがはじまりとされています。
博物館にはそのマトリョーシカ第一号が飾られていました。いわば名物土産ですね。

↓最後にこの地の創立者;聖セルギイ(ラドネジの克肖者)の像を撮影して、セルギエフ・ポサードを後にしました。
f0140054_737875.jpg


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 02月 09日 |
セルギエフ・ポサードの続編で、今日はウスペンスキー聖堂と大食堂教会です。

13世紀に聖セルギイが住んだ小聖堂は、その後、至聖三者聖セルギイ修道院となったのですが、16世紀には、修道院の横に、ウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)が建設されました。

ウスペンスキーとは、ロシア語で「永眠」を意味するウスペニイェに由来し、ウスペンスキー大聖堂とは、カトリックにおける聖母マリア被昇天教会にあたります。
従って、ロシアにはウスペンスキー教会はいくつもあります(モスクワのクレムリンにあるものが一番有名です)。

ここセルギエフ・ポサードのウスペンスキー聖堂の外観は、キリストをあらわす金色屋根を中心に、周囲に聖母マリアをあらわす青色屋根が配された、とてもポップな色合いの美しいもので、まるでおとぎの国のお城のようです。
f0140054_819573.jpg

f0140054_8211927.jpg

聖堂内部は、イコンで覆われた壁(イコノスタシス)が印象的で、びっしりと絵が描き込まれており驚かされます。
f0140054_8215241.jpg

サンクトペテルブルグの血の上の救世主教会の内部イコン画もすごかったですが、こちらのほうが古く由緒があるそうです。
f0140054_8224167.jpg

このイコノスタシスは、主に17世紀に作られたもので、近世ロシアの代表的画家シモン・ウシャコフの最高傑作とされています。
f0140054_8241267.jpg

↓イコンに頭をすりつけ祈る人
f0140054_8231778.jpg

f0140054_8234852.jpg

↓ロシア正教の普及に尽くし膨大な著作・翻訳があるマクシム・グレクの聖櫃があります。
f0140054_8244230.jpg

↑彼の業績を記念して、その聖櫃の上には、石で作られたギリシア語・ラテン語・ロシア語の三つの聖書があります

マクシム・グレクは、キリスト教史においてエイレナイオスに匹敵するとされています。晩年をセルギエフ・ポサードで過したことから、死後は不朽体を聖櫃に納め安置されています。
f0140054_8251351.jpg


↓大食堂教会(トンペザ聖堂)外観
f0140054_8254048.jpg

至聖三者聖セルギイ修道院のすぐ横に、大食堂教会があります。
修道僧達の食堂だったものですが、非常に豪華な建物です。これは、皇帝などの迎賓館としての機能を有していたからです。
若き日のピョートル大帝も、17世紀末に政争に巻き込まれ、この修道院に避難してきました。こうした場合、皇帝の御成御殿としての役割を果たしたのです。

↓大食堂教会内部
f0140054_827130.jpg

この大食堂は、中央に柱などの支えが無い広い室内空間を誇り、当時ロシア最大規模510平方mもありました。教会の機能も有し、いろいろな奇跡が起こった場所であると伝承されています。
f0140054_8272780.jpg


↓奥の祭壇は金色の装飾に飾られたイコンで埋め尽くされています。
f0140054_8275766.jpg

f0140054_8282934.jpg


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 02月 06日 |
「たびねす」に、私のセルギエフ・ポサードの記事がアップされました。
ロシア正教のテーマパークともいうべき美しい教会群のある場所ですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(27)ロシアのセルギエフ・ポサード教会群で美しい宗教世界に酔いしれよう!
http://guide.travel.co.jp/article/15720/





上記の、たびねす記事とタイアップして、当ブログでも世界遺産セルギエフ・ポサードを三回に渡って紹介します。

本日は、セルギエフ・ポサードの概要と本殿にあたる至聖三者聖セルギイ修道院です。


モスクワの北東部に「黄金の環」と呼ばれる古い都市がいくつもあります。
セルギエフ・ポサード、ヤロスラヴリ、ロストフ、スーズダリ、ウラジーミルなど12の町です。
これらは、中世以来、ロシア諸公国の首都など重要な役割を果たした場所で、いずれも城塞(クレムリン)や修道院・教会と町並みで構成され、ロシアの宗教・芸術・建築などの文化揺籃の地となりました。

