模糊の旅人
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カテゴリ:トルコ( 35 )
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2016年 10月 17日 |
「たびねす」に、私のヒッタイト帝国の遺跡に関する記事が掲載されました。
史上はじめて鉄器文明を興し、エジプトと覇を競った古代帝国の遺跡案内ですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(38)トルコ・ヒッタイト帝国の遺跡に古代世界の謎と幻影を求めて…
http://guide.travel.co.jp/article/22095/






上記の、たびねす記事とタイアップして、当ブログでも、より詳しいヒッタイト帝国の遺跡記事を5回くらいに渡って掲載することにします。今日は、ヒッタイトの聖所遺跡であるヤズルカヤの前編です。

ヒッタイト遺跡は、今から約3500年前に栄えた文明の遺跡で、そんな悠久の古代遺跡が見られることに驚かされます。ここは、私がトルコ旅行でぜひ行きたかった場所のひとつで、その地に立って胸がときめきました・・・



古代ギリシアや古代ペルシア帝国が勃興する以前、その中間のアナトリア(現・トルコ)に、紀元前17世紀から紀元前12世紀にかけて強大な王国があり、エジプトと覇を競っていました。それがヒッタイトです。史上はじめて鉄器を使用し、絶大な武力をもってオリエント世界に君臨しました。しかし、突然の滅亡後は歴史の彼方に忘れ去られ、その都の場所さえ不明となっていました。

やがて、3000年の時が流れ、19世紀になって旅行者によりボアズカレ近郊で大きな遺跡が発見され、20世紀にドイツの考古学者の発掘調査が行われ、ヒッタイトの遺跡であることが確かめられました。聖所や神殿跡、城壁跡、貯蔵庫跡、王城跡、市街跡などが明らかになり、その重要性により、1986年にユネスコの世界遺産に登録されました。以降、注目を浴びつつあります。我々は今、その遥かなる古代文明の栄華の跡に立つことができるのです。

↓ヒッタイト遺跡付近の岩山には、背の低い梅の花が、まるで日本のサツキのように張り付いて点々と咲いていました。不思議な景色でした。
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<追記>
上記の写真について、分かりにくいというご指摘がありましたので、現像し直し、部分拡大し横1500ピクセルのJPG写真にしてみました。画質は落ちますが、梅の木の張り付いている様子が見えると思います。下の写真を押して鑑賞ください。

↓写真をクリックすると、横1500ピクセルに拡大されます。ぜひ大きくしてご覧ください。
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トルコの首都アンカラより東に145kmのボアズカレ近郊にあるヤズルカヤは、トルコ語で「碑文の岩場」を意味し、ヒッタイト時代には最も重要な聖所として、崇められていました。

ヤズルカヤには、まず祭殿跡の遺跡がありますが、現在は礎石だけが残る状態となっています。祭壇跡の奥に大きな岩場があり、便宜上、広い空間のあるほうを大ギャラリー、狭くて深い割れ目のほうを小ギャラリーと呼んでいます。ここには様々なレリーフが残されており、特に小ギャラリーのほうは鮮明な作品が多くみられ、きわめ重要です。

↓これが、小ギャラリーです。巨石の岩の狭間といった感じで、その岩面に浮彫がたくさん刻まれています。
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↓一番有名な「黄泉の国の12神像」
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↑とんがり帽子をかぶった12神像は、鮮明な浮彫で、神々が並んで行進しているように見える印象的なものです。

ヒッタイト遺跡は見どころが多く、見学は一日がかりになります。そこで昼食もヤズルカヤの側のレストランでとりました。その際、レストランのテーブルクロスなどに、ヒッタイト遺跡の有名なモチーフがいろいろデザインされていました。

↓レストランのテーブルクロスの12神像
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↓冥府の神の像
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ちょっと摩耗していますが、その横に説明看板があり、この像の素描がありました。写真と照らし合わせると、よく分かります。

↓冥府の神の像の素描説明
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ヤズルカヤ遺跡には、神だけではなく現実の王の姿も描かれており、その代表的なものがトゥドハリヤ4世を抱くシャルマ神のレリーフです。これは、王が死んで神に抱かれて冥界に旅立つ姿ではないかとも考えられ、この場所がヒッタイト王の葬儀の際に使われていたとする説が有力です。

↓トゥドハリヤ4世を抱くシャルマ神の像
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↓私がここで一番驚いたのは、このレリーフです。
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↑有翼の神が刻まれているのですが、これはまるで、イランで見たゾロアスター教のシンボルと同じではないですか!

