模糊の旅人
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2017年 09月 22日 |

伊吹山の自然シリーズを再開します。


シモツケソウなど小さな花は可憐で山野草らしい存在ですが、大型の花もスケールの大きい風景に合ってまた良いものです。
そこで今日は、伊吹山で見られる大型の花三種(シシウド、メタカラコウ、ウバユリ)を、おおくりします。


↓まずは、シシウドです。とても大きくて、山の遠景をバックに撮ると雄大です。

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シシウドはセリ科の多年草で2mを超える大きさにまでなります。セリ属の学名は Angelica すなわち天使;これは強心剤として用いられ死者をも蘇らせるとされたことから。和名のシシウドは、冬場にイノシシが掘って食べることからきています。

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ちなみに、セリ科で最大の花は、北海道~東北に咲く エゾニュウ です。それについては、こちら をご覧ください。


↓シシウドを上から撮ると花火のようです。

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↓横から

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↓シシウドのラストは下から撮ってみました。

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次は、メタカラコウです。

この花は、キク科の大きな花で、黄色いことから目立ちます。

↓伊吹山頂上付近の斜面に群生するメタカラコウ。ひときわ綺麗で豪華です。

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↓この大きな花には、やはり大きく華麗な蝶であるアサギマダラが似合います。

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↓寄って

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↓さらにアップで

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最後は、ウバユリです。

この花は、ユリ科の巨大な植物です。ただし、大きいとはいえ。薄緑色で筒状半開きで咲き、谷間に多いことからも、さほど目立ちません。

↓これで満開です。これ以上は開きません。

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ウバユリは、鱗茎が大きくなると、高さ1mをこえます。伊吹山の東登山道の谷筋に多いです。

↓あまり人気がありませんが、私は好きな花のひとつです。地味ながらしっかりとした存在感があります。

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↓つぼみ状態

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↓ウバユリの花序のひとつを、正面からアップで撮影。なかなか優れた造形を見せてくれます。

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2017年 09月 04日 |

伊吹山には、綺麗だけれども同定が難しい花があります。それが、クガイソウ と ルリトラノオ です
どちらも青紫系の細長い花でとても素敵なのですが、花だけ見ると私には区別がつきません。葉の付き方でなんとか区別します。

↓スジグロシロチョウを撮影したのですが、その止まっている花がクガイソウなのかルリトラノオなのか・・・

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↓少し角度/構図を変えて、葉も入れて撮影すると分かります。葉が輪生なので、これはクガイソウです。

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↓伊吹山のクガイソウは、イブキクガイソウとしてクガイソウから独立した種類(亜種)とする考え方もあります。

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↓こちらは、ルリトラノオ
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ルリトラノオは、伊吹山と岐阜県揖斐川町(伊吹山の東側すぐ)にしか分布しない珍しい植物ですが、瑠璃色の花がクガイソウそっくりなので、花だけでは区別しにくいです。

ルリトラノオは、葉が対生なので、そこで区別できます。

↓これは分かりやすい写真で、明らかに葉が対生なので、ルリトラノオです。

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↓ちょっと発色が青に寄りましたが、これもルリトラノオです。

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写真のように、クガイソウよりルリトラノオのほうが真っすぐ咲くような気がしますが、斜めによれて咲くルリトラノオもあるので、やはり葉の付き方で区別するのが正解です。


私自身は、昆虫とくに蝶がたくさん寄ってくるクガイソウのほうが好きなのですが、ルリトラノオの凛とした雰囲気も良いものです。

以下、5枚の写真はすべてクガイソウで、蝶や昆虫、カタツムリがいるものです。

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↓小さなカタツムリがいます。これは、ヒメボタルの餌になり、伊吹山頂の山小屋に宿泊すれば、夜に蛍の輝きを観察できます。

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↑周りをアカソが取り囲んでいますね。クガイソウも負けずに頑張って生きてほしいものです。



もうひとつ、名前的にややこしいのですが、イブキトラノオという白い花があります。

↓イブキトラノオ。これは、白い花とはいえ、やはり細長い虎の尾状の形をしています。

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↓シモツケソウの群落の中に咲くイブキトラノオの花たち。少し弱弱しい風情がなんとも個性的です。