中でもセルギエフ・ポサードは、ひときわ美しい宗教都市で、世界遺産に指定され、モスクワから日帰り観光ができる立地条件にあるため、多くの巡礼者や観光客で賑わいます。

↓セルギエフ・ポサードの城壁です。
f0140054_8343013.jpg

↓城壁の中に、セルギエフ・ポサードの教会群が見えてきました。とても綺麗です。
f0140054_835260.jpg

セルギエフ・ポサードは、典型的な門前町で、至聖三者聖セルギイ修道院本館・ウスペンスキー聖堂・鐘楼・大食堂・小教会・小修道院・総主教館・博物館・土産物店など多くの建物が、城壁内に林立しています。

↓鐘楼とウスペンスキー聖堂をアップで
f0140054_8355583.jpg

↓さらにウスペンスキー聖堂(生神女就寝大聖堂)だけをアップに
f0140054_8361524.jpg

↑なんかポップで派手というか、おとぎの国の城のようですね・・・

↓チケットを買う管理建物は重厚です。
f0140054_837421.jpg

↓入場チケット(下)とカメラ撮影チケット(上)
f0140054_8374035.jpg

セルギエフ・ポサードの城塞に囲まれた場所に入るのは有料です。
さらに写真を撮りたい場合は、入場券とは別にカメラチケットの購入が必要で、その場合おまけとして讃美歌のCDまたはDVDがついてきます。
なお、カメラチケットを購入しても、本殿にあたる至聖三者聖セルギイ修道院の内部だけは信者優先なので撮影禁止です。

↓二重門になっており、白い門の建物から奥の茶色っぽい建物を通って中に入ります。
f0140054_8382275.jpg

↓内部門の建物
f0140054_8385197.jpg

↓内部門のアーチの下には綺麗なフレスコ画が描かれています。
f0140054_8393774.jpg

↑創立者の聖セルギイの絵ですね。
f0140054_840355.jpg

f0140054_8403186.jpg

↓本殿にあたる至聖三者聖セルギイ修道院(トロイツキー聖堂)
f0140054_8405918.jpg

正教会でラドネジの克肖者聖セルギイと呼ばれる聖人が、1340年代に森に分け入り小さな教会堂を建設したのが、セルギエフ・ポサードの起源です。
聖セルギイは熊とパンを分け合う清貧な生活を行い、至聖三者(トロイツキーすなわち父と子と聖霊)に生涯をささげました。

その後、聖セルギイの徳を慕う修道僧が多く集まり弟子となり、修道院を建設しました。
聖セルギイは、ロシアをモンゴルの支配から守ったとされることから、守護聖人として崇敬されました。その死後、ロシア正教会により列聖され、遺体は不朽体として至聖三者聖セルギイ修道院に収められました。

そして、ロシア正教会の中心的修道院として発展し、その周囲に新たな教会や鐘楼が建てられ、門前町が形成されていき、「黄金の環」のひとつとなりました。

現在でも、聖セルギイの不朽体が収められている聖櫃にお参りするのが、セルギエフ・ポサードへの巡礼者の大きな目的です。

↓写真の奥に見える至聖三者聖セルギイ修道院はシンプルな外観で、清貧の聖者にふさわしいものです。
f0140054_8413451.jpg

内部はとても敬虔な雰囲気に包まれています。

至聖三者聖セルギイ修道院の内部は写真撮影禁止で、私語も厳禁です。きわめて厳粛なムードに身が引き締まります。
女性グループが上品な賛美歌を歌い、ロシア正教の信者が順番にお参りし修道僧から祝福を受けていました。


ここは、ロシア革命後は国有化され、一時、閉鎖されていました。
1945年に、大修道院跡はロシア正教会に返還され、1960~70年代にかけて、復元修理が行われました。
現在は、「セルギエフ・ポサードの至聖三者セルギイ大修道院の建築的遺産群」として世界遺産に指定され、ロシア正教の一大宗教センターとして発展し続けています。

いわば、正教徒以外の観光客にとっては、神聖かつ華麗なロシア正教の宗教テーマパークのような感じで、モスクワやサンクトペテルブルグとは全く異なった雰囲気を味わうことができます。
また、マトリョーシカ発祥の地でもあることから様々なお土産物も多く、買い物を楽しむこともできます。

