模糊の旅人
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カテゴリ:モロッコ( 10 )
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2018年 01月 16日 |

モロッコ史の続きです。
マリーン朝は200年強も続き(1248-1465年)、首都のフェズはモスクや神学校が整備され、モロッコの政治経済文化の中心となりました。
最盛期には現チュニジアからイベリア半島南部までを支配し、文化の面でも大社会学者イブン・ハルドゥーンや大旅行家イブン・バットゥータ(『三大陸周遊記』が有名)が活躍しました。


やがて爛熟したマリーン朝は弱体化し、フェズの住民暴動により滅亡します。預言者ムハンマドの末裔を名乗るシャリーフ政権が短期間成立し、その後、マリーン朝近縁のワッタース朝がフェズを首都として15世紀末から16世紀半ばにかけて支配しますが、その領域はモロッコ北部に限られ、南部は聖者主義のシャリーフやスーフィー(イスラム神秘主義)が地域豪族と結びつき跋扈します。


そうしたシャリーフ系の南部豪族の中から、サアド朝が興隆し、今度はマラケシュを首都としてモロッコ全土を支配します。サアド朝は武断派で強力で、英主アフマド・アル=マンスールはサハラをこえてトンブクトゥ(現・マリ共和国)を征服し、オスマン帝国の西進拡大も阻止し、16世紀半ばから17世紀半ばにかけてモロッコを支配します。


サアド朝が内紛で弱体化すると、モロッコは再び分裂状態となりますが、シャリーフ(預言者ムハンマドの子孫)として尊敬されていた血筋のアラウィー家が勢力を拡大し、17世紀後半にモロッコを再統一します。これが現在のモロッコ王室でもあるアラウィ―朝で、この王朝の首都はフェズにはじまり、メクネス→ラバトと変遷しますが、一貫して北部の平原地帯ラインにあります。

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モロッコの歴史は、イドリス朝以来、預言者ムハンマドのシャリーフ家系を柱に、聖者主義をからませる形で推移してきました。フェズの王朝が爛熟し衰退すると、南部や山岳地帯の武力を持った田舎豪族が聖者主義を掲げて征服を行い覇権を握るものの、やがて都市化してまた弱体化してしまうというパターンです。
このあたりは、すでにマリーン朝時代にイブン・ハルドゥーンが『歴史序説』で「結束力が強い田舎勢力が都市を征服し、都市生活が長くなって弱体化し、新たな田舎勢力に征服される」という歴史パターンを見事に定式化しており、その慧眼に驚かされます。


そうした長い歴史の中で、フェズの町は常にモロッコの伝統的な核として機能してきたのです。日本でいえば、常に上洛の目的地であった京都と同じ役割を果たしてきた町と言えるでしょう。

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その古都フェズ案内ですが、今日は、中心のカラウィン・モスクから必見の観光ポイントであるタンネリです。


カラウィン・モスクをぐるりと回ると下側にサファリーン広場があります。ここは、銅鍋などを製造販売している光景を見学できます。カーンカーンという音が響き、叩き出しの銅製品が作られていきます。

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サファリーン広場を歩いていると、タンネリ(なめし革工場)の案内人に声をかけられます。交渉次第ですが、だいたい5DHから10DHで案内してくれます。


広場の下り方向に向かって左側、異臭のする方へ歩けば道は分かるのですが、どうせ100円くらいですので、誠実そうな案内人を選んでタンネリへ行ってみましょう。まれに、高額な金銭を要求する悪質な客引きがいますので、注意してください。

このあたりにも多くの商店があります。

↓衣料品店

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↓手を振ってくれた女の子  装飾が施された金属製品を売っていました。
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↓これは何屋さん? 銅線のワイヤーのようなものが並べられていました。
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↓フェズ川に下っていく路地

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このあたりから強烈な異臭がしてきました。

↓ここにリヤド(高級民宿)があるようですが、この臭いがきつくて、ちょっと泊まれないなあ・・・

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↓タンネリ・ショワラと書いてあります。ここが見学ポイントの入り口ですね。

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タンネリは正式には、タンネリ・ショワラといい、フランス語で「なめし革工場」という意味。フェズ川の水を利用して昔ながらの手作りの皮革製造業が営まれています。


工場見学は、タンネリの周囲に立ち並ぶ革製品販売店の上階テラスから俯瞰して見る形になり、案内人はそのひとつの商店と契約しているわけです。

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↑円い染色桶がずらっと並ぶ光景は、けっこう強烈なインパクトがあります。悪臭にむせかえりますので、店の入り口で提供されるミントの葉を鼻に詰めたりマスクをして見学しましょう。


このなめし革工場は、500年以上の伝統を誇る公共の施設で、牛や羊、ラクダなどの革が、まず鳩の糞で柔らかくされ、次に様々な自然の染料によって、染め上げられていきます。


↓の写真で、左側に色の無い白い桶が並んでいますが、ここがまず革を柔らかくする鳩の糞の壺桶です。

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↓右側の建物の端に猫が佇んでタンネリを眺めています・・・・この悪臭は気にならないのかなあ・・・・

