模糊の旅人
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2016年 10月 30日 |
ライオン門からさらに南へ上っていくと、標高が1236mとハットゥシャでの最も高い部分に、スフィンクス門があります。

↓スフィンクス門。ここはハットゥシャ遺跡の一番頂上ですので、3月でしたが雪が残っていました。
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写真のように、門の両側のスフィンクスの像は、有翼人面で身体はライオンの立った姿勢に作られています。顔はややふっくらしており女性的な感じがします。このスフィンクス像はレプリカで、オリジナルは海外流出などの紆余曲折があったものの現在はボアズカレの博物館に収蔵されています。

↓顔部分をアップ
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↓後方から撮影。翼部や尻尾部分の彫り込みも、なかなか見事なものです。
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エジプトのギザの大スフィンクスは座った姿勢で翼はありません。有翼で女性の顔をしたスフィンクス像は、古代オリエント世界によく見られるもので、ここハットゥシャのスフィンクスもその系統に属すると考えられます。

また、嘴を持つ鳥のような頭部のスフィンクスも多く、ペルシアやギリシアのグリフィン像系にも通じるものがあります。アジアの狛犬やシーサー文化にも影響を与えた可能性もあります。

このスフィンクス門を見ると、こうした各種のスフィンクスが世界の広い文化交流の基盤にあることが実感されます。

↓縦構図で撮影
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このスフィンクス門は、ライオン門(前回紹介済)や王の門(次回紹介予定)と違って、トンネル状の門の脇柱に彫り込まれたものではなく、城壁の頂上部に置かれている感じです。

↓スフィンクス門の付近は大城壁上の大きな長方形の広場になっており、ライオン門や王の門とはまったく雰囲気が違います。
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スフィンクス門には、城壁下部から登っていかねばならないこともあり、ひょっとして、この門のある頂上部分は、通常通路ではなく儀式用の場所ではないかと考えられます。それは、以下に述べる地下道(イェルカプ)との関連性からも導き出されます。


スフィンクス門の真下に、地下道(イェルカプ)があり、城壁の中のトンネルを通って外に出ることができます。
長さが約70mもあり、天井高は約3mで、結構、本格的なものです。これが大いなる謎のトンネルなのです。

↓地下道(イェルカプ)入り口
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地下道は明かりが無いので暗いですが、高さは3mくらいあり屈む必要はなく、先に出口の明かりが見えるので、足元さえ注意すれば通り抜けるのは、そんなに怖くありあせん。

↓遠くに出口が見えます。
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↓地下道内部
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↓尖塔アーチ状に積み上げられた巨石で構成された内部構造で、これは後から掘られたトンネルではありません。
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↓通り抜けて振り返って撮影した地下道出口。しっかりした巨石で目立つ門です。
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↓地下道を出た、城壁外側の景色・・・雪をかぶった渓谷が見下ろせ、遠くに山々が広がっていました。
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この、地下道(イェルカプ)は、いったい何のために作られたのか?
これは大きな謎で、諸説あります。主な説は三つあります。

(1)隠し抜け道
(2)非常時に兵士を繰り出すための通路
(3)通常利用の外部への近道通路

(1)については、内側も外側も相当目立つ巨石による頑丈な構造になっており、隠された抜け道というのは解せません。
(2)については、可能性はありますが、ここだけに兵士用特別門があるというのは何故なのかという疑問が残ります。
(3)は、この上にあるスフィンクス門は宗教的儀式用の門で、通常はこの地下道を出入り口に使ったとする考え方です。

そこで、じっくりと現場で考えてみました。

↓ハットゥシャ遺跡(前編)でアップした遺跡地図の南側を部分的に拡大して再掲します。
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↑南端のスフィンクス門の下の黄色い線が、地下道(イェルカプ)で私がパソコンで加筆しました。

西のライオン門と、東の王の門は、ペアで作られており、それに対してスフィンクス門は南側頂上の造成された大城壁上の特殊な場所にあります。

さらに、地図を見るとスフィンクス門の南北両側は、極端に等高線が込み合っており、直線的で、巨大な人工的石垣の積み上げ城壁構造であることが、分かりますね。

↓地下道の出口外側から振り返って見上げる城壁。巨大な規模の石垣積みの構造物で、しっかりと造られています。驚くべき見事な石垣で、そのど真ん中下部に地下道出口が鎮座しています。
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↓地下道を戻って、遺跡の内側から城壁を撮影。北斜面になるので雪をかぶっていますが、こちら側も巨大な造成斜面であることが分かります。
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つまり、ここは地形的な高い場所に、さらに石垣を積み上げて造られており、地下道は、あらかじめ造成時に石垣をアーチ状にして通路として残された空間建造物なのです。
地下道のアーチ構造空間の上に、さらに石垣が積み上げられ、その最上部に、スフィンクス門が置かれているのです!