ここは、モスクワから唯一日帰りできる「黄金の輪」ですので、私はモスクワのホテルに宿泊して、軽装で日帰り観光しました。


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 02月 03日 |
サンクトペテルブルグの写真はまだまだ沢山あるのですが、ちょっと長くなりすぎました。
そろそろロシア二都物語のもう一方であるモスクワ方面に移ることとします。

ということで、本日は、サンクトペテルブルグの中締めとして、朝と夜の写真を中心におおくりします。

サンクトペテルブルグは高緯度にあるため、10月も中頃を過ぎると、朝明るくなるのが遅く、夕方暗くなるのが早くなります。

ホテルの朝食を食べて部屋に戻ってくると、ちょうど窓の外は朝焼けタイムでした。

↓ホテルの窓から・・・朝日に赤く輝く教会の塔屋が綺麗でした。
f0140054_8285878.jpg

↓早朝の落ち葉の美学
f0140054_8293371.jpg

f0140054_831565.jpg

↓朝の元老院広場
f0140054_832498.jpg

↓朝の元老院広場から見るネヴァ川対岸のペトロパヴロフスキー大聖堂
f0140054_8323874.jpg

↓昼間、エルミタージュ美術館の中から見るペトロパヴロフスキー大聖堂
f0140054_833696.jpg

↓夜の、ペトロパヴロフスキー大聖堂
f0140054_8333175.jpg

↓夕刻の聖アンナ教会
f0140054_8341714.jpg

↓帰宅ラッシュ時のネフスキー通り
f0140054_835294.jpg

↓夜の横断歩道(ロシアの横断歩道は歩行者のための時間が短く困りものです。)
f0140054_8353312.jpg

↓雰囲気のあるビルの向こうに月がかかっています。
f0140054_836870.jpg

↓サンクトペテルブルグの夜が素敵なのは、運河に上品な街並みの光が揺らめくからです・・・
f0140054_840413.jpg

サンクトペテルブルグ近郊の、エカテリーナ宮殿などの写真は、またいつか機会を見て掲載する予定です。


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 01月 28日 |
昨年の10月中~下旬に訪れたサンクトペテルブルグでは、黄葉が真っ盛りでした。
特に、ピョートル大帝夏の宮殿の大庭園は、海に面しているせいか、まだ秋の雰囲気がありました。
その後、行ったモスクワは600km南ですが内陸部にあるので寒く、黄葉は終わっており、もう冬という感じでした。南のほうが寒いというのは不思議な気がしましたが、海の力はたいしたものですね。

ということで、本日は、サンクトペテルブルグ近くのペテルゴフにある離宮「ピョートル大帝夏の宮殿」大庭園の黄葉と落ち葉の美学を、おおくりします。
f0140054_9112279.jpg

f0140054_9115877.jpg

↓ピョートル大帝夏の宮殿の金キラキンの像群はあまり好きではないので、遠くからの一枚だけ。
f0140054_9123632.jpg

以下、自然の植物の黄金色の写真を多く掲載します。
f0140054_913448.jpg

f0140054_922734.jpg

f0140054_9143953.jpg

f0140054_9204756.jpg

f0140054_9162261.jpg

↓落ち葉の美学も撮影しました・・・・カエデ、カシワ、カツラなどの黄葉が多かったです。
f0140054_9165396.jpg

f0140054_9171464.jpg

f0140054_9175397.jpg

f0140054_9181861.jpg

日本より一足先に紅葉を楽しみ、とても癒されました。
ここは私にとって、建物や像より紅葉がメインの撮影スポットでした(笑)

にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 01月 24日 |
サンクトペテルブルグはピョートル大帝が建設した夢の都です。

海に雄飛する国オランダに憧れたはピョートル大帝は、スウェーデンとの戦争に勝利し海のある広大な領地を獲得して、バルト海への進出の野望を果たしました。
そして、保守的なモスクワを離れ、ネヴァ川の河口に新しい首都を創ったのです。

オランダのアムステルダムをモデルに建設されたサンクトペテルブルグは、まさに「ヨーロッパに向かって開かれた窓」なのです。


「ここにこそ我々は都市を築こう。
 我々がヨーロッパへの窓をあけ
 海辺にしっかりと足をふまえて立つのがここだと
 自然が決めてくれているのだ。」
    (プーシキン『青銅の騎士』)