このデザインが洗練されていくと、こちら のように、ペルシアのゾロアスター教のシンボルになります。

ペルシアの勃興は、ヒッタイトが滅んでから後になりますが、ペルシアの宗教文化がヒッタイトに端を発する文化の影響を受けたのは明らかです。古代オリエント世界の文化交流は、想像以上に活発であったのです。


↓小ギャラリーの一番奥。巨石が迫り、狭い通路に岩が覆いかぶさっています。
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世界の聖地のパターンの一つが、巨石あるいは岩場・崖ですね。

イランの ナグシュ・ロスタム が典型的ですが、日本でも、厳島神社の弥山の岩場や、沖縄最高の聖地 斎場御嶽  、和歌山の  神倉神社  、宮崎の 天岩戸神社 なども岩の聖地です。

ヤズルカヤ遺跡はそうした世界の岩の聖地のルーツかも知れません。やはり神聖な雰囲気に満ちていました。



最後は、小ギャラリーに大勢のトルコ人家族が観光に来ていましたので、許可を得て、撮影させてもらった母子の写真です。

↓「母と子」
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2016年 06月 11日 |
「たびねす」に、私のエフェスの記事が掲載されました。
少し変わった視点から世界遺産エフェスを紹介した記事ですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(34)トルコ「世界遺産エフェス」女神信仰の歴史と知的冒険を楽しもう!
http://guide.travel.co.jp/article/18937/





エフェスは人気の観光地で、すでに多くの記事で紹介されています。そこで、一般的な視点ではなく、女神信仰とキリスト教の聖母マリア崇拝という切り口で書いてみたのが上に紹介した「たびねす」記事です。

このブログでは、すでに「ああ、エフェスの地にて・・(その一)~(その五)」で、世界遺産エフェスの主要部分をアップしていますので、今日は「たびねす」記事の最後部分に関連させて「マリアの家」を紹介し、エフェスの最終記事とします。



エフェス遺跡から南東7kmの山の中に「マリアの家」という巡礼スポットがあります。ここは、イエス・キリストの磔刑死後、使徒ヨハネが聖母マリアを保護してこの地に至り、余生を過ごしたという伝説のある場所です。

↓まずマリア像が出迎えてくれます。
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19世紀はじめ、ドイツ人のアンナ・カタリナ・エンメリックという病身の修道女が、イエスの受難、聖母マリアの晩年などを幻視し、詩人ブレンターノにその内容を伝えました。その後、1881年に、フランス人のジュリアン・ゴヤット神父が、この地でアンナのヴィジョンのとおりの家の遺跡を発見しました。

歴代のローマ教皇も訪問し聖地としてしたことから、キリスト教徒の重要な巡礼地となり、1951年には小さな聖堂が建てられ、今は人気の観光地となっています

↓これが「マリアの家」入口です。
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↓「マリアの家」出口です。
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とても小さな聖堂で、内部は簡素ですが良い雰囲気でした。黒い聖母子像もあり印象的でした。

↓内部は撮影禁止なので、外側にある説明看板を撮影しておきました。
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↓ロウソクを灯す場所も外にあります。
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↓「マリアの家」の下にある「マリアの泉」は人が列をつくり聖水を飲んでいました。
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マリアの泉は飲むと奇跡が起こるとされ、多くの巡礼者が並んでいます。
三つの蛇口があり、向かって左側から健康運、愛情運、金運を授かるそうです。まさに、御利益のあるパワースポットということですね。

↓マリアの泉とその横壁の願い事紙縒りコーナー
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願いを書いた紙縒りでびっしりと埋まっており、日本の神社の願い絵馬やおみくじ紙縒りを彷彿とさせるものです。今も一般庶民の聖母マリア信仰が生きていることを感じる場所です。
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↓お土産店が並んでいます。
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郵便局もありここからハガキを出すと聖母がデザインされたスタンプを押してくれます。富士山五合目の郵便局と同じですね・・・

↓貯水池跡
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↓貯水池跡に咲く花
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↓周辺の山に咲く花
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山中の自然豊かな場所にあり、ここでゆっくりするのも良さそうです。野花も多く野鳥も囀っていました。


なお、ここはエフェスといっても、世界遺産に指定された場所ではありません。
「マリアの家」は学術的に解明されたものではなく、聖堂も1951年に建てられたものだからです。

マリアの晩年については諸説あり、むしろ定説は無いといえるでしょう。
その中で、マリア終焉の地として、多くの巡礼者を集めているのが、ここエフェスのマリアの家と、イスラエルのエルサレムにある聖母マリア永眠教会です。
聖母マリア永眠教会については、こちら を御覧ください。


最後に私見を述べます。
雰囲気的には、ここエフェスの自然豊かな「マリアの家」のほうが良いでしょう。マリアがこんな鄙びた穏やかな場所で最晩年を過ごしてほしい感じがします。
しかし、歴史的事実と個人的な願望は別のものです。

年代的に考えて、現在のイスラエルにいたマリアが、キリスト教がまだ広まっていない紀元40年(マリアの没年とされている)前に、ここエーゲ海に面するエフェスの地に至ったとするのは無理があります。多分、使徒ヨハネ伝説と入り混じったのでしょう。
普通に考えるなら、エルサレムにある聖母マリア永眠教会のほうが、はるかに可能性が高いです。

アンナ・カタリナ・エンメリックが幻視したそうですが、考古学的に裏付けられたものはありません。幻視は科学的証拠ではないのです。
歴史的事実と信仰とは位相が違います。信仰により事実を捻じ曲げることは出来ません。
信仰の生む文化や芸術は素晴らしいもので、計り知れない価値があります。また信仰の力が時代を動かしてきたのも確かです。しかし、それはそれとして、理性による実証的な歴史研究は止めてはなりません。


とにもかくにも、「マリアの家」は、素敵な巡礼地でした。


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2016年 06月 08日 |
レトーン遺跡の北東8kmのところにクサントス遺跡があります。
ヒッタイトを滅亡させエジプトに攻め込んだ「海の民」とされる古代リキア民族の首都であった貴重な遺跡です。
「海の民」は多くの海洋民族の集合と言われていますが、詳しいことは判明していません。その鍵を握るのが、このクサントスを建設したリキア民族なのです。