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このイブキトラノオをはじめ、イブキフウロソウ、イブキトリカブト、イブキジャコウソウ、コイブキアザミなど、伊吹山にはイブキ~~と伊吹を冠した植物が30種近く自生しています。これは、伊吹山には花が多く植物研究のメッカであり、ここで発見命名された植物が多いからです。






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2017年 08月 29日 |

伊吹山の代名詞ともいえる美しい花がシモツケソウです。バラ科の多年草で、ピンクのふわっとした雰囲気は夏の山の妖精のようです。年によって開花量が異なりますが、運が良ければ群生して咲く景色も見られます。

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↓たくさん咲いていると見事です。
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10年ほど前から、シモツケソウの花が減り、心配されていました。

最近は、関係者の保護努力により、シモツケソウの開花数が復活しており、大きな群落も昔のように見られるようになってきました。
有難いことで、これからもこの繊細で美しい花の姿を見守っていきたいものです。

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群生するシモツケソウのお花畑の美しさは例えようもありません。
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↓霧が立ち込める中でのシモツケソウ群落も良いものです。夢幻的です。

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↓シモツケソウの上下に葉先が三裂した赤い細棒のような花が見えています。これがシモツケソウを圧迫しているアカソです。

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シモツケソウの減少をもたらした大きな原因は、このアカソという花の勢力拡大です。

アカソはイラクサ科の強勢な多年草で、60cmから120cmまで大きくなるため、アカソが繁殖すると他の植物が埋もれて枯れてしまうのです。

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伊吹山の山頂付近では多種多様な花が咲きますが、特にアカソ、次いでテンニンソウが優勢になってきており、他の植物が脅威にさらされています。特に生育環境が似ているシモツケソウの被害が多いようです。

異常繁殖した植物は盛期を過ぎると再び減少するものですが、アカソとテンニンソウに関してはそんな減少する気配が見られません。

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植物の生存競争といえばそれまででですが、伊吹山の植物の変遷には、多くの観光客や登山者にさらされる影響も指摘されており、人間が踏み込む環境に適したアカソのような植物に優位に働いているのです。


↓アカソも撮影仕方によっては、それなりに綺麗に見えますが・・・

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↓他の花(クルマバナ)を圧迫しつつあるアカソです。

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アカソは人気のない花なので可哀そうな気もしますが、お花畑がアカソだらけになってしまうのは、植物環境が貧しく単調になり考え物です。

外来種ヒメジョオンも広がってきており、これについては駆除する活動が行われているようです。

人間の生活環境に適応したススキやオオヨモギも勢力を増してきており、伊吹山独特の植物が減るのは望ましいことではありません。

入山者を制限すべきという意見もありますが、多種多様な花が咲き乱れる伊吹山だからこそ多くの登山者が殺到するわけで、それを一部の特権的な人にだけに見せるというのは反対です。誰でもこんな雲上の楽園を見たいわけで、伊吹山の素晴らしさを多くの方に味わってもらえるような方向で、自然保護に努めていくようにしてほしいです。

地球温暖化や鹿の食害という問題もあり、人気の伊吹山ならではの自然保護の難しさがあるようです。






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2017年 08月 17日 |

醒井の後編です。

↓地蔵川風景

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↓梅花藻と醒井宿の街並み

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↓梅花藻の茎は長く、独特の水中世界を形づくっています。

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梅花藻はユニークな水環境を育み、水生昆虫が生息するだけでなく、梅花藻の茎葉を産卵床とするハリヨ(針魚)という淡水魚が見られます。

ハリヨは岐阜県と滋賀県の山間部にしか生息しない貴重な生き物で、年間を通じて低水温で清浄な浅瀬環境に適応しています。
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ここ居醒の清水近くの延命地蔵堂には地蔵川のハリヨを入れた水槽があり、飼育された姿を間近で見学することができます。

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ハリヨは、わずか体長5㎝ほどの小さな魚で、背中にや腹にトゲを持ちます。現在は環境の悪化や近縁のイトヨとの交雑が進み絶滅が危惧されているそうです。

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ハリヨの水槽のある地蔵堂の側に、雨森芳洲の歌碑があります。

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「水清き人の心をさめが井や底のさざれも玉とみるまで」

江戸時代中期の儒学者である雨森芳洲は、近くの現・長浜市の出身で、対馬藩に仕え李氏朝鮮との外交に活躍しました。この歌は、晩年、故郷近くの居醒の清水に思いを寄せて詠んだものです。


