模糊の旅人
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2017年 05月 10日 |
恐竜博物館の記事が続きましたので、少し巻き戻して、桜と野鳥の写真をアップしてみます。

今春は足の調子が悪く、本格的なフィールド撮影ができませんでした。とはいえ、近所の公園散歩くらいは出来ますので、桜の時期は、おなじみの小さな野鳥をからめた写真を撮影しました。
重い撮影機材を持ち歩けないので、あまり大きく撮れなかったですが、なんとか今年も出会えて嬉しかったです。


↓メジロ
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↓ヒヨドリ
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↓エナガ2景
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↓ヤマガラ
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↓シジュウカラ
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↓桜まつり
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↓紅枝垂れ2景
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↓落桜有情
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2016年 11月 24日 |
旅へ出ることになりました。

写真展が終わってすぐという、あわただしい日程ですが、なんとか諸用を済ませましたので、海外へ行ってきます。

今回は、久しぶりの西欧で、主にドイツを中心に、できればオランダやベルギーにも行ってみるつもりです。

これから、西欧はアドベント(待降節)の季節になりますので、クリスマスマーケットを楽しめるのではないかと期待しています。


そのためブログ更新を、しばらく休みます。

どうぞよろしくお願いします。


↓写真は中之島公園の11月の薔薇です。後方は難波橋(通称ライオン橋)です。
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それでは、皆さん、しばらくの間、ごきげんよう!


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2016年 10月 27日 |
ハットゥシャ遺跡は、北が低く南が高い広い谷に位置し、東~南~西に尾根のある防御に優れた形になっています。ここが、ヒッタイトの首都に選ばれると、尾根上に外周6km強の城壁が築かれ全体を取り囲み、大きな城塞都市として機能していました。

北側低地のグリーンストーンのある大神殿遺跡の一帯が「下市」と呼ばれ当時の住居跡もあります。ここから南西に向けて、現在は整備された急な道路を上っていくと「上市」と呼ばれる山の手の遺跡跡に至ります。この上市の最西にある城壁の門がハットゥシャのシンボルとして有名な「ライオン門」です。
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↑写真のように、向かって右側のライオンは古いオリジナルで、左側のライオンの顔は破損していたため復元された新しいものです。

↓左側ライオンの横顔・・・顔の部分だけが新しいので少し違和感があります。年月が経過すれば馴染むかも知れませんね。
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↓右側ライオンの横顔・・・やはりこちらの古いほうがナチュラルで風格があります。ライオンの身体に模様もわずかに残っています。
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↓右側ライオンの上部も入れて斜め前から撮影
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本来は上部を巨大な石垣アーチ壁に取り囲まれたトンネル状の強固な門で、門扉は一説によるとヒッタイトらしく鉄製であったとのことです。

このライオン像は城壁の外側を向いており、城壁内に悪霊が入るのを防ぐ役目を持っていました。また、はじめてここを訪れた者に対しても、圧倒的な威圧感を与えていたと想像されます。

↓説明看板
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↓説明看板右下のライオン門の復元想像図を拡大してみます。巨大な石垣が上部を取り巻いていたのです!
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↑ライオン門は、まるで頑丈なトンネルのような感じで、非常に大きな建造物であったことが分かります。
これは、次回に掲載するスフィンクス門地下道(イェルカプ)の謎を解くカギになる写真です。


この復元想像図のライオン門を見ると、門番のライオンが巨大な石垣トンネル門を両側から保護しているように感じられました。
これは、まさに後にアジアに広がる、狛犬やシーサー文化のルーツではないでしょうか?