↓ピョートル大帝夏の宮殿の大庭園には、ピョートル大帝の像があり、海をみつめています。
f0140054_8473016.jpg

↓ピョートル大帝像が見つめる海(フィンランド湾=バルト海の入江)
f0140054_8481275.jpg

ピョートル大帝の死後57年経って、サンクトペテルブルグ元老院広場に、エカテリーナ2世の命によりピョートル大帝の騎馬像が建設されました。
この像は、上記のプーシキン作の叙事詩『青銅の騎士』が有名になったことから、青銅の騎士像と呼ばれるようになりました。

↓青銅の騎士(ピョートル大帝の騎馬像)・・・・この像も海を見ています。
f0140054_8502957.jpg

像の下の文字は、

      ПЕТРУ перьвому
      ЕКАТЕРИНА вторая
      лjта 1782

      ピョートル1世へ
      エカテリーナ2世
      1782年


f0140054_85163.jpg

↑像の台座の石は、「雷の石」と呼ばれた貴重で巨大な花崗岩が使われています。

↓像の後ろ側
f0140054_8515626.jpg

馬が踏みつけているのは大蛇です。
なぜ大蛇かについては諸説あり、(1)宿敵スエーデンを表現、(2)ロシアの旧体制を表現、(3)像を馬の尻尾で支える構造バランス上の必要からなど・・・・



「無定形で恵まれぬ土地だと思うとなおさらに、そこに自分の刻印を残したいという気持ちがわいてくる。この灰色の虚無から大都市を出現させようと彼は心に決める。隅から隅まで彼自身の作品である大都会。」
   (アンリ・トロワイヤ『大帝ピョートル』)



いっぽう、上記の叙事詩『青銅の騎士』を書いたプーシキンの像は、サンクトペテルブルグの中心地である芸術広場にあります。

↓芸術広場
f0140054_8584958.jpg

↓プーシキン像
f0140054_8532331.jpg

↓プーシキン像の後ろにある国立ロシア美術館
f0140054_854575.jpg

国立ロシア美術館は、旧ミハイロフスキー宮殿であり、ロシア帝国時代はサンクトペテルブルク宮廷文化の中心地だったそうです。
現在は、美術館として、主にロシアの芸術家の作品を所蔵しています。
f0140054_854353.jpg

↓国立ロシア美術館の門扉のアップ
f0140054_8545795.jpg

↓プーシキン像の前にある由緒ある歴史的高級ホテル「ホテルヨーロッパ」
f0140054_8552841.jpg

↑建築家カルロ・ロッシの設計で、ロシアを代表するクラシックホテルです。
「ホテルヨーロッパ」とは、ヨーロッパへの窓であるサンクトペテルブルグの最高級ホテルに相応しい名前ですね。

にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 01月 16日 |
今日は、聖イサク大聖堂内部の中~小型の被写体などを、写真で説明します。