地下道は外側に向かって傾斜していますが、これは本来のこの尾根の向こう側に傾斜していく山の地形がそのまま残されているからでしょう、


以下の記述は、あくまで私見です。

現場を体験してみると上記(3)の説が、正しいように思えました。
この地下道は堂々たる門構えで目立ち、南端巨大城壁の中心に位置し、隠し抜け道ではありません。
もし、王族用の脱出抜け道を造るなら、こんな南端の高い場所ではなく、王城要塞(ブユックカレ)に造るべきでしょう。

次に、この地下道は3200年以上経過しても崩れない構造で、人が屈まなくても余裕を持って通れる内部の3mという高さも、前回の記事で掲載したライオン門の復元想像図のトンネル構造とそっくりです。このことからも、地下道は通常利用の外部への通路門であったと想像されます。
城壁が超巨大になったので、通用門も70mという長いトンネルになってしまったのです。(もしここの城壁が小さければ、このトンネルはライオン門と同じ規模であったでしょう)

普段は、わざわざ城壁頂上のスフィンクス門を通らず、地中をトンネルでショートカットすれば便利です。

また、スフィンクス門は、ライオン門や王の門とまったく違い、儀式用の雰囲気がしました。
スフィンクス門は、首都ハットゥシャで最も高い場所にあります。位置的にも首都南端にあり、周囲6kmにわたるハットゥシャを囲む城壁の中でも一番大きくて頑丈に造られた高い城壁のてっぺん中央です。
ここには、何か、象徴的あるいは宗教的な意味があったのではないでしょうか?



↓今日の最後は、遺跡に咲いていたワタスゲのような花です。
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2016年 10月 27日 |
ハットゥシャ遺跡は、北が低く南が高い広い谷に位置し、東~南~西に尾根のある防御に優れた形になっています。ここが、ヒッタイトの首都に選ばれると、尾根上に外周6km強の城壁が築かれ全体を取り囲み、大きな城塞都市として機能していました。

北側低地のグリーンストーンのある大神殿遺跡の一帯が「下市」と呼ばれ当時の住居跡もあります。ここから南西に向けて、現在は整備された急な道路を上っていくと「上市」と呼ばれる山の手の遺跡跡に至ります。この上市の最西にある城壁の門がハットゥシャのシンボルとして有名な「ライオン門」です。
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↑写真のように、向かって右側のライオンは古いオリジナルで、左側のライオンの顔は破損していたため復元された新しいものです。

↓左側ライオンの横顔・・・顔の部分だけが新しいので少し違和感があります。年月が経過すれば馴染むかも知れませんね。
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↓右側ライオンの横顔・・・やはりこちらの古いほうがナチュラルで風格があります。ライオンの身体に模様もわずかに残っています。
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↓右側ライオンの上部も入れて斜め前から撮影
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本来は上部を巨大な石垣アーチ壁に取り囲まれたトンネル状の強固な門で、門扉は一説によるとヒッタイトらしく鉄製であったとのことです。

このライオン像は城壁の外側を向いており、城壁内に悪霊が入るのを防ぐ役目を持っていました。また、はじめてここを訪れた者に対しても、圧倒的な威圧感を与えていたと想像されます。

↓説明看板
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↓説明看板右下のライオン門の復元想像図を拡大してみます。巨大な石垣が上部を取り巻いていたのです!
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↑ライオン門は、まるで頑丈なトンネルのような感じで、非常に大きな建造物であったことが分かります。
これは、次回に掲載するスフィンクス門地下道(イェルカプ)の謎を解くカギになる写真です。


この復元想像図のライオン門を見ると、門番のライオンが巨大な石垣トンネル門を両側から保護しているように感じられました。
これは、まさに後にアジアに広がる、狛犬やシーサー文化のルーツではないでしょうか?