↓昼食レストランのテーブルクロスにデザインされたライオン門。やはりここは、遺跡のシンボル的存在です。
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ハットゥシャに入るのは、北側の谷の入り口以外では、この南西尾根にあるライオン門と、南側頂上尾根にあるスフィンクス門と、南東尾根にある王の門の三か所でした。しかも、三つの門はいずれも外側が谷に面した要害にあります。

↓現在のライオン門の外側です。巨大な岩のある谷が広がっていました。
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↓ライオン門の外側から内側の門を撮影してみました。この石垣に囲まれた場所は、往時は、上部も石垣に覆われたトンネルであったわけです。
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↓内側に戻って遺跡を撮影。手前が上市の跡で、左奥の台地上の遺跡が皇帝が住んでいた王城要塞(ブユックカレ)の跡です。
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↓ライオン門の近くで咲いていた梅の木です。
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3月のトルコは、白からピンク系の木の花がたくさん咲いており、梅、アーモンド、桜をよく見かけました。中でも、梅が一番多かったです。日本の梅(ジャパニーズ・プラム)とは少し違いアンズ(アプリコット)に近いようです。

<参考> 梅とアンズとは、植物学的には近縁で、自然状態でも容易に交雑します。
  栽培品種としてはスモモも含めて複雑に交配進化しているため、園芸上の分類についても諸説があります。
  世界のアンズ(ウメを含む)生産量では、トルコがトップで、第2位はイランです。


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2016年 09月 25日 |
湯原温泉街を散策していると、菊之湯の前に、おふくの方湯治邸跡があり、印象的な像が立っていました。

おふくの方は、湯原温泉の母ともいうべき存在ですので、少し詳しく書いてみます。(たびねす記事では字数制限があって思うように書けなくてストレスが溜まったので、子・宇喜多秀家のことを含めて、今日はブログでちょっと長めに文章を展開してみます)

↓おふくの方の像
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おふくの方は、才色兼備の女性で、その波乱に満ちた生涯から、戦国のクレオパトラというべき存在です。
幼名は「お鮮」といい、後に秀吉の側室になった際に「おふく」と改名したとする説もあります。

美作に生まれ、類まれなる美貌で三国一の美女と言われました。「美作美人」という言葉が生まれる元になったそうです。


評判の美人だったことから美作の殿様:高田城主・三浦貞勝に嫁ぎ一子をもうけましたが、高田城は備中松山の三村家親に攻められ落城し、夫の貞勝は自害しました。おふくは子・桃寿丸とともに備前に逃れ、戦国乱世の梟雄・宇喜多直家に見初められ妻となります。

宇喜多直家は、おふくの機嫌を得ようと亡夫・三浦貞勝の仇である三村家親を暗殺します。

直家はさらに、近隣の豪族を次々と謀略で倒し、備前・美作を領有する戦国大名になります。

宇喜多直家は、浪人から下剋上でのしあがった権謀術策を駆使する風雲児とされますが、大きな合戦なしに策略や奸計で国盗りを達成したわけですから、ある意味、非凡な才能を有していたと言えるでしょう。また、おふくにはベタ惚れして一筋に愛し浮気もしなかったそうです。
おふくと直家は、大変仲の良い夫婦として岡山城に君臨し、二人の間には女子(後の吉川広家の妻)と男子(後の宇喜多秀家)が生まれます。

しかし、時は戦国末期、備前・美作は、東西有力勢力の中間に位置し、困難な対応を余儀なくされます。
西の毛利、東の織田の勢力が迫り、とうとう、直家は子の秀家を人質として差し出し織田方についた後に、病死します。

(余談ですが、戦国乱世の三梟雄とは、斎藤道三、松永久秀、宇喜多直家です)

↓現在の岡山城
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おふくは未亡人となり「岡山城の女城主」と呼ばれましたが、羽柴秀吉に接近し、その側室となることでわが子・宇喜多秀家の将来を託します。

このあたりの詳細は諸説あり、宇喜多直家が死の直前、秀吉に、おふくの面倒を見てやってくれと頼んだという説があります。おふくの側から秀吉に近づいたとする説も有力です。宇喜多家の安泰を図ろうとする策であったのかも知れません。
また、秀吉が黒田官兵衛の仲介で評判の美女「おふくの方」を手に入れ、そのかわり、おふくの子に「秀」の字を与えて秀家と命名し元服させ、養子にしたという逸話があります。
いずれにせよ、おふくが才たけた美人であったこと、毛利に対抗したい秀吉との思惑が一致したことは間違いありません。本能寺の変直後・中国の大返しの際にも、秀吉は岡山城にわざわざ一泊しています。まさに、シーザーあるいはアントニウスとクレオパトラの関係に似た話ですね。