雨森芳洲は、木下順庵の下で儒学を学び、新井白石、室鳩巣とともに、木下門下の五先生あるいは木門十哲の一人とされた秀才です。朝鮮語と中国語に堪能で、外交官としての役割を果たすとともに、篤実な人格者で信頼され、対馬藩主の側用人にも就任しました。


↓ヤマトタケルの像(伊吹山の神に敗れたヤマトタケルは、ここの清水で傷を冷やしたとされています)

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↓その「居醒の清水」(平成名水百選のひとつ)

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↓上の写真の中央部分をズームでアップ・・・確かに相当の量の水が湧いています。

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居醒の清水を見たら、来た道を戻ります。

↓醒井宿の街並みは素敵です。

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↓帰路、醒井宿の民家玄関先に植えられていたルリヤナギの花

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醒井の街並みの西はずれ(大王水から西へ3分)に、西行水という湧水があり泡子塚が祀られています。これは西行法師の逸話に彩られたロマンチックな場所です。

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伝説によると、平安時代末期、西行が京から関東へ行く途中、この醒井の湧水で休憩していたところ、茶店の娘が西行に恋をして、西行の飲んだ後の茶の泡を飲むと懐妊していしまい、男の子を生みました。

西行は、関東からの帰り、ここに立ち寄り、娘から話を聞き、その生まれた子を見つめるや「今一滴の泡変じてこれ児をなる、もし我が子なら ば元の泡に帰れ」と祈り「水上は清き流れの醒井に浮世の垢をすすぎてやみん」と詠みました。すると不思議や、その子はたちまち消えて、元の泡になりました。西行は「実に我が児なり」と、ここに石塔を建てたそうです。

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↓西行水の近くには、中山道醒井宿の道標があります。

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2017年 08月 11日 |

「たびねす」に、私の <夏は滋賀県・醒井で梅花藻(バイカモ)の可愛い姿を観察しよう!> という記事が掲載されました。夏に最適の清流に咲く水中花の記事ですので、ぜひご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。






ブログでも、上記の、たびねす記事とタイアップして、醒井の街並みと水中花:梅花藻について、紹介します。

「醒井」は、JRの駅名は「醒ヶ井」と書き、いずれも「さめがい」と読みます。

『日本書紀』の日本武尊(ヤマトタケル)伝説に登場する「居醒泉」(いさめがい)に由来し、伊吹山の神に敗れたヤマトタケルの傷を冷やしたとされ、ここの湧水がはるか神話時代から有名であったことが分かります。

また、東日本と西日本を結ぶ交通の要衝で、泉が湧き、旅人が休憩する場所として最適だったのです。当然、昔より宿場町であり、中山道の61番目の宿場でした。


↓JR東海道線の醒ヶ井駅

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↓醒ヶ井駅前にある「醒井水の宿駅(さめがいみずのえき)」
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↑直売所として地場の野菜や名物お土産物を販売しており、おふくろバイキング 「みゆき」やミュージアムもあります。なにより「醒井の湧水」が入口前にあり、無料で試飲したり汲むことができます。美味しい水ですので、ぜひ試してみましょう。


醒ヶ井駅前から、南へ国道21号線を渡り、行きあたりを東(左)へ折れて歩いて5分ほどで、地蔵川に至り(十王水)、ここから地蔵川の水源たる居醒泉の清水まで約500mの間に、点々と梅花藻(バイカモ)が見られます。

↓十王水までの道の左側にある旧・醒井郵便局の建物

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↑有名なヴォーリズの設計による郵便局舎で、石造り風に見える木造モルタルの擬洋風建築という独特の建築物です。現在は醒井宿資料館になっています。


↓旧・醒井郵便局の先にある案内看板(写真をクリックすると横1200ピクセルに拡大されますので、地図として参考にしてください)

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↓十王水。川の流れの中にあるので、水源がある湧水とは分かりにくいです。

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↓十王水付近で見る梅花藻

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河岸には「かわと」という川際に降りる階段状の場所が設けられ、果物を冷やしたり野菜を洗ったりできるようになっています。古くから地元の人たちの生活と結びつき保護されてきた水と親しむ街並みは、落ち着きと潤いのある情緒を醸し出しています。

↓水に親しむ地蔵川沿いの醒井宿風景

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↓夏は、地蔵川に咲く水中花である梅花藻(バイカモ)が一番人気。多くの観光客が訪れます。