↓昼食レストランのテーブルクロスにデザインされたライオン門。やはりここは、遺跡のシンボル的存在です。
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ハットゥシャに入るのは、北側の谷の入り口以外では、この南西尾根にあるライオン門と、南側頂上尾根にあるスフィンクス門と、南東尾根にある王の門の三か所でした。しかも、三つの門はいずれも外側が谷に面した要害にあります。

↓現在のライオン門の外側です。巨大な岩のある谷が広がっていました。
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↓ライオン門の外側から内側の門を撮影してみました。この石垣に囲まれた場所は、往時は、上部も石垣に覆われたトンネルであったわけです。
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↓内側に戻って遺跡を撮影。手前が上市の跡で、左奥の台地上の遺跡が皇帝が住んでいた王城要塞(ブユックカレ)の跡です。
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↓ライオン門の近くで咲いていた梅の木です。
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3月のトルコは、白からピンク系の木の花がたくさん咲いており、梅、アーモンド、桜をよく見かけました。中でも、梅が一番多かったです。日本の梅(ジャパニーズ・プラム)とは少し違いアンズ(アプリコット)に近いようです。

<参考> 梅とアンズとは、植物学的には近縁で、自然状態でも容易に交雑します。
  栽培品種としてはスモモも含めて複雑に交配進化しているため、園芸上の分類についても諸説があります。
  世界のアンズ(ウメを含む)生産量では、トルコがトップで、第2位はイランです。


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2016年 10月 24日 |
ヤズルカヤの西に巨大な城塞都市遺跡のハットゥシャがあります。古代ヒッタイト帝国の首都だった場所で、標高1000~1236mの山の斜面に位置しています。ここは、文明は大河のほとりに生まれるとという我々の常識をくつがえす驚くべき遺跡です。

↓ハットゥシャの大神殿遺跡全貌(上方を望む)・・・遠くに咲いている花木は梅です。
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↓下方を望む
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ハットゥシャ遺跡に入場して、まず最初にあるのが王都の大神殿遺跡です。規模が大きく神殿の中央を100近い貯蔵室が取り囲んでいたようですが、現在は礎石が多数並んでいるだけなので、当時の様子を明確に想像するのは困難です。

↓大神殿遺跡の説明看板
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↓貯蔵室跡と貯蔵甕の復元(大量の食糧を保管していたようです)
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↓井戸跡
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大神殿遺跡で、ただひとつ、無傷で残っているのは、宗教行事を行っていた堂宇中央に鎮座しているグリーンストーンです。下の写真をご覧ください。中央にある四角い石がグリーンストーンで、その背後に広がる大神殿遺跡と、色合いの違いが一目瞭然です。
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当時、ヒッタイトはここハットゥシャを首都として、西はアパサ(現在のエフェス)から東はカデシュ(現在のシリア南部)まで支配し、南の強国エジプトと係争していました。紀元前1274年、カデシュにおいて大きな戦争が行われた後、ヒッタイトとエジプトの間で平和条約が締結されましたが、その事実を楔形文字で記した粘土板が、ここハットゥシャから出土したのです。これが世界最初の平和条約とされ、レプリカが平和を理念とする国連本部ビルに飾られ、2001年にユネスコ記憶遺産に登録されました。

そして、和平の証として、ヒッタイトの王女がエジプトのラムセス2世に嫁ぎ、ラムセス2世からは巨大な宝石岩であるグリーンストーンが贈られたのです。その3200年以上前の時代から、グリーンストーンは霊力のある石として崇拝され、誰も破壊することも持ち去ることもできない不思議な存在感を示し続けてきました。

↓グリーンストーンのアップ
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現在でも、パワースポットとして多くの観光客がこのグリーンストーンに触れて、御利益にあずかろうとしています。
私も、この石に手のひらを当ててみましたが、なぜか温かく感じました。
多分、熱を吸収する性質を持った石だと思いますが、確かに不思議です・・・


↓ここで出土した平和条約の粘土板(イスタンブール考古学博物館蔵)
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   「いにしえの時より、エジプトの偉大なる主とヒッタイトの偉大なる王に関し、神々は条約によってそれらの間に戦争を起こさせなかった。ところが、我が兄、ヒッタイトの偉大なる王、ムワタリの時代、エジプトの偉大な主と戦ったが、しかし、今日この日より、見よ、ヒッタイトの偉大なる王、ハットゥシリは、エジプトとヒッタイトのために、ラー神とセト神が作った、恒久的に戦いを起こさせないための条約に同意する。――我々の平和と友好関係は永久に守られるであろう。――ヒッタイトの子とその子孫は偉大なる主の子とその子孫の間も平和であろう。なぜなら、彼らも平和と友好関係を守って生きるからである。」


