夕刻には、お世話になった方への御礼の意味もあり、森ノ宮近くの、細川ガラシャゆかりの地と聖マリア大聖堂にある像を撮影してきました。
二十年ぶりくらいの再訪ですが、やはりこのあたりは雰囲気が良いです。ただ、石碑の背後に新しいマンションが立ち並んでおり、撮影には苦労しました。
そこで、背景建物が目立たないように現像時アートフィルターのジオラマを適用し両側をボカしました。
↓越中井の碑(細川越中守屋敷跡:細川ガラシャ夫人終焉の地)
↓碑の右側に彫られた細川ガラシャ夫人の辞世の句
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」
ここで、関ヶ原の戦い直前、細川ガラシャは、石田三成の人質になることを良しとせず家老に命じて槍で部屋の外から胸を貫かせて死んだのです。
大阪城のすぐ南で、豊臣秀吉配下の大名の屋敷が立ち並んでおり、細川家の屋敷もありました。約415年前の話ですが、歴史的ドラマの舞台ですね。
私は京都の紫野という所で生まれたのですが、その生家の近くの大徳寺高桐院に細川ガラシャの墓があることから、子ども時代に地域の有名な話として父母から細川ガラシャの生涯を聞かされたものです。
以前、ブログの高桐院の記事で細川ガラシャと墓石灯篭を詳しく紹介しましたが、それについては こちら を御覧下さい。
上の細川ガラシャ夫人終焉の地のすぐ近くに、大阪カテドラル聖マリア大聖堂があり、細川ガラシャ像もありますので、訪問することにしました。
↓司教座聖堂である大阪カテドラル聖マリア大聖堂看板
↓聖マリア大聖堂前広場の右側にある細川ガラシア夫人の石像(阿部政義による作品)
左側には高山右近の石像もありました。高山右近に関する説明書もありました。
残念なことに、大阪カテドラル聖マリア大聖堂は、本格的改修工事中でした。(4月頃までかかるそうです)
外観(青銅板葺きの大伽藍)は工事用の幕に覆われ、大聖堂は完全閉鎖で中に入れません。
ただし、小聖堂だけは入場できるとのことで、許可を得て見学させてもらいました。
↓小聖堂のステンドグラス
上のステンドグラスは見事なもので、ベニス工房・羽淵紅州子の制作だそうです。
ご覧のように、日本に来た聖フランシスコ・ザビエルが描かれています。
それにしても、この付近は、上記以外にもカトリック系の学校や石像など、キリスト教関係のものが多いですね。
ひょっとして、キリシタンであった細川ガラシャ夫人終焉の地があるところから、引き寄せられるように集まったのか・・・それとも全くの偶然なのか・・・私の今の知識ではよく分かりません。
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細川ガラシャ夫人の名は、NHK大河ドラマにも時々出ましたので知っています。
ガラシャ夫人の終焉の地はこの付近だったのですね。
立派な碑が建ってますね。
周辺の景色から都会の中と分かります。
ポチ♪
かねて垣間見程度であった事柄も、このような形で提示されますと、歴史の深淵やガラシャ夫人の信仰の真実に、改めて思いを深く致します。
なお大阪については殆ど知らないので、マリア大聖堂の存在は新鮮な感動でした。
改修成った頃に、街歩きを兼ねて、ぜひ訪ねてみたいと思います。
そして今日のブログに寄せる一首
時を経てなほ慕はるるガラシアよ主に殉じたる決意愛(かな)しも