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醒井宿資料館のひとつである問屋場のあたりが梅花藻が最も群生して見られます。

↓問屋場

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↓梅花藻は可愛い水の精

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地蔵川は、梅花藻が生息する貴重な場所として知られ、年間を通じて14度くらいの清浄で安定した湧水環境が維持されています。梅花藻は、初夏から初秋にかけて小さな梅のような花を水面に咲かせ、全体的に小規模ながら独特の華やな雰囲気があります。夏季の限定期間には、梅花藻の夜間ライトアップもあります。

↓梅花藻の群生

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↓梅花藻に近づいてクローズアップ撮影

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↓あれ?梅花藻に赤花があるかと思って、接近してよく見ると、上流で岸から落ちて流れてきたサルスベリの花でした。それでも、とても風情がありました。

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2017年 07月 08日 |

「たびねす」に、私の <雲上の楽園!滋賀「伊吹山」で美しい花と蝶を観察しよう!> という記事が掲載されました。
これまで何十回と登って自然観察をしてきた伊吹山の花と蝶について、簡単にまとめてみたものです。ぜひご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。






伊吹山については、今年の夏(8月)も行きたいと思っていますが、もしそれが実現すれば、またブログ記事でより詳しく本格的に紹介したいと計画しています。
そこで今日は、季節ものを優先して、半夏生について書いておきます。


半夏生(はんげしょう)とは、雑節の1つで季節を示す用語。夏至から11日目の頃をいいます。今年は7月2日でした。
由来は諸説あり、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が半分白くなり、化粧しているように見えるからとも。また、ハンゲ(カラスビシャク)という薬草が生える時期という説もあります。

この時期は、農家にとって節目なので、各地いろいろな風習があります。
私の近所では、蛸を食べます。

↓近くのスーパーでは、半夏生セールをやっていました。

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↑説明によると、「稲の根がタコの足のように大地に広がってしっかり育つように」との願いを込めて、半夏生にタコを食べる風習があります、とのことです。

皆さんのところでは、どんな風習があるでしょうか?


私は、半夏生(ハンゲショウ=カタシログサ)という花が、好きなので、この時期はハンゲショウが必ず見られる所に写真撮影に行きます。近くの緑化センターです。この場所については次回の「たびねす記事」に掲載する予定にしていますが、今日はフライングで、今まさに開花シーズンのハンゲショウをお見せします。

ハンゲショウは地味な花ですが、花が咲くころに、葉の一部が白くなり、なんともいえない良さがあります。確かに半分だけ化粧しているような風情です。


以下、ハンゲショウの様々な表情をご覧ください。

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余談です。

この花の名前ハンゲショウについては、7月はじめの「半夏生」の時期に開花するからという説と、葉の片面が白くなる「半化粧」だからという説があります。
一方、雑節の季節用語「半夏生」は、ハンゲショウの花が咲くから名づけられてという有力な説があります。つまり、どちが先か?、卵が先か鶏が先か?、という循環する話ですね。

思うに、この花名の由来は「半化粧」で、そこから雑節の「半夏生」が名づけられたとすれば、スッキリしますが、いかがでしょうか?



生物学的には、上の写真をご覧いただければお分かりのように、花径に近い葉が、開花時期に白化しますので、この葉が目立つことで、花弁の役割を果たしていると考えられます。この自然の造化の妙と、これを「半化粧=半夏生」と名づけた日本人の優れた感性に、驚かされます。


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2017年 05月 10日 |
恐竜博物館の記事が続きましたので、少し巻き戻して、桜と野鳥の写真をアップしてみます。

今春は足の調子が悪く、本格的なフィールド撮影ができませんでした。とはいえ、近所の公園散歩くらいは出来ますので、桜の時期は、おなじみの小さな野鳥をからめた写真を撮影しました。
重い撮影機材を持ち歩けないので、あまり大きく撮れなかったですが、なんとか今年も出会えて嬉しかったです。


↓メジロ
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↓ヒヨドリ
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↓エナガ2景
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↓ヤマガラ
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↓シジュウカラ
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↓桜まつり
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↓紅枝垂れ2景
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↓落桜有情
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2016年 11月 24日 |
旅へ出ることになりました。

写真展が終わってすぐという、あわただしい日程ですが、なんとか諸用を済ませましたので、海外へ行ってきます。

今回は、久しぶりの西欧で、主にドイツを中心に、できればオランダやベルギーにも行ってみるつもりです。

これから、西欧はアドベント(待降節)の季節になりますので、クリスマスマーケットを楽しめるのではないかと期待しています。


そのためブログ更新を、しばらく休みます。

どうぞよろしくお願いします。


↓写真は中之島公園の11月の薔薇です。後方は難波橋(通称ライオン橋)です。
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それでは、皆さん、しばらくの間、ごきげんよう!