↓宇喜多秀家像(岡山城蔵)
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おふくの願いを聞いて、秀吉は宇喜多秀家を養子として重用します。母の血を引いて利発な美少年だった秀家を、秀吉は大いに気に入り、出自は外様にもかかわらず秀吉の一門衆並みに扱います。

秀家も期待に応えて才能を発揮し、やがて秀吉が大切にした養女豪姫(前田利家の娘で洗礼名マリア)を娶り、57万石を安堵され大大名となります。さらに、文禄の役では大将として出陣し、ついには秀吉晩年の五大老の一人にまで出世します。

ちなみに、五大老とは、徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元です。秀吉は、朝鮮出兵が成功すれば、宇喜多秀家を日本か朝鮮の関白にしようとしていました。

どうやら、秀吉が養子とした男子の中では、宇喜多秀家が最も優秀だったようです。(秀次・秀勝・小早川秀秋らは凡庸でした)

秀吉の死後、秀家は、関ヶ原の戦い(1600年)で西軍の主力として中央に位置し、福島正則軍と正面衝突し善戦します。しかし、小早川秀秋の裏切りにより敗れます。敗戦後は薩摩まで落ち延びますが、ついには八丈島に流されて、おふくと二度と会えなかったとのことです。


おふくの方の晩年について詳しくは分かりませんが、現存する自筆書状が1600年以降のものだとされています。
また、岡山城下に「おふくの方(お鮮さま)」の墓と伝えられる供養塔が残されており、「お鮮さまのお墓を見れば、さても立派なお墓でござる」と手毬歌が伝わっていることから、法鮮尼と呼ばれ岡山の寺で穏やかに過ごしたと思われます。院号は円融院。

↓岡山市にある「おふくの方」の供養塔(五輪塔)・・・岡山市の重要文化財です。
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後日談ですが、宇喜多秀家は長寿で、流刑地・八丈島で84歳まで生きました。没年は明暦元年(1655年)で、江戸幕府第4代将軍・徳川家綱の御世でした。結局、宇喜多秀家は、関ヶ原を戦った大名の中では、最も遅くに没した人物となりました。。。。



宇喜多秀家が豊臣秀吉政権下で岡山城主であった当時、病を得た母おふくのために、湯原に湯治場を開設しました。大きな湯屋のほかに寄宿10余棟を造営したと伝えられ、おふくの方は長期間、湯治療養したとのことです。これが、湯原温泉が本格的な大温泉地として利用された最初です。

湯原に湯治する原因となった「おふくの方」の病とは、最初の夫・三浦貞勝との間にもうけた子・三浦桃寿丸が伏見大地震で圧死してしまったショックによるものと伝えられます。(異説あり)
なお、おふくが次の夫・宇喜多直家との間にもうけた娘・容光院は、宇喜多秀家の実姉ですが、母の血を受け継いだ大変な美人で、毛利三家のひとつ吉川家当主・吉川広家の正妻となりました。容光院という名前からも容姿が光り輝いていたと想像されますね。

↓「おふくの方」の像のある菊之湯。現在は湯原国際観光ホテルとも称され湯原温泉の中心的存在です。まさに「おふくの方」の湯治場が継承された現在の姿ですね。
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全くの私見ですが、現在の岡山市の基礎を築いたのは宇喜多直家と秀家ですから「おふくの方」がいなければ岡山の繁栄は無かったと考えます。そういう意味では、おふくの方は、「湯原温泉の母」のみならず「岡山の母」と言えるのではないでしょうか。

『戦国のクレオパトラ』として「おふくの方」を主人公とした大河ドラマか映画でも作られませんかね・・・・直家や秀家の生涯を含めて波乱万丈でドラマチックだと思うのですがね・・・・