エジプト側でも、ラムセス2世の葬祭殿に同じ内容のレリーフがあり、まさに両大国間で平和条約の証拠が、悠久の時を超えて発見されたわけですから、すごいことです。

ということで、カデシュの戦いは、史上初の公式な軍事記録に残された戦争であり、成文化された平和条約が取り交わされた史上初となる戦いでもあります。

かくして、ここヒッタイト遺跡は、ユネスコの文化遺産であると同時に記憶遺産として、二重の世界遺産指定を受けたわけです。


↓大神殿遺跡の彫像の痕跡・・・多分、ライオンではないかと思われますが、摩耗が進んで判別できません。
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ここ、ハットゥシャはヒッタイトの首都遺跡であるため、規模が大きいので地図を掲載しておきます。

↓の写真は、遺跡入り口の案内看板を撮影したものに、私が主要スポットを日本語(赤字)で加筆加工したものです。
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↑写真の上側が北で低い谷になっており、下側が南で高くなっており頂上がスフィンクス門です。標高は、大神殿跡が1000mで、一番高いスフィンクス門が1236mです。

↓全体が城塞に囲まれた首都ハットゥシャの往時の俯瞰想像図です。
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↑ハットゥシャが、オリエント最強とうたわれたヒッタイト帝国の精強さを象徴する本格的城塞都市であったことが分かりますね。天空の都と言えるかも知れません・・・

↓最後は大神殿遺跡に咲いていた野の花です。
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2016年 10月 21日 |
ヤズルカヤ遺跡では、小ギャラリーの下に、通称大ギャラリーがあります。

↓これが大ギャラリーです。
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小ギャラリーより開けた場所にあるので、より風化が進んでいますが、まさに岩のカンヴァスという感じです。

ヤズルカヤには、多くの神々が描かれており、当時は多神教の世界であったことが分かります。主神テシュプとその配偶神ヘバト、息子のシャルマ神、さらには有翼の神、剣の神、太陽神、月の神、冥府の神なども見られます。男性神はとんがり帽子に丈の短いスカート状の衣類を身に着けており、女性神は円筒状の被り物に長衣姿が多いようです。

↓多くの神が描かれているようですが、判然としません。
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↓下の説明看板の下部の神々のようです。
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↓これは、トゥドハリヤ4世のレリーフです。上の写真(説明看板)上部では Great King すなわち大王と説明されています。
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↓左側から男神が、右側から女神が描かれています。
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神のレリーフは、ほとんどが身体は正面を向いて、顔は横を向いて刻まれており、これがヒッタイトの正式な様式と考えられます。バビロニアやエジプトの彫像とも似ている部分もあり、後のペルシアなどにも影響を与えました。古代オリエント世界の文化の交流は、想像以上に活発であったのです。

↓相当風化が進んでいます。
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↓黄泉の国の12神像(前回、紹介しました小ギャラリーの12神像より摩耗しています)
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↓そこで、風化しているレリーフにドラマチックトーンを使ってみました。長衣姿なので女性神のようです。
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↑アートフィルターのドラマチックトーンで現像すると陰影が強調されるので、こうした風化した遺跡を撮する際には役に立ちます。私は日本の  石仏  などにも使います。


ヒッタイトの遺跡は、エジプトのような乾いた砂漠地帯ではなく、高度1000m以上の山岳地帯で風雨に晒される場所にあるため風化が進んでいますが、それでも3000年以上前の浮彫が多く残されていることが素晴らしいです。ヒッタイト帝国の隆盛していた当時は、さぞ見事な装飾が施された岩壁と神殿が佇立していたことでしょう。