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↓ズームアップ

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フェズのクライマックスたるタンネリを見た後は、案内された店の革製品を見ることになります。バブーシュという可愛い革製スリッパは、お土産としても最適。お気に入りのものがあれば、タンネリの思い出として購入しましょう。タンネリ見学の入場料がわりともなります。


↓さすがこのあたりは革製品が多いですね。本場なので品質は良さそうです。

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↓バブーシュと猫(この作品は写真展で展示する予定です)

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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 13日 |

イドリス2世がフェズを国都として建設したのは、父のイドリス1世の遺志を継いだこともありますが、何より貨幣経済が進み産業の中心となる大きな根拠地が必要になったことにあります。フェズは東西南北の道が交わる要衝で、政治経済のセンターとなる運命にありました。


イドリス朝はモロッコ最初のイスラム系独立政権として約150年続きます(788年~926年、一説には~985年まで)。最盛期は二代目イドリス2世の時代で、その後は君侯国に権力が分散していき、徐々に勢力が衰えていきます。
しかし、首都フェズは経済の中心として大いに栄え、イドリス朝が滅んだ後も、何度も首都となり、モロッコの文化センターであり続けました。

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モロッコでは、カサブランカから東へ、ラバト~ヴォルビリス~ムーレイ・イドリス~メクネス~フェズというラインは、中央平原の肥沃な穀倉地帯に沿っており、古代から歴史的に中央権力の所在地で、このありようは現在も変わっていません。預言者ムハンマドの血統を重視するシャリーフ政権の諸王朝の首都がおかれた町たちです。
(唯一の例外はマラケシュで、こちらは南部の地方対抗権力の根拠地となります。)

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イドリス朝の滅亡後、モロッコ南部の砂漠の民から生まれたムラービト朝(11世紀)と、アトラス山脈の山岳民族を基礎とするムワヒッド朝(12世紀)は、あえて上記の中央平原ラインを避け、南部のマラケシュを都としました。ともに聖者主義を掲げる宗教運動から発展した王朝ですが、上記の血統重視のシャリーフ王朝勢力に対抗するため、「聖者の宗教運動」を武力を持つ地方豪族勢力が政治的に利用したという面があります。


ついで興隆したマリーン朝は、もともとは現アルジェリア西部からモロッコ東部を根拠地とするベルベル系遊牧民で、13世紀から15世紀末にかけてフェズを首都として、最盛期にはイベリア半島から現チュニジアに至るマグレブ地方全域を支配しました。


マリーン朝は、当初はムハンマド血統のシャリーフ政権でもなく聖者主義を標榜する宗教運動を母体とする政権でもなかったので領国支配に苦労しました。そのため、支配の正当性を確保しようと、様々な手段を用いて自らイスラム的君主を演出しました。ムハンマドの末裔イドリス朝の血をひくシャリーフたちを保護し、首都フェズに多くのマドサラ(神学校)を建設し、カラウィンモスクを増築拡張し、フェズを宗教学術文化都市として大きく発展させたのです。



ということで、そのマリーン朝時代に大きく拡張されたカラウィンモスクを目指し、前回紹介したブ―・イナニア神学校を後にして、フェズの、メインストリートを下っていきます。フェズの2本のメインストリーのうち、より細く雑踏的で面白いのは、南側のタラア・セギーラ通リで、まずは、こちらのほうを歩きましょう。

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セギーラ通リには、たくさんの商店やレストラン、出店、屋台が立ち並び、とても面白いです。売られているものを見ながら歩くと、あまりにも興味深くて前に進めません(汗)。買いたいものがあっても値段表示がないので、交渉に手間がかかり時間を要します・・・・それでも楽しい街歩きです。
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↓ひとつひとつはマグネットの小さなお土産品ですが、これだけ並べられると壮観!

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↑モロッコイスラム装飾のひとつの表現に感じてしまい、思わず買ってしまいました(笑)


↓これはモロッコ名物の化石! うーん・・・

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↓これも魅力的ですが、ひょっとして稀少動物の牙かもしれないので買わなかったです。

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↓ドライフルーツやスパイス類も種類豊富

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↓金属工芸店内部

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↓これは見事なランプでした。

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↓フェズ焼きは代表的なお土産ですね。

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↓これは、サボテンの実です。いわば日本でいうところのドラゴンフルーツ!

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↓フェズ旧市街で最強の荷物運搬手段であるロバ。自動燃料補給中です。

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↓セギーラ通リがタラア・ケビーラ通リに合流してしばらく行くとネジャリーン広場があります。水飲み場のような、美しいモザイクタイルで構成された泉があり、とてもフォトジェニックな被写体。木工・家具の店も多く、木工芸博物館もありますので、ちょうど休憩に適した地域です。

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さらにタラア・ケビーラ通リを下って、真っ直ぐに行くとカラウィンモスクですが、その手前で右側(南側)に折れて、家屋が密集した小さな丘を登ります。これは、フェズの精神的中心であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見るためです。


↓フェズの核心部にあるザウイア・ムーレイ・イドリス廟 内部には入れないので外側から撮影させてもらいました。

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↑もちろん、ここはフェズをつくったイドリス2世の霊廟です。聖都ムーレイ・イドリスではイドリス1世の霊廟には近づけなかったので、ここは外から内部を少しだけ覗かせてもらいました。非常に壮麗です。(入場は不可)