↓クサントス遺跡全景
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後期青銅器時代から地中海沿岸に居住したインド・ヨーロッパ語族系の人々が、クサントス、レトーン、トロス、ミラ、オリンポスといった都市を建設していきました。この都市国家の連合体がリキアという国で、ヒッタイトのボアズキョイ文書やエジプトのアマルナ文書ではルッカという名前で登場し、大いに繁栄したようです。

紀元前6世紀には、アケメネス朝ペルシアの侵攻を受け征服されましたが、自治を認められて共和制が行われたそうです。ペルシア帝国の盛期には、ダレイオス1世が実施したサトラップ(総督制)の一つに組み込まれました。


↓クサントス「柱の墓」と「ハーピーの墓」
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紀元前6世紀に、アケメネス朝ペルシアの将軍ハパルグスは、クサントスを包囲し、勇敢に立ち向かうリキア人を全滅させたと伝えられています。いっぽう、ペルシア側もリキアの文化に影響を受け、現在イランのパサルガダエにあるキュロス2世墳墓は、ここクサントスの「柱の墓」=家形墳墓を真似たものだとする説もあります。

↓「柱の墓」のアップ
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ペルシアのキュロス2世の墓については、 たびねす記事 か、 ブログ記事 を御覧ください。
「柱の墓」と比較しながら古代史の謎を楽しんでみるのも一興です。皆様のご意見は、いかがでしょうか?

この屋根のついたような「柱の墓」は、古いクサントスの様式を受け継いで作られたようで、パルミラの塔墓に似ていると感じる方もおられるでしょう。果たしてペルシアに影響を与えたかどうかは謎のままです・・・


↓「ハーピーの墓」のアップ
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ハーピー(ハルピュイア)とは下半身が鳥で上半身が女性の怪物でギリシア神話に登場します。このハーピーのレリーフが上部に見られることから名付けられました。なお、この墓はレプリカで、オリジナルは大英博物館に所蔵されています。

↓「ハーピーの墓」の説明看板
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↓「柱の墓」と「ハーピーの墓」を下からあおってドラマチックトーンで撮影
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↓だいぶ崩れた塔屋
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クサントスは、アケメネス朝ペルシアの後、アレクサンドロス大王の征服によっても略奪を受けました。そして、ギリシア・ローマに征服され円形劇場(アンフィテアトルム)やアクロポリスなどが建設されました。

このように、クサントスは重要地点として、何度も征服・破壊されましたが、そのたびに再建され、7世紀まで栄えたようです。
下の写真はクサントスの円形劇場の遺構です。エフェスやアスペンドスの円形劇場のように巨大なものではないですが、とても雰囲気があるもので、花が咲き旅情を誘います。
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円形劇場のある場所から、現在の道路や駐車場を挟んだ反対側にも、クサントスの遺跡が広がっています。ローマ化された時代の大通り跡が見られ、第二のアクロポリスや、墓地遺跡であるネクロポリスもあります。

↓大通り跡をデイドリーム風に
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さらに、キリスト教の教会跡もあり、海側に向かって下っていく形で遺跡が続いています。広大な場所に長期わたって繁栄した都市であったことが分かります。

このエリアで特に印象的なのは、あちこちに散らばっているモザイクです。ちょっとした道端にも鮮やかな下の写真のようなモザイクの跡を見つけることができます。まだまだ、発掘調査の途中ですが、今後も美しいモザイク装飾が発見されることが期待されます。
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↓海の方に下って広がるクサントス遺跡
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↓教会跡
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↓クサントス遺跡の野花
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↓印象的な看板ををウォーターカラー風に撮影して、クサントス遺跡を後にしました。
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2016年 06月 05日 |
「たびねす」に、私のレトーン&クサントスの記事が掲載されました。
世界遺産に指定された古代リキア文明の貴重な遺跡群ですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(32)トルコの古代遺跡レトーンとクサントスに佇み世界遺産を体感する!
http://guide.travel.co.jp/article/18765/






上記の、たびねす記事とタイアップして、当ブログでも今日はレトーン遺跡、次回はクサントス遺跡を掲載することにします。


現在のトルコのあるアナトリア半島南部では、古代エジプトと覇を競ったヒッタイトが滅んでから、BC1000年~AD400年ころリキア(リュキア、ルッカ))と呼ばれる国が栄えました。そのリキアの首都がクサントスで、聖域がレトーンであったと思われます。

レトーンは非常に古い遺跡で、今は発掘調査が進みつつありますが、一見すると廃墟のような寂しい雰囲気です。私は、こうした鄙びた感じの遺跡は大好きです。
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↑立派な神殿が建っていたことが想像されます。
三つの部分に分かれており、レト、アルテミス、アポロンの親子三柱の神が祀られています。数本の列柱が佇立していますが、ほとんどの柱の石材は、地面に転がっており、現在も発掘調査中です。

↓柱の巨石がごろごろしています。
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↓立っている巨石柱
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女神レトは、ギリシア神話では原初神ガイアの孫にあたり、ティーターン神族に属します。実際にはリキア地方に古くから信仰されてきた地母神ラーダーに由来する可能性が高いです。

