↓エッケ・ホモ・アーチ
このアーチは、ローマのハドリアヌス皇帝がユダヤの反乱を鎮圧した記念に建てた三重の凱旋門の一部が残ったものです。
「エッケ・ホモ」とは、ローマ帝国の総督ピラトがイエスを指して言った言葉で、ラテン語で「見よ、この人を」の意味です。
ピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った、「わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである」。
イエスがいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出ると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人を」(ヨハネの福音書19.4~5)
ここが、後世、ニーチェの自伝『この人を見よ』(原題:Ecce homo=エッケ・ホモ)の元となったわけですね。
↑エッケ・ホモ・アーチの下に続くライオン門通り
↓ライオン門通りを歩む、十字架を背負った巡礼者の一団
こうした十字架を背負いイエスの苦しみを少しでも追体験しようとする光景は、ヴィア・ドロローサの名物でもあります。このグループはイタリアからの巡礼団でした。
第3留<最初に倒れた場所>
↓第3留の印
前夜から拷問を受け衰弱していたイエスは、ここで十字架を背負って倒れこみます(このことは福音書には記述はなく、伝承に由来するものです)。
現在は、アルメニア使徒教会の聖堂が建てられています。
↓アルメニア使徒教会のイエスが倒れし祭壇画
第4留<悲しむ母マリアと出会う>
↓第3留の印のすぐ横に第4留の印があります。(写真の右上端)
第4留は同じくアルメニア使徒教会の敷地内にあり、この場所で母マリアはイエスを見たとされています。このエピソードも福音書にはなく、後世に生まれた伝承ですが、聖母マリア信仰の深さを感じさせられます。
隣接して苦悩の母マリア教会が建てられており、多くの信者がマリアの悲しみをおもんばかって、ここで祈りを捧げます。
↓苦悩の母マリア教会
↓旧第3留・第4留の印(以前は旧トルコ式公衆浴場の入り口に第3留と第4留がありました)
↓第3留・第4留付近のエル・ワド通りはイスラム化されたアラブ人街のメインストリートなので、多くの人が行き交う雑踏となっています。
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ケルン大聖堂 Cologne Cathedral ケルンは、ドレスデンの北西、ライプツィヒの東にあり、チェコから続くエルベ渓谷の入口にあり、地域政治と交易の中心として栄えました街です。この町のシンボルであるケルン大聖堂、正式名称は、ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂(Dom St. Peter und Maria)聖ペトロとマリア大聖堂の意味です。ケルン大聖堂はゴシック様式の大聖堂としては世界最大であり、カトリック教会です。 Cologne Cathedral is a Ro...... more