模糊の旅人
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写真の思想家フルッサー ~プラハ散策(8) sanpo
2011年 03月 08日 |
写真について深く語った思想家といえば、まずドイツのヴァルター・ベンヤミン、次にフランスのロラン・バルト、そしてアメリカのスーザン・ソンタグの三人が挙げられます。
それぞれ興味深い思想家ですが、もう一人、忘れてはなりません。
それは、チェコのヴィレム・フルッサーです。

フルッサーは、1920年生まれのユダヤ系チェコ人で、カフカと同じくプラハのユダヤ人街に生まれ育ちましたが、ナチスの手を逃れてブラジルに亡命し、そこでメディア論者として壮大な思索を展開しました。
ベルリンの壁が崩壊後、1991年になってフルッサーは、故郷プラハに里帰りしたのですが、不幸なことに、そこで彼は自動車事故に遭いその生涯を閉じたのです。

私がプラハをめざした旅の理由のひとつに・・・作家カフカ、画家ミュシャ、音楽家ドヴォルザークとともに、思想家フルッサーの街を歩いてみたいということがありました。

てなことで、プラハ旧市街をさまよい歩きました。
フルッサーはともかく、都市プラハの街角スナップを存分にお楽しみください。
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OLYMPUS E-5 with ZUIKO Digital ED 7-14mm F4


孤高の思想家フルッサーについて書くと長くなるので、その真髄を、誤解を恐れず、ごく簡単にひとことで言うと、「写真=テクノ画像は、人間にとって、絵、文字に続く、第三の次元である」ということになります。

写真を、革命的に新しいコードだとするフルッサーの考え方は、現代のインターネットとデジタル画像の情報化社会状況の中で、その壮大な視点がますます輝きを増しているように思います。

私は、メディア論者でもフルッサーの研究者でもなく、単なるカメラ馬鹿のフルッサーかじりにすぎませんが、もしご興味のある方は、下のMoreをお読みください。

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More フルッサーについて

詳しく知りたい人のために、少しだけ書いておきます。

フルッサーは、1940年19歳の時に、後に妻となる恋人エーディトとともに、プラハを離れ、ブラジルに亡命します。
父母、祖父母それに妹といった家族は、すべてナチスに惨殺されたそうです。

この悲しみに耐えて、フルッサーは思索を深め、独創性に満ちた孤高で壮大な言説を展開していきます。
やがて、その執筆活動が認められ、サンパウロの大学のコミュニケーション学の教授に任命されます。

ブラジルは、日本人も多い多民族国家であり、言葉はポルトガル語が使われています。
また、もともとプラハでも、日常チェコ語が使われる場所でありながら、ドイツ語で文章を書くことを強いられ、自身はユダヤ人であるという、複雑な文化環境で青春時代を過ごします。
フルッサーの言説には、こうした多言語的・多文化的環境に基づく問題意識が満ち溢れています。


フルッサーは、19世紀に「写真」という「テクノ画像」が誕生して以来、「テクノコード」がわれわれの文化の支配的コードになったと考えます。

「テクノ画像」を作り出すのは、カメラなどの「装置」であり、そこでは自由な人間の決定でさえ、「機能」の選択肢という形で、事前にプログラミングされているのです。

カメラやビデオによる撮影や現像を考えてみれば、よく分かりますね。
だから、私のようなカメラ馬鹿は、その機能の選択肢を増やしたいと思い、カメラ沼・レンズ沼・ソフト沼に陥るのでしょうか(笑)

さて、そうした時代にあっては、われわれはもはや「主体」と「客体」といった古典的な在り方にはなく、機能のネットワークの中で、新たな「事態」を「デザイン」し、これまでにない関係性を「投企」していかねばなりません。

これを、フルッサーは、「主体=サブジェクトから、投企=プロジェクトへ」と言い表しています。


現代のネットとデジタル装置が満ち溢れてきた時代に、しっかり「機能」するモラルや考え方があまり無いようです。なかなかこの新しい「事態」に対応できていないというのが実情でしょう。
私は、そんな今こそ、フルッサーの考え方が、必要とされていると感じています。