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2016年 10月 27日 |
ハットゥシャ遺跡は、北が低く南が高い広い谷に位置し、東~南~西に尾根のある防御に優れた形になっています。ここが、ヒッタイトの首都に選ばれると、尾根上に外周6km強の城壁が築かれ全体を取り囲み、大きな城塞都市として機能していました。

北側低地のグリーンストーンのある大神殿遺跡の一帯が「下市」と呼ばれ当時の住居跡もあります。ここから南西に向けて、現在は整備された急な道路を上っていくと「上市」と呼ばれる山の手の遺跡跡に至ります。この上市の最西にある城壁の門がハットゥシャのシンボルとして有名な「ライオン門」です。
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↑写真のように、向かって右側のライオンは古いオリジナルで、左側のライオンの顔は破損していたため復元された新しいものです。

↓左側ライオンの横顔・・・顔の部分だけが新しいので少し違和感があります。年月が経過すれば馴染むかも知れませんね。
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↓右側ライオンの横顔・・・やはりこちらの古いほうがナチュラルで風格があります。ライオンの身体に模様もわずかに残っています。
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↓右側ライオンの上部も入れて斜め前から撮影
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本来は上部を巨大な石垣アーチ壁に取り囲まれたトンネル状の強固な門で、門扉は一説によるとヒッタイトらしく鉄製であったとのことです。

このライオン像は城壁の外側を向いており、城壁内に悪霊が入るのを防ぐ役目を持っていました。また、はじめてここを訪れた者に対しても、圧倒的な威圧感を与えていたと想像されます。

↓説明看板
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↓説明看板右下のライオン門の復元想像図を拡大してみます。巨大な石垣が上部を取り巻いていたのです!
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↑ライオン門は、まるで頑丈なトンネルのような感じで、非常に大きな建造物であったことが分かります。
これは、次回に掲載するスフィンクス門地下道(イェルカプ)の謎を解くカギになる写真です。


この復元想像図のライオン門を見ると、門番のライオンが巨大な石垣トンネル門を両側から保護しているように感じられました。
これは、まさに後にアジアに広がる、狛犬やシーサー文化のルーツではないでしょうか?


↓昼食レストランのテーブルクロスにデザインされたライオン門。やはりここは、遺跡のシンボル的存在です。
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ハットゥシャに入るのは、北側の谷の入り口以外では、この南西尾根にあるライオン門と、南側頂上尾根にあるスフィンクス門と、南東尾根にある王の門の三か所でした。しかも、三つの門はいずれも外側が谷に面した要害にあります。

↓現在のライオン門の外側です。巨大な岩のある谷が広がっていました。
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↓ライオン門の外側から内側の門を撮影してみました。この石垣に囲まれた場所は、往時は、上部も石垣に覆われたトンネルであったわけです。
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↓内側に戻って遺跡を撮影。手前が上市の跡で、左奥の台地上の遺跡が皇帝が住んでいた王城要塞(ブユックカレ)の跡です。
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↓ライオン門の近くで咲いていた梅の木です。
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3月のトルコは、白からピンク系の木の花がたくさん咲いており、梅、アーモンド、桜をよく見かけました。中でも、梅が一番多かったです。日本の梅(ジャパニーズ・プラム)とは少し違いアンズ(アプリコット)に近いようです。

<参考> 梅とアンズとは、植物学的には近縁で、自然状態でも容易に交雑します。
  栽培品種としてはスモモも含めて複雑に交配進化しているため、園芸上の分類についても諸説があります。
  世界のアンズ(ウメを含む)生産量では、トルコがトップで、第2位はイランです。


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More 写真展のお知らせ
2016年 09月 25日 |
湯原温泉街を散策していると、菊之湯の前に、おふくの方湯治邸跡があり、印象的な像が立っていました。