本当はここが非常に重要なフェズの中心です。フェズは預言者ムハンマドの血をひくシャリーフ系王朝の首都ですが、その歴史的経過からモロッコの聖地でもあるのです。このザウイア・ムーレイ・イドリス廟に巡礼する人と、カラウィン・モスクで祈る人を世話する門前町という性格をも有しているのです。


↓ケビーラ通リの終点。フェズ旧市街の中心であるカラウィン・モスクに到着です。フェズの歴史がはじまった由緒あるモスクです。

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イスラム教徒以外は中には入れませんが、周囲の壁や門も見事なので、ぐるりと一周してみましょう。ところどころで門扉の隙間などからモスク内部の雰囲気を知ることができます。ここのモザイクは素晴らしいそうです。


↓門扉の隙間からカラウィン・モスクを撮影。上品で綺麗な雰囲気ですね。

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↓右側の壁がカラウィン・モスクを取り囲む壁。この周囲にそってぐるっと路地を回ります。

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タラア・ケビーラ通リ、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟、カラウィン・モスクの位置関係は言葉で説明しにくいので地図を載せます。高さは、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟は丘の天辺にあり、ここだけ盛り上がった場所です。


↓私が実際に辿ったカラウィン・モスク周辺の地図を掲載します。持って歩いた地図の現物を撮影しましたので参考にしてください。

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↑緑のマーカー線が私の歩いた軌跡です。ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見たかったのでこの回り道ルートになりました。

ピンクの線がメインストリートのタラア・ケビーラ通リですので、ザウイア・ムーレイ・イドリス廟を見ない場合は、ピンクの線をたどってカラウィン・モスクに行く方が単純で分かりやすいです。


カラウィン・モスクの壁に沿って半周して、右下のセファリーン広場に出ました。次はここからタンネリに向かいます。





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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 09日 |

「たびねす」に、私の「モロッコの迷宮都市フェズの真実―わくわくドキドキ、実は分かりやすい町だった!」という記事が掲載されましたのでお知らせします。迷宮都市として世界的に有名なフェズの街歩き案内記事ですので、ぜひご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。
なおこの「たびねす」記事は、私のフェズ紹介記事の前編にあたるもので、後編として次に「迷宮都市フェズの迷路の謎を解く」という記事を書く予定です。







本ブログでも、「たびねす」とタイアップして、モロッコの古都でもあることから、より詳しくフェズ旧市街を紹介します。


フェズは8世紀末にイドリス2世が、国都として築いた町です。その後、モロッコの歴史の中で、何度も首都となり、モロッコの核として栄えてきました。時期的にも、まさに日本でいえば京都にあたる都市です。


イドリス朝を創始したイドリス1世とモロッコのベルベル人の女性の間に生まれたイドリス2世は、父の遺志を継ぎ王国の首都としてフェズを開発しました。イドリス1世は、預言者ムハンマドの娘ファティマの血をひく貴種としてベルベル人に担がれて王となったのですが、イドリス2世はその聖者の子であるとともに、ベルベル人の母の血もひき、貴種とネイティブの混血として、アラブ系とベルベル系の人々をつなぐ期待通りの英明な王で、イドリス朝の最盛期を現出しました。


フェズは、東西南北に通じる交通の要衝で、都として最適。おりからカール大帝の侵入により騒乱状態にあった後ウマイヤ朝(現スペイン)から8000家族が避難してきており、また東隣のアグラブ朝の興隆から逃れたカイルワーン(現チュニジア)からの避難者2000家族も避難して来ました。


イドリス2世は、これらの難民をフェズ川の両側に住まわせ、競って町づくりを援助・奨励しました。

↓フェズ工芸の代表:フェズ焼き

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イベリア半島の後ウマイヤ朝から来た人たちは、高度な芸術や職人工芸を伝え焼き物・金銀細工・なめし皮・織物などの産業を興し、カイルワーンから来た人たちは宗教を伝えその故郷の名を冠するカラーウィンモスク(カラウィーンはカイルワーンの変形)を建設しました。そして、フェズの基礎を築いたイドリス2世の霊廟であるザウイア・ムーレイ・イドリス廟もつくられました。


これらのフェズ川付近から丘の上にかけて、メインストリートがつくられ、そこから町が広がっていきました。これがフェズ旧市街の中でも古いほうの町・・・フェズ・エル・バリで世界遺産です。



フェズの旧市街フェズ・エル・バリの探検は、正門たるブー・ジュルード門からはじまります。迷宮都市として恐れられているフェズですが「実際はどんなところなのだろう?」「いよいよここからだ」と緊張と期待が高まる美しい門です。


↓ブー・ジュルード門(外側から)

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↓ブー・ジュルード門(内側から)

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この門からはフェズ川にかけてゆるやかな下りになっており歩いて行くのには最適。実は、ブー・ジュルード門から中心のカラウィーン・モスクまで、メインストリートは2本だけで、そこから葉脈のように細い路地が広がっています。この構造を頭に入れておけば、フェズの旧市街はとても分かりやすいのです。