フルッサーは、「造形においては、責任(それゆえ自由)が問われる」(『デザインの小さな哲学』)とも述べています。

こうした倫理性も含んだフルッサーの広大な言説は、これからますます重要になってくるでしょう。
おおげさに言えば、フルッサーは21世紀を照射する鏡なのです。

フルッサーは、早すぎた論者だったのかも知れません。
いまだにマイナーであり、日本ではまだ知らない人が多いでしょう。

そこで最後に、少しでもフルッサーを知っていただきたく思い、その邦訳著書を紹介しておきます。

写真の哲学のために : テクノロジーとヴィジュアルカルチャー』(勁草書房、1992年、深川雅文訳)
『サブジェクトからプロジェクトへ』(東京大学出版会、1996年、村上淳一訳)
『テクノコードの誕生』(東京大学出版会、1997年、村上淳一訳)
『デザインの小さな哲学』(鹿島出版会、2009年、瀧本雅志訳)

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by mokonotabibito | 2011-03-08 21:57 | チェコ | Trackback | Comments(8)
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Commented by miyatannaotan at 2011-03-08 23:01
今回は特に街の様子が良く分かりますね。やはり素敵な場所ですね。
カメラもアナログの時代とデジタルの時代とでは随分その存在のあり方が
変わってきているのでしょうが、撮る人の気持ちが普遍であれば。難しい
事はよく分かりませんが、カメラに撮らされている写真ではない写真を
撮れる様になれたらいいなあと思います。話ずれてます?(笑)
Commented by youshow882hh at 2011-03-09 00:23
こんばんは。 ゆーしょーです。
建物のほとんどが茶系統で冬ながら温か味のある写真です。
広角の写真は奥行きが深く安定してますので私も好きなのです。
ポチ♪
Commented by vimalakirti at 2011-03-09 16:52
こんにちは。
すてきなプラハの町並みをたくさん見せていただいて、ありがとうございます。
カメラは絵、文字に次ぐ次元ですか... これまで、「文字、絵、音楽」 という
順に抽象性が高くなるという感じをもっていましたが、写真については、
考えたことがありませんでした。

映画のタイトルを忘れましたが、フランスの町で暮らしているアメリカ人の
パートナーに対して、フランス人女性が、「あなたはいつも写真ばかり撮って
いて、〈いま〉に生きていない」 というようなことを言ってなじる場面がありましたが、
そういう次元とはまったく違う芸術的表現行為としての写真なのでしょうね。
Commented by nama3 at 2011-03-09 21:00 x
 こんばんは。私もフルッサーは、初めて知りました。
文章を読んで、ちょっと興味も湧いてきました。ご紹介いただいている
本も読んでみようかと思います。ありがとうございました。
 写真に、一眼レフを下げた女性が写っていますね。ヨーロッパでも
女子カメラは増えているのでしょうか。下世話な興味で申し訳ありま
せん。
Commented by mokonotabibito at 2011-03-10 17:26
【miyatannaotanさん】
特に街の様子が良く分かりますか。
ありがとうございます。
「カメラに撮らされている写真ではない写真」
そうですね。
最近は、アートフィルターなど面白いツールが増えてきましたが、それだけに頼り切ると、かえって難しい面もありますね。
カメラに関する考え方は、全く自由ですよ。いろいろ論議しましょう。
Commented by mokonotabibito at 2011-03-10 17:26
【ゆーしょーさん】
冬ながら温か味のある写真ですか。
ありがとうございます。
アースカラーと言われました・・・
広角の写真は落ち着きますね。
ただ最近は、望遠も撮ってみたくなりました、人間は贅沢なもんですね(笑)
ポチ感謝です。
Commented by mokonotabibito at 2011-03-10 17:27
【vimalakirtiさん】
すてきなプラハの町並みですか。
ありがとうございます。
フルッサーの言うテクノ画像というのは、写真・映画・TVなどの、現代の文化全般を指します。
大衆文化も含んでいますね。
御指摘の映画の話にもありますが、現代の文化は、ヴァーチャルな面が強く、これが特徴なんですね。
Commented by mokonotabibito at 2011-03-10 17:27
【nama3さん】
マイナーな論説家の話で、すいません。
本も読んでいただけたら、とても嬉しいです。
ヨーロッパでは、いわゆるデジタル一眼レフは、結構使われていますね。
コンサバな風土の国々なので、ミラーレス機は苦戦しているようですが、従来型のフィルム一眼の延長に見えるデジタル一眼は受け入れられているようです。
日本でもそうですが、女性カメラマンは増えていますね。
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