模糊の旅人
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2017年 07月 13日 |

大阪アースダイバー的地形と歴史散策シリーズの最終回です。

三光神社の東は下り坂になっており、大阪の背骨たる上町台地の東側の低地となります。

↓風の街の暖簾が風にゆれて・・・(真田幸村ロードにて)

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このあたりは、縄文時代は岸辺で河内湾に面しており、最も縄文海進の激しい時代は海の中でした。
そして、北東から淀川が、南東からは大和川が土砂を堆積し、徐々に砂州が発達し、河内湾は河内潟から河内湖となり浅くなり、海が湖となっていきます。

現在の森ノ宮駅から玉造駅にかけては、縄文時代から弥生時代には水辺の環境だったことから、貝塚を中心とした複合遺跡である森ノ宮遺跡が発掘されています。貝塚を見れば当時の食生活が分かるのです。

重要なのは、縄文時代の森ノ宮遺跡の貝塚がマガキを中心としたものであったのが、弥生時代になるとシジミが主体となることです。
これは、この岸辺が最初は海水の湾岸であったものが、徐々に淡水化していったことの明確な証拠です。

↓再掲地図ですが、森ノ宮遺跡の場所をご覧ください。

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この地図でお分かりのように、淀川と大和川の土砂が三角州となり、河内潟を埋め立てて行き、あちこちに砂州が出来ていきます。ちなみに現・大阪城の北に延びる砂州地帯に後世に市場が出来て行ったのが、日本一長い商店街となった天神橋筋商店街です。


日本の古代国家が生まれたのもこの地図に関りがあります。饒速日命(ニギハヤヒ)の降臨の地であり、神武東征伝説でナガスネヒコが立ちはだかったのもこのあたりです。

河内潟に注ぐ大和川をさかのぼり奈良に入ると、3世紀中頃から4世紀の三輪王朝の大きな古墳が並び、邪馬台国王都と有力視される纏向遺跡があります。大和川水系は古代日本の中心地です。

そして、5世紀になると、応神王朝あるいは河内王朝とも言われる大王たちの超巨大古墳が、地図下部にある百舌鳥古墳群と古市古墳群に出現します。いわゆる倭の五王の時代ですね。

仁徳天皇の高津宮や、孝徳天皇の難波宮は、西に海を望む上町台地の上に造営されました。反正天皇の丹比柴籬宮は河内湖の南側に、継体天皇の河内樟葉宮は河内湖の東北岸にあったようです。

この一帯は大和朝廷の誕生を導いた場所なのです。


↓玉造駅近くに南北に伸びるアーケードの日の出通り商店街(まさに古代の河内潟の岸辺に沿った道です)

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↓日の出通り商店街にも真田六文銭の旗が!

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↓日の出通り商店街と直行する玉造駅へ至る路地:幸村ロード

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もともとここは、真田山三光神社への参道で小さな路地でしたが、2013年に大坂の陣400年を迎えたことから、整備されたものです。

今は、真田御膳、真田十勇士玉、六文銭フィナンシェ、幸村ロード缶、幸村鍋など真田にちなんだグルメを提供する店が並び賑わいを見せています。真田十勇士の可愛いパネルもありますので確かめながら散策するのも楽しいものです。

↓幸村ロードのお店いろいろ

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真田幸村にちなんだものだらけでした・・・・



<たびねす記事もよろしく>
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2017年 07月 08日 |

「たびねす」に、私の <雲上の楽園!滋賀「伊吹山」で美しい花と蝶を観察しよう!> という記事が掲載されました。
これまで何十回と登って自然観察をしてきた伊吹山の花と蝶について、簡単にまとめてみたものです。ぜひご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。






伊吹山については、今年の夏(8月)も行きたいと思っていますが、もしそれが実現すれば、またブログ記事でより詳しく本格的に紹介したいと計画しています。
そこで今日は、季節ものを優先して、半夏生について書いておきます。


半夏生(はんげしょう)とは、雑節の1つで季節を示す用語。夏至から11日目の頃をいいます。今年は7月2日でした。
由来は諸説あり、ハンゲショウ(カタシログサ)という草の葉が半分白くなり、化粧しているように見えるからとも。また、ハンゲ(カラスビシャク)という薬草が生える時期という説もあります。

この時期は、農家にとって節目なので、各地いろいろな風習があります。
私の近所では、蛸を食べます。

↓近くのスーパーでは、半夏生セールをやっていました。

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↑説明によると、「稲の根がタコの足のように大地に広がってしっかり育つように」との願いを込めて、半夏生にタコを食べる風習があります、とのことです。

皆さんのところでは、どんな風習があるでしょうか?


私は、半夏生(ハンゲショウ=カタシログサ)という花が、好きなので、この時期はハンゲショウが必ず見られる所に写真撮影に行きます。近くの緑化センターです。この場所については次回の「たびねす記事」に掲載する予定にしていますが、今日はフライングで、今まさに開花シーズンのハンゲショウをお見せします。

ハンゲショウは地味な花ですが、花が咲くころに、葉の一部が白くなり、なんともいえない良さがあります。確かに半分だけ化粧しているような風情です。


以下、ハンゲショウの様々な表情をご覧ください。

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余談です。

この花の名前ハンゲショウについては、7月はじめの「半夏生」の時期に開花するからという説と、葉の片面が白くなる「半化粧」だからという説があります。
一方、雑節の季節用語「半夏生」は、ハンゲショウの花が咲くから名づけられてという有力な説があります。つまり、どちが先か?、卵が先か鶏が先か?、という循環する話ですね。

思うに、この花名の由来は「半化粧」で、そこから雑節の「半夏生」が名づけられたとすれば、スッキリしますが、いかがでしょうか?



生物学的には、上の写真をご覧いただければお分かりのように、花径に近い葉が、開花時期に白化しますので、この葉が目立つことで、花弁の役割を果たしていると考えられます。この自然の造化の妙と、これを「半化粧=半夏生」と名づけた日本人の優れた感性に、驚かされます。


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