↓メインストリートのひとつがタラア・ケビーラ通リ

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↑車は通れませんがフェズ一番の通りで、ブー・ジュルード門からほぼ道なりに東へまっすぐ下ってカラウィーン・モスクに至ります。もし路地やスークで迷ったら、このケビーラ通リに戻れば良いのです。方向も、下りがカラウィーン・モスクに向かう東側ですから間違えることはありません。


↓もうひとつのメインストリートであるタラア・セギーラ通リ

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↑タラア・セギーラ通リは、ブー・ジュルード門を入ってすぐに右折するやや細い道です。ケビーラ通リの少し南側をくねくねと並行して進み、ネジャリーン広場の少し手前でケビーラ通リに合流します。この道は商店が多く、土産物屋が並んでいるので、とても面白い街歩きを楽しめます。



モロッコでは、ほとんどのモスクや重要な霊廟に異教徒は入れません。イスラム芸術の極致が見られないのは残念ですが、そのかわり見学できるのが神学校(マドサラ)です。フェズでも、ブー・ジュルード門を入ってすぐのところのブ―・イナニア神学校には素晴らしいイスラム装飾がありますので、忘れずに見学しましょう。

ここは細かなアラベスク模様が見事で、あまり派手過ぎないところが日本人の美意識に合います。


以下、ブ―・イナニア神学校の秀逸な装飾の写真を一挙10枚ごらんください。

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モロッコの建物装飾は、ペルシア(イラン)のように華麗ではなく、トルコのように壮大ではありませんが、落ち着いて上品な雰囲気は素晴らしいものでした。
モロッコ人のクラフトマンシップの高さと信仰への情熱が感じられます。何よりこの渋い繊細さがとても良かったです。






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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2018年 01月 05日 |

モロッコの歴史展開に沿って、モロッコ各地を紹介しています。今日は、イスラム化する時代の話です。


7世紀に誕生したイスラム教は、瞬く間に広がります。預言者ムハンマド(マホメット)から娘婿アリーの正統カリフ時代を経て、その後、権力を握ったウマイア朝はイスラムを世界に拡張する政策をとり、現チュニジアにはカイルワーンという根拠地を建設。そこから、北アフリカとイベリア半島の征服に乗り出します。


↓預言者ムハンマドの娘ファティマ(夫は第四代カリフであるアリー)の手をかたどった意匠はモロッコの象徴です。

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モロッコ~アルジェリアでは、ベルベル人が、ユダヤ教徒の女王カヒナを中心に抵抗します。しかし、カヒナが滅ぼされるとイスラム勢力はモロッコ西岸まで到達し、ベルベル人もイスラム化していきます。


中でも、ベルベル人の勇者ターリクは、ベルベル人とアラブ人からなる兵士を率いて、海を渡ってイベリア半島に上陸し、西ゴート軍と戦い勝利し、トレドまで進攻します。この英雄ターリクを記念して名付けられた上陸地が「ジャバル・アル・ターリク」すなわち略して「ジブラルタル」なのです!


こうして、モロッコもイベリア半島もイスラム化していくのですが、イスラム本国たる中東ではウマイア朝が滅び、アッバース朝の時代となります。ウマイア朝の生き残りの王子アブド・アッラフマーンは、北アフリカに逃れ、ベルベル人にかくまわれイベリア半島まで送り届けられます。この王子こそ、コルドバで後ウマイア朝(756-1031年)を興したアブド・アッラフマーン1世で、後ウマイア朝は、中東のアッバース朝に匹敵する繁栄を見ることになります。


モロッコでは、このイベリア半島の後ウマイア朝を受け入れ、787年までその支配下に入りますが、その後、モロッコ独自のイスラム王朝が興ります。それが、イドリス朝です。

ベルベル人は、貴種流離譚が特に好きなようです。イドリス朝の始祖、ムーレイ・イドリス1世(以下:イドリス1世)は、アブド・アッラフマーンよりさらに貴種流離譚にふさわしい人物です。すなわち、預言者ムハンマドの娘ファティマとその夫で第四代カリフ:アリーの子孫なのです。いわば、ウマイア朝よりさらに由緒正しい血統で、苦労して中東から逃れてモロッコまで至り、ベルベル人に担がれる形で宗教的・政治的指導者となったのです。


このアリーの一派であるイドリス朝は、中東のアッバース朝を否定し、血統を重んじ正統カリフを標榜するわけですから、イスラム教シーア派そのものです。
イドリス1世は、当時のモロッコの中心であったヴォルビリス付近を拠点として、宗教的・政治的活動を開始します。そこが、聖都ムーレイ・イドリスです。


↓ヴォルビリスから見るムーレイ・イドリス(ヴォルビリスから徒歩30分くらいです)

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山に張り付いたようなムーレイ・イドリスの町はとても印象的です。緑のヴォルビリス平原の端の小さな山が建物に覆い尽くされているのです。

周りに平坦な場所があるのに、わざわざ山間に家屋が密集している不思議な雰囲気の町です。特別な意味で作られた宗教都市であることが分かります。

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イドリス1世や聖都ムーレイ・イドリスにある「ムーレイ」という名は預言者ムハンマドの血統をひく聖なるものという意味で、モロッコでは人名や地名に多くみられます。この聖者崇敬主義(ムハンマドの子孫=シャリーフ血統の重視)は、イドリス朝以降、モロッコの王朝の正統性を主張するメルクマールとなっていきます。真贋はともかく、この聖性の指標がないと正統とは認められないのです。イドリス朝の成立により聖者主義こそモロッコ史を通底する鍵となりました。

