カラアリオウル公園からアタチュルク通りを北へ戻り、ハドリアヌス門を海側に曲がり旧市街を観光します。
↓ハドリアヌス門
ハドリアヌス門は、130年にローマ帝国のハドリアヌス帝がここを統治した記念に建てられたものです。
三つのアーチを持つことからユチュ・カプラル(三つの門)とも呼ばれています。
↓ハドリアヌス門を外側(東側)より
↓ハドリアヌス門を内側(西側)より
↓ハドリアヌス門のアーチを下から
↓旧市街カレイチが見えてきました。
カレイチとはトルコ語で城内を意味し、城壁に囲まれた場所であったことが分かります。
古い木造の家々が立ち並び、土産物屋もたくさん軒を連ねています。
↓狭い道に二階が突き出した木造家屋が印象的なカレイチのメインストリート
↓魅力的なディスプレイで様々なものが売られています。
↓ストリートスナップ
↓プチホテルの庭
そして、ブロークン・ミナレットと書かれた古い遺跡のような塔を見学したら、そこを右に折れ、細く曲がりくねった通りを海側に下っていきます。
↓なんとも雰囲気のあるブロークン・ミナレット(ケシッキ・ミナーレ)
【ケシッキ・ミナーレ説明追記】
ここは、非常に古くからの聖地で、もとはギリシア・ローマ神殿(女神ティケ神殿)でしたが、キリスト教化したビザンチン時代に聖母マリア教会となりました(古代の女神信仰が聖母マリア信仰に置き換えられていく経緯については、こちら)。この聖母マリア教会は、7世紀のアラブの襲撃で破壊されたそうです。
さらに、13世紀になるとセルジュク朝トルコによりイスラム教のモスクが建設されましたが、14世紀にキプロスに征服されキリスト教の教会となり、15世紀に再度イスラム教のモスクになりミナレット(塔)が建てられました。
最終的には、1896年に焼失し、再建されていないとのことです。
宗教的パワースポットとして幾多の歴史を刻んできた遺跡は、不思議な存在感がありました。
↓内部はこんな感じです。バシリカ様式なのが見て取れます。
↓港へと急坂を下ります。
↓港へ道すがらのショットです。
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石畳がいかにも歴史ある昔をしのばせて、雰囲気があります。
ホテルは治安を考えて、ご自身はかなり上質なホテルに泊まられたのですよね。
このプチホテルはスナップだけ?でも何となく感じがよくて、興をそそられます。
お店もこじんまりしていて、庶民の暮らしが見えてきます。
旧市街石壁はみな古めきて売らるる品のトルコの匂ひ
壊れたる古式ゆかしきミナレット今も愛されゐるがに見えて