ギリシア神話によれば、レトがゼウスの子を身ごもると、ゼウスの妻ヘラは嫉妬に駆られ、すべての土地に対してレトに出産させてはならないと命じました。このため、レトは出産する場所を探して世界をさまよったのです。苦難の末、結局、波で覆われたデロス島で子供を生んだのですが、一説では、ここレトーンが出産の地であるとも言われます。

出生したのは双子で、まずアルテミスが生まれ、ついで難産の末、アポロンが生まれました。その際、アルテミスは生まれてすぐに母のアポロン出産に立ち会い助産の勤めを果たしたそうです。

↓発掘中の場所は多くは水の中に沈んでいます。
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紀元前4世紀ころに、レトーンはギリシアに征服され、以前から聖地であったことから女神レトの神殿が建てられました。リキアの地母神を女神レトとしてギリシア化していったわけです。したがって名前も女神レトにちなんでレトーンと名付けられたのです。

↓印象的な遺物
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ここで、発掘された遺物の多くに、古代ギリシア語、リキア語、アラム語が刻まれています。
ここが、ギリシア世界とオリエント世界の交点であったことが分かります。ギリシア語は、当時、地中海方面の共通語で、アラム語はオリエント世界の国際語として使われていました。

↓古代ギリシア語などの文字併記で書かれた遺物
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まさにレトーンのロゼッタストーンですね。
こうした遺物が、リキア語の解読に大きく寄与したとのことです。

↓牛のレリーフ
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↓モザイク
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↓これは、半壊した円形劇場跡のようです。
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↓中に入ってみると・・・なかなか良い円形劇場でした。
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これだけの大きさの円形劇場があるということは、盛期にはかなり多くの人が住んでいた証拠ですね。
今は、ひっそりとして訪れる人も少ない田舎の遺跡ですが、穴場の世界遺産と言えるかもしれません。

↓印象的な遺物を作品的に撮影してレトーンを後にしました。
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レトーンは、1962年から発掘されはじめた遺跡ですが、その重要性から、1988年にはクサントスとともにユネスコの世界遺産に登録されました。


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2016年 05月 30日 |
今日は、エフェス一帯の観光スポットのうち、世界遺産として指定されている部分の最終回となります。(非世界遺産の「マリアの家」については後日掲載予定)



ケルスス図書館から大理石通りを歩き円形大劇場に至り、港通り(アルカディア通り)を見学して、北ゲートへ抜けるというコースです。

↓名残り惜しいですが、再度、裏側(内部)を撮影して、ケルスス図書館を後にします。
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↓大理石通りを進みます。
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↓このあたりはエフェスの下町でした。
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↓大理石通りの中ほどにある敷石のひとつ。娼館への案内石とされていますが、諸説あるようです。
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↓柱頭のアップ
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大理石通りを下っていくと、左側に巨大マーケットというべき商業アゴラ跡があります。

↓商業アゴラ(下のアゴラ)跡 
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↓大理石通りの突き当たり右側にある巨大な円形大劇場跡
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この円形大劇場(アンフィテアトルム)は、直径154mあり、25000人の収容能力を誇っていたそうです。
クラディウス帝の時に着工され、トラヤヌス帝の時代に完成したとされています。多分AD50年頃です。

中に入ってみます。
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エフェスに長期滞在した聖パウロは、この大劇場でも説教しキリスト教の布教に努めました。
ただここは、アルテミス像やアルテミス神殿模型を作っていた銀細工師達が営業妨害だとして、説教中の聖パウロに対して暴動を起こした舞台でもあります。
アルテミス信仰を基盤とする古い多神教側の抵抗もあったことが伺われます。

↓アルカディア通り(突き当たりに当時の港がありました)
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アルカディア通りは当時の港に近いところから、港通りとも呼ばれていました。
幅が広く、祭りや記念式典も行われました。
アントニウスとクレオパトラも、ここでパレードしたそうです。

↓アルカディア通り横にある観光客用トイレ付近から円形大劇場を望む(ビュースポット)
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↓北ゲート付近の遺跡
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↓北ゲート近くの休憩所で売っていた像
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↓石棺群
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上記で、大劇場で起きた暴動について書きましたが、キリスト教側はその後、アルテミス信仰を聖母マリア信仰に置き換えていく作戦をとります。
女神信仰の盛んな土地柄から、エフェスは聖母マリア信仰の中心地となっていきます。
したがって、エフェス遺跡に残るキリスト教会の名前も「聖母マリア教会」で、北ゲート近くにあります。

↓聖母マリア教会跡
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↓聖母マリア教会跡の説明看板
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↑説明看板によると、ここで Ecumenical Council = キリスト教の公会議 が開かれたとあります。
すなわち、ネストリウス派を異端と定めた431年のエフェソス公会議が開かれた場所です。(一連の公会議の内容については、こちら を参照してください)
さらに449年の第二回エフェソス公会議(西側からは強盗会議とされた)もここで開かれたのですから、キリスト教の歴史にとっては、非常に重要な教会遺跡なのです。

第一回エフェソス公会議では、人性においてキリストを生んだマリアを「神の母ではない」とするネストリウス派を、異端としました。
公会議の行われた5世紀当時、エフェスは、すでに女神信仰から置き換えられた聖母マリア信仰の盛んな場所となっていました。
私見ですが、そうした雰囲気を背景に、マリアを神の母とするキリスト教主流派は、あえてここエフェソスを公会議の場所として選んだのではないでしょうか。



