模糊の旅人
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2024年 03月 17日 |
このたび依頼されて大阪狭山市の記事を3本ほど書くことになり、その題材となる天野街道などを改めて歩いてみました。

池の町として有名な大阪狭山市は3本の高野街道と天野街道が貫いており、街道の町でもあります。高野街道は高野山への参詣道・巡礼道であり、古くからつくられた街道で4種類もあり、堺の大小路から来る西高野街道、四天王寺から来る下高野街道、平野の大念仏寺から来る中高野街道、石清水八幡宮から来る東高野街道です。このうち東高野街道以外は大阪狭山市を通ります。四つの高野街道は最終的に現・河内長野駅前で合流し、一本の高野街道となって紀州の高野山に至ります。

仏教信仰の一般化と、スーパーヒーローとして奇跡的な伝説事象の多い空海=お大師様信仰の高まりにより、高野街道は参詣道として人気となり、多くの人々によって歩かれました。(のちに南海高野線がつくられ大阪難波から高野山への鉄道路が整備されます)

そのうち西高野街道は堺の港に上陸した西国からの人々によって多く使われ、堺大小路に発し、空海伝説に彩られた盛松寺付近で中高野街道と合流します。

↓西高野街道の出発点:堺大小路にある安倍晴明の碑 竹内街道・長尾街道の起点でもあります。
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安倍晴明は平安時代の陰陽師ですが、生誕は諸説あるものの、母が信太の白キツネであり安部保明に助けられ子を産んだのが安倍晴明とする「葛の葉伝説」が有名。大阪阿倍野にある安倍晴明神社には晴明生誕の際に産湯を使ったとされる井戸がある。いずれにせよ、信太も阿倍野も、ここ大小路からは徒歩半日行程で割と近く、ここ大小路に晴明が来て占い書きを埋めたとされるのも、さもありなんと思わせる伝説です。

西高野街道は、大阪狭山市に入った岩室という村落で天野街道と分岐します。

天野街道は天野山金剛寺に至る、高野街道の分岐道で、影の高野街道でもあります。
これは高野山が女人禁制の地であり、女性でも参詣できる天野山金剛寺が「女人高野」として人気が高まり、多くの巡礼者によって歩かれたことによります。
歴史は非常に古く、有力説によると西高野街道より古く平安時代からあり、熊野参詣にも使用され、西高野街道の旧経路であったとされます。(この説によれば、天野街道のほうが主道であったようで、多分、本記事の下部に記す穴地蔵から「よつくのき道」を利用するのが旧高野街道だったと思われる

↓岩室~今熊の村落にある、西高野街道と天野街道との分岐点(天野街道追分)
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↓分岐点の道標には、「右あまの山」「左かうや山」と刻まれています。
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↓カーブミラーには「千年の森・千年の道 陶器山とあまの街道」とありました。
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ここを右に進むと、天野街道で、丘陵地帯の尾根道を歩くことになり、とても雰囲気の良いハイキングコースとなっています。
私見を述べれば、高野街道は現在では交通量の激しい複雑な自動車道になっているので、大阪狭山市でハイキングするなら天野街道を断然おすすめします。風光明媚で自然が豊かな歴史街道そのものです。

↓天野街道は尾根道の緑豊かなハイキングコースとして整備されており、安心して歩けます。
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↓少し南を行くと、三都神社(さんとじんじゃ)の上を通りますので、少し寄り道して神社にお参りしましょう。良い感じの古色蒼然とした神社です。

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熊野三所権現こと三都神社は非常に古い神社であるのは確かながら、創建時代は不明。飛鳥時代7世紀の創建とする伝承があり、今の熊野こと「今熊」という地名が三都神社の住所として残ります。ここにあった金蔵寺の由来とともに、謎に包まれた神社です。


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↓陶器山トンネル上付近から見た東側風景。下に見えるのが狭山ニュータウンの住宅地で、奥が富田林市方面、背景の山が二上山。
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↓西山霊園の上の天野街道から見た東側風景。このあたりから見る二上山が一番美しいです。なお右の茶色の大きなビルは近畿大学病院です。
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↓天野街道の大阪狭山市での最南端にある穴地蔵。霊験あるとしてとても人気があり、不便な場所なのに参詣者が絶えません。目、耳、鼻、口などあらゆる穴の病気に効能があるそうです。
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↓祠奥左側に古い道標があり「よつくのき道」とあります。
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四鉤樟道(よつくのきみち)とは、現・河内長野市楠木町にある盛松寺のことで、空海伝説に満ちた名刹です。
この穴地蔵の場所は、堺市・大阪狭山市・河内長野市の三市の境界点で、古くは「天野山に行く道」と「高野山に行く道」の旧街道交差点で重要な場所だったようです。


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ここ穴地蔵で大阪狭山市内での天野街道は終わりますが、右に行けば河内長野市を通って天野山金剛寺に至ります。また、左に行けば「よつくのき道」すなわち河内長野市楠木町の盛松寺に至り付近で西高野街道および中高野街道と合流します。

↓天野街道の目的地:女人高野こと天野山金剛寺の中心建物:多宝塔(重要文化財)
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金剛寺は真言宗御室派の大本山で、奈良時代の天平年間に聖武天皇の勅願によって行基が開きました。ここで空海が修行したのですから高野山より古いわけです。
鎌倉時代末期には大いに栄え100近い塔頭があり、後醍醐天皇や楠木正成の庇護をうけました。その関係から、南朝方の一大拠点となり、多くの南朝方天皇の行宮となりました。まさに名刹中の名刹といえるでしょう。
上記写真の多宝塔は平安時代後期の建立で、大阪府最古の木造建築です。


なお、よつくのき道(四鉤樟道)こと盛松寺については後日、紹介します。

2024年 03月 09日 |
春ともなると梅と桜の花を見たくなります。今日はリサイクル公園の枝垂れ梅を中心に、春の訪れを感じてみようと思います。それでは、一挙11枚の梅をご覧ください。

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