「おふくの方」の像の前に立って、戦国時代に自己の美貌と知略で生き抜いた女性の生涯を思い起こし、歴史のロマンにひたってみるのも一興です。

↓今日の最後の写真もユキノシタです。上記の菊之湯のすぐ側の山際に群生しています。おふくの方の時代から咲き続けてきたのでしょうか。
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<追記> 2016.9.26

「おふくの方」を主人公とした大河ドラマか映画でも作られませんかねと書いたところ、何人かの方からメールやコメントで情報をいただきました。以下に整理してみますので、連絡いただいた方々に、深く御礼を申し上げます。

(1)1988年にTBSの『愛に燃える戦国の女』という「おふくの方」を主人公にした3時間ドラマがあったそうです。おふく役は三田佳子さんが演じました。

(2)NHK大河ドラマでは、これまで脇役ですが「おふくの方」が登場しました。

    ひとつは、1996年の『秀吉』で、高瀬春奈さんが「おふく」として演じました。
    
    次は、2014年の『軍師官兵衛』で、笛木優子さんが「おせん」として演じました。この時の宇喜多直家役は陣内孝則さんで、二人の登場シーンは、こちら

(3)宇喜多秀家は、2016年NHK大河ドラマ『真田丸』で、高橋和也さんが演じました。


なお、「おふくの方」は、徳川家光の乳母で春日局と呼ばれた方と同じですかという質問もいただきました。
「おふく」は縁起が良いとして当時から多く用いられた女性の名前ですので、混同しやすいですが、宇喜多秀家の母の「おふくの方」と、徳川家光の乳母「おふく様」は全く違う人物です。
徳川家光の乳母のほうの「おふく様」は、明智光秀の重臣:斎藤利三の娘として生まれ、小早川秀秋の家臣:稲葉正成の妻で、後に徳川家光の乳母から大奥の公務を取り仕切る将軍様御局となり、「春日局」の名号を下賜された女性です。



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2016年 08月 26日 |
車山からしばらく歩くと、八島ヶ原湿原が近づいてきます。

↓振り返ると車山が遠くに見えます。丸いドームが車山気象レーダー観測所です。
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↓八島ヶ原湿原に到着しました。
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八島ヶ原湿原は、標高約1632mにある高層湿原で国の天然記念物に指定されています。
標高1500m以上では、湖沼の植物は腐敗・分解しにくく泥炭となり堆積し高層湿原を形成します。その一帯と周辺では高木・樹林が生育せず、日当たりが良いことから、背丈の低い高山植物などの花が多くみられるようになります。

八島ヶ原湿原でも初夏から真夏にかけて、様々な花が咲き乱れます。以下、八島ヶ原湿原の花々をご覧ください。

↓ノハナショウブ
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↓ハクサンフウロ
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↓ホソバノキリンソウ
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↓イブキボウフウ
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↓オミナエシ
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↓ツリガネニンジン
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↓アカバナシモツケ
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↓ウスユキソウ
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↓エゾカワラナデシコ
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↓コウリンカ
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↓クサフジ(吸蜜している蝶はコキマダラセセリ)
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↓ヤマホタルブクロ
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↓ミヤマハハコグサ
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↓マツムシソウ
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↓最後は八島ヶ原湿原をバックにシシウドを撮影して霧ヶ峰を後にしました。
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2016年 08月 23日 |
東日本は台風が来襲していますが、大阪はカンカン照りで、まだまだ猛暑が続いています。早く涼しくなってほしいものです。
そこで今日は、海会寺跡シリーズを一時中断して、信州の有名スポットの爽やかな写真を掲載して、涼味を感じてもらおうと思います。

信州の真夏の醍醐味は、日本アルプス登山に原生林探勝や野生動物観察、渓谷の美などがありますが、もうひとつ高原のすばらしさがあります。見晴らしの良い高原のドライブ、軽登山やトレッキング、明るく広い高原や高層湿原に咲き乱れる高山植物などが魅力的です。
こういう場所は人気観光スポットになりますが、爽快な世界なので、信州滞在中の一日を費やして高原を歩き回りました。