さて、エフェスの地で、私が一番衝撃を受けたのは、壊れかけたアーチ門でした。
大理石通りにある、なにげないアーチ門なのですが、見上げた途端、しばらく動けませんでした。
先を急ぐのですが、ああ・・ここを去りたくない・・・という強い思いにとらわれたのです。

そこで、エフェス記事の掉尾を飾るものとして、そのアーチ門の短歌と写真を掲載します。


大空を制するエフェスのアーチ門こころに響き立ち去りがたし
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2016年 05月 27日 |
エフェスのクレティス通りの突き当たりに、公衆トイレと大図書館があります。

↓公衆トイレ
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座る水洗式です。
当時の市民の服装は、裾が足首まであるふわっとした長衣でしたから、それならこういう風に並んでいても問題ないですね。市民はここで、用を足しながら談笑していたのかもしれません。
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そして、いよいよエフェスのハイライトである大図書館遺跡です。

ケルスス(セルスス、セルシウス)図書館と呼ばれますが、これはローマ帝国アジア州総督をつとめたケルスス(セルシウス)の功績を称えて177年に建造されたからです。
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約12,000冊(20万冊説もあり)の蔵書を誇り、当時アレクサンドリア、ペルガモンの図書館と並ぶ世界の三大図書館と評されました。
遺跡発掘後1960~70年代に大規模な修復が行われて現在の姿になったそうです。それにしても、これだけ立派な遺跡建造物は圧巻です。
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↓門に入って上部を見上げて撮影
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図書館にふさわしい四つの女神像が、ファサード下段を飾っています。

↓知恵の女神ソフィア像
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↓徳の女神アレテー像
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↓思考の女神エンノイア像
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↓認識の女神エピステーメー像
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これらの女神像はレプリカで、オリジナルはウイーンのエフェソス博物館にあります。

↓図書館の裏側
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↓ハドリアヌス門
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↓図書館の向かい側にある遺跡群(娼館跡とする説あり)
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↓ケルスス図書館の右側にあるのがマゼウスとミトリダテスの門です。
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↓マゼウスとミトリダテスの門を抜けた大理石通り
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2016年 05月 24日 |
今日は、エフェスのメインストリートであるクレティス通りに沿っての見どころ紹介です。

↓プリタネイオン(市役所)
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↑聖火が灯されクレティス(司祭)が守っていたそうです。市役所というべき重要な会議場でした。

↓プリタネイオンの説明看板によると、ここで、例の豊穣の女神アルテミスの像が発掘されたそうです。発掘現場写真もあり、地面の中に横たわっていたことが分かります。
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↓ヘラクレスの門
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↓ヘラクレスの門の柱の上部(獅子の毛皮をまとっているヘラクレス)
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前回紹介したニケのレリーフは、このヘラクレスの門のアーチ装飾だったとのことです。

↓ヘラクレスの門からは、クレティス通りが下りになっており、行く手のエフェス中心街が一望できます。
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↑右手から、これから紹介していく、首のない神像、トラヤヌスの泉、ハドリアヌス神殿、そして中央一番奥に巨大なケルスス図書館が見えます。

↓ヘラクレスの門から反対側を振り返れば、こんな感じです。
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↓首のない神像
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↓トラヤヌスの泉
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↑皇帝トラヤヌスに捧げられた噴水施設で、神々や皇族の像があったそうです。修復されています。

↓装飾円柱
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↓モザイク道路(ここは貴族しか歩けなかったとか・・・現在も観光客は立ち入り禁止です)
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↓道路のモザイクのアップ
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↓ハドリアヌス神殿(以下7枚)
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ハドリアヌス神殿は規模は小さいながら、クレティス通りで一番美しい建物です。
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↓前門にある女神ティケのレリーフをアップで
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↓奥のメドゥーサを彫った巻きつるの装飾
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↓女神アルテミスなどの神々の浮き彫り
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↓前門右側奥:皇帝ハドリアヌスの家族の浮き彫り
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↓前門左側:エフェスの起源伝説の魚と猪の浮き彫り
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ハドリアヌス神殿は、138年頃建てられたのコリント様式の神殿です。非常に繊細で見事な装飾が施されており、いつまでも見飽きませんでした。


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2016年 05月 21日 |
アルテミス神殿遺跡のある古エフェスから2.5kmほど西南に行ったところに新エフェスがあります。
古エフェスの港が川からの土砂で埋まったため、新エフェスに中心地が移りました。

新しいエフェスといっても、紀元前のローマ共和制時代から築かれた古代のもので、エフェス最盛期の巨大都市遺跡です。ここが普通に言われる観光スポットとしての世界遺産エフェスで、非常に保存状態の良い素晴らしい遺跡です。


↓いよいよ、エフェスの遺跡に入口(南ゲート)に到着しました。
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エフェス遺跡は、南ゲートから北ゲートへ下り坂となっていますので、南から北へ抜ける形で観光するのが定番です。

↓南ゲートから入った場所からの眺望
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南ゲートから入った一帯は、エフェスの富裕層が暮らした高級住宅街で、いわば山の手です。