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貴種流離譚というのは世界各地に見られ、「高貴の血脈に生まれた主人公が、逆境の中で苦労しながら旅や冒険をする」というもので、ギリシア神話のヘラクレス、インド神話のラーマ、日本神話のスサノオから・・・小公子、スターウォーズ、グインサーガ、精霊の守り人に至るまで枚挙にいとまがありません。普通は、フィクションのモチーフなのですが、モロッコではそれが歴史上の実在の人物であるアブド・アッラフマーン1世やイドリス1世であるというのが、興味深いところです。

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↓ムーレイ・イドリスの街の上にそびえる山
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↓ムーレイ・イドリスの町の中心部。異教徒は近づけません。

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↑緑屋根の四角い建物がイドリス1世の霊廟とモスク。その右横の塔がミナレット。

いずれも四角いスクエアの建物というのがモロッコの特徴です。他のイスラム圏ではドーム型モスクや円柱型ミナレットが主流ですが、モロッコでは四角いのです。これぞモロッコのローカルスタイル!

古代からヴォルビリス付近がモロッコの中心地であり、イスラム化後、最初にモロッコ独自の王朝を開いたイドリス朝はここヴォルビリス平原の端にあるムーレイ・イドリスから出発しました。
したがって、このムーレイ・イドリスのモスク、霊廟、ミナレットは、モロッコ史においてきわめて重要。その後のモロッコの建築様式に大きな影響を与えたのです。


その後、イドリス1世は、イスラムの布教につとめ、大きな都をつくろうと、神託を受けてフェズに決めますが、アッバース朝が放った暗殺者に毒殺されます。そして聖都ムーレイ・イドリスに葬られ、それ以降ここは、多くの巡礼者が訪れるモロッコ最高の聖所となります。
現在でも、聖都ムーレイ・イドリスの中心部には、異教徒は入れません。それほどモロッコ人にとって、ここは大切な場所なのです。



中心部には入れないので、聖都ムーレイ・イドリスの町はずれのレストランで昼食を食べました。

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↓そのメニューである牛肉のタジン鍋です。なかなか美味しかったです。

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イドリス1世は暗殺されて聖者の中の聖者となり、暗殺したアッバース朝側の目的とは逆に、モロッコのネイティブであるベルベル人の結束を固める結果になります。イドリス1世とベルベル人女性の間に生まれた息子がイドリス2世としてモロッコ最初の独自王朝イドリス朝を確たるものとし、フェズを国都として定めることになるのです。

かくして、ヴォルビリス→ムーレイ・イドリス→フェズという、この一帯に「モロッコの核」が形成されたのです。


こうした貴種=ムハンマドの子孫=シャリーフ血統を重んじるモロッコでは、イドリス朝の祖にあたる預言者ムハンマドの娘ファティマがことのほか愛され人気があります。彼女は、生涯を社会奉仕に捧げた慈悲深い女性でイスラム女性の理想像でもあります。
そして、霊力があるとされるファティマの手のデザインのお守りは、モロッコで発明され、現在でも「邪視」を払う重要なアイテムです。門のノッカーから、魔除けの護符、アクセサリー、装飾品の類にも使われます。

↓高級お土産店のショーケースにもファティマの手が並んでいます。

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↓庶民的なお土産のデザインでもあります。

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↓ファティマの手の置物

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*ファティマの手の起源については諸説あります。モロッコ発祥とするもの以外には
(1)手指の5本を意味するハムサから来た。
(2)ユダヤ教のモーゼとアーロンの妹の名前:ミリアムの手から来た。
(3)古代カルタゴ人の女神タニトから来た。
などです。

私見ですが、はるか古代から中東~地中海地方に広く存在する地母神=女神信仰が形を変えて、ファティマの手として連綿と現在に生き続けているように感じます。(今度、旅する予定のマルタ島でも古代女神信仰の遺跡があるそうで、楽しみにしています)


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More 第7回 グループ温故斬新 写真展 のお知らせ
2017年 12月 30日 |

今年最後の更新です。


「大西洋の荒波 in Morocco」

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皆様のおかげで、当ブログの総アクセス数が130万件を超え、ブログ村の旅ブログランキングでも上位を維持しております。
旅ライターとしての「たびねす」記事にも本年は約20万件のアクセスをいただきました。
これもひとえに、皆様のご協力の賜物です。深く御礼申し上げます。

本当にありがとうございました。

また来年も頑張りますので、今後ともご愛顧いただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いします。

それでは、皆様、良いお年を!