ヤズルカヤ遺跡の入り口には、土産物店の小屋が並んでいましたが、3月という季節柄、一軒だけが開店していました。

↓右端に立っている男性が土産物屋の店主です。後方遠くにトルコの山々が雪をかぶっているのが見えます。
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↓単なる土産物屋ではなく、黒い石を削ってレリーフを浮きだたせる本格的なものを売っていました。茶色いのは粘土板のようです。
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↓石彫りを実演してくれました。確かにテクニックは見事で、絵柄も双頭鷲や動物などセンスが良いです。
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↓最後は、ヤズルカヤ遺跡に咲いていた野の花です。とても綺麗でした。人の手による工芸も良いですが、自然の造形もまた素晴らしいものです。
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2016年 10月 17日 |
「たびねす」に、私のヒッタイト帝国の遺跡に関する記事が掲載されました。
史上はじめて鉄器文明を興し、エジプトと覇を競った古代帝国の遺跡案内ですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(38)トルコ・ヒッタイト帝国の遺跡に古代世界の謎と幻影を求めて…
http://guide.travel.co.jp/article/22095/






上記の、たびねす記事とタイアップして、当ブログでも、より詳しいヒッタイト帝国の遺跡記事を5回くらいに渡って掲載することにします。今日は、ヒッタイトの聖所遺跡であるヤズルカヤの前編です。

ヒッタイト遺跡は、今から約3500年前に栄えた文明の遺跡で、そんな悠久の古代遺跡が見られることに驚かされます。ここは、私がトルコ旅行でぜひ行きたかった場所のひとつで、その地に立って胸がときめきました・・・



古代ギリシアや古代ペルシア帝国が勃興する以前、その中間のアナトリア(現・トルコ)に、紀元前17世紀から紀元前12世紀にかけて強大な王国があり、エジプトと覇を競っていました。それがヒッタイトです。史上はじめて鉄器を使用し、絶大な武力をもってオリエント世界に君臨しました。しかし、突然の滅亡後は歴史の彼方に忘れ去られ、その都の場所さえ不明となっていました。

やがて、3000年の時が流れ、19世紀になって旅行者によりボアズカレ近郊で大きな遺跡が発見され、20世紀にドイツの考古学者の発掘調査が行われ、ヒッタイトの遺跡であることが確かめられました。聖所や神殿跡、城壁跡、貯蔵庫跡、王城跡、市街跡などが明らかになり、その重要性により、1986年にユネスコの世界遺産に登録されました。以降、注目を浴びつつあります。我々は今、その遥かなる古代文明の栄華の跡に立つことができるのです。

↓ヒッタイト遺跡付近の岩山には、背の低い梅の花が、まるで日本のサツキのように張り付いて点々と咲いていました。不思議な景色でした。
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<追記>
上記の写真について、分かりにくいというご指摘がありましたので、現像し直し、部分拡大し横1500ピクセルのJPG写真にしてみました。画質は落ちますが、梅の木の張り付いている様子が見えると思います。下の写真を押して鑑賞ください。

↓写真をクリックすると、横1500ピクセルに拡大されます。ぜひ大きくしてご覧ください。
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トルコの首都アンカラより東に145kmのボアズカレ近郊にあるヤズルカヤは、トルコ語で「碑文の岩場」を意味し、ヒッタイト時代には最も重要な聖所として、崇められていました。

ヤズルカヤには、まず祭殿跡の遺跡がありますが、現在は礎石だけが残る状態となっています。祭壇跡の奥に大きな岩場があり、便宜上、広い空間のあるほうを大ギャラリー、狭くて深い割れ目のほうを小ギャラリーと呼んでいます。ここには様々なレリーフが残されており、特に小ギャラリーのほうは鮮明な作品が多くみられ、きわめ重要です。

↓これが、小ギャラリーです。巨石の岩の狭間といった感じで、その岩面に浮彫がたくさん刻まれています。
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↓一番有名な「黄泉の国の12神像」
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↑とんがり帽子をかぶった12神像は、鮮明な浮彫で、神々が並んで行進しているように見える印象的なものです。

ヒッタイト遺跡は見どころが多く、見学は一日がかりになります。そこで昼食もヤズルカヤの側のレストランでとりました。その際、レストランのテーブルクロスなどに、ヒッタイト遺跡の有名なモチーフがいろいろデザインされていました。

↓レストランのテーブルクロスの12神像
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↓冥府の神の像
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ちょっと摩耗していますが、その横に説明看板があり、この像の素描がありました。写真と照らし合わせると、よく分かります。

↓冥府の神の像の素描説明
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ヤズルカヤ遺跡には、神だけではなく現実の王の姿も描かれており、その代表的なものがトゥドハリヤ4世を抱くシャルマ神のレリーフです。これは、王が死んで神に抱かれて冥界に旅立つ姿ではないかとも考えられ、この場所がヒッタイト王の葬儀の際に使われていたとする説が有力です。

↓トゥドハリヤ4世を抱くシャルマ神の像
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↓私がここで一番驚いたのは、このレリーフです。
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↑有翼の神が刻まれているのですが、これはまるで、イランで見たゾロアスター教のシンボルと同じではないですか!