↓ヴァリウスの浴場跡 
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↑2世紀に造られたローマ浴場跡で、スケールが大きいです。日本人はテルマエロマエという映画を連想しますね。
後に、現トルコの地域を征服したイスラム勢力は、ローマ帝国の浴場文化を継承して発展させたので、この遺跡はトルコ式浴場ハマムの原型といえるでしょう。

↓オデオン
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↓オデオンは、小型の1400人収容の音楽堂です。円形劇場ではなく、あくまで音楽堂です。(巨大なエフェス円形劇場は坂を下った北ゲート近くにあり後日紹介します)
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↓オデオン見学で通る石のアーチ門
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↓多くの観光客が歩きます。
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↓配水管遺跡
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↓メミウスの碑
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↑エフェスを統治したローマからの支配者スラ、息子ガイウス、孫メミウスと三代が祀られた碑です。

↓エフェスの猫・・・全く人を怖がりません・・・
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↓クレディア通り
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↓勝利の女神ニケのレリーフ
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↑これは、スポーツ用品メーカーのナイキのロゴマークの元になったことがよく分かりますね。


↓アスクレピオス神と蛇杖のレリーフが刻まれた石柱
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アスクレピオスは、医術の天才で、医神として祀られています。蛇杖を持っているのは、治療に蛇毒を使ったからという説もあります。
アスクレピオスは巨船アルゴー号にも乗船し、ついには死者を蘇らせることができるようになったので、冥神ハーデースが抗議し、ゼウスの雷によって撃ち殺されました。その後、偉業を讃えられアスクレピオスは星座(へびつかい座)となったとのことです。
現在も医学の象徴的存在で、アスクレピオスの蛇杖は下の世界保健機構の旗にも用いられていますね。

↓(参考)世界保健機関(WHO)の旗
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2016年 05月 18日 |
エフェス(エフェソス、エペソ)については、今日のプロローグ編を含めて、5~6回にわたって、ブログ記事を掲載する予定です。

エフェスは、古来より有名な場所で、西部アナトリアの最大の都市でもありました。
ヒッタイトに対抗した古代アルザワ王国の首都アパサだったとされ、ミケーネ文明とも交流があったようです。

やがて、ギリシア人の都市となり港湾都市として繁栄しました。
この地域では、もともと地母神の女神アルテミス崇拝が盛んで、古代ギリシア化された後も、アルテミスはギリシア神話ではゼウスとレトの娘として位置づけられ、女神信仰が継続します。

その後、共和制ローマの支配下に入り、アントニウスがクレオパトラと共に滞在した地となります。
現在残るエフェス遺跡の主要部分は、このローマ時代に建てられたものです。

キリスト教関連でも重要で、聖パウロが宣教に訪れ三年間も滞在した町であり、その後、聖母マリアが晩年住んだとされる家が発見された所でもあります。

さらに、皇帝テオドシウス2世が、エフェソス公会議を二度も開いた場所です。
アルテミス信仰が置き換えられた聖母マリア崇敬が盛んな土地柄から、ここが公会議場として選定されたようです。(エフェソス公会議では、マリアが神の母であることを否定するネストリウス派が排除され異端とされた)


これほど幾多の古い歴史に彩られた場所も珍しいものです。エフェスは古代にはエフェソスと言われ、古エフェソスや新エフェソスなど、あちこちの場所に遺跡が分布しています。


現在は世界遺産でもあり、新エフェソスは巨大な都市遺跡として、多くの人が訪れる人気の大観光地です。

まずは、古エフェソスの町があった場所に行ってみます。

古エフェソスには、かつて世界の七不思議の最たるものとされた古代アルテミス神殿がありました。

今は一本の石柱が立つだけの寂しい場所です。(この石柱は復元模型です)
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↓石柱のアップ
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↓後景その一、奥のビザンツ時代の城塞と手前のイスラム教モスクのイーサーベイ・ジャーミィ
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↓後景そのニ、聖ヨハネ教会跡
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聖ヨハネ教会は、使徒ヨハネが聖母マリアを保護して、ここに至り、晩年を過ごしたという伝承のある場所です。


このアルテミス神殿遺跡を見ても、世界の七不思議とされた面影はなく、どんな神殿だったのか想像できません。
ちょっと期待はずれ感がありました・・・

引用・・「私は、バビロンの城壁と空中庭園、オリンピアのゼウス像、ロードス島の巨像、大ピラミッドの偉業、そしてマウソロスの霊廟までも見た。しかし、雲にそびえるエフェソスのアルテミス神殿を見たとき、ほかの不思議はすべて陰ってしまった。」(ビザンチウムのフィロンの言葉)

127本の円柱が並び、アテネのパルテノン神殿よりも大きかったそうです。今は、一本だけというのは、あまりにも寂しい光景です。

↓そこで、アルテミス神殿復元想像図
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↑確かに、こんな神殿が目の前に立っていたら、すごいでしょうね。往時を想像で偲ぶしかありません・・・

アルテミス神殿は、三度建て直されたようですが、一番古いものは、紀元前700年頃の創建です。
2世紀にゴート族に破壊された後、ここにあった大量の石材は、各地の神殿や、キリスト教会、イスラムのモスクなどに転用されました。イスタンブールのアヤ・ソフィアにも利用されたとのことで、驚きます。