おふくの方は、湯原温泉の母ともいうべき存在ですので、少し詳しく書いてみます。(たびねす記事では字数制限があって思うように書けなくてストレスが溜まったので、子・宇喜多秀家のことを含めて、今日はブログでちょっと長めに文章を展開してみます)

↓おふくの方の像
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おふくの方は、才色兼備の女性で、その波乱に満ちた生涯から、戦国のクレオパトラというべき存在です。
幼名は「お鮮」といい、後に秀吉の側室になった際に「おふく」と改名したとする説もあります。

美作に生まれ、類まれなる美貌で三国一の美女と言われました。「美作美人」という言葉が生まれる元になったそうです。


評判の美人だったことから美作の殿様:高田城主・三浦貞勝に嫁ぎ一子をもうけましたが、高田城は備中松山の三村家親に攻められ落城し、夫の貞勝は自害しました。おふくは子・桃寿丸とともに備前に逃れ、戦国乱世の梟雄・宇喜多直家に見初められ妻となります。

宇喜多直家は、おふくの機嫌を得ようと亡夫・三浦貞勝の仇である三村家親を暗殺します。

直家はさらに、近隣の豪族を次々と謀略で倒し、備前・美作を領有する戦国大名になります。

宇喜多直家は、浪人から下剋上でのしあがった権謀術策を駆使する風雲児とされますが、大きな合戦なしに策略や奸計で国盗りを達成したわけですから、ある意味、非凡な才能を有していたと言えるでしょう。また、おふくにはベタ惚れして一筋に愛し浮気もしなかったそうです。
おふくと直家は、大変仲の良い夫婦として岡山城に君臨し、二人の間には女子(後の吉川広家の妻)と男子(後の宇喜多秀家)が生まれます。

しかし、時は戦国末期、備前・美作は、東西有力勢力の中間に位置し、困難な対応を余儀なくされます。
西の毛利、東の織田の勢力が迫り、とうとう、直家は子の秀家を人質として差し出し織田方についた後に、病死します。

(余談ですが、戦国乱世の三梟雄とは、斎藤道三、松永久秀、宇喜多直家です)

↓現在の岡山城
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おふくは未亡人となり「岡山城の女城主」と呼ばれましたが、羽柴秀吉に接近し、その側室となることでわが子・宇喜多秀家の将来を託します。

このあたりの詳細は諸説あり、宇喜多直家が死の直前、秀吉に、おふくの面倒を見てやってくれと頼んだという説があります。おふくの側から秀吉に近づいたとする説も有力です。宇喜多家の安泰を図ろうとする策であったのかも知れません。
また、秀吉が黒田官兵衛の仲介で評判の美女「おふくの方」を手に入れ、そのかわり、おふくの子に「秀」の字を与えて秀家と命名し元服させ、養子にしたという逸話があります。
いずれにせよ、おふくが才たけた美人であったこと、毛利に対抗したい秀吉との思惑が一致したことは間違いありません。本能寺の変直後・中国の大返しの際にも、秀吉は岡山城にわざわざ一泊しています。まさに、シーザーあるいはアントニウスとクレオパトラの関係に似た話ですね。


↓宇喜多秀家像(岡山城蔵)
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おふくの願いを聞いて、秀吉は宇喜多秀家を養子として重用します。母の血を引いて利発な美少年だった秀家を、秀吉は大いに気に入り、出自は外様にもかかわらず秀吉の一門衆並みに扱います。

秀家も期待に応えて才能を発揮し、やがて秀吉が大切にした養女豪姫(前田利家の娘で洗礼名マリア)を娶り、57万石を安堵され大大名となります。さらに、文禄の役では大将として出陣し、ついには秀吉晩年の五大老の一人にまで出世します。

ちなみに、五大老とは、徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元です。秀吉は、朝鮮出兵が成功すれば、宇喜多秀家を日本か朝鮮の関白にしようとしていました。

どうやら、秀吉が養子とした男子の中では、宇喜多秀家が最も優秀だったようです。(秀次・秀勝・小早川秀秋らは凡庸でした)

秀吉の死後、秀家は、関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の主力として中央に位置し、福島正則軍と正面衝突し善戦します。しかし、小早川秀秋の裏切りにより敗れます。敗戦後は薩摩まで落ち延びますが、ついには八丈島に流されて、おふくと二度と会えなかったとのことです。