このデザインが洗練されていくと、こちら のように、ペルシアのゾロアスター教のシンボルになります。

ペルシアの勃興は、ヒッタイトが滅んでから後になりますが、ペルシアの宗教文化がヒッタイトに端を発する文化の影響を受けたのは明らかです。古代オリエント世界の文化交流は、想像以上に活発であったのです。


↓小ギャラリーの一番奥。巨石が迫り、狭い通路に岩が覆いかぶさっています。
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世界の聖地のパターンの一つが、巨石あるいは岩場・崖ですね。

イランの ナグシュ・ロスタム が典型的ですが、日本でも、厳島神社の弥山の岩場や、沖縄最高の聖地 斎場御嶽  、和歌山の  神倉神社  、宮崎の 天岩戸神社 なども岩の聖地です。

ヤズルカヤ遺跡はそうした世界の岩の聖地のルーツかも知れません。やはり神聖な雰囲気に満ちていました。



最後は、小ギャラリーに大勢のトルコ人家族が観光に来ていましたので、許可を得て、撮影させてもらった母子の写真です。

↓「母と子」
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2016年 10月 15日 |
春に大阪平野を通過し、山地や北へ繁殖に行った夏鳥たちが、9月下旬から10月にかけて、再び大阪平野を通過して南の国へ帰っていきます。
短期間の滞在ですが、地元の公園の秋は、こうした渡り途中の鳥たちを見るチャンスです。(そして、もうすぐ北から越冬するために冬鳥たちも帰ってくるのです・・・)

今日は、そうした旅の途中に地元公園で一休みしてくれた、夏鳥たちの秋の姿を三種ごらんいただきます。

↓キビタキ(雌)
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↓キビタキ(雄)・・・二枚
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↓コサメビタキ
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↓ツツドリ・・・二枚
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↑ツツドリは、ホトトギスやカッコウに近い中型の野鳥で、東南アジアで越冬し、日本には夏鳥としてやってきて、山地の森林で繁殖します。
繁殖と言っても、カッコウと同じように他の鳥類の巣に卵を産み付け雛を育ててもらう「托卵」という習性があります。

晩春から初夏にかけて、山で「ポポ、ポポ」と鳴くツツドリは印象的で、遠くから撮影したことがありますが、今日の写真のように近くで大きく撮れたのは初めてでした。後姿的なポーズでしたが、地元の公園で、間近に観察出来て嬉しかったです。





さて、以下のとおり、来月11日より、写真展を開催することになりました。
もう6回目を迎えた、手作りの小さな写真展ですが、皆様のお越しをお待ち申し上げております。

なお、写真展案内ハガキ(ダイレクトメール)をご希望の方は、ブログの非公開コメントかメールで送付先をご連絡ください。至急、案内ハガキを送らせていただきます。
どうぞよろしくお願いします。


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第6回 グループ温故斬新 写真展


場所:オリンパスプラザ大阪 オープンフォトスペース
            (大阪市西区阿波座1-6-1 MID西本町ビル 1階)

開催日:2016年11月11日(金)~11月17日(木) <但し日曜は休み>

開催時:午前10時~午後6時  <但し最終日は午後3時まで>


場所の 地図は こちら  

地下鉄本町22・23番出口すぐです。(四つ橋線本町駅が便利です)




4人の仲間による個性豊かな手作りの写真展です。

温故知新ではなく温故斬新ですよ(笑)。
古いものをリスペクトするとともに、現代の斬新な感覚も大切する意です。

皆さまのお越しを心よりお持ち申し上げています。


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2016年 10月 12日 |
日向岬の馬ケ背から南へ少し行ったところに、「クルスの海」という景勝地があります。

