ガリラヤにおけるイエスに対する宗教的熱狂のはじまりです。
悪霊につかれた者が会堂にいて、叫んで言った、「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」 イエスはこれをしかって、「黙れ、この人から出て行け」と言われた。すると、悪霊はその人をけいれんさせ、大声をあげて、その人から出て行った。人々はみな驚きのあまり、互に論じて言った、「これは、いったい何事か。権威ある新しい教えだ。悪霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」こうしてイエスのうわさは、たちまちガリラヤの全地方、いたる所にひろまった。(マルコの福音書1.23~28)
↓イエスが教えた会堂(シナゴーグ)跡からガリラヤ湖・ゴラン高原方面をのぞむ
上記のマルコの福音書の会堂における最初の大いなる業(わざ)=治癒奇跡には、すでにイエスの特徴が出ています。
まず、「悪霊につかれた者」の治癒ということです。
古代では、一般人の間では、病気の原因は悪霊が宿っているためであり、ユダヤ教においてはその人が背負った罪でもあると考えられていました。
イエスは、まず最初にこの悪霊を追い出すという、治癒奇跡を行なうのです。
イエスの病気治癒の多くのパターンがこの方式になります。圧倒的な人格権威による悪霊追い出しです。
これは、今日の心身医学的な治療法を先取りしているとも言えますし、いわゆる心理療法(メンタルケア・サイコセラピー・精神分析)に近いものです。
こうした治癒のひとつは圧倒的な人格による異常な憑き物の除去という形をとります。さらにセラピーや実存的精神分析になると、治療者と患者の信頼関係に基づく交流が必要です。
イエスは、罪人と共に食事をしたり、病人に触ったりして、虐げられた人々の中に入って交流するのですが、まず最初の治癒奇跡は、「黙れ、この人から出て行け」という圧倒的人格による悪霊の追い出しだったのです。
↓会堂跡からペトロの家教会をのぞむ。まさにこのあたりで、イエスは治癒奇跡を行ない、宗教的熱狂を引き起こしたのですね・・・
二番目の、イエスの治癒奇跡の特徴は、「正体は分かっている。神の聖者だ」 という悪霊の言葉で分かるとおり、イエスの正体を言葉に出そうとする、あるいはイエスの正体をまず認識しているのが、イエスの敵側(ここでは悪霊)だということです。
イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである。(マルコの福音書1.34)
悪霊はイエスを知っていたのです。自分を滅ぼす力を持つものを悪霊の鋭い嗅覚がまず認識するのです。
なお、悪霊のようなイエスの敵側だけが、イエスを「神の聖者」や「神の子」と呼んでいます。
マルコの福音書のイエスは、決して自分が神の聖者や救世主=メシアであるとは言いません。またそうしたことを言おうとする治癒された者や弟子たちに、言わないように指示します。(しかし治癒された者は言いふらすのですが・・・)
イエスが何故、言いふらすのを避けるように命じたのか、イエス自身は神の聖者なのか、イエスは果たして自分がメシアであると自覚していたのか・・・福音書の著者マルコは、そこをわざと明確にしません。敵側からの発言で、暗示されているだけです。その真相については、あくまで読者の判断にまかされているのです。(物語最後の復活の奇跡自体も同じような暗示方式の書き方なのです!)
↓カファルナウムのイエス像
三番目の特徴は、治癒奇跡自体がイエスの教えになっているということです。
最初にイエスがカファルナウムの会堂で悪霊追い出しの治癒奇跡を行なった時、人々は「これは、いったい何事か。権威ある新しい教えだ。悪霊にさえ命じられると、彼らは従うのだ」と言います。
つまり、イエスの教えは、教条的な言葉ではなく、まず救い治癒するという実践行動なのです!
これは、例えばマタイの福音書で山上の垂訓を偉そうに長々と演説するイエスの姿とは、まったく違うものです。
マルコの福音書では、イエスの言葉を具体的な状況から全く切り離して、漫然と、師曰く「~~」「~~」と教条を並べるような書き方はしません。
全てが、実践行動の治癒譚、奇跡譚、敵との論争、人々や弟子との対話の中で語られます。つまりイエスの言行がちゃんとした状況設定の中での物語となっているのです。印象的な言葉を述べる時も、あくまで物語の状況の中なのです。
著者のマルコが、イエスの言葉集ではなく、わざわざ「イエス・キリストの福音のはじめ」という福音書文学形式を発明したのは、この状況設定のある物語こそがイエスの本当の言行を伝える手段だと考えたからです。
↓カファルナウムの会堂あと遺跡
教条的な言葉が、発言状況から切り離し、取り出されると、一人歩きして全く反対の意味になってしまうことが多々あります。
マルコはそういう愚を避けたのです。
宗教的ドグマ言辞で神聖化されるイエス像ではなく、実際にガリラヤで弱者を救う行動姿の中にイエスの実像を描きたかったのです。
そのためマルコは、イエスの言葉羅列であるQ資料に頼るのではなく、Q資料も参考にするものの、まず自分でガリラヤ地方を歩き回り、イエスが伝道を実践した地のイエスの民間伝承を拾い集め、できるだけ生き生きとしたイエスの言行を蘇えらせ、感情豊かで怒って弟子をサタンとまで叱りつけるイエスも包み隠さず描いたのです。
それは、マルコが子どもの頃に実際に見たイエスの実践行動とあまりにも違うキリスト教の状況に、我慢ならなかったからでしょう。
イエスの死後、ユダヤ律法と妥協をはかるエルサレムの原始キリスト教会のあり方や、生前のイエスの実践を軽視し十字架贖罪観念だけを重視するパウロ神学に対する批判もあったと思います。が、なによりマルコは、今こそイエスの福音を正しく伝えねばという強い衝動に駆られたのです。
それゆえ言葉だけ切り離されたQ資料的手法ではなく、生けるイエスを描く福音書という形をとったのです。
おかげで、2000年後に我々は「マルコの福音書」という稀有な福音書文学を読み、いささかなりともイエスの原像に触れて、感動できるのは幸いなことだと思います。
↓カフェルナウムの猫
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マルコは物語的状況設定の中で語ったから、山上の垂訓のような言葉だけ羅列の説教は無いのですね。
奇跡の話も納得できました。
いやあ、勉強になりました。
昨夜、ご案内いただいてすぐこちらに伺い、(1)から拝見・拝読させていただきました。
マルコ福音書についてのお説、興味深く伺いました。マルコ1章15節の宣教宣言、
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」はキリスト教の
信仰の中心を示しているように思います。mokoさんと同様、私もキリスト教と
仏教、西洋と東洋の理解、融和を求める立場から両方に親しんでいます。
いろいろ教えていただいて、ありがとうございます。