ご存知ビーナスラインの高原ドライブを楽しんでから、霧ヶ峰の最高峰「車山」に登り高山植物を撮影しながら八島ヶ原湿原に至る高原トレッキングを満喫しました。

↓霧ヶ峰の高原の景観
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↓高原ドライブの車窓から一枚
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標高1600~1800mクラスの高原を走る安全なドライブコースというのは、日本では少ないものです。この霧ヶ峰付近のビーナスラインは夏でも涼しく、広々とした爽快な山岳ドライブを誰でも楽しめる貴重なコースです。(ビーナスライン最高地点は美ヶ原で1920mにもなります)

↓高原ドライブは非常に快適です。
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ひとときドライブを楽しんだ後、駐車場にクルマを止め、軽登山を行います。やっぱり歩かなければ、霧ヶ峰の真の良さが味わえませんので。

↓これから登山する霧ヶ峰の主峰「車山」
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↓爽やかな軽登山ルートとして人気があるので、登山道は混んでいました。
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霧ヶ峰一帯は、古来よりカヤ類の刈取り場として利用されてきたことから、樹林が少なく、見晴らしの良い高原になっています。そのため現在は冬はスキー場、春~秋は軽登山のメッカになっています。

私は花や蝶を撮影しながら、ゆっくりと登りました。

↓ウラギンヒョウモン(花はヨツバヒヨドリ)
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↓ワレモコウ
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↓いよいよ山頂近くです。
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↓車山の頂上にて
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↓頂上から白樺湖方面を見下ろして撮影
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↓山頂に咲いていたキバナノヤマオダマキ
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↓(山頂の岩場をバックに)ミヤマシシウド
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↓車山から八島ヶ原湿原への登山道で高山植物を撮影するカメランマンたち
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↓コオニユリ(上記のカメラマンたちの被写体です)
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↓あまりにも有名なニッコウキスゲ
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2016年 08月 14日 |
毎日36度を超す大阪の暑さに参っております。
クーラー嫌いの私にとっては、とてもつらい季節ですが、皆さんは大丈夫でしょうか?

どうも日本は亜熱帯化しつつあるようです・・・特に都会では、夜も温度が下がらないのがこたえますね。


そこで、少しでも涼しく感じていただけるように、今日は信州山籠りの一日に散策した自然探勝スポット「もののけの森」の写真をおおくりします。ブログで森林浴をしていただければ幸いです。

ここは、標高2100~2150mの苔に覆われた、うっそうとした森の中で、温度も雰囲気もとても冷涼な場所でした。歩いているとちょうど良いのですが、じっとして休んでいると寒いくらいでした。


↓もののけの森の看板
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↓森の木々の下は苔に覆いつくされています。
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↓朽木と苔のコラージュのようです。
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↓森の中を行く散策路(苔の無い場所を歩くようになっています)
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↓森の下地面をアップで
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↓もっとアップで
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↓さらにドアップで
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↓池の造形(その一)
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↓池の造形(その二)
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ここには、ツガ、トウヒ、シラビソの古木が林立する亜高山帯の原生林が広がっており、地上はまるで緑のジュウタンを敷きつめたように苔に覆われています。温度が低く、山中の湿原から水分が供給され、しかも標高が高いので晴れた日でも朝夕は雲霧がかかることから、このような見事な景観が生み出されたようです。
まさに、もののけの世界といえるでしょう。

年々温暖化している日本ですが、「もののけの森」に代表される美しい原生林と苔の世界を、いつまでも残していきたいものです。


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2016年 07月 14日 |
赤とんぼ歌碑を見学したので、元来た道を東側に戻り、龍野小学校への横道に入ると武家屋敷資料館がありました。道の角には親切な標識があり迷いません。

↓外観はこじんまりした武家屋敷という雰囲気です。
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ここは龍野の武家屋敷の内部の様子が見られる貴重な場所です。

↓玄関前
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↓前庭縁側も見えます。
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↓いよいよ中に入ります。
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龍野は城下町として知られていますが、一般の武家の住まい内部を見学できる場が少なかったため、国土交通省の「街なみ環境整備事業」により、この武家屋敷の保存と公開活用がされるようになったとのことです。