この古エフェソスのアルテミス神殿遺跡は、1869年に大英博物館の考古学探検隊により再発見されました。

↓エフェス出土のアルテミス女神の像(エフェス考古学博物館蔵)
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多数の乳房(牛睾丸説もあり)を持ち、明らかに、大地母神としての豊穣や多産の雰囲気がありますね。

ギリシア神話では、アルテミスは処女神で、狩猟・貞潔を象徴し月の女神です。上の像とはイメージが相当違います。
ただ、ギリシア神話でも、レトとゼウスの子であるアルテミスは、生まれた直後に母レトの産褥に立会い、双子の弟であるアポロンを取り上げたとされ、彼女が生殖や出産を司る女神でもあったことが分かります。





さて、今回のトルコ旅行の隠れた目的は、私が個人的に興味を持っている、初期キリスト教の分岐点となった公会議の場所を訪ねるというものでした。

コンスタンティノポリス(現トルコのイスタンブール旧市街中心部)、エフェソス(現トルコのエフェス)、カルケドン(現トルコのイスタンブールのアジア側カドキョイ)といった場所を巡ってみました。
当然のことながら往時そのままの面影は無かったものの、その歴史的場所に立っているのだという、古代幻想的な思いにとらわれました。
私にとって、旅はまずもって「歴史をたどる旅」なのです。プラス自然探勝もできればと欲張っています(笑)



上で述べましたように、紀元431年、ここエフェソスの公会議でネストリウス派が異端とされました。
ネストリウス派は、キリスト教主流派からは、三位一体論を否定したとされています。しかし、これは実際のところ微妙な問題です。
ネストリウス派の衣鉢を継ぐ現在のアッシリア東方教会は、三位一体論を認めています。

このあたりを書き出すと非常に長くなり、かつマニアックな話になってしまいます。
そこで、各公会議の歴史も含めて、まとめて下の 「More 非カルケドン派など初期キリスト教についての覚書き」を書いてみました。ご興味のある方は、More をクリックしてお読みください。


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More 非カルケドン派など初期キリスト教についての覚書き
2016年 05月 09日 |
「たびねす」に、私の天保山大観覧車の記事が掲載されました。
この大観覧車は大阪の天保山ハーバービレッジのシンボルですですので、ぜひ、ご覧ください。
どうぞよろしくお願いします。

(32)並んでも乗りたい!シースルーキャビン「天保山大観覧車」でドキドキの大阪湾岸空中散歩
http://guide.travel.co.jp/article/18107/






さて、ブログ記事のほうは、模糊の料理教室特別編です(笑)

最近、中東方面への旅行が多いので、必ず現地の食材も購入してきて、時間がある時に、自分で調理して、さまざまな料理にチャレンジしています。

イスラエルで、ひよこ豆とレンズ豆の美味しさに開眼し、自分でも料理したくなったのが大きなきっかけです。
イスラエル、イラン、ロシアでは、ひよこ豆やレンズ豆をスーパーで買い込み、ストックも存分に確保しています。
いずれも半乾燥地帯に適した作物なので、日本では手に入りにくく高価ですが、現地では超格安で、非常に庶民的な食材です。
保存もきくので、自己流料理の材料として長きに渡り使っています。


今回のトルコ旅行でも、帰国当日の午前中にはホテル近くのスーパーに行って、いろいろ仕入れて、スーツケースに詰めて帰ってきました。

↓カルフール・ミニ
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↓NAMLIハイパーマーケット
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↓超巨大ショッピングセンター:ジェヴァーヒルSC(この中にはミグロスというスーパーが入っていました)
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その他、トルコではスーパーが街中に多く、とても便利です。

今回は、製粉前の小麦があったので、これも購入しました。
食物繊維豊富な小麦襖がまだ付いており、とても身体に良さそうです。

↓トルコで購入してきた、ひよこ豆(左側)と、小麦(右側)、下は大きさ比較用のクッキーの大
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↑右の袋に書かれている asurelik bugday (アシュレリックブーダイ)というのは、ひきつぶしていない小麦という意味です。


↓ロシアで購入した黄色レンズ豆(左側)、イランで購入した緑色レンズ豆(中央)、トルコで購入した胚芽押大麦(右側)
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↓左から、レンズ豆、小麦アシュレリックブーダイ、ひよこ豆 と並べて撮影しました。大きさがだいぶ違います。
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↓小麦アシュレリックブーダイの拡大写真 
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↑ご覧のように、各粒に筋のようなものが見えます。これは繊維質と栄養価の高い胚乳胚芽部分です。
これが外皮にぴったりと密着しているのが小麦の特徴で、 簡単には分離できないところから、製粉段階で胚乳胚芽を除いて、細かく砕いて白い小麦粉にして使うことが主流になっているのです。

でも、白くしてしまった小麦粉なら日本でも普通ですし、真似するだけでは面白くないので、小麦アシュレリックブーダイの粒食にチャレンジ!