↓まさにクルス(ポルトガル語で十字架)のような、岩場の間の海です。
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↓案内看板・・・上空からの写真があり参考になります。
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看板の説明にはありませんが、このあたりは、戦国時代後期にはキリスト教が普及していた場所で、天正遣欧少年使節の主席正使であった伊東マンショは、近くの都於郡(現・西都市)の出身です。
天正遣欧少年使節は、長崎から出港し、マカオ、マラッカ、ゴアを経てポルトガルの首都リスボンに至りました。そして、スペインやイタリアを訪問し、ローマ教皇に謁見しました。帰路も、リスボンからのポルトガル航路を使いました。
そういう謂れもあって、クルスの海と名付けられたのかも知れませんね。

↓横長に撮影してみましたが・・・
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あまり、印象が変わりません。
そこで、アートフィルターをいくつか使って、同じ景色を違う感じに表現してみました、

↓その(1)ヴィンテージで年月を経た雰囲気に
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↓その(2)ライトトーンで淡い感じに
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↓その(3)デイドリームで幻想的に
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↓その(4)リーニュクレールで絵画風に
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↓その(5)ドラマチックトーンで明暗を強調
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さて、クルスの海は、現在は、願いが叶うパワースポットとして注目されています。それは、「叶」という漢字に見えるからです。

↓その説明看板
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↓願いが叶うクルスの鐘(日向市によって設置されたもの)
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私もこの鐘を鳴らしてみましたが、何を願ったかは内緒です、、、

↓クルスの鐘の基部・・・ワイヤーに沢山の南京錠がかけられていました。
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↓この展望所にあった自転車。自転車で回っているインドからの男性が使っていましたので撮影させてもらいました、
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日向岬(細島半島)は「馬の背」と「クルスの海」と合わせて日豊海岸国定公園の代表的な観光スポットになっています。

日向岬を降りてきた所にある日向市の細島港は、宮崎県で唯一税関のある港なので、海外航路もあります。

↓私が行った際は、韓国からの巨大旅客船が停泊していました。数千人が乗ってきたそうで、あちこちで列をなすバスや観光客を見かけました。
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↓最後は日向岬で見かけた野菊です。繊細な風情で風に揺れていました。
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2016年 10月 09日 |
宮崎港から北へ、まずは日向岬にやってきました。

ここには馬ケ背という断崖と、クルスの海という景勝があります。今日は馬ケ背と岬先端からの景観をおおくりします。

↓日本一の柱状岩「馬ケ背」の案内看板がありました。中国人や韓国人の観光客が多く、説明も三か国語です。
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↓遊歩道をしばらく歩くと、切り立った柱状節理の断崖があります。これが馬ケ背です。すごい迫力です。
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越前の東尋坊と似ているなあという印象でした。ただ、あちらは北陸の厳しさが感じられるのに対し、こちらは明るく壮大な雰囲気でした。

さらに前に進むと、細い岬の先端に至り、そこから全方向に岩場の海を見下ろせます。

↓連なる岩場の風景
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↓岬の先端から右側、馬ケ背の柱状節理をのぞくと、ほとんど垂直に切れ込んでいます。
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柱状節理は約1500万年前、火山により地下のマグマが地表に出て冷え固まって出来たものだそうです。岩の断面というか四角い柱の連なりが大迫力ですね。自然の造形の驚異を感じます。

↓岬の先端の左側も切り立っており、目もくらむような岩場を見下ろします。
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↓沖に見える島
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↓岩場の波頭・・・日向灘の荒波です。
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↓象の鼻のように海に突き出た岩場
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↓この岬の先端は狭くてナイフリッジ状で、非常に高度感があり怖いですが、遊歩道にしっかりした手すりが設けられており安全です。
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無事、案内看板のところに帰ってきて、最後に歌碑を、落ち着いて見学しました。
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 樹は妙に草うるはしき青の国 日向は夏の香にかをるかな  牧水

若山牧水は宮崎県東郷村(現・日向市)の出身で、故郷の歌も詠んでいますが、この歌もそのひとつですね。
牧水は、長男に「旅人(たびと)」という名前をつけたくらいの旅好きで、日本全国を回りました。ここで旅を愛する歌人の歌碑を見て、嬉しかったです。


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2016年 10月 06日 |
先日、久しぶりのフェリー利用による旅をしてきました。後半は台風来襲で予定していた場所を回れませんでしたが、前半はなんとか宮崎県方面を観光することができました。
断続的にこの旅の記事も少しずつアップしていきますので、よろしくお願いします。