建物自体を資料とする考え方で整備されており、特別な資料の展示はされていません。
すなわち、後からつけた余計な説明書きやパネル展示はまったく無いので、非常にシンプルな印象です。
これは私のような、旅カメラマンにとっては非常に嬉しいことで、これは有り難いと、いっぱい写真を撮りまくりました(笑)

↓シンプルな床の間
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↓質実な中級武士の住まいという感じがよく出ています。
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この武家屋敷の主屋は、天保8年(1837年)ころに建築されたもので、木造平屋建中二階付本瓦葺、約140㎡です。決して大きな規模ではありませんが、式台のついた玄関から入り、控えの間から8畳の座敷に至る格式ある構成の武家屋敷です。およそ二人扶持の中流武士の住宅と考えられ、江戸時代の武家の生活を知ることのできる貴重な遺構です。

↓和の屋敷の田の字形の美しい構成が見て取れます。
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↓井戸も良いですね。
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↓前庭もこじんまりと設えられているようです。
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↓庭の紫陽花も控えめに咲いています。
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↓フタリシズカも上品で小さな和風庭にピッタリです。
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↓中庭奥に離れが見えます。きっとご隠居さんが住んでいたのでしょうね・・・
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和の気品を感じる武家屋敷で、とても気に入りました。
カメラマンとしては、いろいろ昔風の雰囲気に撮影してみたくなる場所です(笑)

↓そこで、アートフィルターのヴィンテージで2枚撮影してみました。
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↓最後に塀に寄ったアングルで撮影して、武家屋敷資料館を後にしました。
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2016年 07月 02日 |
小さなドライブ旅から無事帰宅しました。
まだ写真の整理が出来ていませんので、旅の詳しい紹介は次回からの予定です。

今日は、旅の途中で撮った、しっとりとしたアジサイの写真を数枚おおくりします・
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さて、パソコン買い替えに伴う写真の発色に関する質問に、多くの皆様からコメント&メールをいただき、ありがとうございました。
とても参考になりました。深く御礼申し上げます。

9割がたの皆様から、新パソコンの発色のほうが良いとのご意見をいただきました。
そこで、無理に新パソコンで濃厚気味に持ち上げることはせず、新パソコンんで標準的に綺麗に見える現像処理を行うことにします。
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旧パソコンは、薄めの発色をするので、画面上少し濃い目に調整しないと綺麗に見えないので、やや濃厚な写真になっていたようです。
逆に、新パソコンは、濃厚な発色をするので、画面上少し薄めに調整しないと綺麗に見えないので、やや薄色の写真になります。
したがって、今後は、以前より薄味の写真が多くなりますが、ご了解いただきますようお願いします。


例えば前回掲載した二枚目の白い花菖蒲の写真は、新パソコンで現像し白い花弁の質感が出るように調整したのですが、それを旧パソコンで見てみると、花弁が白飛びを起こしたように真っ白に見えてしまったので、うーんこれは困ったなあと感じたのです。
皆さんのご意見をうかがい安心しました。パソコンによって多少白っぽく見えてしまうことがあるかも知れませんが、気にしないことにしました。
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「模糊さん自身は、ヤマガラ写真、どちらがお好きなのですか?」という質問もいただきました。

私自身は、常に自分の意図にあう発色で現像調整しています。
つまり、旧パソコン画面では旧パソコンヤマガラ写真が好きで、新パソコン画面では新パソコンヤマガラ写真が好きなのです。
私自身の感覚基準は一貫しているつもりですが、使うパソコンが変わると、こういう結果になるので戸惑ったわけです。

同じパソコンで拙ブログを見続けていただいた方は、最近、私の写真が薄味に変化したように感じられるでしょうが、以上のような事情がありますので、どうそよろしくお願いします。


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2016年 06月 26日 |
いろいろ事情があって旅人間が旅に出られず、うずうずしていました。
やっと、なんとか仕事等の都合がつきましたので、明日から国内の小さな旅に出てきます。自然の豊かな地で温泉があればなあ・・・と考えています。クルマによる行方定めぬ近場の小旅行になりそうです。