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2017年 12月 02日 |

明日から国内旅行に行ってきますので、10日間ほどブログ更新を休ませていただきます。


国内の温泉でゆっくりする取材&短期滞在型の湯治の旅です。


実は、たまっているエミレーツ航空のマイレージポイントの一部が、12月に切れますので、それをなんとか有効に使いたいのです。とはいえ、さすがに海外はすぐには無理です。


エミレーツ航空のマイレージは、JALのチケットにも交換できるので、これまで、あまり行ったことののない温泉のある県ということで、探したところ、大阪―秋田のJAL往復チケットがポイントで取れました。12月中旬以降のJAL便は、満席で難しいのですが、12月はじめなら空いていたのです。


モロッコでは主にシャワーだけのホテルで旅してきましたので、日本の湯の花散る温泉大浴場露天風呂で骨休めしたいのです・・・・
足の持病の温泉治療の意味合いもあり、大浴場もある中級温泉宿に滞在して、ゆっくりしてきます。


確保した宿は、秋田県の山沿いにあるので、この季節、大雪が心配です。もし暴風雪なら宿に閉じこもって、湯治しながら読書と記事でも書くつもりです・・・・



さて、モロッコの歴史の話です。以下、モロッコ史前半の幕間期のまとめを、モロッコで撮影した車窓風景をお楽しみながら、気楽にお読みください。

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日本では、エジプトを筆頭にトルコやイランの歴史については多くの研究があるものの、モロッコ史については、あまり詳しい資料がありません。
読みやすいポピュラーなモロッコの歴史に関する書籍が少なく、私の知る限り、文化史家の那谷敏郎氏の『紀行 モロッコ史』(新潮選書)があるくらいです。
私の記述の多くは、この那谷敏郎氏の著作に負っていることを申し添えます。

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紀元前2~1世紀:北アフリカの現チュニジア~アルジェリア東部ににヌミディア王国、その西にはマウレタニア王国(現モロッコ~アルジェリア西部)が興りました。


前25年、ローマ初代皇帝アウグストゥスによってマウレタニア国王に任命されたのが、元ヌミディア国王だったユバ1世の子ユバ2世です。このユバ2世は、ローマで王族人質として育った後、クレオパトラ・セレネ(アントニウスとクレオパトラの娘)を妻とし、ローマ支配下の王国としてヴォルビリスに都を構えました。


ユバ2世の子プトレマイオスの没後、ローマ帝国皇帝クラウディウスは、マウレタニアをローマ直轄の属州とし、東西2つに分割して統治しました。その西側部分がマウレタニア・ティンギタナで現在のモロッコにあたります。

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ローマ属州としてヴォルビリスを中心に大いに栄えたモロッコでした。オリーブ・オイルや小麦を生産し、アフリカからの金をはじめとする鉱物資源や動物皮革など諸物資の交易でも中継点として重要な役割を果たしました。
しかし、ローマ帝国の弱体化に伴い、その後のモロッコは、しばらくは暗黒時代というか、歴史の幕間になります。


すなわち、西ローマ帝国は、ゲルマン人の侵入により、476年に、あっけなく滅亡します。
その少し前、429年に、イベリア半島から渡って来た、ゲルマン部族のヴァンダル人が侵入し、北アフリカを蹂躙します。
この時も、北アフリカのマグレブの地は、イベリア半島と運命をともにするのです。

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ヴァンダル人はゲルマン系ではなくスラブ系という可能性も高いですが、ゲルマン人の民族移動と連携して行動し、ライン川を渡ってガリア地方からイベリア半島、そして北アフリカまで進出しました。現モロッコを通過し、現チュニジアにあるカルタゴの故地にヴァンダル王国を建国しました。


ヴァンダル族の起源は諸説あるものの、とにかく現ポーランド付近から現チュニジア付近まで移動したわけですから、凄いものです。一時的に滞在したスペインでは「アンダルシア」(ヴァンダルシア)の語源となり、破壊行為を意味するヴァンダリズムという言葉も生みました。約100年のあいだ北アフリカを拠点に、シシリア・サルディニア・コルシカ・マルタなども支配したのです。


宗教的には、ヴァンダル族の主力はキリスト教アリウス派であったようですが、ドナトゥス派も有力で、カトリックやミトラ教もあり、紛争が絶えませんでした。

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東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は、ローマ帝国の再統一をめざし、ヴァンダル王国の混乱に乗じて、対ササン朝ペルシア戦で大活躍したベリサリウス将軍を派遣し、534年にヴァンダル王国を滅亡させました。


モロッコを含むマグレブの地は、再びローマ世界に組み入れられたのです。この時点で、またまた北アフリカは、イベリア半島と同状況です。


しかし、このユスティニアヌス1世によるローマ再統一も長く続かず、帝国首都コンスタンティノポリス(現イスタンブール)での黒死病(ペスト)の流行もあり、東ローマ支配は強力なものになりませんでした。モロッコなどではベルベル人の反乱が多発したようです。


↓ウィキペディアによる565年ごろの東ローマ帝国の地図ですが、モロッコでは北端のタンジェ付近のみが帝国領になっています。

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この頃は、モロッコの詳しい状態は分からず、まさに歴史の幕間です。


やがて、次の世紀:7世紀に入ると、歴史は新しい段階に入ります。
それは、東方でのイスラム教の誕生と、その勢力の急激な拡大です。
モロッコもその新しい歴史の波に、飲み込まれていくのです・・・・


↓イスラム以前のモロッコ史の簡単なマトメ

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2017年 11月 26日 |

今日は、前回から引き続いて、モザイクを中心として掲載します。


ヴィーナスの家の横から少し上ると、大きな道へ出ます。これがメインストリートのデクマヌス・マクシムス通り。中央の敷石の下には下水道が完備されていました。

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↑この大通りの北東方面を広角側で撮影したもので、遠く一番奥に小さく見えるアーチが北出口であるタンジェ門です。


