模糊の旅人
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2017年 08月 17日 ( 1 )
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2017年 08月 17日 |

醒井の後編です。

↓地蔵川風景

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↓梅花藻と醒井宿の街並み

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↓梅花藻の茎は長く、独特の水中世界を形づくっています。

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梅花藻はユニークな水環境を育み、水生昆虫が生息するだけでなく、梅花藻の茎葉を産卵床とするハリヨ(針魚)という淡水魚が見られます。

ハリヨは岐阜県と滋賀県の山間部にしか生息しない貴重な生き物で、年間を通じて低水温で清浄な浅瀬環境に適応しています。
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ここ居醒の清水近くの延命地蔵堂には地蔵川のハリヨを入れた水槽があり、飼育された姿を間近で見学することができます。

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ハリヨは、わずか体長5㎝ほどの小さな魚で、背中にや腹にトゲを持ちます。現在は環境の悪化や近縁のイトヨとの交雑が進み絶滅が危惧されているそうです。

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ハリヨの水槽のある地蔵堂の側に、雨森芳洲の歌碑があります。

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「水清き人の心をさめが井や底のさざれも玉とみるまで」

江戸時代中期の儒学者である雨森芳洲は、近くの現・長浜市の出身で、対馬藩に仕え李氏朝鮮との外交に活躍しました。この歌は、晩年、故郷近くの居醒の清水に思いを寄せて詠んだものです。


雨森芳洲は、木下順庵の下で儒学を学び、新井白石、室鳩巣とともに、木下門下の五先生あるいは木門十哲の一人とされた秀才です。朝鮮語と中国語に堪能で、外交官としての役割を果たすとともに、篤実な人格者で信頼され、対馬藩主の側用人にも就任しました。


↓ヤマトタケルの像(伊吹山の神に敗れたヤマトタケルは、ここの清水で傷を冷やしたとされています)

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↓その「居醒の清水」(平成名水百選のひとつ)

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↓上の写真の中央部分をズームでアップ・・・確かに相当の量の水が湧いています。

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居醒の清水を見たら、来た道を戻ります。

↓醒井宿の街並みは素敵です。

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↓帰路、醒井宿の民家玄関先に植えられていたルリヤナギの花

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醒井の街並みの西はずれ(大王水から西へ3分)に、西行水という湧水があり泡子塚が祀られています。これは西行法師の逸話に彩られたロマンチックな場所です。

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伝説によると、平安時代末期、西行が京から関東へ行く途中、この醒井の湧水で休憩していたところ、茶店の娘が西行に恋をして、西行の飲んだ後の茶の泡を飲むと懐妊していしまい、男の子を生みました。

西行は、関東からの帰り、ここに立ち寄り、娘から話を聞き、その生まれた子を見つめるや「今一滴の泡変じてこれ児をなる、もし我が子なら ば元の泡に帰れ」と祈り「水上は清き流れの醒井に浮世の垢をすすぎてやみん」と詠みました。すると不思議や、その子はたちまち消えて、元の泡になりました。西行は「実に我が児なり」と、ここに石塔を建てたそうです。

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↓西行水の近くには、中山道醒井宿の道標があります。

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