梅雨の期間というのは天候が悪いかわりに平日は観光地も宿もすいていて、私のような者には旅しやすい季節です。自由気ままに、ゆっくりと回ってきたいです。

ということで、ほんのしばらく留守にします。多分、次のブログ更新は週末になりそうです。どうぞよろしくお願いします。


↓写真はシーズン終盤の花菖蒲です。新パソコンの色具合の調整と現像ソフトのインストール具合の点検も兼ねて、再現像して掲載してみます。
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さて、このたびパソコンを買い替えました。

これまでのパソコンが動作が遅くなり、よくフリーズしたりダウンしたりするようになりました。不具合のほうは、何度も自力で復旧してきましたが、動作の遅さは、HDDをデフラグしてもスピード改善しなくなりました。

RAW現像ソフトやフォトショップが進化するにしたがって、それらのソフトウェアの動きが鈍くなり、一枚の写真の処理が非常に時間がかかるようになったのです。添削作業に使う専用ソフトも仕事の納期限が決まっているので、動きが遅いと困ります。
5年半使用してきた旧パソコンのWindows7には不満はないのですが、仕事と趣味に使うソフトウェアの作業が思うようにスムースに出来ないというのが致命的な問題でした。
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ハードウェアそのままでのウィンドウズ10導入も検討しましたが、重いRAW現像ソフト等の処理速度はCPUの性能とメモリ空間の大きさに依存するので、改善は全く見込めません。そこで、新しいパソコンを導入することにしたのです。

私はカメラ以外にはモノ的こだわりは無いので、パソコンもクルマも単なる道具に過ぎません。メーカーやデザインはどうでもよくて、一定基準以上のスペックであれば、対性能比つまりコストパフォーマンスが良いというのが選択基準です。

先日、近所の量販店で、夏モデルが出たということで春モデルの半額セールをやっており、予算内で要求性能の機種がありましたので、購入に至りました。そのパソコンの説明などはマニアックな話になりますので、ご興味のある方は、下の 「More 新パソコンへの移行とその仕様について」 をクリックしてお読みください。
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買い替えて戸惑ったことがひとつあります------それはブログにアップする画像の発色です。

これまでのパソコンは単なるLEDバックライト液晶で地味な発色でしたので、その画面で現像した写真を、新しいパソコンで見ると非常に濃い画質で下品に見えてしまうのです。
新しいパソコンは、「TFTカラー Clear SuperView 液晶」というもので、高輝度・高コントラスト・高彩度なので、前の薄味のパソコン画面に合わせていた画像が濃厚ギラギラに発色するということです。

正しくはキャリブレーションにより標準化するのが筋ですが、画面の輝度や彩度・コントラストの基本はハードウェアに依存しています。事実上ノートパソコンのデフォルト画面で見ている方がほとんどです。また、画面性能だけでなく、ウィンドウズとMACでの発色差もあるようです。
なにより現実的に、実際に拙ブログをご覧いただいている方々のパソコンの画面で綺麗に見えることが重要です。

そこで、皆さんのパソコンでどう見えているかを教えてもらえないでしょうか?

以下に、前のパソコンで画面上適正に見える写真画像と、新しいパソコンで画面上適正に見える写真画像を載せてみます。
写真は違いがはっきり出る条件---逆光で明暗差模様のある被写体---が良いので、前々回のブログ記事の最初に載せた野鳥ヤマガラにします。全く同じ写真で、現像ソフトも同じDPPを使っています。

↓旧パソコンの画面発色に合わせて現像したもの
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↓新パソコンの画面発色に合わせて現像したもの
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↓新パソコンのものをサイズだけ大きくしたもの
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いかがでしょうか?
旧パソコンのヤマガラと新パソコンのヤマガラのどちらが綺麗に見えているかだけでもお知らせいただければ幸いです。

ぜひ皆さんのご感想をお聞かせください。


旅から帰ってきて皆さんのご意見コメントorメールを拝見するのを楽しみにしています。

それでは、ほんのしばらく、皆さんごきげんよう!



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