↓シャンデリアに露出を合わせて撮影(後景が暗く落ちます)
f0140054_832737.jpg

↓真下からシャンデリアを見上げると、ろうそくの光がシャンデリア枠に逆光効果を醸し出して綺麗です。
f0140054_84295.jpg

↓教会内部を飾るさまざまな板絵
f0140054_844938.jpg

f0140054_853644.jpg

上記の板絵をはじめ天井画や壁画は全てモザイクです!
気の遠くなるような手間がかかっていますね。

↓超アップで撮影すると細かいモザイクの構成が見えます。
f0140054_86761.jpg

↓板絵を重ねた形式て表現されたキリスト像
f0140054_874867.jpg

↑このあたりは正教らしい造りです。
イスラエルの聖墳墓教会の第12留<十字架に処せられたイエス像祭壇>を思い出しました・・・

↓生神女のイコンも飾られていました。
f0140054_895997.jpg

↓正教だけに立像はないですが、浮き彫り(レリーフ)はありました。
f0140054_8105145.jpg

↓この聖イサク大聖堂の基礎の骨組みの模型です。実際に模型を作ってから工事に取り掛かったそうです。
f0140054_8112084.jpg

↓聖イサク教会の変遷。四つの模型があるように、現在の聖イサク大聖堂は四代目です。
f0140054_81216.jpg

↓色大理石による装飾柱
f0140054_8122595.jpg

↓細かいレリーフが刻まれた門の内部装飾
f0140054_8125376.jpg

↓博物館的な意味合いもある教会ですので、売店もあり絵葉書やイコンのレプリカ等を売っています。
f0140054_814087.jpg

小型のイコンのレプリカは、リーズナブルで、お土産にも最適で、ロシアの方も買っていました。

↓良い感じのイコンは、やはり高価でした・・・
f0140054_8143610.jpg

聖イサク大聖堂に代表されるロシア正教の大教会は、非常に見ごたえがあります。
じっくり見て回ると、時間を忘れます。
ちょっと装飾過剰気味で、例えばシンプルなプロテスタント教会とは対照的ですが、ここまでやれば見事です。単なる権力の誇示というより宗教的情熱が感じられ、その芸術性も高いと思います。

↓最後に、また天井画を鑑賞して写真を撮って、名残惜しいですが、聖イサク大聖堂を後にしました。
f0140054_8152237.jpg


にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
2016年 01月 12日 |
本日は、聖イサク大聖堂の内部のうち大きな被写体というか内部景観的な写真を紹介します。

入場すると巨大な空間が広がっており、圧巻です。
f0140054_8372210.jpg

↑上方の空間が主ドーム、下方奥のほうが東側でキリストのステンドグラスや聖人の画が見えます。

この空間に通天閣がすっぽりと入るのですから、すごいです。
f0140054_1146477.jpg

聖イサク大聖堂は、ソ連時代には反宗教博物館として利用されたこともありますが、現在はロシア正教の記念博物館として有料で一般公開されています。

写真撮影は可能です。(但し、三脚とストロボは禁止)
見所が多く宗教博物館的な面もあり、入場料を払う値打ちのある教会だと感じました。この入場料収入が、血の上の教会などの修復にあてられたそうです。

↓この主ドーム天井は空から光を取り入れる構造になっており、上部中心には鳩の形が見えます。
f0140054_839179.jpg

↓ドーム中心部を望遠でズームアップ(100m上にあります)
f0140054_8394717.jpg

↓斜めに撮影
f0140054_841623.jpg

↓各小ドームの天井画
f0140054_841297.jpg

f0140054_8415472.jpg

↓主の変容の光景ですね
f0140054_8421371.jpg

↓主ドームに至るアーチの競演
f0140054_8424441.jpg

↓自分では上記の写真が気に入いったので、縦構図に変換して、大きくお見せします、
f0140054_11394498.jpg

↓東側に見えるキリストのステンドグラス(どちらかというと正教ではステンドグラスは少ないです)
f0140054_8431456.jpg

キリストのステンドグラス両側には皇帝や聖人の巨大なモザイク壁画がいくつも描かれています。

↓聖パウロ
f0140054_8434564.jpg

↓エカテリーナ2世
f0140054_8441075.jpg

↑上記のパウロやエカテリーナ2世の絵画の横にそびえる緑の柱は孔雀石です。

孔雀石は、古くは岩緑青(イワロクショウ)、海外ではマラカイトと言い、銅を含む美麗で複雑な模様を生み出す鉱物です。いわゆる緑青色(マラカイトグリーン)の発色が印象的で、化学組成は主に炭酸水酸化銅です。
マラカイトは、18世紀にウラル地方で大鉱脈が発見され、ロシアの工芸や建築に特徴的な質材となりました。(日本にもこのロシア産のマラカイトが、オランダ経由で伝来し、発色模様から孔雀石と呼ばれて賞玩されました。)

ここは、カトリックなら聖人の立像が並ぶところですが、ロシア正教では、平面的な聖画像であるイコンが中心となります。これは初期キリスト教の偶像禁止の流れに基づき、立体的な像が避けられてきた歴史によります。
イコンは、板絵、フレスコ画、写本挿絵、モザイク画などで描かれ、教会の内部を飾っています。これが正教会内部を見学するとき頭に入れておくべき肝要な点です。

にほんブログ村 写真ブログ 旅行・海外写真へ ←応援ポチいただければ嬉しいです。御覧いただきありがとうございます。
PageTop
XML | ATOM

個人情報保護
情報取得について
免責事項
Starwort Skin by Sun&Moon