↓タンジェ門を望遠でアップ

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↑タンジェ門は両脇に小さな門のついた設えであることが分かります。三連のアーチ門ですね。


↓タンジェ門と反対側の南側を撮影。遠くに見える突き当りが「カラカラ帝の凱旋門」です。

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このデクマヌス・マクシムス通りの両側には豪邸が立ち並んでおり、中庭には多くの見事なモザイクが残されていますので、ゆっくり左右の遺跡を見学しながら、南西側に下っていきます。


ヴィーナスの家から上がったところにある、ひときわ大きな屋敷跡は、ゴルディアヌスの宮殿と呼ばれています。

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↓ゴルディアヌスの標識

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↓屋敷跡には頑丈な石床だけが残っています。

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↓列柱のひとつ

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↓高さ150cmくらいのところに空いた穴。馬をつなぐ仕組みですね。

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↓ゴルディアヌスの近くに、動物がたくさん描かれたモザイク床を見つけました。私はここが気に入り写真を撮りまくりです。

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↓豹(パンサー)のモザイク

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↓虎のモザイク

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↓ライオンのモザイク。獲物を捕らえています。

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↓ハートと結び輪のモザイク・・・これもなかなか良いですね。

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↓ゴルディアヌスから少し南に下った邸宅。ここは中央部分の痛みが激しく詳しくは判別出来ませんでした。

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↓美しい女性のモザイク

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↓さらに進むと、ディオニソスと四季の家があります。ここには、ディオニソス(バッカス)とニンフのモザイクがあり、保存状態の良さに驚かされます。

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↓ここには、丸い枠の中に春夏秋冬の四季の擬人像もあります。写真の「秋の像」が頭につけているのはブドウの葉で、アップに撮影してみると、さらにモザイクの美しさが分かります。

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ヘラクレス功業の家も有名です。ゼウスの子ヘラクレスは、アポローンの神託により十二の功業を行いましたが、その様子がメダリオン(円枠)にモザイクで残されています。

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↓写真は、ヘラクレス功業の家にあるメデューサの顔のモザイクです。

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まだまだ、モザイクはありますが、ブログの一記事としては、あまりにも長くなりましたので、ここでいったん打ち切ります。モザイクについては、また機会を見ていずれ。



↓ヴォルビリス遺跡(中編)のオマケ「遺跡、クロジョウビタキ飛ぶ!」

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2017年 11月 23日 |

「たびねす」に、私の「モロッコ最大の古代遺跡ヴォルビリス」の紹介記事が掲載されましたのでお知らせします。
2000年前のモザイクが、現場で間近に見学できる非常に貴重な遺跡ですので、ぜひご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。





本ブログでも、「たびねす」とタイアップして、モロッコ文明の発祥地でもあることから、より詳しいヴォルビリス遺跡を書いてみます。


モロッコはアフリカ大陸の西端にあり、ジブラルタル海峡を挟んでヨーロッパ大陸と接しており(イベリア半島と最短でたった14km!)、古くから経済文化の交流する場所でした。


有史以前もモロッコとイベリア半島は文化を共有しており、同じような民族(現在のベルベル人やバスク人の祖先)が住んでいました。
その後、ケルト人が中欧地域からイベリア半島に進出してきました。ケルト人が西欧のネイティブというのは誤った認識で、ケルト人もゲルマン人と同じように後から民族移動してきた人たちです。

歴史時代に入ると、紀元前12世紀頃からフェニキア人が、北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域で活躍し、カルタゴを中心に大繁栄しました。ここヴォルビリス遺跡でも、フェニキア人の痕跡が発掘されているうそうですが、まだ詳しくは分かっていません。ただ、モロッコに最初の都市文明をもたらしたのが、フェニキア人であったのは間違いありません。


しかし、イタリア半島の都市国家ローマが勢力を拡大してきました。紀元前3世紀から紀元前2世紀のポエニ戦争でローマに敗れたカルタゴは壊滅し、フェニキア人は滅亡しました。


やがてローマは地中海世界を制覇し、現在のイベリア半島もモロッコも同じようにその支配下に入りました。

↓ヴォルビリス遺跡入り口にあった、ローマの全領土を示す地図。

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↓上記地図のイベリア半島とモロッコ付近を拡大。図左下、私が黄色で線を引いた場所が、ヴォルビリスで、当時、マウレタニア・ティンギタナというローマ属州(北アフリカ西部)の首都でした。

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モロッコ北中部のこのあたりは、北にリフ山脈、南に中アトラス山系(モワイヤン・アトラス)に囲まれた標高500m前後の広い高原地帯で、気候が快適で適度な雨も降り、肥沃な地域でした。

この後、聖都ムーレイ・イドリスや旧都フェズ、新都メクネスのいずれも、この高原地帯に築かれます。まさに、ヴォルビリスを嚆矢とするモロッコ文明の揺籃の地といえるでしょう。(日本でいえば奈良~京都一帯にあたります)