確かに小麦粒食100%というのは噛むのが大変で、麦粥か小麦スープにするしかないようですが、わがアジアの粒食穀物の王者であるコメに混ぜて食べるのは、可能なのでは? と挑戦してみます。

ほぼ一晩水につけておいた小麦アシュレリックブーダイを、洗ったコメに混ぜて炊飯器で炊きます。
調理というよりボタン押すだけですが(笑)

↓小麦ごはんの出来上がり
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さて、その味ですが、いけます!!
もっちりプッチンという感じで、噛みごたえがありますが、なかなか美味しいのです。
この弾力性は、人によると思いますが、私は好きですねえ。。。

ただ、一晩水に浸けておくのが手間といえば手間です。


歴史的には小麦は世界最古の穀物で、西アジアで1万5千年以上前から栽培されてきました。
小麦は大麦と同様に、最初は粥として煮て食べるものでしたが、碾き臼が登場し製粉技術が進歩しすると、パンをはじめとする様々な料理の材料となりました。小麦粉としていろいろ加工応用しやすい小麦は、文明を支える最重要作物となっていったわけです。


次に、おなじようコメに混ぜ炊飯器で炊く方法で、ひよこ豆とレンズ豆も比較してみます。

↓ひよこ豆ごはん
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ひよこ豆は、大きいので半日ほど水につけてから炊飯器に入れましたが、まるで栗ご飯のようになりました。
ホクホクとして、とても美味しいのですが、柔らかい米と食感が違いすぎて、ちょっと違和感があり、食べにくい気もします。

とはいえ、美味なので、チャレンジ二度目以降は、炊飯器の隅っこに、ひよこ豆を置いて、炊き上がったら、別皿にとって豆サラダとして食べることにしました。
わざわざ、ひよこ豆を、別に料理する手間も省けますので、模糊流手抜き調理となります(汗)

ひよこ豆は、西アジア原産で、古来より栽培されてきました。
安価で美味なので、世界に広がり、インドなどでは菜食主義者(ヴェジタリアン)の重要なタンパク質源となっています。


↓レンズ豆ごはん
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レンズ豆は一番簡単で、黄色のレンズ豆ならそのまま米に混ぜて調理できます。
私は少し柔らか目のレンズ豆ごはんが好きなので、一時間ほど水に浸けてから炊飯器に入れます。

レンズ豆は、ひよこ豆ほど大きくないので、違和感が少なく、米と合います。これも、クセのないホクホクした食感で、美味しいごはんになります。
色合いも良いので、レギュラーに使える雑穀ごはんの素材です。

もちろん、レンズ豆は、カレーやハヤシ、シチューにも合い、スープにも使えます。つぶして混ぜることもでき、スイーツなどにも使用可です。多分、一番応用のきく食材でしょう。

レンズ豆はレンティルと呼ばれ、黄色や緑色、赤色などいろいろな種類があります。西アジア原産で、旧約聖書にも登場する歴史のある作物です。
ちなみに光学カメラのレンズの語源は、凸レンズがレンズマメの形状に似ていたからです。レンズ豆のほうが元祖なのです。


押大麦については日本と同じなので、解説は省略しますが、いつも愛用しています。


↓実際に平常コンスタントに食べているのは、各種雑穀類に押大麦、レンズ豆を入れた私独特の十六穀米ごはんです。
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ときおり食感を変えるため、小麦アシュレリックブーダイや、ひよこ豆も入れて、飽きないように工夫しています。
私のような関西人は、春に、えんどう豆(グリーンピースではなく和歌山産ウスイエンドウ)をごはんに入れて食べる習慣があるので、豆ごはんに違和感がありません。


以上のような、繊維質やビタミンが豊富で、血糖値の上昇を抑えることができる、雑穀米ごはんをオススメします。

もちろん、上記の食材は、カレーやシチュー系の煮込み料理にも多用しています。


中東では、小麦アシュレリックブーダイ、ひよこ豆、レンズ豆をスープに入れたのがレストランでよく出てきます。
さらに、小麦アシュレリックブーダイは、今でも、粥にして食べる方もいます。ケシュケキという麦のリゾットのような料理もあります。

いっぽう、ひよこ豆、レンズ豆は、中東ではペースト状にして食べるのが最もポピュラーでしょう。

↓ひよこ豆のペースト「フムス」(美味しく味付けがしてあり、ピタパンなどにつけて食べます)
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ひよこ豆などをペーストにしたものも売っていましたが、日持ちがしませんので買ってきませんでした。
自宅でペーストにするには一晩水に浸けた後に茹でて煮て、さらにフードプロセッサーでの粉砕攪拌が必要ですし、味付けにも工夫しなけらばならず、手間がかかるというのが難点です。

ペーストはパンには良いですが、ご飯のおかずとしては、ちょっと合わない気がして、これまで、私はペースト料理は、やりませんでした。
ただ、たびねす記事ライター仲間である、ろぼたんさんが、クリームチーズと納豆を使った豆乗せトーストをブログで紹介されていましたので、なるほど!と思いました。予断があったなあと反省しました。
今後は、パンで食べる豆料理というのにも挑戦してみようと思います。


現地の食材を、現地と全く同じ方法で使用しなければならないという理由はありません。
料理は創意と工夫です。
上で載せましたように、日本の料理の中に取り込んで、手間をかけずに中東の食材を使うというのが、現実的で長続きする道です。
それこそ、海外のものをうまく取り入れ、日本風のカレーやラーメンや餃子やナポリタンを発明してきた、日本人ならではのやり方ではないでしょうか。

最後にひと言「チアシードやキヌアだけが、スーパーフードではありません!」


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