↓この船に乗って出発です。約12000トンの大きなフェリーです。
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夜に出発して、朝に着くフェリーは、時間的にも無駄がなく、旅情もあります。船が苦手でさえなければ、海に囲まれた日本では、旅の手段としてオススメです。

↓神戸の夜景が綺麗に見えましたので、デッキからいろいろ撮影してみました。
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↓モザイクの観覧車も見えます。
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↓ファンタジックフォーカスで柔らかく撮影
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↓光輝く大型船とすれ違いました。
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↓すいていて快適なエコノミーフラット船室
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↑私の荷物は、このリュックひとつです。この中にカメラ機材も折り畳み傘も入っています。荷物をコンパクトにすることが旅のコツですね。

まあ、移動中も撮影する私の場合は、カメラを構える両手が常に自由でなければならないので、どうしてもこのカメラザックタイプになります。

上の写真のように、エコノミーフラットの2等船室は、60cm幅のマットと枕、毛布がついています。
座った姿勢で寝なけらばならない飛行機に比べれば、平らに寝られる船は、とても快適です。
今回は、平日利用なので、すいていて圧迫感がなく、数人分のスペースを独占し、大きな部屋でゆったりと休むことができました。

船は少しだけ揺れましたが、私は船に強いほうなので全く問題ありません。むしろ、ほのかにゆっくり揺れる波枕で、良い気分でぐっすりと眠れました。

なお、フェリーには、レストランや風呂、売店もあり、飛び込みで乗っても問題ありません。もちろん、食料などを持ち込んでもOKです。
給湯器や給茶機もあるので、カップラーメンを食べている人もいました、私はいつもの自家製パンを持参しました。

↓翌朝、デッキに出てみると穏やかな海で、彼方に緑の海岸線が長く連なり、青い空に白い雲が浮かんでいました。
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↓かまぼこ型のドームがシーガイアで、高いビルがシェラトン・グランデ・オーシャンリゾートのようです。
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↓宮崎の市街も見えてきました。
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↓宮崎港に入港です。
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2016年 10月 03日 |
↓湯原温泉の中心街から南へ少し歩いて湯原大橋を渡った先に「はんざきセンター」があります。
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「はんざき」とは、世界最大の両生類オオサンショウウオのことで、半分裂かれても死なないという伝説から名づけられたようです。河川の上流域に生息しますが、湯村温泉近辺のオオサンショウウオは国の特別天然記念物で、捕獲することは禁じられています。

その昔は、山間部における貴重な蛋白源として食用にされてきた歴史を持ち、その際、身をさばくと山椒の香りがすることから「山椒魚」と名づけられたようです。

↓オオサンショウウオ説明看板
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↓はんざきセンターに入ったところにある展示・・・ちょっとびっくりします。
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はんざきセンターは、正式名を「湯原オオサンショウウオ保護センター」といい、湯原温泉近辺に棲息するオオサンショウウオを調査研究し、多くの個体を大型水槽で飼育しています。中には体長140cmを超えるものもいて、推定年齢100歳くらいではないかと思われます。複数の標本展示もあり、驚かされます。大きいので少々グロテスクですが、とても貴重な体験ができる場所です。

↓オオサンショウウオの飼育室(中央にあるのが過去最大の飼育個体だったリュウ君の剥製です)
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↓非常に大きかった「リュウくん」の剥製の説明・・・160cmで推定年齢130歳とはすごいですね
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↓太宰治ほかの近辺のオオサンショウウオ関係文献も収集され展示されています。
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↓センターに隣接して、「はんざき大明神」が祀られています。
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↓はんざき大明神説明板
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つまり、この大明神は、戦国時代に大はんざきを退治した一族に災厄があったため、祟りを恐れた村人たちが、祠を作りそれを大明神として丁重に祀ったことに由来します。

↓はんざき大明神の祠
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↓はんざきの森入り口
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今では、毎年8月8日に「はんざき祭り」が催行され、湯原温泉の夏の風物詩となっています。

この祭りの大はんざきの山車が、センターの北側広場に格納されており、見学することができます。異様な迫力のある山車です。

↓大はんざきの山車
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↓湯原温泉郷の生き物の説明看板
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↓アジサイが咲いていました。
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