↓ヴォルビリスに近づくと、丘の上に、遺跡が聳えているのが分かります。

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ヴォルビリスは、モロッコ最大の古代遺跡であるとともに、モザイク画は現場に残されているものとしては世界有数の保存状態を誇ります。
また、1997年にモロッコ2番目の世界遺産として登録されました。

↓ヴォルビリス入り口にある、ユネスコ世界遺産登録記念標識

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↓ヴォルビリスに入場すると、ドームが迎えてくれます。

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この階段を上り、右側の小道を、丘の上へと遺跡をたどります。その丘の上には邸宅跡が並んでいます。

ヴォルビリスの邸宅の多くは、そこに描かれているモザイクの題材から名付けられています。モザイクのある中庭(パティオ)を囲む邸宅の構造になっており、当時の人々の豊かな生活の様子を知ることができます。この中庭を中心とした家屋構造は、モロッコの都市家屋建築に大きな影響を与え、後にフェズの迷宮都市に至る先駆けとなったのです。

↓邸宅跡と遺跡情景3枚

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↓ん、これは何だ?? よく分かりませんでした、ご存知の方がおれれましたらメールでご教示ください。(現在、知り合いの識者の方にも問い合わせ中で、判明したら追記します)

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邸宅跡のひとつに、通称ヴィーナスの家と言われる邸宅跡があります。ここには、綺麗なモザイクがあります。

↓ダイアナ(アルテミス)がニンフと水浴しているところを、人間の狩人アクタエオンに見られてしまうという逸話が描かれたモザイクです。

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↓アップで

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↓もっと拡大撮影

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↓さらに、ヘラクレスの子ヒラスがニンフたちに訓練を受けている場面のモザイクもあります。

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なかなか見事なモザイクで、2000年の風雨に耐えて、こうして屋外で残っていることに驚きました。モザイクという様式の凄さに、改めて感心した次第です。



↓ヴォルビリス遺跡(前編)のオマケ「遺跡、クロウタドリ飛ぶ!」

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2017年 11月 18日 |

皆さま、お元気ですか?

私は元気に帰ってきました。楽しくてとても有意義な旅でした。また、ブログや「たびねす記事」を書いていきますので、今後ともご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いします。


ブログでは、次回からモロッコの歴史順に観光スポットを紹介して行こうと思いますが、今日だけは、まず最新の、タイムリーな話題を一本載せます。



11月11日(土)、夕刻、モロッコの旧都マラケシュの中心部のジャマ・エル・フナ広場をゆっくり見学していました。

↓暗くなってくると、フナ広場の店舗や屋台の明かりが輝き、なんんとも妖しげで美しい雑踏の雰囲気でした・・・

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すると、18時頃、突然、広場全体で「ウオーッ!ウオーッ!」という超大きな叫びが響き渡り、抱き合う人々や歓喜の拍手も起き、びっくりしました。

これは、サッカーのW杯アフリカ最終予選の最後の試合(コートジボワール対モロッコ)が行われており、モロッコが試合前半に先取点を挙げた瞬間でした!


アフリカ最終予選C組・最終戦、首位のモロッコと二位のコートジボワールの決戦で、勝った方がワールドカップに出場するという文字通りの天王山。試合はコートジボワールで行われているので、モロッコの人々は、かたずを飲んでTVを見守っていたのです。

コートジボワールといえば、かつて英雄ドログバ(プレミアリーグ得点王)もいたサッカー強国です。アフリカ最終予選C組の他の国:ガボンとマリは弱いので、事実上、モロッコとコートジボワールの争いとなり、その決着が今夜つくのです。


この五分後、また「ウオーッ!ウオーッ!」という大きな叫びが響き渡りました。モロッコが二点目を挙げたのです!



その後、フナ広場近くのイタリア料理レストランで夕食(ピッツア)を食べていると、客も店員もTVにかじりついています・・・

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私も、ちらちらとTVを見ながら、食事をしました。私はサッカーの試合そのものより試合状況に熱中する店員や客の表情に興味があります(汗)・・・皆さん、惜しいシーンやピンチに一喜一憂しています。


試合後半はコートジボワールが押し気味でしたが、両チーム無得点で、ついにモロッコが勝利! レストラン中、皆で歓喜の輪が広がります。


↓帽子をかぶった店員と興奮した客が抱き合っています。

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↓店のTVを撮影

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これで、モロッコは20年ぶりの、サッカー・ワールドカップ出場を果たしたのです!
いわば、マラケシュのレストランで歴史的瞬間に立ち会えたわけで、そういう意味では良かったのですが・・・



食事後、道路に出てみると、モロッコの旗を掲げた若者が、歓喜のバイクの暴走をはじめました。

そこで、私は、その暴走バイクを流し撮り・・・・

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その夜、フナ広場は、歓喜の群衆で埋め尽くされたそうです。

↓ホテルに帰り、部屋のTVをつけてみると、話題はこのW杯出場のことばかり。

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大騒ぎで、ちょっと怖いので、深夜は、私はホテルで大人しくしていましたが、明け方まで騒ぎ声が聞こえ、やかましくて寝苦しかったです。。。。



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2017年 11月 07日 |

I'm stil now in the middle of a trip.

It's been good weather these days.   I'm doing well.


Soon, I'll leave Chefchaouen for Fez in Morocco.

Many thanks for your concern!

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