おふくの方の晩年について詳しくは分かりませんが、現存する自筆書状が1600年以降のものだとされています。
また、岡山城下に「おふくの方(お鮮さま)」の墓と伝えられる供養塔が残されており、「お鮮さまのお墓を見れば、さても立派なお墓でござる」と手毬歌が伝わっていることから、法鮮尼と呼ばれ岡山の寺で穏やかに過ごしたと思われます。院号は円融院。

↓岡山市にある「おふくの方」の供養塔(五輪塔)・・・岡山市の重要文化財です。
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後日談ですが、宇喜多秀家は長寿で、流刑地・八丈島で84歳まで生きました。没年は明暦元年(1655年)で、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の御世でした。結局、宇喜多秀家は、関ヶ原を戦った大名の中では、最も遅くに没した人物となりました。。。。



宇喜多秀家が豊臣秀吉政権下で岡山城主であった当時、病を得た母おふくのために、湯原に湯治場を開設しました。大きな湯屋のほかに寄宿10余棟を造営したと伝えられ、おふくの方は長期間、湯治療養したとのことです。これが、湯原温泉が本格的な大温泉地として利用された最初です。

湯原に湯治する原因となった「おふくの方」の病とは、最初の夫・三浦貞勝との間にもうけた子・三浦桃寿丸が伏見大地震で圧死してしまったショックによるものと伝えられます。(異説あり)
なお、おふくが次の夫・宇喜多直家との間にもうけた娘・容光院は、宇喜多秀家の実姉ですが、母の血を受け継いだ大変な美人で、毛利三家のひとつ吉川家当主・吉川広家の正妻となりました。容光院という名前からも容姿が光り輝いていたと想像されますね。

↓「おふくの方」の像のある菊之湯。現在は湯原国際観光ホテルとも称され湯原温泉の中心的存在です。まさに「おふくの方」の湯治場が継承された現在の姿ですね。
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全くの私見ですが、現在の岡山市の基礎を築いたのは宇喜多直家と秀家ですから「おふくの方」がいなければ岡山の繁栄は無かったと考えます。そういう意味では、おふくの方は、「湯原温泉の母」のみならず「岡山の母」と言えるのではないでしょうか。

『戦国のクレオパトラ』として「おふくの方」を主人公とした大河ドラマか映画でも作られませんかね・・・・直家や秀家の生涯を含めて波乱万丈でドラマチックだと思うのですがね・・・・



「おふくの方」の像の前に立って、戦国時代に自己の美貌と知略で生き抜いた女性の生涯を思い起こし、歴史のロマンにひたってみるのも一興です。

↓今日の最後の写真もユキノシタです。上記の菊之湯のすぐ側の山際に群生しています。おふくの方の時代から咲き続けてきたのでしょうか。
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<追記> 2016.9.26

「おふくの方」を主人公とした大河ドラマか映画でも作られませんかねと書いたところ、何人かの方からメールやコメントで情報をいただきました。以下に整理してみますので、連絡いただいた方々に、深く御礼を申し上げます。

(1)1988年にTBSの『愛に燃える戦国の女』という「おふくの方」を主人公にした3時間ドラマがあったそうです。おふく役は三田佳子さんが演じました。

(2)NHK大河ドラマでは、これまで脇役ですが「おふくの方」が登場しました。

    ひとつは、1996年の『秀吉』で、高瀬春奈さんが「おふく」として演じました。
    
    次は、2014年の『軍師官兵衛』で、笛木優子さんが「おせん」として演じました。この時の宇喜多直家役は陣内孝則さんで、二人の登場シーンは、こちら

(3)宇喜多秀家は、2016年NHK大河ドラマ『真田丸』で、高橋和也さんが演じました。


なお、「おふくの方」は、徳川家光の乳母で春日局と呼ばれた方と同じですかという質問もいただきました。
「おふく」は縁起が良いとして当時から多く用いられた女性の名前ですので、混同しやすいですが、宇喜多秀家の母の「おふくの方」と、徳川家光の乳母「おふく様」は全く違う人物です。
徳川家光の乳母のほうの「おふく様」は、明智光秀の重臣:斎藤利三の娘として生まれ、小早川秀秋の家臣:稲葉正成の妻で、後に徳川家光の乳母から大奥の公務を取り仕切る将軍様御局となり、「春日局」の名号を下賜された女性です。



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